新たな天命
1945年3月、硫黄島中央付近は熾烈な殺戮の場と化していた。米軍戦車6両は382高地で日本軍51名の肉薄攻撃を受け全滅した。日本側も46名が戦死し、西山軍曹を含む5人の陸軍兵士が生き残った。
空襲を逃れようと彼らは海軍の防空壕へ飛び込んだが、そこは行き止まりの洞窟だった。入口は爆撃で破壊され、万策尽きた西山たちにとって唯一の選択が自決だった。
酒を酌み交わす5人はお互いの素性を語り、己の人生に別れを告げる。しかし天皇陛下万歳を唱えた瞬間、彼らは謎の光に包まれた。
心地よいメロディーに誘われ、吸寄せられる様に光の道を通り抜けた・・・その体感時間は10分にも満たない。
地上へ這い上がった5人は静かな朝焼けと新緑の香りに驚かされる・・・そこは彼らの知る硫黄島ではなかった。米軍による連日の爆撃と艦砲射撃でこの島は焦土と化したはずだ・・・草木が根こそぎ燃え尽きた不毛の島に。
「ここが靖国ですか?」
その神聖な力が緑や空を輝かせている・・・田口二等兵がそう思ったのも無理はない。
「死んだ戦友のお迎えだ」
山口一等兵も感銘を受けて呟いた。整列している陸自隊員の正体など彼らが知る由もない。
木島上等兵は戦闘服姿の美河准尉に違和感を覚えた。
「違うぞ、女兵士がいる・・・八路軍の怨霊か?」
中国軍やソ連軍と違い、当時の日本軍には女性の兵士はいない。
西山軍曹は南西の方角に摺鉢山があるのを認めた。緑に覆われているが、山頂部のえぐり取られた形状に見覚えがあった・・・米軍による砲爆撃の爪跡が容赦ない戦禍の舞台を物語っている。
「様子はおかしいが、ここは確かに硫黄島だ。あの世でも靖国でもない。自決の手榴弾を発火したか?俺たちは生きてここに立っている」
西山の指摘で兵士たちは我に返った。木島は手榴弾を確かめて納得したように頷いた。
「確かに、生きてるってことですな・・・しかし連中は何者でしょう?」
日章旗を掲げる自衛隊員の迷彩服は、カーキ色の日本軍兵士と全く異なる。
西山は米軍の日系人部隊かと疑った。拡声器で降伏を勧告する彼らの存在を耳にしていたからだ。
しかしこの一変した景色の説明がつかない・・・。
西山はその集団の中に、ひときわ目立つ人物を見つけた。
「分からないが、あの爺さんが教えてくれそうだ」
白髪で細身の老人がゆっくり歩いてくる・・・後ろの女兵士に付き添われるように。
西山は一歩前に出てこの老人と対面した。
老人は一礼した。
「日本国を代表して君たちを歓迎する・・・と言っても私は政府と関係ない民間人だ。名は山村龍一、大学教授をやっている。貴官の名を尋ねても宜しいか?」
西山は警戒しつつも平静を装った。
「陸軍109師団軍曹、西山敬介・・・」
西山の返答に山村は満足顔で頷いた。自己紹介は彼にとって重要な意味をもっていた。
「この通り、私は老いぼれだが君たちの世代に最も近い。昭和20年の当時、私はまだ5才だった。駅で戦争孤児たちと過ごしていた頃だ」
山村は曖昧な言い回しで身近な日本人であることを印象付けた。
「駅にたむろする哀れな浮浪児を知っているだろう?私もそのひとりだった。兵隊さんも大変だが、捨てられた子供たちも惨めだ。食うためには何でもやった・・・」
日本兵たちは顔をしかめた。知っていても兵士たちはその話を避けようとする・・・ひとり息子を残した西山にとっては尚更だ。
西山は苛立ちを抑えるように言った。
「天命で国と永別した。長寿を全うできる貴殿とは違う」
奇妙な状況の中で、西山は真面目に反論した。それは山村の意図したコミュニケーションの一歩だった。
「君たちがここに来たのも天命だ」
老人のひと言に西山は戸惑った。彼の理解する天命とは、皇軍に対する天意であり、最後の一兵まで敢闘すべしと心得ている。
山村は彼らが背負ったもの全てが、既に存在しないことを伝えたかった。
「君たちの仕えた皇国は姿が変わった。今は第126代、令和天皇の時代だ。昭和天皇から三代目にあたる。それだけの年月が経過したことをまず理解してほしい」
