「幕の内弁当を開ける楽しみ」
お久しぶりです。
幕の内弁当。これだけで、心躍る。
……いや、心だけではない。体も踊る。ダンシング、なう。
幕の内弁当があれば人は幸せ。できれば、幕の内弁当を配るだけの職業に就きたい。サンタクロースよりも上の存在に、私はなりたい。
とにかく、幕の内弁当というのは日常の中の心地よい贅沢。静寂の中にある宴。
フレンチやイタリアンではこうはいかない。この二つは贅沢に過ぎる面がある。もし、この二つを食べるとなると気構えが必要だ。襟元を正し、彼らと向かい合う真剣勝負。そこに一部の隙も無いが、同時にそこにゆとりというものはない。
では焼肉はどうか。こちらは先ほどのものと比べると軽い雰囲気を持っている。かしこまった服装やマナーなどいらない。ただワイワイと騒ぎ食らう。そこには紛れもない楽しさがある。
けれども、そこに静寂はない。騒がしさ、煩わしさというのがどうしても出てきてしまうのである。
だが、幕の内弁当は違う。
幕の内弁当と向き合う時はそこまで畏まらずとも良い。ラフで良い。ポロシャツで良い。
喋らなくて良い。一人で良い。それで許される。それで良い。
幕の内弁当には、幕の内ベントにしかない良いところがある。
こう書くと幕の内弁当というものは大した食べ物なのではないのか、という感想を抱くものが出てくるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、幕の内弁当は極めて豪華な食べ物の一つと言って良い。
蓋を開けると、思わず笑顔になるいくつものおかずたち。これほどのおかずを揃えようとすると、一人では腕が足りない。同時進行で作ろうと思えば、熟練の料理人が五人以上は必要であろう。
いわば幕の内弁当はフルコースであり、懐石料理だ。この一つの箱の中に食のドラマが詰め込まれているのである。
そのドラマの名場面の中から三つ、今回は語ろうと思う。
まず、卵焼き。君がいないと、ダメだ。決して主役ではないかもしれないが、彼無しでは幕の内弁当は成立しない。彼がいない幕の内弁当は、幕の内弁当ではない。箱に入ったご飯である。
これはどういうことかと言えば、卵焼きが入ってないと『弁当』ではないのだ。弁当という条件を満たすには卵焼きが入っているのが前提条件。それほど必要な存在なのだ。
甘くてもしょっぱくても良い。黄色く優しい君が、迎えなければ幕の内弁当は始まらない。
そして煮物。最近は弁当に限らず、食文化の中で煮物を軽んじている傾向が見られる。確かに煮物は野暮ったく、田舎っぽい。ご馳走といえるものではない。
けれど、彼には『安心感』がある。彼がいれば心が安らぐ。
幕の内弁当には多くのおかずが入っている。エビフライが入っているものもあれば、西京焼きが入っていたり、ポテトサラダが入っていたりもする。
こうなると、人は混乱する。自分は何を食べれば良いのか、どれから食べれば良いのか。そもそもこの箱に入っている食事は何なのか。自分は何故ここにいるのか。
この世界はどうやって生まれたのか。物事には必ず始まりがあるが、それは世界にもあてはまるのか。あてはまったとして、世界が始まる前は何があったのか。いや、そもそも終わりはあるのか。自分の意識というのは死で終わるのか。死が終わりであるならば、今を生きる意味とは一体……。
そんな時、彼を見る。心が落ち着く。冷静になる。冷静になって、おかずを選べる。
彼はそういう存在なのだ。
さて、ここまで紹介して最後には何が来るのか。ここまで来たら読者の方々もお気づきの通り、今回私は幕の内弁当においてどうしても語るに外せぬ三つのおかずを紹介しているのである。
その最後の一つを、是非当てて頂きたい。
からあげだと思った人、残念ながらハズレである。確かに唐揚げは美味しい。実際『からあげ弁当』というものはある。だが、幕の内弁当に彼はいなくても良い。彼はからあげ弁当で十分だ。
煮豆だと思った人、渋すぎ。いや、正直それを選びたい気持ちもわかる。すごくわかる。アレ、美味しいよ。幕の内弁当の中でのセーブポイントみたいなところ、あるよ。でも、私はもう一つの方を押したい。
揚げ物の下に敷いてある、あの……。ほら、あの変な輪ゴムみたいなスパゲッティだと思った人。大丈夫? 最近ツライことでもあった? 悩み事は一人じゃ解決しないんだから、誰かに話した方が良いよ?
