終生の密約
暗がりの中、学生たちはまるで紙芝居を見ているように感じていた。プロジェクタースクリーンに映る物語は静止画で動きはない。子供向けの絵本をそのまま映写しているようだった。ナレーションの発音にしても、かなり昔に制作したことがうかがえる・・・。
昔々、巨大なサイクロンがインド洋を襲い、粗末な船が波にのまれた。
船の帰りを待つタミル人の少女は、孤独の不安にさいなまれる。船には少女の両親が便乗していた。
少女は神を探し求めて嵐の中を歩きまわり、あろうことか巨大な象のギリメカラを神と間違え、祈りをささげてしまう。
願いを聞き入れたのは象に乗った魔王マーラだった。海面がみるみる下がり続け、ついには海底が現れる・・・両親は海底を歩き、少女の待つセイロンへたどり着いた。
しかし、奇跡には代償が伴っていた。少女は成人になると魔王のいけにえとなり、姿を消した・・・。
そこで物語は終わり、照明が灯された。
「君たちはモーセの杖を思い浮かべるかもしれない。紅海を二つに割って道を開いた旧約聖書の奇跡を。これはスリランカ神話に由来する一部の言い伝えだが、力学的にモーセの杖を凌駕している。他の神話と同様、君たちは宗教的メッセージを理解しても超自然的な奇跡は受け入れられないだろう・・・平均水深4千メートルの海水はどこへ行った?セイロン島やインドは大津波に襲われ、それこそノアの洪水のごとく大災厄に見舞われるはずだと・・・」
およそ百人の学生たちが、大講義室で老教授の話に聞き入っている。白髪で細身の老人は70歳くらいに見えた。大学教授といえばそれでも高齢の部類に入るが、それより一回り上であることを学生たちは知らない。
「面白いことに、この海域は周囲の海面より100メートル低いことが判明している。無論、マーラの魔力ではない・・・インド洋の低ジオイド域といわれる重力の穴だ。重力の穴とは?重力エネルギーに差が生じるのは何故か?おそらく地殻やマントルの構造、密度の差が重力に異常を及ぼしている・・・未だに原因の解明にはほど遠い。肝心な『なぜ』が抜けているからだ」
轟音が響き渡り、教授の声はかき消された。学生たちが窓の外へ目をやると、隣のグラウンドへ降下するヘリコプターが見える・・・陸上自衛隊のUH-60Jブラックホークだ。
教授は何も気付いていないように話し続けている。
「若かりし頃、私はある研究に没頭し、その『なぜ』の一端を垣間見ることができた。長いトンネルの出口が見えかけた時、残念ながら研究を断念せざるを得なくなった。ひとつ言えることは、奇跡には代償が伴う・・・これは正しかった」
講壇側のドアがそっと開いた。その向こうでしきりに教授を呼ぶ声が聞こえる・・・しかし老教授は全く気付かない。
たまりかねた声の主がドアから顔をだした。大学の職員らしき人物が、きまり悪そうに一礼した。
「火急の用でお邪魔します・・・」
職員に続いて大学の理事長、そして戦闘服の女性自衛官が講壇に上がった。
教授は闖入者の存在にやっと気付いた。
「何事だ!・・・ああ、これは理事長。何用かな?呼び出してくれればよいものを」
「ずっと呼んでいました・・・ともかく、政府から至急の要請です。応じようにもあなた次第ですので、どうか協力して下さい」
後に続いて、若き女性自衛官が毅然と敬礼した。
「山村教授ですね?陸上自衛隊、特殊作戦群の美河です。突然お邪魔して申し訳ありません。国家の緊急事態のため、我々にご同行願います」
山村教授はマイクを握ったまま、固まったように立っている。そして窓の向こうで待機するヘリに初めて気づいた。
「・・・何故私が?今すぐにかね?」
「時間がありません。理事長の許可は頂きました」
彼女の目から緊迫感だけは伝わった。強引にヘリで大学構内に舞い降り、講義中に押し入るほどの緊急事態なのだから。
山村は観念したように頷き、学生たちに告げた。
「聞いての通りだ。途中だが切り上げることになった・・・『奇跡の代償』については次の機会に話そう」
まだ腑に落ちない様子で山村は講義室を後にした。
陸自ヘリは国会議事堂上空で向きを変え、首相官邸屋上へ降下している。入れ違いに米軍ヘリが上昇し、山村の目の前を通り過ぎた。
他にも上空を旋回するヘリが数機見える。各方面の要人たちが緊急招集されているらしい・・・山村は自分もその一人だと理解した。
