増え続ける魔物に辟易
「キャアァァァァァ!」
小雨のうっとおしい朝、遠くでつんざくような女性の悲鳴が聞こえる。
切羽詰まった声は絶体絶命を表しており、あと一秒の命すらあるか分からない。
ライムは必死に悪路を駆けた。
「ユニ! こっちだよ! そのまま、屋根から飛び降りて!」
上に乗っただけで崩壊しそうなボロボロな屋根の上をユニが軽やかに飛び回り、グイグイと前に進んでいく。
ユニは最後の小屋から飛び降りると音も無く地面に着地した。
ユニがいるのは、ちょうど魔物と女性の間。
無感情な瞳がじっと見据えるのは、デロデロとしたタールのような黒の上で様々な色彩が油みたいに煌めく汚らしい体。
人間の骨格に溶解したスライムがまとわりつく姿はゾンビのようで、顔らしき部位には赤く光る目のような点が存在する。
粘着質なスライムで塞がりかけた口は大きく、鼓膜を直接揺さぶるような気色の悪い叫びを上げている。
つい先ほどまでは女性を狙っていたというのに、今はとっくにユニへとターゲットが変わっている。
誰でも、何でもよいのだろう。
自分を形作る、どこにも行けない悪感情を振りまく先があるのならば。
ユニは無言で手のひらを魔物へかざした。
シュルシュルと銀色の魔力が手のひらへ集まっていく。
彼は無詠唱で魔法が使える。
純粋な光を集めたような強く美しい魔力の塊をそのまま雷へと変換すると、魔物の頭上へと勢いよく落とした。
雷が触れた位置から腐肉が焼き切られ、焦げる前に消滅していく。
あっという間に魔物の大部分は消滅して、残ったのは手足と思しき一部の肉片のみ。
だが、それも断面から砂状になってほどけ、空気に混ざって消えていく。
唸り、叫び、おぞましさを振りまいていた魔物の存在は断末魔もあげられぬままに消し飛ばされる。
魔物がいたことを知るのは、もはやユニと襲われていた女性のみ。
ユニはクルリとその場で踵を返し、今度はじっと女性を見つめた。
その目は魔物を消滅させた時と全く同じで、一切の感情が不明だ。
ユニは騎士団の団長として上等な衣服を着ているが、その信頼はスラムでは通じない。
スラムの住人にとって、騎士は自分たちを理不尽に食い荒らすもの。
快楽のために暴力を振るい、八つ当たりで殺害する。
死体すら玩具にする騎士たちはスラムにとって恐怖の対象だ。
『せっかく助かったのに、殺される!』
恐怖で腰が抜け、今すぐにでも逃げ出したいのに走ることはおろか立つことすらできない。
怯えている内にユニの手が真直ぐ女性の方へ伸びてくる。
「あっ、嫌!」
声だけがほんの少しの抵抗をして、貝のように体を丸める。
しかし、骨と皮ばかりの女性の力などユニにはとるに足らないものだ。
女性は簡単にユニに捕まった。
「コラ! ユニ! 何してるの!?」
身長が高いユニに対して女性はかなり小柄だ。
それがユニに腕を掴まれ、そのまま持ち上げられているのだから不自然な格好で宙に浮いている。
「痛い」
女性はポロポロと涙を流していて、余計にライムは苛立ちを覚える。
しかし、ユニはパッとライムの方を振り返ると少しだけ嬉しそうに瞳の奥を輝かせた。
「怪我、してないか見てた」
「怪我って、そんな風に持ち上げたら脱臼しちゃうでしょ。下ろして」
「座りこんでて見えなかったから。ライムが、私に怪我の様子を確認するようにお願いしたのに」
ユニは不服そうに文句を言うと女性を地面の上に下ろす。
荷物を扱うような手荒な扱いにライムは再び抗議しようとしたが、怒る肩にポンと手を置かれ、開きかけの口を閉じた。
「まっ、まあ、まあ、ラ、イム君。ユニ君は、うっ! 今日は、頑張った方さ。ボクたちは、スラムじゃ恐れられているからね。仮に、優しくっ、うっぷ、問いかけても、答えてはくれないっ、さ。怪我を、気遣っただけ、成長していると言えるよ……うぇっ」
万年研究室に閉じこもっていた運動不足の酔っ払いでは、とても体力ある若者二人についていけないらしい。
一拍遅れで追いつくのがやっとであり、息も絶え絶え、真っ青な顔でライムに声をかけるのが精いっぱいだった。
「マリー、大丈夫? すごく苦しそうだよ。端っこでなら吐いて来てもいいから、少し休んだら?」
マリーは全身汗まみれで、今にも何かを吐き出しそうな嗚咽交じりの呼吸を繰り返している。
ライムが呆れ半分、優しさ半分で声をかけると、マリーは微かに頷いた。
「助かるよ、ライム君。胃の中で水酒がチャポチャポ、チャポチャポ。全身のアルコールが毒となって暴れるのさ。解放してあげなくちゃね」
「お酒は元から毒だよ。勤務中くらいはお酒を控えたら?」
