終戦の碑
想定外の訪問者に、基地内は何とも言えない空気に包まれた。しかし隊員たちは平静を失わず、あえて歓迎ムードを演出している。
彼らの尊厳を守り、歴史に触れず、最大限の礼を尽くすこと・・・そう厳命されたのはもとより、もうひとつの重要な理由があった。
「彼らは救世主であると、隊員たちは受け止めています。夜明けに見たものは奇跡ですか?」
暫定危機管理室で山村は被告人のように質問を浴びせられている。仮説の段階を理由に、これまで山村は真の目的を語らなかった。しかし今朝その段階を超えた。
吉川中隊長に続き、同じ奇跡を目撃した杉山が尋ねた。
「彼らが運命を変えうると、教授は言われました。彼らに何をさせるつもりで?」
ここにラングレーたち米軍関係者はいない。彼らは時空路の調査に忙しく、現地に留まっている。
磁気嵐で不通になった無線通信が復旧し、ラングレーは山村に伝えた。時空路へ果敢に飛び込んだ海兵隊員の証言を。
無線連絡を受けた山村は確信した。今後のとるべき道は決まった・・・。
「時空路は1945年への入口だ。そこには全ての発端となった立坑が初期段階にある。撃ち込まれた融解弾が地殻を溶かし、マントル上層部へ達するプロセスだ。その推進エネルギー源は融解弾と地中硫黄成分の連鎖化学結合にある。しかし、その効力は相反する化学物質の投入で無力化できる・・・我々の手で」
暫定危機管理室は静まり返った。何か途方もないことが始まろうとしている・・・誰もがそう予感した。
「化学物質の抽出と生成に3週間はかかる。作戦の準備期間を含めて4週間以内に決行したい。最大の問題は、時空路の向こうが激戦の真っ只中にあり、立坑への接近は容易でないことだ。現地を把握する案内役、立坑を無力化する実行役、その連携が成否を左右する。前者は帝国陸軍の兵士、後者は陸自レンジャー部隊だ。時間概念の常識から、作戦自体に君たちは疑問を抱くだろう・・・言うまでもなく、目的は大災厄の根源を排除することだ。しかし、始めから無かったことにするなど不可能だ。現に起きてしまったのだから」
山村はふと周囲を見渡した。口を開けたまま放心状態の杉山、吉川、基地司令官たちは話にならない。時間は一方通行という固定観念は、ひと言で払拭できるものではなかった。
「三村君はどこにいる?彼に言った相対時間の歪みは一面的なものだ。時空路の本質は我々の世界が波動状態にあり・・・彼はどこに行った?」
「三村主任は通信室で仕事中です。物理学の講義は後にして下さい、それよりも・・・」
杉山は難解な理論よりも、責任者として作戦の実行性を問いたかった。
その前に吉川中隊長が割り込んだ。
「聞き違いかもしれませんが、私の部隊を戦場に送ると言われましたか?」
もしそうなら、戦闘に巻き込まれる可能性は極めて高い。吉川が案じた通り、山村はその覚悟を求めている。
「それが天命なら、受入れる他あるまい。君たちの信号ラッパと日章旗が、我々と日本兵たちを繋いだ。彼らは382高地で戦った精鋭の陸軍兵士で、君たちレンジャーも陸自を代表する精鋭部隊だ。この巡り合せは決して偶然ではない。私は運命論者ではないが、この見えざる力を信じざるを得ない」
吉川は平然を装って答えた。
「天命でなくとも我々はやります。国家の存亡をかけた作戦であれば」
「しかし・・・」
この途方もない試みに杉山は不安を隠せなかった。
「危険な賭けに思えますが・・・激戦地に自衛隊を送るとは」
吉川は向きになって口をはさんだ。
「我々への気遣いなら無用です」
「いや、君たちがやる気満々でも日本兵が素直に協力するかな?彼らにとっては元の戦場に戻るだけだ。我々に従う義理はない」
「日本の未来がかかっているんです。日本人なら協力するでしょう」
「それを理解させるのが難しいと言っている。我々ですら説明困難な事態だ。説得するのはもっと困難だ」
二人は議論を止めて山村の顔を窺った。
「彼らが浦島太郎になったことは経験済みだ。しかし杉山君が言った通り、国家存亡の危機と言っても言葉だけでは信じまい・・・少なくとも自分の目で祖国を拝むまでは」
本土は人口の96パーセントが海に消えた。国家の機能は失われ、生存者たちには生き残りをかけた過酷な運命が待っている・・・その絶望的な未来の原因は、彼らの戦場にあった。
この驚愕のストーリーをどうやって信じさせるのか・・・この平穏な島にいては無理だ。
三村は基地通信隊と共に、本土の生存者への連絡を試みた。彼は意図的に反応しない集団の存在を確認しようとしている。洪水を逃れ、物資のストックのある区域は少なからず存在する。衛星画像から確認できるのは、それが長野県を中心とするエリアに限られる。
