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重力崩壊の歪み

 直径2メートルのパラボラアンテナが20基、半径100メートル以上の円を描いて設置されている。中心には何もない岩山があるだけで、何れもその方向に向けられている。

 仮設テントに20基分の電磁波データが液晶パネルに表示され、海兵隊員が記録している。その後ろから山村教授がデータを覗き込んだ。

「あとは封印を解くだけだ」

 呟いた山村は外に出て陸自車両のパジェロに乗った。後部の荷台は量子重力計の設備で占められ、移動しながら測定できるようになっている。

「あの岩山のふもとにコンクリートの平地が見えるだろう?そこで停めてくれ」

 ハンドルを握る美河准尉は山村に尋ねた。

「直ぐに始めるんですか?皆を待った方が・・・」

「連中が来る前に、確かめたいことがあってね」

 山村が指示した場所でパジェロは停止した。美河は車両後部からレーザー真空管装置を降ろし、コンクリート面に固定した。山村はコンクリートの表面に触れ、何かを確かめている。

「山村教授、AQGモニタリング開始しました」

 重力センサーの数値を見るなり、山村はその意味を美河に教えた。

「重力の最も弱い位置・・・つまりここが重力の穴の中心だ」

 硫黄島が重力の穴に救われたという理屈を、美河はまだ理解できなかった。

「重力が弱いですって?この島が沈まない理由さえ、私には分からないんです」

 山村はフェルトペンでコンクリート面に大きな円を描き、中心に小さな点を書き込んだ。

「ここが硫黄島だ。重力が弱いという事は相対的にこの円の外は重力が強いという事になる。海水はその重力に引っ張られ、中に巨大な凹みができるという訳だ」

 凹みの底から硫黄島が顔を出す断面が描かれると、彼女はなんとなく理解した。

「で、どうして重力が弱まるんですか?」

「地球より月の方が引力、つまり重力が弱いことは分かるだろう?質量が軽いという理由だが、質量は大きさだけではなく、密度で決まる」

 今度はスイカを真っ二つにしたような走り書きで地球内部を表現した。

「大陸地殻、海洋地殻は何れもマントルより密度が低く、言わばマントルの上に浮かんでいるようなものだ。しかし地底深くの高密度マントルは対流で変化する。極端に言えばここに巨大な空洞ができたとする・・・その密度変化で地表の重力は当然弱まる。インド洋の重力異常は、2億年前のマントル対流によるプレートの沈み込みから始まり・・・」

 そこで山村の手が止まった。顔を上げた彼は、ぼんやりと遠くを見つめている。

「スリランカ神話に、インド洋の重力の穴・・・学生たちがどう受け止めたのか、確かめるすべもないか・・・」

 山村の脳裏に、最後の講義で語った記憶がよみがえった。「奇跡の代償」という神話を、学生たちは単なる運命論と受け止めただろう・・・しかしその真意は、神との取引で運命を変え得ることにあった。続くのエピソードで自身の運命を暗示しようと目論んだが、話す相手はもういない・・・。

 大学のあった町は東京とほぼ同じ標高で、一瞬にして300メートルの水圧に見舞われたはずだった。

美河は心配そうに山村の顔を覗き込んだ。

「顔色が優れませんが、お体の具合でも?」

「君が私の講義中に押し入った時のことを覚えているかね?私が一方的に話し、若い世代の目が様々な反応で楽しませてくれる。この年まで仕事を続けられたのは彼らのおかげだ。前途ある若者が先立ち、生き残った老いぼれの私は恥じるよりも運命に抵抗するしかない。奇跡には及ばないとしても・・・」

「覚えています。奇跡には代償が伴う、でしたね?」

 美河はその言葉だけが不思議と印象に残っていた。

「ご自身の体験談にも聞こえました。学生たちに何を伝えようとしたんですか?」

 山村は驚いた。任務遂行中の自衛官である彼女が覚えていたこと自体に・・・山村は彼女を学生たちに見立て、その逸話を語ることにした。

「昔々、5才になった少年は帰らぬ父を待ち続けた。永久に叶わぬ運命と分かっていても、奇跡を信じて神に祈った。すると奇跡が本当に起き、父は帰って来た。死別した母まで連れて・・・しかし願いを聞き入れた神は代償を求めた。少年に幸福を10年間与え、その後全てを奪った」

 それは山村が講義室で紹介した、スリランカ神話になぞらえた彼の人生だった。

「私の幼少期の話だ。母は私を生んだ直後に亡くなり、実の母の記憶はない。しかし兵隊の父を駅で見送ったことは覚えている。当時5才の私は、気が付いたら戦争孤児たちのたまり場にいた。そして毎日、父との思い出の川原で祈ったものだ。自分でも謎の行動だったが、その祈りが叶ったのか、父は帰って来た。それも新しい母とともに・・・これが私にとっての奇跡だ」