「君の説明だと、何が起きたか分からぬまま私は呼び出された訳だ。私の専門領域でなければ早々に帰らせてもらうよ」
美河は即座に首を振った。
「私が決めることではありません。ですがそう簡単にはいかないと思います」
ヘリは官邸屋上のヘリポートに着地した。山村と美河が降りると、ヘリは慌ただしく飛び立った。上空は訪問者の順番待ち状態だった。
二人は官邸事務官の案内で地下1階までエレベーターで下り、危機管理オペレーションルームへ通された。
500㎡の室内は正面の大型スクリーンの他、122台のモニター画面が周囲に並んでいる。150人以上が各分野に分かれてブリーフィングを始めている。
山村を待っていたのは二人のスーツ姿の男だ。ひとりは40代後半の切れ者の官僚、もうひとりは細部にこだわる30代半ばの研究者タイプ・・・山村はそんな印象を受けた。
「山村教授ですね?内閣情報官の杉山です。こちらは地震津波局の三村主任・・・」
山村は責任者らしき杉山に対し、不信感をあらわにして言った。
「私はそこの強引な娘に拉致されて来ただけだ。何の専門が必要なのか知らないが、私などやめておいた方がよい・・・頑固でわがままな高齢者ほど扱い辛いものはない」
拉致犯人呼ばわりされた美河は憮然としている。杉山は苦笑し、気難しい老人をなだめた。
「決して不利益や責任を負わせることはありません。あなたの態度を咎めることも・・・おそらく」
山村は耳も貸さず、騒々しい広大な空間をじっと眺めている。杉山はツアーガイドのように山村の視線に合わせて説明を始めた。
「各省庁の防災部局員を集めた横断的タスクフォースです。避難・救助・医療態勢、原子力災害対策、食糧供給にインフラ災害対策など様々です・・・」
4人はオペレーションルームを後にし、杉山の執務室へ向かった。ドアの前で立ち止まった杉山は山村教授に打ち明けた。
「ここは私の執務室ですが、米軍の少佐に乗っ取られました。あなたを呼びつけた張本人です」
ドアを開けるとラングレーが直立不動で迎えた。ホテルドアマンのように愛想笑いを浮かべて。
「お待ちしておりました、私はラングレーと申します。お会いできて大変光栄です」
ラングレーは丁寧に一礼し、山村と握手を交わした。杉山はラングレーの豹変ぶりに驚いた。
美河が敬礼して立ち去ろうとすると、ラングレーが呼び止めた。
「勝手に退室されては困る。山村教授の護衛なら、今からチームの一員だ」
全てラングレーが主導し、秘密会議は始まった。テーブルには5人が向き合っている。
「田辺統括官は危機管理室のタスクフォースを管理する。従って、ここへは来ない」
「では私はクビになった訳だ」
杉山の不満は当然だった。本来はオペレーションルームで各省庁との調整を主導する立場だ。大規模避難という難題に取り組むために。
「タスクフォースなど無意味だ。彼らは真実を知らないが、知ったところで何もできない」
「では田辺に何をやらせるつもりだ?」
「パニックを起こさず、人々に幸福な最期を迎えさせる・・・三村主任、山村教授に状況説明を」
三村は硫黄島付近から始まった火山活動、重力異常と1週間以内に始まるであろう人類史上最悪の海洋災害について語った。
続いてラングレーが最も重要な事実を明らかにした。それは半世紀以上に渡って封印された、軍の最高機密だった。
「1965年、米軍の支配下にあった硫黄島は深刻な事態に直面した。海底火山の連続噴火、頻発する米軍機の墜落事故・・・今起きている現象と似ている。米軍は重力異常が原因だと気付かなかったが、異常の起点に謎の立坑を発見した。信じられない程深く、真下へ一直線の穴を・・・全ての元凶がここにあると認識したのは、これがある目的の為に作られたものと知ったからだ。米軍はこの穴を完全に破壊することを決め、当時最強の核兵器が投入された」
ラングレーは山村の反応を確かめながら尋ねた。
「その年、25才のあなたは硫黄島を訪れていますね?父親と妹まで一緒に・・・家族旅行ではないでしょう?」
山村は腕組みをしたまま、記憶をたどるように目を閉じた。
「戸籍上の家族だ。血のつながりはない」
「招待したのは米軍ですね?」
「招待というより命令に近い。目当ては父の方で私は単なる助手だった」
「高名な理学博士でしたね?戦時中は海軍の技術将校だった・・・」
山村はそこで目を開いてラングレーを睨み付けた。
「私は話すことを禁じられている。他ならぬ合衆国政府の命を受けてね・・・」