硫黄島基地は500名の隊員を抱え、このまま何もしなければ2か月後に食料から欠乏していく・・・本土の心配より、いずれ彼ら自身が救援を請うことになる。
通信室を訪れた杉山は、疲れ切った顔で三村を捜した。山村教授のプランを優先し、彼を呼び戻す為に・・・本土との有意義な交信など、到底期待できないのだから。
しかし三村はそれに成功した。杉山に気付いた三村は、パソコンの衛星写真を示して説明した。
「思った通りです。農耕地と水に恵まれ、食糧自給に問題ありません。空港も使用可能です」
杉山はこの朗報で疲れが吹き飛んだ。
「生存者はどれくらい集まっている?」
「数万人規模です。行政は曲がりなりにも機能し、現地の陸自と協力して統制されている模様です」
予想通り、そこは長野県の一部で水害を逃れた数少ない人口密集地だ。
「何故今頃になって連絡がついた?」
「取引の為です。彼らは燃料を必要としています。硫黄島は給油基地ですから、ストックは十分です。我々が必要とする食料と交換できる訳です」
杉山は取引という表現に顔をしかめた。
「君はいつから闇商人になった?何の権限で・・・」
「ですから、こうして杉山さんの判断を仰いでいます」
もはや本土は無政府状態であることを杉山も理解している。生存者は高地に点在し、グループを形成して生き残りをかけている・・・三村の交渉相手は、その中でも最大規模のものと思われた。
しかし杉山は、そこが20万人規模の都市であることを思い出した。
「数万人規模とは少なすぎないか?」
三村は首を振った。
「分かりません・・・ともかく、穏やかな所ではなさそうです」
日本兵は不気味な程おとなしかった。黙って食事をとり、医官の診察を受け、虫下し等の薬も疑うことなく飲んだ。
ひと段落ついた時、静かな室内には日本兵以外に陸自の小池三曹と菊池一士がいた。
「毎日あんなものを食っているのか?」
木島上等兵がふと小池に話しかけた。小池はどんな質問でも慎重に応じなくてはならなかった。余計なことを話さぬよう厳命されていたからだ。
「はい、同じものを食べています。お口に合いませんでしたか?」
「ああ、死ぬかと思った」
小池は気が動転して言葉に詰まった。木島はその表情を面白がった。
「死ぬほどうまかったっていう意味だ」
木島はコップの水を飲み干した。西山の目を気にし、結局酒には手を付けなかった。
小池はホッとし、徐々に緊張が緩んだ。木島の質問にも饒舌に答えるようになった。
「水をどうやって確保しているんだ?俺たちは雨頼みだった。硫黄混じりの井戸水は最悪だ」
「海水をろ過する装置があります。実はここ最近島の隆起が激しく、吸水に問題があったのですが、海面の上昇で復旧しました。おかげで本土からわざわざ運ぶことも無くなりました」
「海水を?俺たちには使えないな・・・海岸には敵がうようよいるんだ」
小池は苦笑いを浮かべるだけで、戦争の話題に立ち入らない。
木島は西山の視線に促され、さりげなくその話題を続けた。
「海はどこを見てもメリケンの船しかいない・・・傑作だな、能無し海軍のおかげで」
この日本兵は愚痴を言いたいだけだ・・・小池はそう受け止め、多少は相手に合わせようと努めた。
「メリケンとは米軍の意味ですね?アメ公とかヤンキーみたいな」
「そう、鬼畜アメ公だ。しかし奴らは手強い・・・次は父島か、それとも八丈島に押し寄せるだろう」
「次は沖縄ですよ」
「馬鹿いうな。奴らがそんな遠回りをするものか」
「本当です。アメ公は沖縄を占領し、九州を狙っていました。本土は空襲で叩き続け、弱らせる戦略です。硫黄島の飛行場を手に入れた訳ですから・・・」
菊池一士の咳払いで小池ははっとした。お喋りが過ぎたと気付いたが、既に遅かった。二人の自衛官は、いつの間にか日本兵たちに取り囲まれている。
「米軍がうろついているのを見た。ここは奴らの支配下か?」
西山が尋問口調で尋ねた。小池は身をすくめて首を振った。
「違います、ここは日本の領土です」
「米軍の手に落ちたと貴様は言った」
小池が言葉に詰まると、菊池が思わず口走った。
「今は同盟国ですから・・・米軍とは仲良くやっています」
その瞬間、殺気立った日本兵が銃口を突き付けた。二人は両手を上げ、恐怖のあまり硬直している。
「同盟とは?敵の配下に下るのも同盟だ」
西山の問いに、菊池は目を閉じたまま答えた。
「対等の同盟です。戦争は終わり、昨日の敵は今日の友であります」
日本兵は米兵と血みどろの殺し合いをして一日と経っていない。彼らにとって、米兵は人間ではなく敵である。
「友だと!メリケンの手先め!」
怒りの頂点に達した志村を、西山は手をあげて制した。
「まあ待て。この二人、少々抜けているが正直者だ。あのじいさんより信用できる」
