悲しいことを言わないで
夜が更けて、二人は贅沢に食事をとる。
何でも適当に焼いて食べていたライムの料理の腕はEマイナスといったところだろう。
決して料理上手などではない。
だが、炎を扱うことそのものには長けていて、焼くだけで簡単に美味しく食べられるベーコンなどは絶品の仕上がりとなっていた。
野菜だって非常に新鮮だからサラダと称してそのまま齧っても十分美味しく、粉末スープに至っては熱湯に混ぜるだけでいい。
二人は簡易的に美味しいものを食べて豊かな気分になっていた。
「ユニ、あのね、髪がぺたぺたしないの。ユニがくれた洗髪料のおかげだと思う。凄くスッキリして、頭皮がベタベタしなくて、保湿する石鹸? も使ったから、私の髪ね、すごく艶々してる。マリーの髪みたい!」
「うん。とても綺麗だと思う」
「匂いもね、すごく良いの。スラムには花畑どころかろくに花も生えてないけれど、でも、きっと本物はこういう匂いがするんだろうなって思う。甘くて柔らかい香り。私、自分の体から漂う匂いが好きだなって思ったの初めてかも。だから、その、色々ありがとうね」
ユニに食料や雑貨を渡された時、ライムは驚いてばかりでお礼を言えていなかった気がする。
改めて感謝を述べればユニはコクリと頷いた。
「ライムが喜んでくれてよかった」
「うん。えへへ、嬉しい」
笑った拍子に髪がふわりと揺れる。
髪を乾かした後、オイルで保湿したライムの髪は滑らかだ。
赤の色彩が普段以上に輝いて、一本一本の生命力が増している。
命の輝きが、ユニの中にある懐かしい温かさを思い出させた。
それに、身綺麗にしたことで自信が出たのか嬉しそうに自分の体を褒めてはしゃぐ姿がユニには可愛くて仕方がなかった。
だから、ユニはライムを抱き締めて頬や髪の匂いを嗅いだ。
「ライム、本当だ。良い匂いがする。お揃いの匂い。嬉しい」
スンスンと鼻を動かし、ライムの肌に触れる。
首筋に顔を埋めて嗅ぎまわされ、ライムは恥ずかしくて堪らなくなってしまう。
「コラ、ユニ! 駄目! もう終わり! おしまいだってば!」
声を荒げてユニを叱るのだが、あいにく非力な彼女の抵抗など子猫に引っ掛かれるよりも軽いものなのだろう。
ユニはライムがくったりと疲れるまで匂いを嗅ぎ、クタリと弱る彼女の体を抱き締めて支えた。
「ユニ~」
かなり満足した頃、ライムの困りきった声が聞こえてユニは我に返る。
確認してみれば、ライムは額や首筋、胸や背中など全身に細かな汗をかき、顔を真っ赤に染めあげている。
頭から湯気を出す姿は気絶寸前の彼女に似ていて、ユニはギョッと目を丸くした。
「ライム、大丈夫? 意識はある? 鼻血、出てない?」
「意識はあるけど、のぼせそう。鼻血だって分かんないよ。鼻の中、あついもん」
ホコホコと温まる顔面は既に茹っており、体はフラフラと揺れている。
ユニが一杯の茶を用意し、差し出すとライムはコクコクと勢いよく飲み干した。
飲み終われば多少気分は落ち着いたようだが、未だに照れや羞恥はおさまらないようでユニのことを上手く見られずにいる。
頬も赤みは少し引いたが、それでも変わらぬ桃色だ。
「ライム、ごめんなさい」
ユニは落ち込んで謝罪すると、それからスススと彼女から距離をとった。
「反省はしてほしいけど、でも、だからってそんなに離れなくてもいいよ」
狭い小屋の中、ユニは可能な限りライムから離れようとしているので、彼女と対面の壁にキリキリと体を擦りつけていた。
極端な距離の取り方にライムは困ったような表情を浮かべる。
しかし、ユニは首を横に振った。
「俺、ライムが元気になったのが嬉しくて、俺が買った物で喜んでくれるのを見てると胸の中がふわふわして、忘れてた。俺、人に近づいちゃ駄目って言われたんだ」
「何それ。誰が言ったの? マリー?」
真っ先にユニに嘘を吹き込む悪党を想像する。
しかし、ユニは「違う」と首を横に振った。
「俺の主治医。俺の見た目は人を惑わせるから、もう、ライムにも誰にも近づいちゃ駄目だって」
ユニは気絶を治したり、あるいは貧弱な体を健康にしたりするためのアドバイスを主治医に求めたのだが、その時、理由を正直に「ライムを気絶させたから」だと伝えていた。
そうしたら、ユニは失笑され、残酷な命令を出されてしまった。
「何よ、そんなの従わなくていいじゃない」