「嫌だね」
マリーは不敵に笑って茂みの中へ入っていく。
情けなく汚い大人にライムは深いため息をついた。
嘔吐を聞かないため、そして、被害者へのフォローをするため、ライムはいまだに震えて動けない女性の元へ歩み寄る。
「ねえ、貴方は無事? 痛い所はない?」
ライムは屈んで女性と目線を合わせると、幼い子どもに話しかけるように柔らかく声を出す。
聞き覚えのある声に女性は恐る恐る顔を上げた。
「もしかして、ライムちゃん?」
潤んだ瞳がぼんやりとライムを見つめ、弱々しく問いかける。
ライムはゆっくり大きく頷いた。
「そうだよ。そういう貴方は、トレイラさん?」
「うん。前にね、助けてくれてありがとう。足、歩くどころか走れるようになったよ」
「いいよ。たいしたことじゃないもん」
「たいしたことあるよ! だって私の足、一度はなくなったんだから。動けなくなったら、スラムじゃおしまいだもの」
スラムの住人は弱いからこそ、いつでも自分以下の獲物を探している。
体の欠損した少女など、誰にとっても美味しい餌なのだろう。
そうでなくとも、自分で生活を回せなくなった人間など飢餓で野垂れ地ぬしかなくなる。
どうあがいてもおぞましく、惨めな末路。
それが現実味を帯びた恐怖は、今もトレイラの中に残っている。
トレイラの震えて汗ばむ小さな体をライムが優しく抱き締めた。
「もう、大丈夫だよ。だって、トレイラはもう自由に歩けるもの。それに、魔物だってユニが倒したし」
「ユニ?」
「さっき魔物を倒した騎士だよ。私、今は騎士と研究者と一緒に魔物を倒す仕事をしているの。魔物の情報を集めて、そいつがいる場所までユニを案内するんだ」
ライムのニッと笑う顔は太陽のように明るく、自然とトレイラの緊張が解けていく。
トレイラは「すごいね」と笑っていたが、ふと、何かを思い出したようで「あっ!」と声を上げた。
「そういえば、さっきの魔物、分裂してた!」
「え!?」
「元はもう少し大きかったの。それが二つになって、一匹は私を狙ってきた。もう一匹はあっちの方に向かったよ」
トレイラが指を差して方角を教えてくれる。
「向こうは腐り林の方か。人はいなさそうだけど、急がなくちゃ。ありがとうね、トレイラ!」
ユニを引き連れ、魔物が向かったと思しき方角へ足を進め出す。
だが、その前にクルリと踵を返すとトレイラの方へリンゴを一つ投げた。
リンゴは綺麗な放物線を描き、ポスンと彼女の両手の上におさまる。
トレイラが驚いたようにライムの顔を見上げると、彼女は得意げに笑った。
「それ、情報料。どうせ売春しようと思って、こんな変な所にいたんでしょう。今日はそれ食べて家で休んで。腐ってないご飯ってすごく美味しいから」
ライムは「じゃあね!」と元気よく別れを告げると、今度こそ林の方へと駆けていく。
その場に一人残されたトレイラは「ありがとう」と呟いて一口リンゴを齧った。
生きていることへの喜びと安心感で少しだけ涙を溢してしまう。
「残りは子どもたちにあげよう」
ポツリと言って立ち上がり、家路へ着く。
ライムとトレイラの小さな絆を、マリーは興味深そうな様子で眺めていた。
トレイラの話してくれた通り、つい先ほどユニが倒したのと全く同じ魔物が林の中をうろついていた。
幸い、周囲に人はおらずユニが速やかに対処することで事なきを得た。
「いや~、ライム君がいると任務がサクサク終わっていいねぇ。これも、君の人望と頭に叩き込まれた地理のおかげかな?」
マリーがニヤッと笑ってライムの肩にポンと手を置く。
ユニはコクリと頷いた。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、今日で二人が来てから一週間、魔物は増えるばっかりでキリが無いよ」
ユニたちが来るまでは五日で一体ほどの出現率であったのが、今では一日に一体以上発生している。
おかげでライムとユニは朝晩を問わずスラムを駆け回っていた。
人の命がかかっているから手を抜くことはできず、あまりの激務にライムは疲労困憊だ。
「もう嫌だよ。魔物なんて、早くいなくなって欲しい」
ライムはうんざりとため息をついた。
しかし、グッタリするライムに対してユニはフルフルと首を横に振っている。
「私は、嫌じゃない。魔物が出る限り、ここにいられる」
「えぇ……私はユニにも早く帰ってほしいんだけれど」
「私に、帰ってほしい? ライムは、私のことが嫌い?」
軽い気持ちで出した言葉にユニは随分と傷ついたようで、銀の瞳に悲しい影が入る。