この世界のことは、ほとんど何も分かっていない。日本がどう変わったのか、西山は知る必要があった。老教授の言う「天命」を受け入れる前に・・・。
「そのぶざまな手をおろせ。お前たちは監視役だな?目を見ればすぐにわかる」
嘘は見抜かれる・・・その恐怖から小池は洗いざらい打ち明けた。
「はい、安全の為、見張るよう指示を受けています。それと信用を得ること、余計なことは言わないこと、戦争に関わる歴史は特にです」
まるで口の軽い捕虜だ。日本兵たちは怒りを通り越し、あきれ返った。
「貴様はその指示を破った。それは伏せておこう。信用を得たいなら、俺に協力しろ。言っていることが分かるか?」
「分かります!何なりとお申し付けください」
小池は躊躇なく答えた。日本兵たちは拍子抜けしたように銃を降ろした。
「自動車の運転ができるか?」
「勿論です。島内ならどこでも案内します」
「では摺鉢山の山頂へ連れていけ。今直ぐにだ」
「分かりました!キーを取ってまいりますので少しお待ちください」
思ったより易しい要求にほっとし、二人は部屋を飛び出した。
小池と菊池が部屋を出ると、美河とばったり出くわした。
「どこに行くの?」
「高機動車で摺鉢山へ行ってきます。西山軍曹がお望みなので・・・」
小池の勝手な振る舞いに美河は驚いた。
「何故私に言わないの?何かあったらどうするつもり?」
「友好的な方々でして・・・問題ないと判断しました」
「勝手に判断しないで!私に報告しなさい!」
廊下で叱責する声が、日本兵たちのいる室内まで響いた。
「こりゃあ平手打ちより恐ろしいな」
木島が呟いた。西山も彼らを哀れに思った。
西山がドアに手をかけると、勢いよく開いて美河が立ちはだかった。
怒りを抑え、何事もなかったように彼女は言った。
「話は聞きました。摺鉢山へ案内します」
標高170メートルの摺鉢山を目指し、高機動車は軽快に走った。舗装道路はあちこち亀裂が見られるものの、走行に何ら支障はない。
山のふもとに差し掛かると、日本兵たちは朽ち果てた砲台をじっと見つめた。遠い歴史の遺物は、日本軍の50口径14cm砲だ・・・この赤錆びた塊りこそ、長い年月の経過を物語る証拠だった。
山頂付近に停車し、彼らは徒歩で頂上の広場にたどり着いた。雲ひとつない青空が、見事な展望を引き立てた・・・海岸線の白波が、眩い輝きと共に島の輪郭を描いている。
あの時・・・戦火の海岸は異様に黒ずんでいた。無数のLVTが殺到し、主力の海兵隊がなだれ込んだ・・・幾百もの艦船が海上を埋め尽くし、爆撃機の大群が飛び交う中で。
目の前の景色は、双方5万人の死傷者で溢れた1945年を全く感じさせない。しかし戦死者を慰霊するモニュメントに記されていた。
広場には3つの区画に分かれた記念碑が設置されている。日本戦没者顕彰碑、特攻隊慰霊碑、海兵隊上陸記念碑だ。
そのひとつの石碑に硫黄島戦についての記載があった。
『昭和二十年二月十九日、艦艇五百、航空機千余の援護の下、米軍は遂に硫黄島に上陸・・・』
日本兵たちはその石碑の前から動けなくなった。
「二万余柱の忠霊・・・」
山口はうつろな目で呟いた・・・自分の墓を見ているように。
「侵攻軍に屈さず、大打撃を与えたとある・・・皇国の必勝と安泰とを祈念し・・・玉砕した」
読み上げた志村は涙ぐんでさえいる。
木島は、彼ほどの感動はない。
「この島は昭和四十三年、祖国復帰とある・・・ここはメリケンの土地だった。同盟を結んで返してもらった訳だ」
石碑には敗戦の具体的な記述はない。しかし、海兵隊上陸記念碑は米軍の勝利を物語っている。両軍の石碑が並ぶ意味は終戦と講和だ。それも勝者がほどこす従属的な・・・。
それは日本兵たちに深刻な問題を投げかけた。皇国の必勝と安泰を祈念・・・正に彼らはその為に戦い、2万人もの命が失われたのだから。
これが祖国の守りを固める時間稼ぎであればまだよい。全面的な敗北を免れ、休戦に持ち込むことも、まだ許容範囲だ・・・。
万が一にも無条件降伏となれば、この犠牲は結果として無意味だ。何のために戦ったのか、答えを導くのは相当困難になる。
「その話はここまでだ」
西山は、あえて歴史評価を遠ざけた。知ったところで、彼ら自身が変わることはない。無責任な指導者を責める思考にもなれない・・・絶対的宿命論が彼らを支配する限りは。
美河、小池、菊池は日本兵の反応を気にするあまり、後ろから近寄る人影に気付かなかった。その聞きなれた声を耳にするまで・・・。
「最後の生存者について話そう」
振り向くと、山村教授と杉山情報官が立っている・・・後から追ってきたのは明かだった。
山村は日本兵たちに伝えるべきことがあった。この摺鉢山の山頂で。




