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第二王子は引きこもりたい ~引きこもり王子、うっかり英雄になる~  作者: 水乃ろか


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第8話 小説の行方【エリザ】


 

 ――――ヴァレンシア国カスティエ陛下との謁見の帰り。馬車の中のエリザ・ヴォルフラム。

 

 我がヴォルフラム国へと続く街道を、装甲馬車が重々しい地響きを立てながら進んでいく。

 

 いつもなら、この見慣れた景色を見て帰郷の安堵を覚えるはずだ。

 しかし今の私は、車窓を流れる景色など全く目に入っていなかった。


 原因は、私の膝の上の一冊の本。

 表紙には、無骨な筆致で『辺境の勇者』と記されている。


 すでに二度も読み返したというのに、三度目に入ってもページをめくる手が止まらない。


 ――まるで、私がその苛烈な戦場に立っているかのようだわ……!


 読んでいると胸が熱くなり、思わず本を持つ指にギュッと力が入る。


 薄暗い森の奥深くで、主人公の少年が巨大な魔獣と対峙する場面。

 描写があまりにも生々しく、息苦しいほどの緊張感が伝わってくる。

 

 魔獣の息が私の頬を撫でた錯覚すら覚え、背筋にゾクゾクと震えが走った。

 それでも諦めずに立ち向かう少年の、燃えるような眼差し。


 これを書いた方は、実際に巨大な魔獣と刃を交えた経験があるに違いない。


 私は、その本の裏表紙へと視線を落とした。

 そこには手書きで、小さく、けれど迷いのない文字で名前が刻まれている。


 『カスティエ・ヴァレンシア』と。

 その文字を見つめていると、再び謁見の記憶が蘇り、ひどく胸がざわついた。


 実際に会ったカスティエ陛下は、私が想像していた王とは全く違った。

 もっと、高圧的な人だと思っていたのだ。

 

 私と縁談もあるのに、何年もお会いいただけない殿方だ。

 こちらを値踏みするような目で見てくるか、あるいは露骨に面倒くさそうな顔をするか、どちらかだと……


 カスティエ陛下の部屋に通されたとき、私は拒絶される覚悟を決めていた。

 我がヴォルフラム国が軍事国家だと他国に云われていて、それを恐れているのかもしれない、と。

 いや、もしかしたら……私の顔の傷のことを、前もって耳に入れていたのかもしれない、とも。


 私の左目に走る、この一筋の傷。


 我がヴォルフラム国では、戦で得た傷は絶対的な『誉れ』だ。

 私のお母さまの鼻の上に横一線ある傷も、幼い頃から私にとっては誇らしいものだった。

 だが他国では、まるで違う。

 

 女に傷があるなど言語道断と、蔑まれることの方が圧倒的に多い。

 聞いた噂では、ヴァレンシア国は穏やかな文化の国だというが……それでも、どんな目で見られるかは分からなかった。


 だから、カスティエ陛下の部屋に通された瞬間、私はどんな侮蔑の言葉を投げつけられても動じないよう、強い覚悟で陛下の目を真っ直ぐに見据えたのだ。

 先手を取るように。

 決して、怯まないように。


 だが、カスティエ陛下は私の顔を——この傷を見た上で、真っ直ぐにこう仰った。


 ――『美しい』と。


 不意にそのカスティエ陛下の声が脳裏に蘇り、どうしようもない気恥ずかしさにカァッと耳の先まで熱くなるのを感じた。

 私は動揺を振り払うように、慌てて本へと視線を落とす。


 あの時、完全に頭が真っ白になってしまったのは恥ずかしい失態だった。

 傷への嘲りでも、安っぽい同情でもなく、ましてや社交辞令の決まり文句でもなく。

 あの人は、何の淀みもなく、ごく自然にそう言ったのだ。

 まるで、当たり前のことを口にするように。


 ……あの方は、私の想像とは全く違う方だった。


 私が動揺して話を逸らそうとした後も、陛下は不快な顔一つせず、私の無作法な問いに穏やかな微笑みで応じてくださった。

 高圧的なところなど、欠片もなかった。

 王族や貴族特有の、相手を試すような目線もない。

 

 カスティエ陛下に気品はある。それは確かだ。

 だが、相手を萎縮させる威圧感がない。

 あんなにも温かく居心地の良い空間は初めてだった。


 ……居心地が良い?

