第2話
部屋を出たイオアンは、普段は使われていない五階の廊下へ進んだ。突き当りに隠し階段があり、仕掛けを起動して、さらに上に昇る。
そこは真っ暗な屋根裏部屋で、椅子やテーブルなど使われていない家具、娼婦たちの派手な衣装が、所狭しと散乱していた。その奥にひとつだけ明かりが灯っており、書物が山積みになった机を照らしている。
椅子に座ったイオアンは、不安な思いで訪問客を待った。
二人組の目的は何だろう?
〈首なし騎士団〉は辺境を放浪し、めったに町には姿を現さない。皇帝への忠誠を拒否している彼らは、いわば帝国の外にいる存在だ。それなのに伯爵家の嫡男である私にわざわざ会いに来たのだ。
やはりカルハースたちなのだろうか? 別れてからまだひと月。予想以上に早く現れた。〈綺麗な首飾り〉のためか、それとも――。
階段が軋む音がして、シアという〈侍女〉が燭台を持って現れた。その後ろに、黒装束に髑髏の仮面を被った騎士と、小柄な少年。
イオアンは適当に座ってくれと伝えた。騎士はそばの椅子に座り、少年は距離をとって木箱の上に腰かけた。〈侍女〉がワインのカップを手渡して回る。
〈首なし騎士団〉はいつも、この禍々しい格好を装う。馬革を黒く染めた上下で、背中のマントには、骸骨の下に舶刀が刻まれている。そんな彼らを見かけると、帝国市民は怖れると同時に、異形の者と蔑んできた。
そして、その後ろにいる質素な服の少年は――。
目を凝らしたイオアンは愕然とした。
エルじゃないのか!?
小柄で浅黒いのは同じだが、エルとは思えない雰囲気だった。別人かと疑ってしまうほど生気のない表情をしている。ひと月前、生意気で元気いっぱいだった、あのエルはどこにいったんだ?
何かがおかしい――そう思っていると、騎士が仮面を脱いで、ワインに口をつけた。三十過ぎの男で、気取ったように口髭を生やしている。予想通りカルハースだったので、ようやくイオアンはホッとした。
だが、安心するにはまだ早い。しっかり二人の目的を見極めてからだ――とイオアンが黙っていると、
「わははは、久しぶりだなイオアン君!」
とカルハースが笑い出した。
「そんなに警戒しなくても良かろう! 我々と君との仲じゃないか! もっと気楽に寛ぎたまえ。それだから、いつも君は疲れてしまうのだ」
「……そうかもしれない」
とイオアンも苦笑した。
「それでどうしたんだ、急に現れたりして?」
「うむ。さっそくだが本題に入ろう。時間もないからな」
とカルハースがグラスを置いた。
「わざわざ訪問したのは、仲間のダマリのことだ。君はひと月前、ダマリは牢獄塔に捕らえられたと教えてくれた。そして、まもなく出られるだろうと……そう話したのを覚えているかね?」
「もちろん覚えている」
「だが、いまだにダマリは戻ってこない……そこでイオアン君、ダマリを救出する手助けをして欲しいのだ」
「救出だと? 牢獄塔に収監された者は、しかるべき刑を受け、いずれ釈放される。私が手伝うようなことは……」
「そんなことは分かっているさ!」
とカルハースが遮った。
「だから保釈金を用意して、すぐにダマリを出そうとした。総督府の手続きを待ってられなかったんでな。だが役人たちは申請を受け付けない、理由も答えられないの一点張りだ。我々は途方に暮れている」
「……」
「総督府の内情に詳しいのは君だけだ。どうか我々に知恵を貸して欲しい」
「じつは……」
とイオアンが打ち明けた。
「私は二週間前に牢獄塔を訪ねて、そのダマリという男の処遇を調べたんだ」
「なんだって、イオアン君は牢獄塔に行ったのか!!」
とカルハースが驚き、エルも初めて口を開いた。
「じゃあ、ダマリに会ったのかよ!?」
「二人とも落ち着いてくれ。結局会えなかったんだ」
とイオアンが説明した。
「私も気になって調査しようとしたが、説明を受けられたのは塔の一階で、そのオークは上層の牢獄にいると獄吏長に教えられた」
「なんでその時に会おうとしなかったんだよ!」
