心のザラザラ
ライムが気絶して、約一時間。
辺りがじわじわと薄暗くなり始める中、彼女は自宅で目を覚ました。
『なんか、気持ち良い』
頭のすぐ真下に柔らかくて弾力のある何かが置かれている。
スッキリとした気分で目を開けると、そこには、水酒を飲み進めているマリーがいた。
大きすぎる胸が邪魔でなかなか顔が見えないが、それでも頭を動かすと彼女の表情を覗き見ることができる。
彼女は考え事をしているのか眼鏡の奥の鋭い瞳を妙に尖らせていて、ぼんやりとどこかを見つめている。
キュッと引き締まった口元にいつもの三日月の笑みはなく、口元のホクロがやけに印象的だった。
普段の駄目な酔っ払いとは少し違う、繊細で真剣な雰囲気の彼女にライムは何故か不安を覚えた。
「マリー?」
問いかけるが、ライムの声が小さいのか、あるいは思考に集中しすぎているのか、マリーが彼女に気がついた様子はない。
それどころか、急にウプッとえずいたのでライムは慌てて起き上がった。
「ちょっと、マリー! ここで吐かないでよ!」
「ん? ああ、ライムか。おはよう。調子はどうだい?」
「さっきまで良かったのに、マリーのせいで最悪だよ!」
「そうかい、それは悪いことをしたね」
言葉では謝るマリーだが、全く悪びれる様子もなく水酒を飲み進めている。
「反省してないでしょ」
きつく睨むと、マリーは「バレたか」とケタケタ笑った。
「ねえ、マリー。どうして私はここにいるの? ベルアッテさんは? それに、ユニは?」
キョロキョロと辺りを見回す。
見慣れた光景は心に優しかったが、それでも自分を気絶させた元凶がいないとなると少し気になる。
彼の性格上、ライムが目を覚ましたら一番に飛んでくるだろうに。
「ユニ君はね、今は城下町に戻っているよ。何やら色々と買い込みたいそうでね。ほら、君が情けなくもユニ君のご尊顔にあてられ、鼻血を吹いて気絶してしまっただろう。だから、彼は君をものすごく心配していてね、騎士団御用達の医療機関で薬をもらってくるらしいよ」
「気絶に効く薬って何? 気つけ薬とか?」
「さあねぇ、ボクにも詳細は分からないよ。ただ、無知な操り人形なりにどうにかしたいとは思っているんだろう。努力は空回りしていそうだが、それでも以前の彼よりはずっといい」
マリーは嘲笑うように言って水筒の中身を煽る。
ライムはしばし無言でマリーを眺めた。
「ねえ、マリー。聞いてもいい?」
「何だい? ライム君」
「マリーはユニのこと嫌い?」
これまでのマリーの言動、態度を見て総合的に判断したのだろう。
気まずい内容だが、それでも問いかけた理由は純粋な興味だ。
そこに政治的な打算や人間関係の崩壊をもくろむ嫌らしさは一切感じない。
どこまでも無垢な子どもの質問にマリーはニヤリと笑った。
「ああ、嫌いだよ。大嫌いだ。だって、見ていて面白くないもの。ノストリア王国自体、規律で民を貶めるばかりの薄汚い国さ。破滅に向かうだけの愚かな弱小国家。そこに追従して、望んで心中するような男、誰が好むものか」
「でも、それならどうしてマリーはユニのことを気にかけるの?」
「気にかける? ボクが、あのガラクタをかい? もしかしてライム君、それはボクがたまにユニ君と世間話をしていることを言っているんじゃないだろうね。別に、嫌いな人とだって場をもたせるために会話することくらいあるさ。ましてやボクたちは仕事仲間だ。少しの会話くらい当然だろう? 子どもっぽい君は可愛いが、もう少し、大人な思考回路を身に着けたまえ」
マリーが畳みかけるように言葉を走らせる。
ライムと違って演技臭さは少ないが、それでも何かに焦っているような、あるいは誤魔化しているような不自然さがあった。
マリーの言動にライムが嫌そうに眉根を寄せる。
「私だって、そのくらい分かるよ。私も最初の頃は無言の空気が嫌でユニに声をかけてたし。でも、そうじゃなくて、マリーはユニのこと、たまに見ないようにしているでしょう? 私だけに声をかけたりさ」
「それは、彼が苦手だからだよ。嫌いな人にする行動を見て、どうしてそこを疑うのかね」
水筒の中身が切れたらしい。
マリーは呆れた口調で言うと席を立ち、ライムがあらかじめ煮沸消毒して桶に溜めていた水を取りに行った。
既に何度もライム宅から水をもらっているので、マリーは彼女に声をかけない。
ライムも特に気にしていなかった。
代わりにマリーの言葉への返答を考えて、少しだけ黙りこくる。
「ねえ、マリー、好きの反対は嫌いじゃなくて無関心なんだって。ベルアッテさんが教えてくれた。多分ね、嫌いになるってことは、その人にとって相手の何かが引っ掛かるってことだと思うの。私は最初、ユニの『無』の性質が理解できなくて怖かった。だから、嫌いだった。でも、最近はそんなことも無いの」
「おや? そうなのかい? ついさっきもユニ君に気絶させられたばかりだというのに。ライム君は彼が迷惑じゃないのかい?」
「ああいう風に迫られるのは困るけど、でも、嫌いじゃないよ。ユニのこと、何となく嫌いじゃないの」
「へえ、どうして?」
問われて、ライムは静かに首を横に振った。
「分からない。けど、強いて言うなら引っ掛かるのかな」
「何に?」
「心の底に。ザラっと引っ掛かって気になるの。少しだけ、あの手紙と同じ雰囲気がして。ユニのこと、きっと、もう少しだけ知りたいんだと思う」
「手紙?」
ライムが倒れるまでの経緯をユニから聞いた関係で、マリーは手紙のことを知っている。
だが、あえて知らないふりをしてライムに白々しく問いかけた。
ライムは何にも気がつかないまま、静かに頷く。
「うん、手紙。ずっと昔にね、ゴミ山で拾ったの」
ライムはポケットから小瓶を取り出すと封を開け、中身をマリーに見せた。
丁寧に開かれた紙面には色褪せたインクが乗っている。
美しすぎて特徴のある筆跡は、やはりマリーの知り合いのものだ。
マリーはニタリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「なるほど、これが君の宝ってわけか。そうかい、それはいい。ぜひとも、手紙とその主を大切にしてあげたまえ」
「うん。そうしてみたいんだけれど、この手紙を書いた人が誰なのか分からないの。生きているのか、死んでいるのか、それさえも不明なんだ」
城下町へ渡ること。
それは、幼い頃のライムの目標だった。
城下町に行って手紙の主を探して、それからその人に声をかけてみたかった。
どうして助けて欲しいの?
