最初の魔物事件
その後、ライムたちはもう少し話を進め、最初に魔物の被害が出たという場所へ向かうことになった。
席を立ち、集会所を出る前にライムがマリーへ声をかける。
「ねえ、マリー。さっきから貴方の言うユニが見当たらないのだけれど、一体どこにいるの? まだノストリア? それとも、先に現場にいるの?」
キョロキョロと辺りを見回すと、マリーとバステアが揃って「えっ!?」と声を上げる。
ライムも二人につられて「え?」と首を傾げた。
「え? じゃないよ、ライム君! そんなにキョトンとして! まさか君は、ずっと目の前にいる人間を認識していなかったのかい? カップは四つ、ボクは彼の存在を隠しもせず、むしろ頭数に入れて今後の話をしていたというのに! それとも、君にはユニ君の姿が見えないのかい!?」
マリーがバシバシと、すぐ隣にいる人物の背を叩く。
その行為によって、ようやくライムはユニという人物を認識することができた。
「あ、いたんだ」
「いたんだじゃないよ、全く。確かにユニ君は美貌のわりに影が薄いが、君ほど露骨な人は初めて見たよ。先が思いやられるなあ。ユニ君も、言われっぱなしで良いのかい?」
「別に」
話しかけられて、ようやくユニが口を開く。
その声は低いが高く、ハスキーな女性の声と言われても差支えがないほどだった。
『綺麗な人』
パールのような白髪は長さに対して一切のうねりがない。
真っ直ぐと腰まで伸びていて、集会所のぼやけた光さえ神々しく反射し、七色の輝きを見せる。
同じく白で縁取られた目は形からして美しく彫刻のようだ。
どこまでも遠くを見渡すような瞳の色は銀で、こちらも瞳の奥に虹の光沢を見せる。
スラリと長い手足に雪のような白い肌。
クッキリとした喉ぼとけを見落とせば、ユニはまるで舞台女優のようだった。
しかし同時に人形のような、あるいはガラス細工のような、生物的存在感を持たない空の存在でもあった。
そのため、ライムは無意識のうちにユニという生物の存在を自己の中から排除し、置物のように扱ってしまっていたのだ。
ようやく見つけることのできたユニの美しさに、ライムは酷く見惚れて言葉を失った。
「ユニ君は相変わらずだし、ライム君もとぼけているかと思えば今度はユニ君の美貌の虜になってしまっている。全く、本当に困ったものだよ」
マリーは額を押さえ、小さくため息を吐いた。
集会所を出てライムたちが向かったのはスラムのはずれだ。
そこには人間が二人くらい入る大きさの貯水槽がある。
中は下水のような汚く濁った泥水以下の液体が貯められており、何に使えるか分かったものではない。
スラムに点在するこの水をライムは死の水と呼び、自身からは遠ざけてきた。
「酷い匂いだね」
苦々しく出たマリーの言葉にライムがコクリと頷く。
荒れ放題になった木々や雑草は嫌な水気を出していて、辺りには生ぬるく湿った空気が充満している。
そこに家畜のフンのような、生ごみを発酵させたような匂いが漂っているのだから貴族であるマリーはおろか、ライムさえも耐え難い。
このような場所で眉一つ動かさず平静を保っているのはユニだけだ。
「噂によると、貯水槽の中から真っ黒い人型の魔物が這い出てきたんだって。そして、そいつが偶然近くに通りかかった人を襲ったらしいよ」
柵の壊れた貯水槽からは匂いが溢れ、今だって酷い有様だが魔物の発生当時は比べ物にならないほどだったらしい。
鋭く伸びた爪で住民の首を掻き切り、動かなくなった死体を何度も地面にたたきつける。
一時期、辺りは文字通りの血の海となり、地面や貯水槽には液体なのか内蔵なのか、あるいは人体の一部だったのかさえよく分からない物体が転がっていたらしい。
死体さえも金に変える薄汚い売買人やネズミなどの野生動物が処理してしまったから、今では事件の面影は薄れているが、それでも痕跡が完全に消え去ったわけではない。
マリーはこういった話に耐性が無いのだろう。
真っ青な顔でライムの話を聞いていたが、やがて石の上に事件と関連性があると思われる茶色のシミや腐った肉を見つけると、「うっ」とえずいた。
「端っこの方で吐いてきてもいいよ。貴方にはきつい話でしょ。正直、私も気分が悪い」
「ああ。そうさせてもらおうかな。二日酔いも重なっているから、本当に、もう、ね」
マリーは足をふらつかせながら茂みに入っていくと、そのまま屈みこんだ。
何をしているのかなど分かりきっている。
だが、彼女の尊厳を守るためにもライムはマリーから距離をとると、それから眉一つ動かさずに貯水槽を眺めるユニの方へ向かった。
「貴方は平気そうね。気持ち悪くなったりしないの?」
「別に」
「そう。騎士だから争いごとやケガの話には慣れてるってこと?」
「別に」
「貴方、それしか言葉を知らないの?」
「別に」
何を話しかけても「別に」以外の言葉を発しないユニにライムは段々と苛立っていく。
しかし、分かりやすいライムの表情や態度を見ても、あるいはヘロヘロになって二人の元へ帰ってきたマリーを見ても、ユニは相変わらず表情を変えない。
他者に影響されない不動の姿は美しいが、同時に酷く不気味だ。
ライムは心の中でユニに人形騎士というあだ名をつけた。
「マリー、平気? 今日はもう帰る?」
