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破滅のうねり

 海保機は硫黄島で給油し、荒れ狂う海上の観測を続けていた。

 水中爆発は全く止む気配がない。海面が隆起を始め、海水の山脈を形成し、周囲を呑みこむように膨張し続けている。その山頂は共振現象により、さらに巨大化していった。人類史上最悪の海洋災害は、海保機の目前で劇的に動き始めた。

 機長はマイクを取り、横浜の第三管区海上保安本部を呼び出した。

「こちらJA720A、北北西に向かう大規模なうねりです・・・推定速度140ノット、波高は計測不能・・・全船舶ならびに父島、伊豆諸島住民へ避難命令を!」

 時刻は午前11時50分。風のない、晴れた日の出来事だった。


 陸自ヘリは輸送艦を追って房総半島沖の海上を飛行している。山村教授の向かい側に座る杉山と三村は腕を組んだまま眠りこけていた。

 隣の美河は積荷のファイルを広げ、山村の荷物までチェックしている。

「常用薬はこれだけですね?体調に問題あれば言って下さい」

 ヘリはエンジンの騒音がひどく、皆マイク付きのヘッドホンを着けている。

「体調良好だ。あの二人よりはぐっすり眠った。見ろ、髭も剃っていないし昨日の服のままだ。身だしなみを軽視する人間は自己管理能力が低い」

「少し言い過ぎですよ。そうでなくてもお忙しい方々ですから、緊急事態で休む暇もなかったでしょう」

「二人には同情しないが君には同情している。特殊作戦群の准尉たるエリートが老人の世話係だ。君がどんなに優秀であろうと男権社会の壁は越えられない」

 美河は手にしたファイルを強く閉じた。

「お言葉ですが、それこそ偏見に満ちたお考えです」

 会話はヘッドホンを通じて機内全員に筒抜けである。杉山がこの口論に目を覚ました。

「美河さん、穏やかに頼むよ」

 不服そうな顔の美河に山村は首を振った。

「みろ、これが男権社会の壁だ。もっとも、彼は私のへらず口を許容すると言ったからな」

「私は許容した覚えはありません」

 杉山は困った顔で首を振り、再び眠りについた。

 突然着信音が鳴り響き、三村がはっと目を覚ました。慌てた様に自分のポケットを探り、スマートフォンを覗き込むと顔面蒼白になった。

「これは大変だ・・・」

 既に大津波警報が発令され、パニックは始まっていた。


 全長178m、基準排水量8,900tの輸送艦「くにさき」は一見空母のように見える。全通飛行甲板となっているのはヘリコプターを安全に運用するためで、輸送ヘリによる揚陸作戦を重視した設計となっている。艦内は戦車・大型トラックを合わせて80台程度の積載が可能で、今は戦車の代わりに土木作業用の重機が積まれている。

 硫黄島調査隊を乗せた「くにさき」は三宅島沖を航行していた。4隻の護衛艦が「くにさき」を中心に艦隊を組んでいる。

 陸自ヘリが飛来し、「くにさき」後部の飛行甲板に着艦した。杉山らを出迎えた佐々木艦長は、彼らを作戦室へ案内した。

 陸自レンジャー部隊の吉川中隊長が敬礼で迎えた。室内には陸自と海自の尉官から民間の技術者を含む20名が集まっている。大津波警報の発令で作戦室は緊迫した空気に包まれていた。

 複数の大画面モニターは官邸の危機管理オペレーションルームのものと共有されている。海保機の中継映像に、誰もが息をのんだ・・・変色した海面に、無数の打ち砕かれた樹木が漂流している。エンジ色の泡立った波の中心から、岩礁のようなものが顔を出していた。

