重力の穴
海の輝きは、1945年も今も変わることはない。島に打ち寄せる白波も、生温かい海風も、有史以前から時の流れを記録した・・・浸食される硫黄島の火砕岩に。
生え変わる樹木でさえ、時を刻んでいた。火砕岩に含まれる炭化木片は、硫黄島が過去に水没した痕跡を残した。
2700年前、大規模な火山噴火にのみ込まれ、硫黄島は水面下に消えた。活発な火山列島は噴火と隆起を繰り返し、2千年以上をかけて再び海上に現れた。
硫黄島の隆起は現在も進行中だ。周辺の海底火山も断続的に活動している。2012年以降、毎年のように島のどこかで水蒸気噴火が確認されている。
もとより火山噴火は断層運動を誘発し、津波のリスクを伴う。防災上から警戒すべき海域であり、定期的にモニタリングされている。
1945年当時、面積20平方キロの硫黄島は激しい隆起により、現在は30平方キロへ広がった。この小さな島の特徴は、若く活発な火山列島の山頂であること、そして5万人の死傷者で溢れた稀有の激戦地という歴史である・・・。
硫黄島上空を双発ジェット機が南西に向っていた。海保機ボンバルディア式DHC-8-315は低空飛行で海水面を撮影した。
「こちらJA720A、大規模な熱水噴出活動を観測中・・・」
その時、パイロットは突然の衝撃波に肝をつぶした。機体はバランスを失ったようにバンクし、水平を取り戻そうともがいている。
機長はミサイル攻撃を受けたと疑ったほどだ。しかし窓を覆う水煙を見て正体を悟った。海底火山の噴火による水蒸気爆発だ。
その決定的瞬間を、運よくカメラは捉えた。海保機は旋回し、規模の対比の為にワイドショットで硫黄島と重ねようとした。すると別の噴煙がフレームに入り込んだ。
搭載カメラを操作する副操縦士は被写体の選択に迷った。
「機長、新たな噴火です。3時の方向・・・」
「こっちも、3か所目だ。いや、4か所・・・」
もはやカメラアングルを心配する状況ではなくなった。方々で噴火が始まり、泡立つ変色水が無数の紋様を描いている。
影響は空中まで及んだ。大気圧の変化が機体を急激に持ち上げた。海保機は正面から飛んで来る空自輸送機と20メートルの距離ですれ違った。計器飛行が困難という点で双方は一致していた。
「ADIの誤差がひどいです。高度計も・・・」
「どうなってるんだ?方位計も予備計器も役に立たない」
機長は別の惑星を飛んでいるような錯覚に陥った。立ち昇る噴煙は数えきれないほど広がっている。水平線の向こうまで・・・。
大規模自然災害を対象とした危機管理体制は、内閣府が中心となる。災害対応の権限が各省庁に分散し、縦割り組織間の集約と調整役を担う。
その拠点となる官邸危機管理室には、各省庁からの出向者が交代で常駐している。地震津波局の三村主任もそのひとりだった。神経質で口数は少ないが、研究者の立場になると卓越した能力を発揮し饒舌に語った。
「一連の異常現象はプレート理論上における大変化点です。人類がこの瞬間に立ち会えるのは最初で最後かもしれません」
それは決して幸運なことではない・・・内閣情報官の杉山はそう悟った。
「今は災害リスクの話をしている。ともかく知りたいのは津波の可能性だ」
杉山は苛立ちを隠せなかった。海保機の刺激的な映像に対し、気象庁の反応は今ひとつだ。何の分析も示さず、何かを隠している印象すら受けた。
「シミュレーションの結果は公表できません。自分の構築した中では最悪です。何れにしても、混乱を招くという理由で口外を禁じられているのです。予知は不可能というのが我々の立場で・・・」
「オフレコの約束で君を呼び付けたのは私だ。ここは私の執務室で、君と私しかいない。自信があるなら、今すぐ話すべきだ」
杉山の圧力に屈し、三村は禁令を破って打ち明けた。
「人類史上最悪の海洋災害です」
「津波のことを言っているのか?」
「正確に言えば、引波のない、海面上昇を伴う、押波の連続する津波です」
三村は完璧に表現したつもりだった。杉山にはピンと来なかったがとりあえず頷いた。
「確かに最悪らしい。それで時期と規模は?」
