人形騎士のアプローチ
ライムの自宅はスラムのはずれにある。
孤立するのも危ないが、かといって人や物の密集する地域では争いが絶えない。
常に喧騒が響く場所は精神に悪影響を及ぼし、体が休まることもない。
そのため、ライムは母親と過ごしていた小屋を改装し、家として使い続けていた。
木の板を適当に組み合わせて作った壁は一部が腐っており、ボロボロだ。
ギリギリ家屋の体裁はとっているが、今すぐ崩れ落ちてもおかしくはない。
吹きすさぶ隙間風を塞ぐために材質、厚さ、品質の違う板を追加で打ち付けており、更に壁を覆っている布は汚いパッチワークで形成されていて、室内にはカビの匂いが漂っている。
成人女性と子供のためのスペースしかなかったため、ライムとユニでは過ごせないこともないがやはり手狭だ。
気に食わない相手ではあるが、自分の客なのでライムはユニの分もクッションを用意すると、その上に座らせた。
拾い物のクッションはライムが丁寧に洗ったのだが、それでも消えないシミが残っている。
つぎはぎだらけで、どことなく小汚い。
しないはずの腐敗臭や汗の匂いが漂ってくるようだ。
だが、ユニは嫌な顔一つせずライムに従ってクッションに腰を下ろしていた。
「あのさ、さっきは焚火に火をつけてくれてありがとう。私、火打石使うの苦手だから助かったよ」
「別に」
「今、湯を沸かしてるの。貴方も飲む?」
「別に」
「熱いのは嫌かもしれないけど、ここの水は常に何かが混ざっていて汚いから煮切って濾さなきゃいけないの。望むなら、一度冷ました物も渡せるけど」
「別に」
「あ、それとさ、さっきご飯を分けてくれてありがとう。かびてないパン、初めて食べた。美味しすぎて私、死んじゃったのかと思ったよ。その、天国にいるのかなって」
「別に」
マリー同様、ライムはユニのことだって気に入らない。
綺麗な澄まし顔も、淡々とした言葉も、自分を見下すような態度も。
おまけに、気まずさを誤魔化そうと話しかけても全てが「別に」と言う言葉で掻き消される。
ユニの著しいコミュニケーション不良に、ライムは腹が立って仕方がなかった。
「ねえ、どうして貴方は『別に』しか言わないの! そりゃあ私だって貴方のことは嫌いだけれど、でもだからってずっと黙っているのも辛いし、そんな風に返されてばかりじゃ貴方のことをどうしたらいいのか分からなくなるのよ」
ライムの瞳が怒りと困惑に揺れる。
薄ぼんやりとした光に照らされるオレンジが妙に綺麗で、ユニは「別に」と言う言葉を飲み込んだ。
「必要ないと、思ったから」
ユニにしては珍しくいつもの口癖以外の言葉を出したが、ライムはそれだけでは許さない。
ムッとした表情で彼を睨んだ。
「必要ないって何が? 言葉が? 私は貴方のことを少しも知らないの。喋れるなら、ちゃんと全部言って!」
「言ったら、目、もっと見せてくれる?」
「目!? 何の話よ!」
ギョッと目を丸くするライムだが、そんな瞳の動きや色、輝きが美しかったようでユニがグイっと顔を近づける。
スラムという腐った環境で男性に近づけば、確実に碌な目に遭わない。
慰みものにされた挙句、殺される。
そのため、ライムはあまり男性とは親しく接してこなかった。
また、男性でも女性でもユニのように美しい人間を見るのは生まれて初めてだ。
そんなライムがユニに迫られれば、彼女の小さな心臓はバクバクと鳴って、瞳は緊張と動揺、魅了でクルクル揺れ動く。
頬も真っ赤に染まって、ライムはプイッと顔を背けた。
「もう! やめてったら!」
顔を逸らされてもなお、ユニはライムの瞳が見たくて下から、横から覗き込む。
だが、そうしてやっと確認できた目がギュッと閉じられてしまい、瞼の内側に隠されると、残念そうに視線を落とした。
「今の目、すごく綺麗だった。賑やかで、楽しくて、かわいい? かった。もう少し、見たかった」
「そういうの失礼なんだってば! 横柄でないのも、怖くないのもいいけれど、こんな変人じゃ、私、困っちゃうわよ!」