西山たちは言葉を失っている。彼らだけではない・・・陸自隊員ですら、本物の日本兵の出現に目を疑うばかりだ。
山村は時空という概念に、分かり易い比喩を用いた。
「浦島太郎の話はご存じかな?竜宮城から故郷に戻ると、村は見る影もない。ただ自分と両親の墓が残されていた。今の君たちはその状況に似ている」
中世から伝わるおとぎ話を、当然彼らは知っている。現世に絶望した主人公は禁じられた玉手箱を開け、老化し死に至る。その物語は時空概念を図らずも暗示している。
「重要なことは竜宮城への滞在は3年、地上に戻ると数百年の時間が過ぎていたことだ。君たちは恐らく一瞬のうちに不可解な空間を歩んだはずだ。私はそれを時空路と呼ぶ・・・その僅かな間に地上では80年以上の時間が経過していた」
山村は日本兵たちの反応をうかがった。決して愉快ではない本質に、彼らは何とか気付いたようだ・・・。
西山は振り向き、兵士たちの動揺を抑えようとした。
「落ちつけ。俺たち自身は何も変わっていない」
「信じません。馬鹿げたおとぎ話など」
そう断言する志村に、山口は苦々しく反論した。
「じゃあここはどこだ?あの世でも、戦場でもないと言うなら」
「言わせていただきますが・・・」
田口は彼らほど悲観的でなく、子供のような柔軟性があった。
「おとぎの国が悪いとは思いません。桃源郷も竜宮城も自分には憧れであります」
山口は怒る気にもなれなかった。
「ならば皇軍もお手上げだ。玉手箱に殺されるなら」
西山は黙っている木島の顔をうかがった。まともな意見を期待するように・・・。
木島上等兵は思い付きの持論で取り繕ろうとした。
「浦島太郎は愚か者です。自分なら竜宮城で乙姫と一生過ごしたでしょう」
西山の冷たい目に、木島は動揺して釈明した。
「故郷への未練を捨てきれず、竜宮城を出たのが間違いです。その意味では兵隊への戒めですな・・・自分にそのような未練はありません」
奇妙にも、それは出征兵士の共通認識をうまく表現している。帰郷はおろか、生き残ることすら罪悪と考えていたからだ。
志村一等兵は我慢しきれず叫んだ。
「自分たちは永久に皇軍兵士です!何十年後だろうが我々自身は何も変わらない・・・散っていった戦友のところへ自分は行きます!」
この反応こそ、山村が予想した価値観の壁であり、慎重に折り合いをつけねばならなかった。地獄の戦場から生き延びようが、精神的な呪縛が彼らを支配し続ける・・・それが生存本能を圧倒し、打ち消すことを山村は理解していた。
「君たちが靖国の英霊となる名誉を何者も奪うことはできない。しかし知っておいてほしい・・・ここは皇国の後世たる日本国の地であり、今は瀕死の危機にある。本土も、そして全世界も、計り知れない人命が失われた。災厄は人類滅亡の日まで続く・・・もしその運命を君たちが変えうるとしたら、それでも背を向けることが出来るかね?」
あっけにとられる日本兵に対し、老教授は更に強い口調で迫った。
「それは皇国に背を向け、見捨てることと変わらぬ。そのような者が靖国で英霊として迎えられるだろうか?」
仰々しい飛躍した論理はともかく、国家存亡の危機であることは伝わった。西山は何かを期待されている事にやっと気付いた。
「それが天命と言われるか?我々に何をしろと言う?」
「一言で言い表せない。まずは君たちを我々の基地へ迎えたい・・・内容を理解した上で判断してほしい」
自衛隊に先導された5人の日本兵は徒歩で硫黄島基地へ向かった。
劇的な巡りあわせの舞台は静寂を取り戻したが、第二幕が始まろうとしていた。次の主役は身を隠していた防護服姿の集団だ・・・ラングレー少佐の指揮下で時空路の調査を使命とする精鋭たちだ。
海兵隊は日本兵の目に確実に敵と映る・・・故に彼らは第一幕に立ち会う栄誉を諦めた。しかし彼らにとっては第二幕がより重要であり、歴史的偉業はむしろ彼らの手にかかっている。
時空路を人間が一定方向に通過できることは、たった今日本兵によって確認された。今度はより難解な遡行への経路を探り当てねばならない。