マリーが著しく体調を崩しているのが見て分かるからだろう。
こんな時まで意地悪をするほどライムの心は荒んでいない。
優しく問いかけ、マリーの機嫌を窺った。
マリーは失った水分を取り戻すように水酒を飲むと、力なく首を横に振る。
「今は午後の三時だろう。ボクみたいに上等な服を着た人間が夜のスラムをうろついたらどうなるか分からないからね、遅くなる前には帰ろう。でも、まだ引き下がるほどじゃない。もう少し、様子を見るよ」
「様子を?」
不思議そうに首を傾げるライムにマリーは青い顔のままコクリと頷いた。
「ボクの魔法は常に発動しているからね。さっきから見えてはいるが、もう一段階、精度を上げようか」
マリーは静かに両目を閉じると、それから右目にだけ手のひらを添えた。
「心眼作動」
先程まで汚物を吐き、あげくに迎え酒をしていた人間と同じとは思えないほどキリッとした格好良い態度で言葉を出す。
マリーの言葉に呼応して、みるみるうちに灰色の魔力が右目へと集まり出した。
左目は閉じたまま、カッと見開いた右目は魔力に満たされて薄く灰色の膜におおわれている。
目の中にはクッキリと灰の魔法陣が形成されていた。
張り詰めた雰囲気に影響されて、ライムがコクリと唾をのむ。
マリーは貯水槽を中心に辺りを見回し、それから何かを見つけるとジッと目で追っていく。
しばらくして、マリーは何かを見届けると「ふぅ」と息を吐き出し、全身の緊張を解いた。
マリーの瞳からは魔法陣も消え、雰囲気も少し前のだらしないものへと戻った。
「何か分かったの?」
「ああ、だいぶね。ここにいた魔物は酷い憎しみの魔力に憑りつかれていたみたいだ。それで、近くにいた人間に適当に攻撃した。ターゲットは誰でもいいのに凶暴性だけは強いから最悪だ。ライム君が話してくれた通り、完膚なきまでにグシャグシャにして、遺体をポイ捨てした。けれど、それからはどこにも行っていないみたいだね。すぐに誰かに見つかって、討たれたようだから」
「討たれた?」
「ああ。本来ならば、ボクたちはここで大暴れしていた魔物を倒しに西へ東へ奔走する予定だった。その情報を集めるために、スラムの地理と人物に明るいライム君を雇ったのだから。でも、その必要はなさそうだね。魔物はとうに消滅しているんだからさ」
「そっか、なら良かったね」
ホッとして、明るい声を出す。
しかし、マリーはやけに神妙な面持ちになると「ううん」と唸った。
態度は非常に困った風だが、口元にあてた手の隙間から彼女の口元が見える。
釣り上がって歪んだ口角と八重歯は妙に享楽的で、ライムの背にゾワリと恐怖が走った。
「な、何? マリー、どうかしたの?」
身震いを抑え、恐る恐る問いかける。
マリーは丸い眼鏡の奥で玩具を見つけた猫のように爛々と輝く目を細め、じっとりとライムを舐め回した。
「いや、ね、君は知らないだろうが魔物というものは魔法でしか消滅させられないんだよ。そして、君も知っているだろうがスラムの人間は魔法が使えない。欲にまみれた汚物だからね、神聖な魔法は使用できないのさ。そうだというのに、ボクたちが駆け付けるまでも無くここにいた魔物は討たれた。妙だとは、思わないかい?」
楽し気な口元から飛び出した言葉は、何故かライムの心臓を這って揺さぶるようだ。
尋問にかけられているような気がして、ライムは迫りくるような焦りを感じた。
心臓や内臓にまでダラダラと汗が流れるような、冷たい感覚がライムを襲う。
「し、知らない! だって、ここに魔法を使える人間なんていないから! 私は知らない! 勝手に死んだんでしょ!」
「いや、確かに体内の魔力を使い果たせばそれもあり得るが、ボクが見る限りでは魔物は誰かに討たれている。もう少し頑張れば、誰の魔力かっていう所も辿れそうだ」
「そんなことする必要ないよ! だって、ほら、魔法で討たれたってことは城下町の人間が手を下したってことだもの。きっと巡回の騎士が倒したのよ!」
「へえ、あのサボり魔の素行最悪な問題児どもが、ね。まあ、いいさ。彼らにも気まぐれはあるかもしれない。今はそういうことにしといてあげるよ、ライム君」
両目は右往左往して上手く焦点が合っていない。
言葉は急き立てるような早口で、手は無駄にうろついている。
怪しいなどというものではない。
ライムが何かを誤魔化そうとしていることは明白で、その姿は喜劇を演じる芸人のように滑稽だ。
しかし、マリーはニタリと笑んで醜態を見逃した。
追及を逃れたつもりになっているライムは分かりやすく胸を撫で下ろしている。
「ふふ、面白いものも見れたし、ボクは満足かな。今日はここまでにしようか。上には適当に、ユニ君が討伐したとでも言っておけばいいし。じゃあ、ボクは帰るから二人ともエスコートをよろしくね」
ユニとライムに向かってパチリと色っぽくウィンクをする。
本人が自覚している通り、上等な衣服を着た女性が一人でスラムを歩くのは危険だ。
ライムのように男性と見紛うようなぺったんこではなく、ユニさえもが二度見するほどの巨乳を持つマリーならば尚更。
そのため、ライムは嫌そうに「分かったよ」と頷くとマリーの後をついて行った。
鼻歌を歌う白衣の女に無表情の騎士、ボロボロで貧相な少女が連れ立って歩くさまは何とも奇妙だった。