「1週間以内に、遡上高は200から300メートル級でしょう」
杉山は驚きを通り越し、硬直したように立ち上がった。恐ろしい目で睨まれた三村は、その根拠を付け加えた。
「莫大なエネルギー源の正体は不明です。ただ、1400万立方kmの海水があふれ出すのは確実です。地表は常に動き続けています・・・日本とハワイは年間12cm接近し、8千万年後に繋がりますが、今我々が目撃しているのはその100倍速程度の動きです。しかし3日後には100万倍速に達するでしょう・・・海嶺を押し潰し、隆起する海底が海面を押し上げ・・・」
「君は正気か?」
杉山はそれ以上、聞くに堪えなかった。妙な耳鳴りが始まり、自分が正気を失ったのかと思った。それがドアを叩く音と気付くまでは・・・。
乱暴なノックとともにドアが勢いよく開き、焦った顔の男が駆け込んだ。杉山と同期の田辺政策統括官だった。
「密談中のところを済まない。こっちにも密談を望むお客さんが・・・」
「それどころじゃない、今は取り込み中だ」
「こっちも緊急なんだ。悪いが政治がらみで追い返せない。在日米軍の海兵隊少佐殿だ。」
「在日米軍?上を通さず私に?相手を間違っていないか?」
「君が電話を無視するからだ。ここまで走って来た俺の身にもなって見ろ」
杉山は椅子に掛けた上着から専用スマートフォンを引っ張り出した。着信履歴とメッセージが残されている・・・相手は官房副長官だ。
内容を見るなり、杉山は怒りで手が震えた。
「いつから我々は米軍の配下になった?理由を問わず秘密裡に従えだと?何故私の所へ来る?」
「俺に言われても困る。文句は官房に言え。俺も関わりたくはないんだ」
「ともかく通訳官を呼ぶから待たせてくれ」
そこで口論は止まり、2人は凍り付いたように同じ方向を見つめた。半開きのドアから軍服姿の白人男性が覗き込んでいる。
「入ってよいか?通訳は必要ない」
彼は返事を待たずに堂々と侵入し、ドアを閉めた。
「機密に関わるので直接話したい」
刈り上げたGIヘッドにがっしりとした体格がいかにも海兵隊員らしいが、何よりも流暢な日本語が杉山たちを驚かせた。
「第3海兵遠征軍のラングレーです。私に会ったことを含め、他言無用でお願いしたい」
杉山と田辺はお互いを非難するように睨み合った。用件を中断された三村は、そっと立ち去ろうとした。
「ミスター三村、勝手に退室されては困る」
名指しされた三村は口を開けたまま動けなくなった。無論、この白人とは何の面識もない。
「自分はたまたま居合わせた部外者です。機密に関われる立場ではありません」
「既に君は機密に関わっている。今何が起こり、これから何が起こるのか、君は知っている。それが機密情報だ」
明らかにラングレーという男は三村を知っている。三村は杉山から疑いの目を向けられ、困惑した顔で首を振るだけだった。
執務室には6人掛けの会議用テーブルがあった。杉山に促されたラングレーは中央正面に、杉山と田辺、そして三村が向かい合って座った。
杉山は冷淡な態度で尋ねた。
「さて、我々は米軍殿の為に何を提供すればいい?」
「ミスター杉山、あなたは各方面に緊急措置を要請する権限を持っている」
ラングレーはスーツケースからタブレットと2冊のファイルを取り出した。ファイルのひとつから1枚のリストを選ぶと、杉山へ突き付けるように手渡した。
「先ずは防衛省からだ。大至急手配願いたい」
リストに目を通す杉山の表情はみるみる険しくなった。顔を上げた彼の目は、疑念と怒気に満ちている。
「理由も知らされず、これだけのものを揃えろと?」
「理由は必要か?」
「当然だ。法外な要求と思わないか?理由なしに呑めるわけがない」
ラングレーは室内を見渡して首を振った。
「あなた方のセキュリティ体制は信用できない。ハッキングに盗聴、密通者・・・脅威に対する能天気ぶりは恐ろしいほどだ」
屈辱的な指摘に、杉山は憤慨して立ち上がった。
「ここは首相官邸で、私は内閣情報官だ。断言するが、ここのサイバーセキュリティレベルは別格だ。英国やイスラエルにも劣らない。ここで盗聴?数秒で感知され、盗み聞きは自動的に遮断される。幽霊でもない限り盗聴は不可能だ」