人体への影響も定かではなく、様々な分析やテストが始まっている。穴の入口で第一陣の帰りを待つラングレーは、待ちきれずに海兵隊員の襟を引っ張り上げた。
海兵隊員は酸素マスクを外してラングレーに言った。
「あのジャップがどうやってここにたどり着いたのか不思議です」
「連中が何を頼りに進んだと思う?」
「さあ、神風でも吹いたんですかね」
「ラッパ音だ。お前が中で迷ったら、俺がここで吹いてやる」
陽射しが強まるにつれ、緑の輝きも一段と増す。砲爆撃で燃え尽きた硫黄島は変わった。その後の沖縄と同様、焦土戦術から緑化政策へ至るまで、全て米軍が主導したからだ。
戦後米軍が空中散布したギンネムの種子はすっかり野生化し、島じゅうを支配している。
そんな歴史など日本兵の5人は知る由もない。その変貌ぶりに驚くばかりで、彼らは舗装された道を不思議な気分で歩いた。
日本兵たちは硫黄島航空基地に友好的に迎えられた。居住のために用意された多目的室は何でも揃い、申し分ない広さだ。
兵士たちは物珍しそうに室内を歩き回り、思い思いにそこら中を探っている。田口はソファーに深々と腰かけ、弾力性を確かめている。キッチンで山口は水道の蛇口を開くと、水をがぶがぶ飲み始めた。
西山は滑走路を一望できる窓の外をじっと眺めている。志村はテーブルに自分の装備を広げて銃剣を研ぎ始めた。
自衛官の2名が部屋に入ると、自動販売機の前に立つ木島の姿が目に留まった。
「好きなものをお選びください」
自衛官はカードを差し込んでボタンを示した。木島は目を輝かせて尋ねた。
「これは酒か?」
「こちらがビールと日本酒で、隣がコーヒーにオレンジジュース・・・」
木島はビールを選ぼうとしたが、西山に睨まれていることに気が付いた。
「いや、後でいい・・・」
美河が衣類の束を抱えてドアを開いた。2人の自衛官は慌てた様に運ぶのを手伝った。それを見た西山は、彼らの上下関係を理解する。
美河は西山の前で敬礼した。
「陸上自衛隊、特殊作戦群准尉の美河です」
敬礼に応じた西山は念を押すように言った。
「士官のようだが、貴軍の階級は我々に効力はない」
西山は温厚な士官に巡り合ったことがなかった。
「我々が敬礼を忘れても、平手打ちは御免こうむる。特に女に殴られたとなれば、ただでは済まないだろう」
美河は意味が分からず唖然とするばかりだ。西山は日本軍の常識を基準に、彼らを怒らせぬよう忠告したまでだった。
すると木島が唐突に打ち明けた。
「自分には経験あります。忘れもしない内地で入院した春、看護婦長に死ぬほど殴られました」
西山は横目で古参兵を睨んだ。
「何だ?仮病がばれたのか?」
「天使のごとく、可憐な看護婦に手紙を渡しただけであります」
そのやり取りを聞いて、美河はやっと理解した。
「体罰などしません。自衛隊では固く禁じられています」
男女の壁という現状も相まって、彼女の口調は自然と強まった。
「男も女も関係ありません。男女平等の原則で、差別的な発言も懲戒の対象になります。男尊女卑の昭和とは違います」
美河は少し言い過ぎたと思って言葉を止めた。そもそも育った環境が違いすぎるし、男女同権の社会など、彼らには想像もつかないのだ。
微妙な空気の中、男性自衛官の2人が敬礼して名乗った。
「陸上自衛隊三等陸曹、小池です」
「同じく一等陸士の菊池です」
続く小池のひと言が、日本兵たちに衝撃を与えた。
「入浴と食事、検診を済ませて下さい」
「何だって?」
入浴という言葉の響きは、遠い世界へ忘れ去られていた。モグラのように地中を這いずり回った彼らの感覚は麻痺し、自分の悪臭にも全く気付かなくなっている。
西山は部下たちに言った。
「聞いたか?俺は後でいいからお前たちから入れ」
人間らしさを取り戻すことに困惑し、皆遠慮がちに顔を見合せている。
「では自分から行きます」
志村が最初に名乗りを上げた。彼は室内にあった魔法のような文明の利器、洗濯乾燥機の説明を受けた。
西山は再び窓の外へ視線を向けた。滑走路に駐機する見慣れない航空機・・・その中の数機の胴体に、米軍の標識がはっきりと認められた・・・。




