第065話 変化の兆し
「ふぅ…………。やはりお前の家の風呂は気持ちがいいな」
まさに極楽。湯船に浸かり、そんな表情を浮かべる魔王様。本来なら違和感しかないこの光景も、もうすっかり見慣れてしまった。
「もう、ビックリしましたよ。朝起きたらルーシーさんがいなくて、慌てて探しに行こうと思ったら朝ご飯を食べているし……。お祖母ちゃんたちにもバレているし、しかも普通に受け入れられているし……」
あまりに急展開すぎて、正直まだ完全には理解が追いついていない。
「そのことはもういいだろう。今後は堂々と湯浴みもできるし、実際に食事を味わうことができるようになった。喜ばしいことばかりではないか」
「……まあ、ルーシーさんはそうでしょうけど」
私としては事態が予想外の方向に進みすぎていて、喜んでいいのかもよくわからない。
「それよりも、ソウルダイブしていなくて平気なんですか? レヴィアとの戦いで、ルーシーさんだって相当消耗したはずですよね?」
「そのことか……。それに関しては少し、私も気になってはいた」
「?」
自分の身体のことなのに、ちゃんとは把握できていないのかな?
「昨夜帰宅するなりお前はぶっ倒れたわけだが……。それから少しすると、お前の身体に急速に霊力が戻り始めたのだ」
「え……?」
ひょっとして、自分の身体のことを把握できていないのは私の方……?
「そのおかげで以前よりも活力に溢れているくらいだ。この感じだと、丸一日くらい霊力の供給が絶たれても平気だろうな」
「そ、そうなんですね……」
ひとまず実体化し続けていても問題はなさそうで一安心。
……彼女がずっと実体化しているのは別の心配事が生まれそうだけど。
「ところでルーシーさん。ナチュラルにうちの朝ご飯を食べていましたけど、相変わらず食事からのエネルギー補給はできないんですよね?」
「うむ! 単なる嗜好品だな」
食事の目的はエネルギー補給だけじゃない。とは言え、全く血肉にならないのに食事を取るというのはいかがなものか。今後の我が家の食費が少しだけ心配になってくる。
「……やっぱり、今後も食事は感覚共有で我慢しません?」
「断る!」
「そ、即答!?」
この様子だと説得は難しそう。でも、感覚共有と直接食べるのとでルーシーさん側に何か違いがあるのかな?
「感覚共有だとどうしてもお前の好みに合わせた食事が多くなりそうだからな。私はもっといろいろなものを食してみたいのだ」
確かに。私は苦手なものでも出されればきちんと食べる。だけど、そもそもうちの食卓は和食中心。それ以外のもの、特に脂っこいものはほぼ並ばない。
ルーシーさんの意思で食べるものを選べれば、そういうものを食べる機会も増えるのかも。
……我慢してもらうのは諦めるしかなさそうだ。
「それより、お前の方はどうだ? 身体に変化は感じていないのか?」
「私……ですか?」
私の方も変化はある……と思う。今朝は身体がやけに軽やかだった。昨夜の激闘なんてなかったかのように。
これも霊力の回復が早まったおかげなのかもしれない。どうして早まったのかは全然わからないけど……
「……そうか。これは私の推測になるが……」
そう前置きして、ルーシーさんは続ける。
「私と再会し、サタナスの手下どもと戦うまで、お前は霊力の存在すら認知していなかった」
「はい。そうですね」
日常で衝撃が緩和されていると感じることも特になかったし、ルーシーさんを庇ったあの時まで本当に存在を感じなかった。あの時に覚醒した、というのが一番しっくり来るかな?
「だがあれ以来、私への供給、そして魔族との戦いなどで、たくさん消費されるようになった」
相槌を打ちながら彼女の言葉の続きを待つ。
「それにより供給過多だった霊力に需要が生まれ、霊力の需給バランスが整い、上手く循環し始めた。そういうことなのかもな」
「霊力の需給バランス……」
要するに、「霊力」という商品が売れるようになったから、もっとたくさん作ろう。……みたいなことが、私の身体の中で起きている、ということ?
「ああ。ただあくまで推測だ。合っているとは限らん。私は霊力の専門家でもないしな」
「はい……。まあ霊力の専門家の魔王様というのも違和感が凄いですし……」
もしかしたら魔族側も霊力に対抗すべく研究している専門家もいるかもしれない。でも、ルーシーさんにそのイメージはない。失礼だけど。
本当は私よりずっと博識なんだけど、どうしてもわんぱく少年のようなイメージが拭えない。残念ながら。
「…………」
「ルーシーさん?」
ひょっとして失礼な考えが読まれてしまった? そう思ったんだけど、どうやら違ったみたい。
「……いや、お前の霊力バランスが変わってしまうほど、ベルゼやレヴィアとの戦いは苦しかった。改めてそう感じてな」
「そうですね……」
特にレヴィアとの戦いは愛奈さんたちの力がなければ負けていたと思う。
「ベルゼもレヴィアも漆罪魔である以上、元々弱くはなかった。しかし、漆罪魔の中で特別強かったというわけではない」
「そ、そうだったんですか? そう言えばベルゼの時、漆罪魔の中では真ん中くらいって言っていましたっけ……」
「ああ。レヴィアもだ。奴も漆罪魔の中での序列は下から数えた方が早かったくらいだ」
でも、ベルゼが風茉さんとデビライズしたスカイ・ベルゼは強敵だった。レヴィアなんてそれ以上に。
「艶美の愛奈に対する嫉妬。そしてレヴィアは“嫉妬”を司る漆罪魔。その相性の良さがより強さを引き出していたのだろうな」
漆罪魔の司る性質と依代となる人間の心の一致。それが力を増大させている。
……じゃあ私は? ベルゼに「傲慢の欠片も持ち合わせていない」と評された私は、“傲慢”を司るとされるルーシーさんの力を、上手く活かせないの……?