 山村の懐かしむような目は虚ろな視線に変わり、「代償」話へと移っていく・・・。

「その後妹が生まれ、学校にも通った。変わり者だが成績優秀でね・・・15才になった時、ある高名な学者先生の目に留まった。この出会いこそ『代償』の始まりだった・・・その直後に父が自殺し、母は行方不明になった」

 そこで話は中断した。轟音とともに陸自の高機動車に先導された油圧シャベルとクレーン車が到着した。高機動車には杉山情報官と三村主任、そしてラングレー少佐が同乗していた。

 車を降りたラングレーは山村に一礼し、陸自施設隊に重機の配置を指示した。施設隊長はコンクリートの破砕方法について、ラングレーに確認を求めた。

「圧砕もブレーカーも駄目ですか?」

「振動がまずい。この下にある鋼鉄の蓋が穴に落ち込むと外せなくなる」

「しかし、かなり深く打設されていますので・・・」

「コンクリートの厚みは4メートルで、ヒトラーの防空壕と同じ程度だ」

 難題を突き付けられた施設隊長は無振動工法の難しさを訴えた。

「破砕剤を使う方法がありますが、かなり時間がかかります」

「時間はない。振動のない最速の工法でお願いしたい」

 冷たく指示するラングレーの後ろで、杉山が合図するように頷いている・・・施設隊長は反論を諦め、仕事に取り掛かった。

 事実上、現場を取り仕切るラングレーの関心はむしろ岩山にあった。頂上を登っていく一団をしきりに眺め、無線で連絡を取り合っている。防護服姿で岩山を一列で歩く彼らも海兵隊員だった。

 山村に手招きされた三村は、自ら要求した量子重力計と初めて対面した。数値モニターを覗き込んだ彼は直ぐに状況を理解した。

「山村教授、正に歴史的変化点です。不謹慎ですが、来た甲斐がありました」

「君の野心なき探究心は認めよう。恵まれた時代に感謝したまえ。重力に電磁波、放射線の相関を瞬時に解析する技術など、1965年には考えられなかった」

「放射線の相関ですか?まさか核兵器の残留物が・・・」

「それよりもっと重要な、自然界の微量な放射線だ。時間変異を測定する」

「時間変異?」

「内部重力の崩壊は、時間の連続性にある種の変形を加える。君は違和感を覚えるかもしれないが、大災厄を生み出した力は相対時間の歪を復元しようとする力に等しい」

 山村は岩山の頂上を指さして続けた。

「今、連中が熱心に調べているのはその痕跡だ。既に地上と地下で時間差が生じていることが観測された」

 時間と空間は常に一体であるという相対時間の概念・・・時間の進行が異なる二つの空間・・・山村の言った相対時間の「歪」を、三村はおぼろげに理解した。

「どれ位の時間差でしょう?」

「極めて微量だ。あの頂上の穴は、言わば裏道のような存在で、メイン通りはこの真下にある。その封鎖を解放しない限り、裏道は粒子のバリケードで通行が妨げられる。相対時間の歪が双方を牛耳っている為だ・・・」

 三村は苦笑して首を振った。

「何かの比喩表現でしょうが、私の理解力が及ばないようで・・・」

「理解しろとは言わない。あの頂上にいる連中・・・未知の世界を垣間見る、彼らも状況を理解していない。重要なのは未知のリスクに臆せず、新発見を求めて進む勇気だ」

 三村は勇気よりも空恐ろしさと同時に戦慄さえ覚えた。

 いつの間にかラングレーと杉山が加わり、コンクリート広場には官邸で顔を合わせた5人が揃っている。

 ラングレーはふと美河の足元を見て、コンクリート表面の落書きに気付いた。誰が、何の為に書いたのか、彼にはすぐ分かった。

「美河准尉は山村教授から基礎講座を学んだようだ。今度は我々向けに続きをお願いできますかな?我が海兵隊員も作業の理由を知りたがっています」

「私の生い立ちを語っていたところだ。続きを話しても君には退屈だろう」

「有難く拝聴しますよ。特に世界をこんな目に遭わせた、あなたの父君についての話は」

 山村は深くため息をついて首を振った。

「何度も言うが、実の父ではない。私の恩人であり、物理学の師、そして近寄りがたい神のような存在だ。しかし神か悪魔か、私は未だにその正体を言い表せない・・・米軍がどう思っていたのか知らないが」