「でも、俺の主治医は歴代の団長に仕えてきた偉い人なんだ。いつだって指示を間違わなかった。俺も、長くあの人の言うことを聞いてきた。だから、主治医が駄目って言ったら駄目なんだと思う」
ユニの主治医は長く国に仕えてきた人物で、狡猾な老人だ。
人を人とも思わぬ冷酷な人物だが、自身の利益には聡い。
きっとマリーが感じたように、ユニが人形から人に近づき始めたことに気が付いたのだろう。
主治医の仕事はユニの精神をコントロールすることでもある。
故に、ユニを操り人形に戻すために彼へ無慈悲な命令を課した。
俗っぽい欲求に囚われた利己的な国の犬に再び従う人形。
今のユニの姿を見たら、マリーはそう言って嗤うだろうか。
だが、ユニの姿は籠に捕らえられて死を持つ寂しい獣のようだ。
とても小馬鹿にする気にはなれず、放っておく気にもなれなかった。
「ユニ、おいで」
明るく声をかけ、ライムが大きく腕を広げる。
ユニはパッと俯いていた顔を上げて、それからライムを見つめたが悔しそうに下唇を噛んだ。
「駄目って、言われたから」
「駄目じゃないよ。誰かに触れないなんて、そんな悲しいこと言わないで」
「でも」
「大体、さっき私に抱き着いて恥ずかしい事をしてきたのは誰? 今更だよ。私も、もう気絶しないから。平気だから、おいで」
ライムの瞳はユニが焦がれた太陽と同じきらめきを放っている。
快活な笑顔は心を酷く揺さぶった。
ユニはおずおずと近づいて、そっとライムの胸の中に入り込んだ。
「温かい。フニフニして気持ち良い。それに、やっぱり良い匂いだ」
「感想は言わなくていいってば。まあ、今日はちゃんと石鹸で体を洗ってるし、お洋服もユニがくれたパジャマ? だから、抱き心地は良いんだけれどさ」
少し赤い顔で文句を言うように言葉を出すと、胸元でユニが頭を振った。
「違う。ライムだから安心する」
「そう。なら、落ち着くまでそこにいなよ」
「うん。ありがとう、ライム」
ユニは幸せそうに礼を言って、瞳を閉じる。
まもなくスースーと寝息を立てる音が聞こえて、ユニの体重がズシッと重くなった。
押し倒されそうになり、ライムはユニが深い眠りに落ちたことを知った。
『綺麗な寝顔。でも、少し幼いような』
閉じられた目は穏やかで、フサフサと長いまつ毛が揺れている。
唇はキュッと結ばれて整った造形の鼻が小さな呼吸を繰り返す。
緩やかに乱れた髪が頬や額にへばりついている。
その姿はまるで遊び疲れてエネルギー切れを起こした子どものようだ。
普段の無感情で年齢以上に大人っぽい彼と今の彼とでは、まるで正反対だった。
『どっちが本当の姿なんだろう』
ふと浮かんだ疑問だったが、考えるまでも無いと思った。
「ちょっとユニ、動かないでよ。恥ずかしいなぁ、もう」
たまに寝返りを打つような要領でモゾモゾと動き、ライムに触れる。
ライムはユニが起きたのではないかと疑ったが、彼は静かに瞼を閉じ続けていた。
呼吸の仕方や雰囲気的に、狸寝入りをしているということはないだろう。
『ユニのこと、どうしようかな。こんなに気持ちよさそうに寝ているのに起こしたら可哀想だし、でも、このままじゃ困るし。あ! というかユニ、夜な夜な私に抱き着いて寝てるんだっけ!? 叱ろうと思ったのに、忘れてた!! 私、悪戯されてないよね!?』
慌てて自身の体を振り返るが、今さらそんなことをしても何も分からない。
ライムはユニが自分の布団に入り込んでいることすら、全く知らなかったのだから。
『まあ、多分ユニは悪い事はしないよね。だって、ユニはどこまでも子供みたいなんだもん』
距離感が非常に近く、スキンシップを多く求めてくるユニだが、ライムはそこに色欲めいたものをあまり感じていなかった。
ユニのライムを求める姿はまるで安心に向かって手を伸ばす赤子のようで、だからこそ明確に迫られているにもかかわらず、ライムは変に気を抜いてしまっていた。
このユニに対するライムの見方は半分正解で、半分は誤りとなる。
『今日くらい、いいか』
結局ライムはほだされてユニと共に布団に寝転がると、彼の体をふわりと抱き締めた。
「あ、怪我」
自分の背中に回されたユニの腕に痣があるのを見つけた。
『いつの間に。ベルアッテさんの所で怪我したのかな。それとも、魔物と戦った時?』
青紫の痣は痛々しく、見ていると気の毒になってしまう。
「ユニ、せっかく綺麗な肌なんだから大切にしてね」
ライムは「内緒だよ」と囁くとユニの痣にオレンジの魔力を込める。
翌朝、ユニの体から外傷は消え去っていた。