しょんぼりとあからさまに落ち込んだ雰囲気になったので、ライムは慌てた。
「あ、いや、だって元々一人で住んでたから。でも、ユニのことは別に嫌いじゃないよ」
「本当? なら、ずっと一緒にいてくれる?」
「いや、ずっとは難しいんじゃないかな」
「難しいの?」
「うん。だって、任務が終わったら私とユニはさようならでしょう?」
ライムとの関わりが途切れるだなんて、ユニは想像したこともなかった。
だからこそ、終わりをほのめかす「さようなら」という言葉にショックを受け、ほんの少しだけ両目を見開く。
「嫌。それなら魔物、いなくならなくていい」
「そんなの駄目だよ。ずっと魔物に脅かされるなんて、私、怖いもの」
「でも、嫌。魔物、ずっと発生したらいい。そうしたら、私もライムの隣でずっと任務を遂行し続けられる。ライムのこと、ずっと守るから」
「無茶言わないでよ」
ユニの言動は酷く子供っぽいのに妙に圧が強い。
すっかり困ってしまい、たじたじになるライムをマリーがニヤニヤと面白そうに眺めた。
「別に、さよならをする必要なんてないさ。ライム君は任務が終わったら城下町に来るんだからね。そこで、一緒に暮らせばいい」
「え!? ちょっと、マリー!」
暴挙に近い提案をされ、ライムがギョッと抗議の声を上げる。
しかし、ユニは無感情の目を少し輝かせて「本当?」と問いかけた。
「本当だとも。何なら、今だってボクやユニ君の権限でライム君を連れて行くことができるんだ。彼女が城下町の住人になれば訳の無い事さ」
「そう。それなら私、頑張る。頑張って、魔物を全部倒すよ」
「おお! ユニ君やる気だねぇ」
ライムを置き去りにして二人は勝手に盛り上がっている。
「私、いいって言ってないのにな」
ライムは一人で不貞腐れて口を尖らせた。
「ねえ、マリー、ユニ、魔物を全部倒すって言ってもさ、どうするの?」
拗ねたまま、八つ当たりのような口調で問いかける。
ユニはキョトンと首を傾げた。
「どう? 全部、倒せばいい。出たら、片っ端から」
「それは今やってるでしょ。でも、どんなに倒しても次から次に現れていなくなる気配なんてないよ。だいたいさ、魔物ってなんなんだろ。倒すと消えちゃうけど、一体どこからきてるんだろう」
今まで出会った魔物は全て倒されると同時に消滅しており、死骸が残っているのを見たことが無い。
分かっているのは強大な力を持っていて、強い悪感情に振り回されていること。
そして、時に魔法も使いながら周囲の生き物や建造物等を感情の赴くままに破壊することのみである。
どこから生まれているのか、そもそも魔物は生き物なのか。
ライムもユニもなにも知らない。
そのため、彼女の疑問は至極真っ当なものと言えた。
ライムの言葉に、マリーが丸「ほう」と眼鏡のレンズを光らせる。
「ライム君、なかなかに良い着眼点だね」
「え?」
「だって、雑草を駆逐したければ根を掘り返し、燃やし、文字通り根絶やしにするだろう。害獣を駆除したければ習性を理解し、それを元に罠を設置して捕らえ、殺す。そもそも魔物がこの世から消し去ることのできる存在なのか、確かめることも重要だと思わないかい?」
「そっか、確かに。もしかして、マリーのお仕事はお酒を飲みながら私たちを揶揄ったり、ゲロを吐くことじゃなくて、魔物の研究をすることなの?」
「おっと、ボクの印象は最悪みたいだね。まあ、仕方が無いか。とはいえ、ボクとしては魔物の性質なんかより、スラムの英雄の方が気になるんだけれどね」
「スラムの英雄?」
「とぼけないでくれよ、君も知っているはずだ。ユニ君よりも先にスラムに存在していて、魔物を殺して回っている人物のことだよ。もう随分と時間が経過しているが、それでもボクの目で見れば魔力の残滓から英雄を特定できる。毎日魔物が現れるせいで時間が取れないから、調査は進んでいないけれどね」
マリーが説明するまで、ライムは本当に「スラムの英雄」という言葉の意味に気が付いていなかった。
だが、その人物の詳細を聞き、更にマリーが本人にまで行きつくことができると語ると、とたんに冷や汗をかき始める。
初めて彼女らと魔物の調査を行った日と同様に目はスイスイと泳ぎ回り、動揺が全身に表れている。
顔色も酷く悪い。
あまりの分かりやすさにマリーはクスクスと笑った。
「ま、いいさ、今日は可愛い君に免じて深追いはしない。魔物の調査に付き合ってあげるよ」
マリーが上機嫌に笑って水酒を煽る。
「元々、自分の仕事の癖に」
少々傲慢なマリーの態度に、ライムは小さく文句を言った。