いや、アレはアレで美味しい時もあるが選ばない。選びませんよ、私は。
いい加減、正解を言おう。
カマボコである。そう、あの練り物のカマボコだ。豪華なカマボコじゃなくて良い。安いやつで良い。一枚で良い。
箸で掴めばプルプルと震え、口に入ってもプリッと僅かに暴れるあの食感。私、アレ好き。
この答え、人によっては怒り狂うかもしれない。実際、今も聞こえぬはずの怒りの声が聞こえてくる。
「カマボコとかお前はふざけているのか」
「エビフライの方が美味しいだろ、馬鹿」
「カニクリームコロッケ芸人が、何故カニクリームコロッケを挙げない?」
「てめぇ、ころっけぱんだの癖にコロッケ挙げないとかふざけとんのか。死ね!」
「やっと更新したと思ったら、幕の内弁当とかカマボコについてとか舐めとんのか」
こういう心無い声を浴びせていることだろう。
だが、それでも私は幕の内弁当に彼を押したい。彼がいる幕の内弁当を選びたい。幕の内弁当には彼がいなければならない。それは何故か。
今の時代カマボコが輝ける場所は、幕の内弁当にしかないのだ。
単刀直入に聞く。正月以外でカマボコ食べてる? 食べてなくない?
そういうことなのだ。カマボコは確かに美味しいが、世の中にはそれ以上に美味しいものが増えすぎた。
特にカマボコは『板わさ』という食べ方が代表にある通り、刺身の代用品的な側面が見られる。なるほど、蒸していながらあのツルンとした官能的な食感は生魚に近いものがあり、物流が貧弱な時代では生魚に代わって食卓を明るく照らした大スターであったのだろう。
けれども、現代ではどうだろうか。
パソコンで注文すれば、明日にはモノが届く。焼きたてのピザがご家庭に届く。スーパーには海外産の格安のマグロやサーモンの刺身が売られている。かまぼこを刺身の代替品として買う時代は当の昔に終わったのだ。
唯一カマボコを食べなければならない正月には、彼を遥かにしのぐ大スター達が顔を揃えている。煮エビ、寿司、モチ。最近ではローストビーフやアワビなんかも当たり前のように顔を出している。そんな中でカマボコ君はどんな顔をしていいのかわからぬことだろう。
そんな彼が唯一輝ける舞台。それが、幕の内弁当。現代の日本食において、ご馳走というのはやはりナマモノか牛肉。だが、刺身がナマモノである限り弁当というナワバリに入ってこられない。
彼は刺身の代用品というポジションをそのナワバリで遺憾なく発揮できるのだ。
加えて、おせちという存在がある限り、幕の内弁当はその下に位置しなければならない。箱入りの食事としての『格』がおせちの方が上であるならば、幕の内弁当の中身はそれ相応にしなければならない。だからこそ、カマボコはデカい顔ができるのだ。
つまり、カマボコが一番美味しく頂ける環境が幕の内弁当にはあるのだ。
今も目の前に幕の内弁当がある。
この幕の内弁当を開ける楽しみ。胸が高鳴る。顔がニヤける。鼻歌が出てきて、不審者通報される。
この蓋を開けた瞬間に先ほどの三種が「コンニチハ」してくれる。心優しく迎え入れてくれる。
さぁ、パカッと開けるのだ。この幸福の箱を。そして私もまず、先ほどの三種を真っ先に視線に入れようそうしよう。
私はそう心に決めて、蓋を開けた。
「あっ、最近のはカニの爪も入ってるんだ!」