キスができそうな距離まで近づいたユニの美貌が脳に焼き付いて離れない。
瞳を閉じてもなお暗闇の中でフラッシュバックし、ライムの中に居座り続ける。
サラサラな髪から香った高貴な匂いも、衣服についた洗剤の匂いも、どれも心地良くてライムの心臓をドクドクと鳴した。
先程まではユニに対して強く怒っていたはずなのに、今ではすっかり年相応の乙女だ。
ライムは可能な限り体を縮めてユニから身を守った。
「ライム、小動物みたいだ。かわいい」
「かわいい、かわいいって、さっきから何よ! まさか貴方、人形みたいな朴念仁かと思ったらタラシなの? それなら私みたいなのに構ってないで、さっさとノストリアに戻りなさいよ。私は環境上、水浴び以上に身を清められないから汚いんだからね! 揶揄っても収穫なんてないわよ! 触るだけで損なんだから!」
「タラシ? ではないと思う。言われたことない。それに、触って損?」
ユニの無感情な瞳がライムの全身を眺める。
貧相で肉の無い体つきを好む人間もいるだろうが、ライムの場合は痩せすぎていて一般的な魅力ある女性の姿とはかけ離れている。
また、ライム本人が自覚する通り彼女はあまり衛生的とはいえず、髪もボサボサとしていて肌だって荒れていた。
頬に浮くそばかすも、長く日光に当たるわりにケアできていないことの表れだろう。
ただのスラムの少女。
だが、オレンジの瞳を筆頭によく動く表情や唇にユニは魅力を感じていた。
「私は、ライムに触るの、得だと思う」
気になるのは目や口だが、ひとまずマリーみたいに頭を撫でてみたい。
そのため、ユニはゆっくりとライムの方へ手を伸ばす。
すると、触られる場所を勘違いした彼女がバチンとユニの手を叩いて逃げた。
「や、やめなさいよ、この変態!!」
顔を真っ赤にして辺り一面にとどろく声で叫ぶ。
あまりのライムの勢いと声量にユニの髪はたなびき、オールバックになって両目をパチパチと瞬かせた。
「変態。私はただ、髪に触ってみたかっただけ」
しょんぼりと落ち込んで、赤くなった手を浮かせる。
感情が無いと思っていた生き物がどんよりと沈むものだから、ライムは気がつかない内に蝶を押し潰した妙な罪悪感と焦りに襲われた。
「え? 髪!? 髪なんて触ってどうするのよ。あの、ねえ、叩いてごめんってば、そんなに落ち込まないで。謝るから」
ライムが取り繕って言葉をかけるが、ユニは想像以上に大きなショックを受けていたようで動かない。
パキリと彫刻のように固まってしまったユニを見て、ライムは小さくため息を吐いた。
これからの動きが恥ずかしくて、トクンと心臓が鳴る。
だが、ライムは覚悟を決めると酷く熱くなった頭をユニの手のひらに擦りつけた。
「ほら、ねえ、これで満足? 私の髪なんてユニみたいに良い匂いじゃないし、綺麗じゃないし、二束三文程度の価値も無いのに」
頭を手のひらに収めたまま、ユニの方を見上げる。
温かそうな頬や気の強い口ぶりが妙に可愛らしい。
実際には大して触り心地も良くないのに、ライムに触れられたことが嬉しくて、彼女の赤い髪が絹のように感じられた。
「ありがとう」
「どういたしまして?」
許せばいつまでも頭を撫でていそうだったので、ライムはそっとユニから距離を取るとクッションに座り直した。
「ねえ、ユニ。ユニってどんな人なの? 私の中では美形の変人なんだけれど。どうして騎士団の団長なのにこんな任務を受け入れているのか意味が分からないし」
「こんな任務? スラムに来て、魔物をたくさん倒すこと?」
「そうよ。スラムに来るだけだって嫌な事だろうに、危険な魔物の処理までさせられて、わけのわからない女のボロ小屋に押し込められて。ご飯は美味しいのを持っているみたいだけれど、でも、寝床は土みたいなもの。シャワーだって無いわ。毎日を平穏に、裕福に暮らしてだろう貴方が、どうしてこんなことを受け入れられるの?」