とエルが噛みついた。
「あのなあ。面会させてくれと気軽に頼めるような雰囲気じゃなかった。それに獄吏長の話を聞いているうちに気分が悪くなって、私は退散したんだ」
ヴィヨルンドを縛った方法を教えてもらったのも、この時だったのである。
「そうか、少なくともダマリは牢獄塔にいるのか……」
とカルハースが考え込む表情になった。
「それも五階以上だろう。牢獄塔では、重い罪を犯した者や暴れると危険な者、影響力のある政治犯などは、上の階と決まっている」
「その情報はありがたいのだが……」
とカルハースが首を傾げた。
「そうだとしたら、なぜ役人は保釈金を受け取らず、我々に説明しなかった? どうしてダマリはいまだに釈放されない?」
「もしかしたら……」
とイオアンは考え込む表情になった。
「……市民たちのあいだで広まっている噂がある」
「噂?」
「近頃では馬泥棒や、怪しい馬商人が大勢捕まっている。そして、いまだに牢獄塔から出てこない。これは〈暁の盗賊団〉が関係しているという噂だ」
と言って、イオアンが二人の顔を見回した。
「この盗賊団は知っているな?」
「あのとき、俺が勘違いされた盗賊団だろ?」
とエルが答える。
「そうだ」
とイオアンが頷いた。
「お前は伯爵家の屋敷に潜入し、女装して、死にかけた軍馬に乗って逃げ出した。追いかけた騎士たちは、お前を〈暁の盗賊団〉と思ったわけだ」
「それが、なぜダマリと関係してくる?」
とカルハースが口を挟んだ。
「私にも分からない」
とイオアンは首を横に振った。
「その理由は、命令しているギイス伯爵だけが知っている。ただ、馬に携わる者だけが捕まっているのは事実だ。ダマリも馬取引で捕まったんだろう?」
「それはそうだが、ダマリは盗賊団とは何も関係ない」
とカルハースが答えた。
「ちょっと尋問すれば、すぐに分かりそうなものだが……」
「その証言を、役人たちが信じるかだな」
「そこで申し訳ないのだが……」
とカルハースが、イオアンの機嫌を窺うように尋ねた。
「頭の固い役人たちが気づくまで、我々は待っていられないのだよ。ダマリは商売の要でね。あいつがいないと我々の資金が底をつく。なんとか裏から手を回して、ダマリを解放できないだろうか?」
「……裏から手を回すとはなんだ?」
「君は、タタリオン家の筆頭家臣であるセウ家の嫡男だ。その絶大なる政治力で、ダマリを牢獄塔から出してもらいたい」
「私をなんだと思ってる?」
と気分を害したようにイオアンが怒鳴った。
「お前たちの道具じゃないぞ! だいたい私にそんな力はない!」
「いやいや、そんなことはないだろう」
とカルハースは動じなかった。
「君の弟のアルケタは、巡察隊の総指揮官のはずだ。その彼がダマリを捕まえたと君が言ったんだぞ。弟に通せば、何とかできるんじゃないかね」
「いいや無理だ。巡察隊は実働部隊であって、囚人の管理は関係ない。それは内務長官であるギイス伯爵の管轄だ」
「だから君が、弟を通して、その伯爵を動かすんだ」
「お前は、我々のことを何も分かっていない」
とイオアンは薄ら笑いを浮かべた。
「同じタタリオン家の伯爵でも、セウ家とギイス家は仲が悪いんだ。とくに正義感の強いアルケタは、金に汚い伯爵を嫌っている。話を通すなどとんでもない」
「そうか、残念だな……だがイオアン君、いろいろ教えてくれてありがとう」
突然の感謝の言葉を気味悪く思いながらも、イオアンはホッとしていた。
「これで話は終わりだな。では帰ってくれ」
「いやいや、まだ話は始まったばかりじゃないか」
とカルハースは微笑を浮かべている。
「イオアン君、そう邪険にすることはない。これから、どうやってダマリを脱獄させるか、じっくり相談するんだから」
「脱獄だと! 何を言ってるんだ!」
驚きのあまり立ち上がったイオアンに、カルハースが小声で告げた。
「イオアン君、そんな大声で叫ばないでくれ……誰かがやって来たようだぞ」




