一ノ4 俺だけがいない水着回
金曜の夜、腹の上の指定席で、俺は爆弾を落とされた。
「あのね、今度の土曜ね、らっくんとみんなでプール行くの」
「ほう。ええやん……プール?」
「うん。らっくんが誘ってくれたの。千尋ちゃんも来るんだよ」
……ちょっと待て。整理させてくれ。
主人公枠のらっくんが、音頭を取って。
純度百パーセントの正統派幼馴染と、完璧超人の金髪碧眼ツインテールが、同じプールに入る。
Wヒロイン水着回やんけ。
ラブコメ様式美の最高峰。アニメで言うたら円盤の売上が懸かっとる回。作画班が命を燃やす回や。
「なおやも来られたらいいのにね」
「……そやなあ」
猫や。俺は猫なんや。
プールサイドに黒猫がおってみい。水着回やのうて、保健所回や。
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土曜の朝、玄関で見送った。
「いってきまーす」
プールバッグを提げて、小雪は出て行った。
閉まった玄関の音が、いつもよりデカう聞こえた。
……さて、留守番や。
ええか。俺は三十二年、ラブコメだけを楽しみに生き抜いてきた男や。
その男の目と鼻の先、自転車で十五分の市営プールで、今まさにWヒロインによる水着回が進行しとる。
ほんで当の俺は、縁側の日向で香箱を組んどる。
……行くか?
塀を越えて、道を渡って、換気窓から——
あかん。プールサイドの猫は事案や。つまみ出されて終いや。
だいたいな、覗きに行った奴が幸せになるラブコメを、俺は一本も知らんのや。
暇やな。
久しぶりに一人ヒロインしりとりでもするか。
しりとりの「り」。『二次元の誘惑』のりりさ。『まくろ色シンフォニー』のさな。『エロゲーみたいな島に住んでる貧乳はどうすりゃいいですか?』のななせ。『インフィニット・ストライク』のセシリア。『推しの孫』のあかね。『ラブマイナス』のねね。また、「ね」か。
ラブコメヒロインの名前だけはほんま滝のように出てくるわ。
そんな益体もないことを考えていると、夏の陽気に照らされて、いつのまにか眠りについていた。
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夜。風呂上がりの小雪は、機嫌が良かった。
髪からほのかに塩素の匂い。
「たのしかったー!」
布団にぼふっと倒れて、足をパタパタさせとる。実況の開始や。
「あのね、千尋ちゃんね、泳ぐのすっごく速いの。クロールがしゅーって。監視員のお兄さんが二度見してたんだから」
「ほう」
「それでね、千尋ちゃん、最初はプールサイドで見てるだけだったの。でもみんなで誘ったら入ってくれて、そしたら泳ぎの綺麗すぎてびっくりしちゃった」
「ほほう」
「あとね、千尋ちゃんの水着、すっごくかわいかったの。白いワンピースのやつでね、外国の女優さんみたい。女子みんなで、どこで買ったのって囲んじゃった」
ほうほうほう。
白い水着の金髪碧眼——あかん、脳内の作画班が勝手に仕事を始めよる。
自重せえ。伝聞に作画カロリー使うな。
報告は、楽しかった一色やった。
誰も傷ついてへん。事件も事故もあらへん。
完璧超人は、プールでも完璧に人気者やったらしい。
結構なことや。
せやけどな。
俺の頭ん中の算盤が、勝手に数を弾いとった。
「千尋ちゃん」——今夜の報告で、十七回。
ちなみに、らっくんは三回や。
一回数えてもうたら、もう聞き流されへんのが数字っちゅうもんでな。
「なあご主人。今回のプールて、誰の発案なん?」
「らっくんだよ。千尋ちゃん、まだクラスに馴染めてないんじゃないかって。みんなで行ったら仲良くなれるでしょって」
……。
落ち着け、馬場直哉。評論せえ。
これはナンパやない。クラス統合や。
浮いとる転校生を輪に入れたる、教科書どおりの主人公ムーブや。
個人戦やのうて、団体戦。現にご主人も誘われとるし、クラスのみんなもおった。
せやけどな。
先週の俺の安心材料、なんやったか覚えとるか。
「報告の中に、千尋ちゃんとらっくんが絡んだ話は一個も出てきてへん。接点がなけりゃ、恋は発生せえへん」や。
……接点、できてもうたやんけ。
しかも作りに行ったんは、らっくんの側からや。
いやいや。団体戦や、言うたやろ。
プール行っただけで恋が始まるんやったら、日本中の市民プールはラブコメの聖地や。
「それでね、帰りに千尋ちゃんとアイス食べたの。ソーダ味の、おそろいで」
「ええやん」
「うん。……えへへ。お友だちに、なれたかも」
小雪は、ほんまに嬉しそうに笑った。
……ええ子や。ご主人、お前はほんまに、ええ子や。
この笑顔が曇る予定は、今んとこ、どこにもあらへん。
俺のデータベースが裏で何をピーピー言うとっても、現実の報告は「楽しかった」一色や。
ま、平和が一番やな。
俺は腹の上の指定席で、目を閉じた。
Wヒロイン水着回、観たかったなあ、とだけ思いながら。
らっくんことラブコメ主人公は、さぞ楽しい土曜やったことでしょうに。
……羨ましくなんて、ないんやからな!