「日本屈指の理学博士ですな。戦時中は海軍の技術将校として、硫黄島の防衛計画に関わっていた・・・最終階級により、米軍は彼を山村中佐と呼んでいた」

 ラングレーは機密文書の全てを頭に叩き込んでいた。その重要人物に関する記述は特に・・・。

「戦後20年経った1965年、硫黄島で異常現象が発生した時、当時この島を管轄する米軍は、封印された『底なしの穴』を発見した・・・米軍情報部は、山村中佐を硫黄島に呼び寄せました。彼が硫黄島のある秘密作戦に関わっていたことを知っていたからです」

 杉山はラングレーの発した一言に反応した。

「底なしの穴?まさかここがあの『謎の立坑』か?」

 中腰になったラングレーは、これから破壊するその表面を、感慨深そうに撫でている。

「この真下に、人類が掘り進んだ最深の穴がある」

 杉山は唖然としてコンクリート広場を見渡した。

「では、ここが大災厄の根源ということか?」

 杉山以外、驚く者はいない。ここが重力の穴の中心である事を、三村も美河もたった今知ったばかりだ。

 アタッチメントを交換した重機が彼らを取り囲んだ。油圧ドリルで穴を開け、クラッカーヘッドでコンクリートの内側から圧砕する・・・施設隊長は最小限の振動とスピードを重視してこの工法を選んだ。

 5人はそれぞれの自衛隊車両に分乗し、岩山への登り道まで移動した。車を降りた彼らは徒歩で頂上を目指した。

 中腹まで登った所に、開かれた平地があった。中腹と言っても、摺鉢山から硫黄島飛行場まで見渡せる高さだ。広場の正面には切り立った岩が半円を描くように並び、まるで巨石神殿を思わせる・・・見上げると海兵隊の記した頂上への道が、神聖な天界への階段に見えた。アメリカ人はその感覚を持たなかったが・・・。

「我々はここをレッドロックスと呼んでいる。デンバーの円形野外劇場のようだと誰かが言ってね・・・無論、そんなに広くはないが」

 ラングレーにとっては珍しい岩よりも、ここから二か所のポイントを見渡せることの方が重要だった。海兵隊員が出入りする頂上の穴と、陸自施設隊の作業場になっている封印された穴だ。

 杉山は、ふもとの方が気になって仕方がなかった。

「あれを撤去して大丈夫なのか?残留放射能は?核兵器を投入したと君は言ったが」

「正確に言えば3F水素爆弾だ。ブラボー実験と同じ核出力15メガトンの・・・」

 ブラボー実験といえば、日本の漁船が被曝し、反核運動のきっかけとなった悪名高き核実験だ・・・三村はその時代背景から、この無謀な試みが尚更信じられなかった。

「ビキニ環礁の核実験は1954年でしたね。その9年後までに国際条約で大気圏内の核実験は禁止されたはずです・・・1965年にここで水爆が使用されたこと自体驚きですが、世に知られなかったことがもっと驚きです」

 杉山はラングレーを横目に、その横暴ぶりを皮肉った。

「当時のアメリカはそういう国だ。ベトナム、キューバ、JFK暗殺・・・攻撃性と裏工作は超一流だった」

 首を振る杉山に、ラングレーは眉をひそめて言った。

「断っておくが、核兵器の使用を進言したのは山村中佐だ。あなたが想像する暴力的な米軍ですら、狂気の沙汰だと思って反対した」

「素人の私でもそう考えるさ。噴火以前に島ごと吹き飛んでしまうじゃないか」

 三村はそうは思わなかった。

「それは違います。高密度領域で起爆すれば、地殻に爆発エネルギーを吸収されないまま密度崩壊に至る・・・恐らくそれが山村中佐の意図です」

 意味が分からない杉山は、責めるような口調で三村に迫った。

「核は究極の破壊兵器だ。他に何の使い道があると言うんだ?」

「山村教授の言葉がやっと分かった気がします。核は重力崩壊と歪みを生じさせる手段だった・・・もしそれが分かっていてあの穴を掘ったのなら・・・山村中佐という人物は確かに神か悪魔ですね」

 取り憑かれたような三村の顔を見て、杉山は諦めた様に首を振った。

「私にはさっぱりだ・・・ラングレー少佐、ついていけないのは私だけか?」

「軍人の私にその説明は無理だ。当時の米軍も理解不能だった・・・答えを知る山村中佐が直後に消えたからだ。あの頂上で・・・」

「消えた?神か悪魔の仕業とでも?」

 黙って聞いていた山村は、そっと美河に打ち明けた。

「その悪魔は、いけにえを連れて魔境へ帰った。当時17才になった私の妹だ・・・これが『奇跡の代償』の結末だ」


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