第2話 悩みは続くよ、どこまでも
俺は執務室の椅子に、深く腰掛けていた。
「陛下。報告がございます」
重苦しい声とともに、宰相クローニが前に進み出る。
クローニの表情が暗く沈んでいる。
良くない報告なのは、一目瞭然なんだよなぁ。
「……簡潔に報告せよ」
「はっ。以前にもご報告させていただきましたが、まずは発端となった金鉱の街についてでございます。他国からの民の流入により治安が悪化しておりましたが、目下、兵士を増員し治安維持に努めております」
外貨獲得のため、俺が金鉱の一般開放を命じた街だ。
予想通りの副作用でもある。
金の匂いに誘われて、荒くれ者や一攫千金を狙う者が集まれば、当然喧嘩や盗みも増える。
宰相はコホンと咳払いし、報告を続けた。
「ですが、兵士を増員したことにより、別の問題が浮上いたしました。我が国の西方に位置する森林地帯の警備が手薄になり、そこから魔獣が出没し始めておるのです」
「魔獣、だと……?」
魔獣――体内に魔石を宿し、野生の獣とは一線を画す戦闘能力を持つ生物。
そんな物騒な奴が、我が物顔で歩き回っているというのか。
「魔獣が出没するのは、森林からだけか?」
「はい。この森林区域は『魔王領』とも呼ばれておりますが……」
魔王領……魔王、か。
……え、魔王?
魔王って、あの世界を破滅へと導く絶対的な悪の代名詞の魔王か?
「魔王領とは何だ? その魔王とやらが軍勢を率いて攻めてくるということか?」
「いえ。現在、魔王と称される存在はおりません。古くからの呼び名が定着しているだけでございます。その森林区域も、形式上は我がヴァレンシア王国の領土でございます」
クローニの説明を聞いて、俺は肺にある空気をすべて吐き出すように安堵の息を漏らした。
ああ、よかったぁ~……
いきなり魔王軍と全面戦争なんて展開になったら、引きこもるどころか国ごと消し飛んでしまう所だったわ。
「で、その魔獣による実害はどの程度出ている?」
「現在は未だ、深刻な被害は出ておりません。しかし、このまま警備の手薄な状態が続けば、兵を金鉱の街に置くか、森林の防衛に回すか……どちらかを切り捨てねばならぬ日が来るやもしれません」
クローニは苦渋に満ちた表情で首を振った。
治安か、防衛か。二者択一。
俺の頭の中には、早くも『誰か俺の代わりに仕事をやってくれないかな』という逃避願望が渦巻き始めていた。
その時だ。
パタンと静かに、しかしどこか慌ただしい様子でドアが開いた。
入ってきたのは宰相の息子であり、宰相の補佐役のルシアンテだ。
ルシアンテが顔を強張らせ、静かに宰相クローニの側まで近寄り耳打ちする。
「な、なんだと……!?」
クローニが絶叫し、その衝撃で机の上の書類が数枚舞い上がった。
……うん、これは絶対に悪い報告だよね。
俺でも分かるよ、そんなこと。
「陛下! す、すぐに来客のご準備を!」
来客?
誰か来ようというのだ。こんな国に。
まさか、金鉱を目当てにした周辺国の使者か? それとも借金の取り立てか?
嫌な予感しかしない俺に対し、宰相クローニは震える声でその名を口にした。
「ヴォルフラム国のエリザ様が、我が国に向かっているとのことです!」
「……何?」
エリザ・ヴォルフラム、だと……!?
軍事国家ヴォルフラムの第三王女。通称『鋼鉄の王女』。
俺の縁談相手の名前だ。
俺の縁談を聞いた兄ネドリックが、顔を青ざめさせて言っていたのだ。
『あの鋼鉄の王女か!? いいか、カスティエ。ヴォルフラムの女には、死んでも近寄るな!』と。
その言葉を言い放った兄ネドリックは、ガタガタと小刻みに肩を震わせ怯えていた。
軍事国家の『鋼鉄の王女』と呼ばれていて、あの女好きの兄さえ怯えさせる。
だから、俺はその縁談には無視を決め込んでいたのだ。
しかし、いったいどんな王女なんだ?