ラングレーは予想通りの答えに頷いた。
「その通り、あなたは話すことができなかった・・・これまでは。しかし、あなたに課せられた守秘義務は一定の条件の下で解除されることになっています」
ラングレーはその条件が満たされたことを山村へ告げた。
「日米協定に基づき、あなたには硫黄島へご同行頂きます。そこであなたは我々に協力する義務があります・・・機密の開示を含めて」
山村はこのアメリカ人の正体を確かめようとした。
「君の背後にいる者は?海軍情報部か、それともCIAかね?」
「合衆国大統領と言えば信じて頂けますか?何れの諜報機関も私を補佐する立場だ」
山村は首を振って苦笑し、隣の美河に呟いた。
「初対面の男を簡単に信じないことだ・・・特に日本語を話すアメリカ人は」
その時、着信音に気付いて杉山はスマートフォンを手に取った。
「失礼、防衛省からだ・・・」
杉山が通話中、三村は構わずラングレーに疑問をぶつけた。
「方法は知りませんが1965年の再現をするつもりですね?しかしあれだけの動員をするとなると自衛隊もすぐには応じられないでしょう。もし間に合わなかった場合・・・」
「防衛省に国土交通省、全て根回しは済んでいる。ミスター三村、あなたが気象庁を留守にしても問題ないと聞いた。能力ある者を遠ざける、日本の悪しき組織体質の極みだ」
三村は手回しの良さに感心しつつも複雑な表情だった。
「それはどうも。浮いた存在は否定しません・・・ともかく自分が行くなら量子型重力計と遠隔測定用ドローンを持ち込みたいのですが」
ラングレーは山村の顔を窺った。山村は頷いて答えた。
「必須条件だ。彼は本質をよく理解している」
そしてまた美河に呟いた。
「頭が良すぎて出世しないタイプは多い・・・正に彼のことだな」
通話を終えた杉山は呆然としている。防衛省の返事に彼は驚きを隠せなかった。
「輸送艦は明日未明に出港可能だそうだ。硫黄島到着はその30時間後・・・人員、車両、重機に資材も全て夜中までに積み込むと言っている。信じ難いが・・・」
ラングレーは当然のように頷くだけだった。
「結構、我々海兵隊は一足先に空路で硫黄島へ向かう。あなた方3人は明日ヘリで輸送艦に合流すればよい。少なくとも今日一日はゆっくりできる」
杉山は耳を疑った。
「明日?私は無理だ。今ここを離れる訳にはいかないし、ここからでも硫黄島との連絡は取り合える」
「不測の事態が起きたら誰が責任を取る?私に自衛隊の指揮は執れない。あくまであなたを通じて自衛隊は任務を遂行する。やるべきことは山村教授が全て知っている。仕事が残っているなら今日中に片付けることだ」
杉山は今この状況で官邸を離れることに抵抗があった。
「問題はタスクフォースだ。彼らは事実を知らない・・・警戒レベル4を前提に申し訳程度の対策を講じるだけだ。田辺は何もしないだろうが、私は大規模避難計画のあらゆる可能性を秘密裡に考えるべきだと思う」
「失礼だがあなたの手には負えない。海洋災害は地球規模に及ぶ・・・つまり人類の大部分が死ぬ。大規模避難は現実的とは言えない。助ける対象を絞るなら話は別だ」
山村が補足するように口をはさんだ。
「正にノアの箱舟だよ。時間を有効に使いたければ、生き残るべき人材を直ちに選別することだ。私のような老人は望む場所で最期を迎えさせてもらう」
ラングレーはそれを認める訳にはいかなかった。
「あなたには行くべきところがあります。でなければミスター杉山と私が困ることになる」
「君は私の年齢をご存じかな?」
「たとえ百歳を超えていてもお連れするつもりですが」
「君を失望させることになるかもしれない。1965年と同じ方法が通用するかな?」
「人類の命運が尽きるまで、最善を尽くすだけです」
ラングレーは敢えて核のことには触れなかった。
杉山は観念し、硫黄島行きを覚悟した。
「山村教授、私もご一緒します。ご高齢の身で負担をかけますが、三村主任と美河准尉が可能な限りサポートします」
山村は彼ら以上に逃れられない立場にあった。
「悪いことに、私と米国の交わした密約は生涯有効だ。従って私には行くという選択肢しかない。巻き添えを食ったのは君たちの方だ・・・気の毒に思うよ」
秘密会議の方向性は定まり、ラングレーはひと言で締めくくった。
「では硫黄島で落ち合いましょう」
しかし事態の進行は、彼らの予想をはるかに上回っていた・・・。