 い、居心地が良いだなんて……私は一体、何を考えているの……!?

 

 自らの乙女のような思考に羞恥心が爆発し、私は熱くなった両頬を両手でパシンと挟み込んだ。

 私としたことが、あのたった一度の出会いで随分と感傷的になってしまっている。


 ――ガタンッ!

 

 突然、馬車の車輪が石に乗り上げたのか、大きく揺れた。


「きゃっ!?」

 

 窓の淵に頭をぶつけそうになり、私は慌てて姿勢を正す。

 乱れた呼吸を整えるように、一つ深呼吸をした。


 そうだ。今は浮かれている場合ではない。

 帰ったら、すぐにお母さまにご報告しなければ。

 

 ヴァレンシア国の状況のこと、カスティエ陛下の人となりのこと。

 そして、この本のことも。


 私は膝の上の『辺境の勇者』を、愛おしむようにそっと撫でた。


 

 ――――――


 

「ただいま戻りました、お母さま」


 謁見の間に入ると、お母さまはいつもと変わらぬ姿勢で椅子に腰を下ろしていた。

 鼻の上を横切る一筋の傷が、正面からの光を受けてくっきりと浮かび上がっている。

 幼い頃から私の誇りであり、偉大な母の姿だ。


「お帰りなさい、エリザ。急な名代を任せて悪かったわね」

「いいえ。直ちにヴァレンシア国の状況についてご報告いたします」


 私は姿勢を正し、見聞きした事実を順序立てて述べた。

 

 ヴァレンシア国の先王と王太子の急逝による混乱は、表向きにはほぼ収束していること。

 現在は第二王子であったカスティエ陛下が実権を握り、宰相クローニ殿らが支えていること。

 国力に不安はあるが、すぐさま国家が崩壊するような危急の状況ではないこと。


 お母さまは眉一つ動かさず、静かに聞いていた。

 私が話し終えると、お母さまは手にした扇子をパチンと閉じ、しばらく目を閉じていた。

 考えているのだ。


「なるほど。……それで、エリザ自身の感想は? 直接、カスティエ陛下とお会いになって」

「わ、わたし自身の、ですか? あくまで国の代表として伺った報告のみでございますが……」

「……そうね」


 お母さまの口元が、わずかに動いた。

 おそらく、笑ったのだと思う。

 お母さまが謁見の間で感情を表に出すのは珍しい。


「……それで、あなたのその『傷』についてはどうだったかしら。カスティエ陛下の反応は」

「っ……!」


 思わず言葉が詰まった。

 お母さまの鋭い視線が、まっすぐに私を射抜いている。

 こうなったお母さまには、いかなる誤魔化しも通用しない。

 

 それに我が家の決まりだ。

 嘘や隠し事はしないというヴォルフラム家の掟。


「……申し上げます」


 私は一度、深く息を吸い込み、心を落ち着かせた。


「カスティエ陛下は……その……私の顔を、この傷を見て、『美しい』と……そう、仰いました」


 自分で言っていて、私の顔から一気に火が噴き出した。

 恥ずかしさのあまり、視線を床へと落とす。

 

 お母さまはそれを聞くと、閉じていた扇子をゆっくりと開き、再びパチンと閉じた。

 

「……本当に?」

「はい。聞き間違いではございません」

「それで、エリザはなんと返したの?」


 ここが最も言いにくいところだ。

 だが、隠しても仕方がない。


「……その、あまりに予想外の言葉でしたので、動転してしまいまして。陛下のご趣味について伺うことで、話を逸らしてしまいました」


 言ってしまった。

 情けなさに消え入りたくなる私を前に、お母さまは沈黙した。


 お母さまは持っていた扇子をパチンと一度、鋭く閉じた。

 それをもう一度開き、再びパチンと閉じる。


 ひどく重々しく謁見の間に響き渡る。


 やがて、お母さまはすっくと椅子から立ち上がった。


「婚約者として、認めます」

「……え?」


 突然のお母さまの宣言に、私は間の抜けた声を上げて目を丸くした。

 

