第13話
イオアンは怪訝な顔をした。
「お前と取引だと?」
「ああ。もう一度だけ俺の名前を貸してやるよ。それで正式に牢獄塔を見学できる。その代わり兄上は、今夜の晩餐会に参加するんだ!」
「それは、困るな……」
とイオアンは躊躇した。今夜の会合に参加できなくなる。
「何でさ? 兄上のほうが絶対に有利だろ? ばれたら俺は、ギイス伯爵からきつく叱責されるんだぜ? 兄上のほうは、ただ晩餐会に出席して、美味い料理でも食っていればいいんだ。悪い話じゃないだろ?」
「お前の言うことはもっともだが……」
と目を閉じたイオアンは、こめかみを手で押さえた。
アルケタの取引を受け入れれば、牢獄塔を見学できるが、カルハースたちと会えなくなる。追いつめられたカルハースとエルが暴走しないか心配だ。私が約束を破ったと勘違いして、明日にでも牢獄塔を襲うかもしれない――。
いっぽう取引を断れば、手ぶらでカルハースたちと相談することになる。しかし古い防衛塔の図面だけでは心もとない。何事においても成功を分けるのは、正確な情報の有無なのだから――。
イオアンが目を開けた。
「……いいだろう、取引に応じよう。ただし条件がある」
「何だよ、さらに条件までつけるのかよ!」
「たいしたことじゃない。これから会議なんだろう? その内容を晩餐会で私に教えてくれ」
「駄目に決まってるだろ! 機密情報なんだから!」
「もちろん話せる範囲でいいんだ。それにお前だって、密偵たちの情報はたいしたことないって言ってたじゃないか」
「うーん」
とアルケタは渋い顔をした。
「本当にたいした話じゃなくても怒るなよ?」
「それで構わない」
「分かった! 約束だからな、絶対に晩餐会には来てくれよ!」
そう叫ぶと、アルケタは兵舎へ駆けていった。
アルケタの姿が見えなくなると、イオアンは大きく息を吐いて、牢獄塔に向けて歩きだした。やれやれ、とんだことになった。カルハースたちのことは心配だが、いまは目の前のことに集中しよう――。
しばらくすると、牢獄塔の正面に着いた。
入口の衛兵たちが視線を投げかけてきたが、(分かっている)というようにイオアンは頷いてみせた。正式にアルケタの許可をもらったのだから、心ゆくまで観察してもいいのだ。イオアンは胸を張って、牢獄塔を見上げた。
やはり大きい。そして臭かった。
牢獄塔の外壁には、隙間なくタールが塗られていた。夏の強い日差しに熱せられて、焦げた松脂のような異臭を放っている。このタールは、外壁を滑りやすくするためだと言われていた。
イオアンは牢獄塔から、周辺の風景に目をやった。
八階建ての牢獄塔は、もともと防衛塔を改装したので、旧市街を取り囲むイグマスの城壁に組み込まれている。つまり牢獄塔から脱出しても、すぐに行く手を阻まれるというわけだ。
逃走できる唯一の方向には、さきほどアルケタが入っていった近衛兵の兵舎と、常に兵士たちが控える練兵場がある。つまり脱走を気づかれたら、大勢の兵士や衛兵に囲まれることになる。
やっぱり不可能じゃないのか?
イオアンは絶望的な気分で、夏の太陽に照らされていた。
虚ろな表情で牢獄塔を眺めていると、入口の扉が開き、がっしりとした二人のドワーフが出てきた。布で覆われた担架の両端を持っている。おそらく牢獄塔の獄吏だろう。二人は近くの荷車に、担架に載せられたものを投げ込んだ。布の下から、ぐにゃりと曲がった手足が見えた。
囚人の遺体を、外に運び出しているのか?
男たちの作業を眺めていたイオアンは、死体を運ぶふりをして、ダマリをイグマスの外へ連れ出せるかもしれないと思いついた。もっとも、自分が本当の死体にならなければの話だが――。
あれこれ考えても仕方がない。まずは牢獄塔の内部を確認してからだ。
意を決したイオアンは入口に近づき、二人の衛兵にアルケタの名前を出した。すんなりと通され、イオアンは短い階段を降りた。牢獄塔の一階は、半地下の構造になっている。
頑丈そうな鉄の扉を叩くと、開口部が開き、陰気そうな目が見えた。ドワーフの背の高さに合わせているので、イオアンは屈んで顔を見せた。
「中を見学したい」
扉の内側にいる獄吏は、しばらくイオアンを見ていたが、何も言わずに開口部を閉じた。閂が外される音がして、扉がわずかに開いた。イオアンは重たい扉を押し、真っ暗な牢獄塔に足を踏み入れていった。