一度上げた生活の質はなかなか落とせない。
貴族の暮らしから平民並みに下げるだけでも相当キツイのに、何を好き好んで最底辺以下まで落ちるというのか。
騎士団で一番の地位を持つ彼が、どうして汚職騎士やポンコツ騎士のようにスラムに派遣される不名誉を許せるのか分からない。
高い地位にいたことのないライムですら想像できるユニの不遇の扱い、苦痛。
それをどうしてアッサリ受け入れているのか、ライムにはどうしても理解できなかった。
だが、そう伝えてもユニはキョトンと無表情に首を傾げている。
「任務に逆らうなんて、考えたことも無かった」
「え!?」
「私の使命は国に従うこと。そのために生まれた。だから、逆らう理由が分からない。逆らってはならない。でも、ライムなら逆らうの?」
問い返されてライムは言葉に詰まった。
「そんなの分かんないわよ。私、団長じゃないもの。でも、やっぱり嫌だって思うんじゃない? だってユニは今まで幸せに暮らしてたんでしょう?」
「幸せかは知らない。でも、不便はなかったと思う」
「じゃあ、私にユニみたいな命令が出たら怒るわよ! なんでって、理不尽って思うわよ!」
「そうなんだ」
ユニは納得しているような、していないような平坦な声を出す。
ライムは呆れてため息を吐いた。
「ねえユニ、ノストリアの騎士って皆そうなの? 騎士として真面目に仕事をする人は皆ユニみたいに無欲で、感情が無くて、お国のためだけに生きてるの?」
ライムの知っている騎士は最低最悪の屑ばかりだが、もしかすると王国内部にいる騎士は違うのだろうか。
皆、ノストリアがうたう無欲と清貧を崇め、全に身を尽くすことを生きがいとしているのだろうか。
だから、城下町の人間は皆魔法が使えて良い思いをしているのだろうか。
だが、ユニのような集団がズラリと集まって生活しているのを想像すると、妙な恐怖が込み上げてくる。
その感情はきっと、非生物的、人間的なものが人為的にかき集められていることに対する嫌悪感なのだろう。
戦々恐々と質問するライムにユニは首を横に振った。
「いや、皆はもう少し色々な事を考えている。酒を飲んだりギャンブルをしたり、スラムに派遣されることを左遷と呼んで嫌がったり。国でしてはいけないと言われることをしている人は多い。私は多分、かなり珍しい方だ」
ユニは自身がノストリア王国の理想を体現する存在であることを知っている。
だが、それと同時に自身のノストリアに寄り過ぎた在り方や高すぎる戦闘能力を恐れられ、周囲に嫌われていることにも気がついていた。
ノストリアの操り人形。
それがユニの蔑称だ。
しかし、ユニはそういった噂話を気にしたことはなかった。
名誉も不名誉も自分には価値の無いもの。
ただ与えられたものを享受して、要求されれば差し出せばいい。
それだけだった。
「城下町の中にはいろんな人がいる。うるさい場所もある。教会みたいに静かな場所もある。自堕落な人も、感情豊かな人もいる。でも、どうしてか惹かれない」
「惹かれない?」
「うん。ライムみたいに元気な人、たくさんいるのに、どうしてかライム以外には興味を持てないみたいだ。そもそも、人も物も自分も全部どうでもよかった。だから、惹かれる人間に出会ったのは初めてだ」
ユニは真顔で言葉を紡ぐ。
見た目の温度は低いのに、内側は随分と熱くなっているらしい。
何とも言えない圧を感じる。
向けられた感情にライムは照れてそっぽを向いた。
「知らないよ、そんなの」
「そっか。でも、だからこそ今回の任務は楽しみだ。ライムの近くで過ごして、ライムを見ていられるのは嬉しい。任務のこと、そういう風に思うのも初めてだ」
ユニは静かに興奮したまま、じっとライムを見つめ続ける。
『なんか、変なのに懐かれた』
自分に好意的なのは構わないが、ユニの性格や態度が特殊すぎて疲れる。
ライムはユニをどう扱って良いか分からず、ただ気疲れを起こして深いため息をついた。