俺の想像では、身長三メートルを超え、全身が鋼のような筋肉に包まれ、巨大な斧でオークを真っ二つにする姿が出来上がっていた。
「ルシアンテ、エリザ王女はいつ頃到着されるのだ」
「国境からの早馬によれば、おそらく一時間はかからないかと!」
「一時間!? もてなしの準備など間に合うはずがないだろう!」
宰相クローニが頭を抱えて右往左往し始める。
い、1時間って……いったい、何の準備ができるんだよ。
というか……なぜ、今来る。
……待てよ、もしかしたら最悪の結末が待っているんじゃないか?
父上、先王が死んで国が弱っているこの時期に、軍事大国の来訪なのだ。
ただでさえ弱い国が、さらに弱い状態。
普通に考えれば、答えは一つ。
攻めるなら、まさに今。
頭の中で、引きこもりの本能が叫んでいる。
『今すぐ自室に逃げてしまいたい』と。
だが同時に、別の何かが冷静に俺に告げる——逃げ込む部屋ごと消えたら、元も子もないと。
どうする……
俺はどうすればいいんだ……!?
……あ、良い案を思いついたわ。
俺は天才かもしれない。
「クローニ、ルシアンテ。落ち着け。……エリザ王女には、『取り込み中ゆえ面会は叶わぬ』と断りを入れて帰ってもらえばよい」
俺は努めて冷静に、至極当然のことのように言い放った。
だって怖いし。いきなり来る方が悪いんだし。
だが、俺の言葉を受けた宰相クローニもルシアンテも、ポカンと口を開けて硬直してしまった。
やがて、クローニが「ああ!」と何かに納得したように声を上げる。
「陛下……ありがとうございます! 陛下が場を和ませるために冗談を仰ってくださったおかげで、正気を取り戻せました。すぐに最善を尽くします! 行くぞ、ルシアンテ!」
「はっ!」
クローニたちはそう言って、嵐のような勢いで執務室を飛び出していった。
後に残されたのは、静寂と、冷や汗が止まらない俺一人。
「……冗談で言ったつもりじゃなかったんだけどなぁ」
誰もいない部屋で、俺の虚しい独り言が響く。
しかし、あと一時間か。
俺の安穏とした生活が終わるまでのカウントダウンは、あまりにも短すぎた。
――――――
『ヴォルフラム国』は、我がヴァレンシア王国に近い。
だが我がヴァレンシア王国とは、比較することすらおこがましいほどの大国だ。
領土の広さ、人口、都市の数、国家予算、資源。
そして一番異なるのは、軍事力。
常備軍の数、兵器の質、動員速度。
その動員速度の差を、今ひしひしと感じている。
そもそも、なぜそんな恐ろしい国の王女と、弱小国家の王子である俺に縁談があったのか。
原因は、俺の父である先王ギルディ・ヴァレンシアにある。
あの遊び人の親父は、あちこちの社交界で酒を飲み歩き、ヴォルフラム王とも酔った勢いで「息子と娘を結婚させようぜ!」なんて約束を交わしていたらしい。
だがこれは、あくまで縁談であって婚約ではない。
ゆえに、結婚が決まっているわけではないのだ。
……と、そんなふうに思っていたのだ。
つい先ほどまでね。
今、宰相のクローニに教えてもらって、色々と事情を理解したよ。
国と国の規模となると、縁談はほぼ婚約に近いらしい。
要は最初から退路を断たれている状態。
じゃあ、『縁談』なんて言葉を使うなよ紛らわしい!
「陛下、よくお似合いです。今の陛下なら、誰が見ても立派に見えますよ」
正装に着替えさせられた俺に、宰相クローニが満足そうに何度も頷きながら言う。
『今の陛下なら』という言葉に、若干の棘を感じざるを得ない。
城のバルコニーから外を覗くと、すぐそこまで来ていた。
風に乗って、鉄と革と馬の汗の匂いが漂ってくる。
鋭く磨かれた槍を掲げる歩兵の列。
大地を揺らさんばかりの黒い軍馬の群れ。
延々と続く、何十台もの馬車。
そこにあるのは、『ヴォルフラム国』の軍勢。
まるで彼らの進軍する振動が、石造りの手すりを通じて俺の掌にまで届いてきているような錯覚さえある。
あれが縁談相手の来訪か。
だがどう見ても、宣戦布告。
まるで、これから戦争でも始まるかのようだった。