「あれはどこの島だ?」

 杉山は海にのまれたこの島が無人島であることを祈った。

「八丈富士が中腹まで水没したとか・・・」

 音声を聞き取とりながら三村が答えた。

「何だって?どこの島かと聞いている」

「八丈富士と言えば八丈島だ」

 口ごもる三村の代わりに山村が答えた。

「標高7百か8百メートル、人口7千人の島だ」

 どこまでも広がる構造物の残骸は、ここに人間社会が存在したことを示している。島民はどうなったのか、口にする者はいない。映像があまりに現実離れし、別世界としか感じられないからだ・・・ここから僅か80キロの距離で起きていることが。

 佐々木艦長は艦内電話で艦橋を呼び出した。

「甲板の全てのものを格納庫へ収容しろ・・・何だって?」

 電話を切った艦長は青ざめた顔で杉山に言った。

「レーダーが波を捉えました。30分で本艦へ到達します。私は艦橋に戻らないと・・・ブリッジからの映像はあちらのモニターで確認できます」

 足早に艦長は作戦室を後にした。そのモニターには穏やかな海が映っているだけだ。

 それよりも目を引いたのは政府の緊急放送だった。全員がそのテレビ中継画面にくぎ付けになった。

「国民の皆さん、私は内閣総理大臣として、皆さんの安全に関わる重大な事実を発表しなくてはなりません・・・」

 地上波のチャンネルが全てこの放送に切り替わっている。

「太平洋から接近しつつある津波は、かつてないほどの大規模なものであります。我々は総力を挙げてこの危機に対処すべく全力を尽くしていますが、残された時間はあまりにも僅かで・・・大変な犠牲を覚悟せざるを得ません。何が起ころうとしているのか、現時点において私は確信をもって皆さんにお伝えすることはできません・・・どうか落ちついて政府および自治体の避難指示に従ってください・・・」

 三村は海上の映像に変化を認めた。穏やかな海の遥か向こうに、何かが浮かび上がっている・・・幻の大陸のように。

「来ました、あれが第一波です」

 それは水平線いっぱいに広がる波の壁だった。洋上でこれほどの波高は海自隊員でさえ見たことがなかった。

 津波に遭遇する船舶はできるだけ沖合に避難する。水深が深いほど海面上昇の影響が小さいためだ。例えば10mの津波は220mの水深が安全海域とされる。

「ここの水深は千メートル以上のはずです」

 海自尉官のひとりが三村に尋ねた。

「あれが津波ですか?」

「TSUNAMIは世界共通語ですが、あれは学術用語にありません」

 輸送艦は艦首を波に向けている。接近するにつれ、その巨大さが明らかになった。「くにさき」の数倍はあろうかと思われる頂上が、全ての視界を遮りつつある・・・。

「艦長はあの大波に突っ込むつもりか・・・」

 杉山が唖然として呟いた。

「向い波航法しかありません」

 海自隊員は艦長の判断を説明した。

「反対に追い波航法の場合は、波乗り状態になるブローチング現象といって、操縦不能になります」

 進行方向のコントロールを失えば横波で容易に転覆する。無謀でも何でもなく、正面突破こそ唯一助かる選択肢にすぎない・・・コントロールを維持する推進力を保ちながら。

 迫りくる波の壁を前に、全ての船外作業は中止され、防水扉は完全に閉じられた。艦内放送から艦長の声が響く。

「まもなく本艦は津波に突入する。総員、衝撃に備え、安全を確保せよ!」

 警報が響き渡り、島々を踏みつぶした巨人のようなうねりが目前に迫った。

178mの船体が、無力な小人のようにこの巨人に挑んだ。巨大な海水の山へ艦首は突き刺さり、波は艦橋まで覆いかぶさる。もがくように舳先が波間に現れると、今度は船体が持ち上げられ、山の斜面へ急角度でのぼっていく。

 エンジンの振動が伝わり、横ずれを防ごうと懸命に操舵しているのが分かる。上昇し、頂上に達すると舳先は空中に突出した。吃水線の下まであらわにする艦首が海面に叩きつけられる・・・。