何か困ったことがあるの?
どうしたら力になれる?
そんなことを聞いてみたかった。
だが、大きくなるにつれて夢の実現不可能性を知る。
助けて欲しい、なんて書いている時点でその人物の状況は明らかに良くない。
既に死んでいてもおかしくないことを理解できるようになる。
ライムはすっかり手紙の主を探すのが怖くなってしまった。
今だって、不安を語るライムの表情は悲しげだ。
落ち込む姿にマリーは目を丸くした。
「ちょっと待ちたまえ、ライム君。まさか君は手紙の主に気が付いていないのかい? ユニ君の話じゃ、とっくに分かっていてもおかしくなさそうだったのに。まったく、君は鋭いのか鈍感なのか分からないな」
ヤレヤレと呆れたようなため息に、ライムはキョトンと首を傾げた。
「ねえ、マリー。もしかして、マリーは手紙を書いた人のことを知っているの?」
「ああ、知っているとも。昔はそうでもなかったが、最近はそれなりに交流がある」
「本当!? 誰!? 教えて! その人、まだ生きてるんだよね! 元気?」
期待でキラキラと瞳が輝く
ワクワクとした心持ちで問いかけたが、マリーは「チッチッチッ」とふざけて人差し指を振るばかりだ。
「駄目だよ、ライム君。ボクからは何も伝えられない。ただ、それでもヒントを与えるとすると、その人は君でも十分に会うことが可能な人物さ。それに、君の脳はとぼけていても、心は確実に本人を見つけ出している。まあ、どうしても知りたければ自分と向き合うことだね」
興奮してグイグイと近づいてきていたライムの鼻先を人差し指で軽くつつく。
むにんと三日月に結ばれた口がライムの期待に応えてくれることはなさそうだ。
拍子抜けし、ライムの興奮が穴の空いた風船のように萎んでいく。
ライムはしょんぼりと肩を落とした。
「マリーのケチ」
「まあね。ボクは自分以外どうでもいいのさ。他人にかける労力なんてないね」
マリーはカラッとした調子で言ってのける。
ライムはプクッと頬を膨らませた。
「ねえ、ライム君、君と違ってボクは本当にユニ君が嫌いさ。だって彼はボクが普段酒で封印している、本当に痛いところをジクジクとついてくるんだもの」
「マリーの痛いところを? でも、ユニは人に意地悪したりしないよ。意外と親切だよ。人には全然興味なさそうだけれどさ」
「だからだよ。彼の悲惨な生い立ちが、これまでの人生が、そうして作り上げられた人格が、ボクの心の奥底にある闇を刺激する。でも、だからこそ、最近の彼は興味深い。もしもあのしょうもないガラクタが、近寄るだけで吐き気がする操り人形が、再び人に戻れたらどれだけ愉快なんだろうって最近はそんなことを考えるのさ」
マリーは酒を一口飲みこむと、美味しそうに深いため息をついた。
その後は話す気も無くなったようで、ただ黙々と酒を飲んでいる。
「マリーはユニのことが嫌いだけれど大事なんだね」
しばし考え込んで、ライムが快活な笑みを見せた。
予想の遥か斜め上をいくライムの感想にマリーはうまく酒を飲み込めなくなり、ゲホゲホと咽る。
目尻に浮いた涙が苦しそうだ。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ! なんでそうなるのかね! 嫌いだと言っているだろう。興味があるのも、それは面白そうだからで!」
「でも、さっきのマリーは優しい顔をしていたから。ユニのこと、心配なんでしょう。だから、毎日早起きをして様子を見に来るんじゃないの? 食料の入ったバスケットを持ってさ」
「だから、それは君たちを揶揄うため、バスケット内からワインをかっぱらうためで……くぅ! ライム君はどこまで思考が花畑なんだね。そんなお綺麗な世界に括りつけられては、ボクが壊れてしまうよ!!」
ライムの純粋さ、無邪気な明るさに身を焼かれる。
マリーは眩しそうに彼女から身を逸らすと、笑顔に目を焦がされぬよう、ギュッと両目を閉じた。
「マリー、照れてて可愛い」
ライムがマリーの白っぽい頬をつつくと彼女は珍しく真っ赤に顔を染め上げ、「照れてない!」と怒声を上げた。