「あなたたち……尊いわ」

「……はい?」


 ポカンとする私に、お母さまはコホンと一つ咳払いをし「……なんでもないわ。今のは忘れて頂戴」とだけ言って、すっと冷徹な表情で座り直した。


 ……今の発言は、一体何だったのだろう?


「ところで、先ほどからあなたが大事そうに抱えているその本は、何かしら?」


 お母さまの視線が、私の抱えている本へと向いた。

 

 そうだ。

 これを忘れるところだった。


「カスティエ陛下から直々に頂いたものです。ぜひお母さまにもご覧いただきたく、持参いたしました」


 私は『辺境の勇者』を両手で捧げ持ち、お母さまへと差し出した。

 お母さまがそれを受け取り、無骨な表紙に目を落とす。


「『辺境の勇者』……?」


 怪訝そうな顔で、ぱらりとページをめくるお母さま。

 

 1ページ、2ページ。

 さらに5ページ。10ページ……


 静まり返った部屋に、紙をめくる音だけが規則正しく響く。

 お母さまの手は、全く止まる気配がなかった。


 20ページを過ぎたあたりで、私はたまらず小さく声をかけた。


「あの……お母さま?」


「――っ! あ、ごめんなさい、エリザ」


 ハッとして顔を上げたお母さまの瞳は、興奮でギラギラと熱を帯びていた。

 常に冷静沈着なお母さまが、あんなに我を忘れた顔をするのは珍しい。


「この本は、ヴァレンシア国の詩人が書いたのかしら?」

「いえ。カスティエ陛下ご自身がお書きになったそうです。ほら、裏表紙に」


 お母さまが慌てて裏表紙を覗き込む。

 そこに手書きで記された名前をなぞり、深く、深く頷いた。


「……なるほど。合点がいきました」


 お母さまは本をパタンと胸に抱きかかえるように閉じ、感嘆の息を漏らした。


「この圧倒的な描写は、実際に魔獣と刃を交えた武人にしか書けないわ。カスティエ陛下は、相当腕の立つ武闘派のようね」

「はい! 私も全く同じ意見です。この生々しさは、想像だけで書けるものではありません」

「ええ。それに何より、この本に込められた精神が、我がヴォルフラムの思想と見事に合致していますね。圧倒的な脅威を前にしても膝をつかず、最後まで戦い抜く不屈の意志。これこそ……我が国の兵と民に絶対に必要な教えだわ」


 やはり、お母さまもそう思ったか。

 私も本を読んだ瞬間から、そう感じていた。

 この本をお母さまに見せて正解だった。

 

「すぐに詩人たちを呼んで、この内容を吟遊歌にさせます。本自体も急ぎ増産し、ヴォルフラム国中の民に広めましょう」


 お母さまが力強く決断を下した瞬間、私の胸の奥で誇らしさがパァッと弾けた。

 想像しただけで、歓喜で胸がいっぱいになる。

 

 お母さまが慌ただしく文官を呼び寄せるべく手を打ち鳴らす中、私はもう一度だけ、お母さまの手にある本の表紙を見つめた。

 『辺境の勇者』。

 

 そうだ、これでいい。

 この素晴らしい本が、我がヴォルフラム全土に鳴り響く。

 あの優しく底知れぬカスティエ陛下の言葉が、陛下ご自身の戦いの軌跡が、この国の至る所で英雄伝説として語り継がれていくのだ。


 ヴァレンシア国にいるカスティエ陛下の顔を想像し、不思議と胸の奥が温かくなる。

 緩みそうになる頬を必死に引き締めながら、私は誇り高く、前を向いた。

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