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「スパゲッティグラタンがいない」

 全国の奥様、いや全国の料理をする人間全員の共通の悩み。それはメニュー決め。特に夕食。夕食はその日の食事のシメである。主役である。ハイライトである。つまり妥協は許されない。ある程度の豪華さというか、食べ応えというか、真剣さが必要なのである。

 年末の歌合戦や特番のモノマネ大会のラストに聞いたこともない人間が出てくれば皆ポカンとするだろう。つまりはそういうことなのだ。


 そんな晩御飯を毎日すんなり決められる人は、それを誇りにしてほしい。大げさかもしれないがこれは紛れもない事実である。

 料理をしない人にはわからぬ問題かもしれない。けれども日々の献立を決めるということは、かなりの知識と応用力。その他もろもろの自分の中のありとあらゆるスキルというのが必要になってくるのである。

 予算、食材の旬、自分の調理技術、食べ合わせ。実際にスーパーにある食材の中からお買い得品を効率よく使い、自宅の冷蔵庫の中の残り物を活用する。さらにはそこに食べる人の好き嫌いまで加わるのだ。様々な制約下にありつつも、変わりゆく環境の中で夕食の献立を決める。それも一度や二度ではない。自分が厨房を預かっている間、ずっと続くのだ。


 これほどまでに日々の献立を考えるのには労力と技術を使う。

 そんな人に「んー、なんでもいいよ」などとは絶対に言ってはならない。相手は真剣に悩んでいるのだ。下手したら刀傷沙汰になるやもしれない。相手から何が食べたいのかと聞かれたら、完ぺきではなくとも何かしらの答えを出すのが『献立決め』という儀式における義務である。


 しかしながら、献立決めというこの儀式において多くの人が陥る失敗がある。

 そもそも出てこない料理、という問題である。


 例えば牛肉、玉ねぎ、人参、ジャガイモを見た際に真っ先に思いつく料理と言えば肉じゃがやカレーである。ハヤシライスやビーフシチューが真っ先に候補に挙がるという人は少ないだろう。しかしながら、これらはまだ思いつくだけマシである。今回の話はその上を行く。

 この世界には脳内で候補にさえ挙がらない料理、というものが実際に存在するのだ。例えそれに使われる食材がどんなに安かろうと、その料理を久しく食べてなかろうと。そしてそれをどんなに食べたくてもである。読者の方は「食べたいなら思いつくに決まっているだろうが、馬鹿かこいつは」などと思っているかもしれない。けれども、よくよく今までの人生を思い返して頂きたい。人からサプライズでプレゼントをもらった時、一度くらいはこの言葉を言ったことがあるだろう。


『あー、コレ欲しかったヤツ!』


 存在するのだ。欲しくても思いつかないモノが。食べたくても思いつかないモノが。『アーコレホシカッタヤツ』が。この『アーコレホシカッタヤツ』はもちろん料理においても存在するのだ。『アーコレタベタカッタヤツ』が確実に存在するのである。

 つまるところ『ンーナンデモイイヨ』に対する完璧な返しへの評価が『アーコレタベタカッタヤツ』なのだ。食べたいものはある。でも、それは思いつかない。そんな姿なき幻想が現実となってフワと現れたときに出てくる感嘆の言葉というのが『アーコレタベタカッタヤツ』なのだ。


 何という難題であろうか。何という試練であろうか。

 献立を決める者として『アーコレタベタカッタヤツ』を得るというのは大変難しい。食べたいけど思いつかない料理というのは得てして影が薄い。それを日頃から脳内の引き出しに留めておくのは素人ができるものではない。


 その最たる例がスパゲッティグラタンである。今日の晩御飯にスパゲッティグラタンを食べたという人、います? そうそういないでしょう。食べる頻度というのも恐らく年に一度あるかないか。下手したら五年間食べていない人もいるのではないだろうか。それほどまでにスパゲッティグラタンというものは献立の候補に挙がらないものなのである。

 一見すると洋食界の王道を行く二大スターであるスパゲッティとグラタン。けれどもこの二つが合わさると途端に影が薄くなる。どうしてもマカロニグラタンの後ろを歩く日陰者なのだ。

 または脳内データベースで検索をかけるときに『スパ……』と文字を入れ込むと『スパゲッティ ナポリタン』や『スパゲッティ カルボナーラ』などがズラーッと出てくる。そして『スパゲッティ ボンゴレ』や『スパゲッティ アラビアータ』のかなり後に『もしかして スパゲッティグラタン』が出てくるのだ。


 けれども、このスパゲッティグラタンというのは大変美味しい。忘れていたことを深く後悔するほどに。ただマカロニからスパゲッティに代わっただけでこれほどまでに味わいが変わるものかと感動した。濃厚なクリームをしっかりと絡めとるスパゲッティは冬に味わう幸福の一つだと言って過言無い。


 だから忘れないでほしい。スパゲッティグラタンを。いや、忘れらている料理のために日々ちょくちょく思い出してほしい。スパゲッティグラタンが世にあること。稲荷寿司が世にあること。カブというものが世にあること。貴方が忘れている美味しい食べ物が世にあることを。

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