 次に恐ろしい急降下が始まった。そのまま海の底へ吸い込まれるような勢いだ。谷底へ突き刺さると船体の半分まで水没し、波を引き裂いた舳先が現れる・・・。

 激しい縦揺れにキールは持ちこたえている。輸送艦は安定を取り戻したかのようにみえた・・・それは束の間の休息にすぎない。

「第二派接近中!衝撃に備えよ!」


 海保機ボンバルディア式DHC-8-315は津波を追い続けている。「くにさき」の苦闘は目にしなかったが、遥かに恐ろしい災厄を幾度も目の当たりにした。

 伊豆諸島を壊滅させた津波は午後3時25分、三宅島をのみ込んだ。

「こちらJA720A、雄山の火口上空を旋回中。三宅村は水没・・・生存者不明」

 うねりのラインは果てしなく続き、勢いは全く衰えない。津波が島々に残した爪あとも次のうねりで完全に消滅していく・・・全てが、何も存在しなかったように。

「信じがたい惨状です・・・本土の避難は進んでいますか?」

 電波が乱れ飛び、通信が混乱する中で断片的な音声が耳に入った。

「・・・巡視船2隻が消息を絶ち・・・」

「・・・タンカー及びクルーズ船転覆・・・救助求む・・・」

 海保機宛てへの応答が遅れて届く。

「JA720A、こちら横浜本部。追跡を継続せよ・・・津波の勢力に変化は?」

「拡大しているように見えます。直ちに避難区域を拡大するべきです」

 もはや本部の指揮は相次ぐ救助要請で八方塞がりの事態になっている。機長の訴えに対し、語気を強めた返事が返った。

「既に発令済だ。君の報告が正しければ関東平野全域が海底になる。1時間以内に避難できる場所があれば教えてほしい」

 機長は無力感に打ちひしがれた。冷静に考えれば分かることだ・・・うねりを追いかけたところで、見たくもない修羅場をただ茫然と眺めるしかないのだ。


 午後4時30分、津波の第一波は房総半島および伊豆半島南端の海岸一帯へ、ほぼ同時に到達した。

 相模湾で波の共振現象が起きた・・・午後4時50分、増幅した第二波は三浦半島を押し潰し、東京湾へなだれ込んだ。

 海保機はうねりの頂上に散りばめられた、いくつもの光る破片を目撃した・・・その正体は貨物船やタンカーの群れだ。うねりが大き過ぎ、小さな破片にしか見えない。

 高度を下げた海保機は東京湾上空で機首を羽田に向けている。波の頂上に上った大型貨物船は、恐らく渋谷まで見渡せたに違いない。

 海保機が帰還するはずだった羽田空港は跡形もない。上空をあてもなくさまよう旅客機が数機見える・・・機長は自分たちも同じ運命にあると気付いた。

 避難できる場所?空を飛んでいればあの乗客たちも我々も安全は保証される・・・燃料が残っている間は。

 道路は全て消失し、低い建造物から順に消えていく。津波特有の濁流は水位の上昇とともに新鮮な海水に満たされている・・・沈みゆく大都市は象徴的なビル群の上層階がかろうじて顔を出している。

 屋上には助けを求める無数の人だかり・・・恐らく、誰も彼らを救えない。


 一夜明け、何事もなかったように太陽が水平線から顔を出した。照らし出された船は航跡も残さず静止している。四派に及ぶうねりを乗り越えた「くにさき」は力尽きた様に洋上を漂っていた。随行していた護衛艦4隻は姿を消している。