ラングレーはその杉山の自信を容赦なく打ち砕いた。
「人類史上最悪の海洋災害・・・ミスター三村の言葉は興味深い。彼の分析は正しいと思う」
杉山は勢いを失い、腰が抜けた様に座り込んだ。
「まさか盗聴を?」
「私が幽霊に見えるか?この通り、どこにでもいる軍人だ。あなたの言葉を借りれば、少々別格かもしれないが」
杉山は恐ろしい相手と対面している事を悟った。しかし諜報能力を誇示する為に、盗聴を暴露したとは思えなかった。
「海兵隊少佐とは表向きだな?情報機関が本職とみたが・・・諜報員は手の内を明かさぬものだが?」
ラングレーは苦笑して首を振った。
「あなたが敵であればね。しかし、今から我々は同志だ。従って秘密厳守は徹底させて頂く。もし300メートルの津波が来ると外部に漏れたらどうなる?水没する居住人口は96パーセントだ。1億人を何処へ避難させる?」
杉山はラングレーほど三村の分析を真に受けていなかった。
「私は三村君に正気の考えではないと言った。あなたは信じているようだが、何を根拠に?」
「今からその理由を話す。聞いたら後戻りできないと覚悟してほしい・・・これは代々引き継がれた国家機密で、幸か不幸か私の代にその時がやって来た」
ラングレーはタブレットを3人の前に掲げた。画面には着色された海図のようなものが表示されている。
「これが何かお分かりか?この太平洋の衛星画像がある変化を示している」
杉山と田辺はまじまじと見るものの、全く理解できないでいる。
三村にはひと目で分かった。
「ジオイドの疑似色です。青色部分が重力異常を示す、いわゆる・・・」
「重力の穴だ。中心にあるのが硫黄島だ」
島の名を聞いて杉山にもピンときた。
「硫黄島だと?連続噴火地点じゃないか」
三村は否定的に首を振った。物理学上関連性がないと思ったからだ。
「画像は現在のものではありません。ジオイドの変化は数万年の周期を伴うものです。マントルの密度異常が重力異常の原因ですから・・・これは10万年以上も前のシミュレーション画像でしょう」
ラングレーは重要な事実を付け加えた。
「これは今現在の画像だ」
三村は雷に打たれたような衝撃を受けた。探し求めたものが突然目の前に現れ、頭の中で欠けたパズルがようやく埋まった。
「重力の穴!これが全ての正体です!海保機の計器異常で気付くべきでした・・・重力異常を示す証拠です。地殻変動の莫大なエネルギー源は重力の穴です」
興奮気味の三村に、杉山は苛立った顔で詰め寄った。
「人類史上最悪の海洋災害と君は言った。その原因がこれか?」
「重力異常は地殻より遥かに深いところで大規模かつ急激な変動が生じていることを示しています。想像もつかないエネルギーです・・・原因と言えばそうでしょう。しかし、それでも肝心な『何故』が抜けています」
三村はラングレーの顔をうかがった。そもそも重力の穴が発生した理由が謎のままだ。疑問を向けられたラングレーも首を振るだけだった。
「私は優れた学者でも、神の使いでもない・・・私自身、その答えを探している。手がかりは1965年にあった。公にされなかったが、最悪の危機に直面した大事件で、何が起こり、どう乗り越えたのか、その記録は日米の秘密協定で封印された。硫黄島が日本に返還されたのはその3年後だ。協定には再びこの事態が起こった時、日米で秘密裡に対処するとし、その役割分担と必要なものが記されている。あなたが言う法外な要求もこの協定に含まれる」
杉山はあらためてリストを手にし、その中身を読み上げた。
「特殊部隊と施設部隊を合わせて120名以上、車両50台、油圧シャベル・クレーン等の重機8台、資材と補給物資・・・これらの全てを輸送艦で運ぶ。硫黄島まで」
「それにもうひとつある」
ラングレーは二つめのファイルを差出した。
「この人物を連れてきてほしい。何処で何をしていようと関係ない、直ちにだ」
杉山は困惑した顔で呟いた。
「拉致する権限など私にはないんだが・・・この大学教授とは何者だ?」
「存命する最後の関係者だ」