 艦内のいたる箇所が損傷し、乗組員は夜通しの復旧作業で疲れ果てている。作戦室は全てのモニターがダウンしていた。

 艦長は15時間ぶりに作戦室に戻り、杉山へ状況を説明した。

「エンジンの出力は回復しました。浸水した海水の排出も全て完了です。あとは通信系の復旧を残すのみです」

「積荷の損害は?」

「無事ですが、続行されるつもりですか?行先をお尋ねしようとしたところですが」

 艦長の言葉に杉山は憮然とした。

「行き先とはどういう意味ですか?」

 陸自の吉川が代弁した。

「本土は相当のダメージを受けたでしょう。硫黄島行きは調査目的と聞いています・・・こうなった以上、いったん本土へ戻るべきでは?」

 艦長はさらに付け加えた。

「海保の報告通り、八丈島と三宅島はほぼ水没しています。硫黄島が無事とは思えません」

 山村教授はそれを否定した。

「硫黄島は無事だ。本土に戻るかどうかはあれを見て決めることだ」

 山村はモニター画面を見るよう促している。衛星との接続が復旧し、画面に映し出されている。

 その衛星画像を見たほとんどの者は、それが何処なのかさえ分からなかった。ただ、恐ろしい胸騒ぎだけは誰もが感じていた・・・その異様な形の島々に、僅かな面影が見えたからだ。

 三村は誰よりも画像の意味を理解していた。

「これが現在の日本です」

 それはひとつの国家の消滅を意味していた。衛星画像は海面が300メートル上昇したことを示し、関東地方をはじめとする平野部は全てえぐり取られ、跡形もない・・・大阪湾と琵琶湖が異様に膨らんで繋がり、北海道はいくつもの島に分割されている。

 身内や同僚の身を案じる者は、それが絶望的だと理解するに十分だった。

 視野を広げると、平野部に大都市がある点では隣国も同じだ。ソウルも北京も上海も・・・完全に海の底になっている。

 当然ながら、日本周辺の小さな島々は全て消滅している。しかし唯一の例外があった。衛星画像は小笠原諸島南端付近を拡大し、水没していない島を明らかにした。

 山村は忌々しそうに頷いた。

「元凶の島は健在だ。硫黄島は重力の穴に守られている」

 杉山は判断に迷った。硫黄島行きの意味に彼自身も疑問を感じている。人類史上最悪の海洋災害・・・その事態は既に起きてしまったのだから。

 無線通信が復旧し、海自の通信員は混乱を極めた受信情報を書き留めている。その整理も進まないうちに杉山は尋ねた。

「どこか政府機関と交信できるか?本土の状況が知りたい」

「今のところ応答はありません。空自防空基地と陸自駐屯地の交信をいくつか受信しました。何れも救援要請や行動指示を仰ぐものですが、司令本部・防衛省をはじめ全ての指揮命令系統が機能していないと思われます」

 別の通信員が杉山に通信文を手渡した。

「米軍のラングレー少佐からです。本艦が応答しないので電文を送ったようです」

 杉山は一読し、内容を山村教授に伝えた。

「硫黄島は上陸に支障なしとあります。我々の無事を知っているのが不思議ですが」

「君が寄り道しないようくぎを刺している」

「今の状況で?救援要請を無視しろと言われますか?」

「艦長の意見を聞いてみるといい。あの画像を見て本土へ近付けるのかどうかを」

 杉山は佐々木艦長の顔を窺った。彼の考えはすっかり変わっていた。

「今は積み荷が満載状態です。先ずは陸揚げして身軽になるべきかと・・・海岸地形が一変し、電子海図システムも役に立ちません。座礁するリスクは高く、この状態で本土に接近するのは困難です」

 そこへ通信員が新たな情報を報告した。

「護衛艦の1隻は無事です!あとの3隻は沈没したと思われますが、護衛艦『あきづき』がこっちへ向かっています」

 それを聞いた杉山はようやく決断した。

「当初の予定通り硫黄島へ向かう。本土への救援及び情報収集は護衛艦『あきづき』に任せ、陸揚げを終えたらこの船も本土の支援に向わせる・・・異論はないですか?」

 反対意見はなく、「くにさき」の針路は決まった。

 とはいえ、杉山は壊滅した本土のことが頭から離れなかった。

「山村教授、あなたは以前ノアの箱舟のことを話されましたね?これが人類への天罰であれ、救える命を救うのは我々の義務です。違いますか?」

「人命救助へのこだわりは君の立場上当然だ。しかしそれが後々君を苦しめることになるだろう。ノアの大洪水は150日で水が引いたが、そうはならない・・・それに我々は神ではない」


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