――ルーシーさんの依代に相応しくないの……?
「……ごめんなさい」
「何故謝る?」
「だって、ルーシーさんの“傲慢”と私が上手くマッチしていないから……。だからルーシーさんの強さをあまり活かせなくて、毎回大ピンチになっているんですよね……?」
「…………ハァ」
ため息。物凄く深い。呆れに満ちたような反応。
「お前はお前でいろ。それで良いのだ」
「で、でも……」
「では明日から“傲慢”になるとでも言うつもりか? それは無理だろう」
「…………」
ルーシーさんの言う通りだと思う。それでも、今後も漆罪魔たちと戦う可能性が高いのなら、しっかり戦えるようになりたい。もっと強くなりたい。
――もっと、ルーシーさんの力になりたいよ……
「私はお前を気に入っているし、お前を信じているとも言った。まったく、こんなことを何度も言わせるな」
「ルーシーさん……」
瞳が潤む。だけど、今は泣いている姿なんて見せたくなかった。流れる汗を拭うフリで、流れ落ちる前に涙を拭う。
「まあお前が“傲慢”になり、急にベルゼやレヴィアを見下し始めたら、それはそれで面白そうではあるが」
「し、しませんよ、そんなことは!」
うるうるしていた私の気持ちを知ってか知らずか。冗談めかして言うルーシーさん。
「だが、性格を変えろとは言わんが、戦闘の訓練はしておくべきだろうな」
「く、訓練……ですか?」
「ああ。実戦に勝る経験はないとは言え、毎度ぶっつけ本番というのもな」
確かにその通りだ。私の戦闘経験の浅さはクイン・ルシフェリアの大弱点。戦いの度に痛感している。
「で、でも、どうしたら……?」
「そうだな……。例えば私が放つ魔法を回避したり、受け止めたり――」
「ま、待ってください! 生身でルーシーさんの攻撃を受けるんですか!?」
いくら霊力による防御があるとはいえ、デビライズなしで魔族、それも漆罪魔であるルーシーさんの攻撃を受けるのは遠慮したい。
「ワガママな奴だな。ではデビライズして魔法をバンバン使って――」
「それ、周囲がめちゃくちゃになっちゃうんじゃ……」
……やっぱり戦闘の訓練は無理かもしれない。そう思った。
お風呂から上がり、髪を乾かし、部屋着へと着替える。そこで、あることに気付く。
「えーっと……。もしかしてルーシーさん、ずっとその格好で過ごすつもりですか?」
「ん?」
暗色の大きなマントに露出度MAXのビキニアーマー。両腕・両足には鎧のようなグローブやブーツ。ルーシーさん曰く、魔王の正装だというその姿。でも、これから実体化して人間界で暮らしていくにはあまりにも目立ちすぎる格好だ。
「服ですよ服。汚れや傷みは魔法でなんとかなるんでしょうけど、人間界で暮らすのにその格好はちょっと……」
「その指摘はもっともではあるが……。それなら、まずは角の方にツッコむべきではないか?」
「それはそうですけど、本人が言わないでくださいよ!!」
どうしてこの魔王様はどこか他人事なんだろう? 自覚があるくせに。
「フッフッフ……。ついにこの姿を見せる時が来たようだな!」
「えっ!? なな、何ですか!?」
「刮目せよッ!!」
ルーシーさんの全身を眩い光が包む。そして光が爆ぜ、収まると頭から生えていた二本の角……と、魔王の装いが消し飛んでいた。
「わーっ! わーっ! な、なんで裸になるんですかぁ!?」
「魔族の要素を極限まで抑えた、人間擬態形態だからな。角が隠れるだけでなく、魔力由来の装束も消え去るのだ」
「そ、それを先に言ってくださいッ!!」
全裸への抵抗感が薄い彼女には難しい注文かもしれない。でも、もう少し恥じらいというものを持ってほしいと願うよ。切に。
もう一度魔王の装束を身に着けてもらい、祖父母のもとへ。
二人に相談すると、お祖父ちゃんが何やら不敵な笑みを浮かべた。
「ほっほっほ。ついにこれが役立つ日が来たようじゃな」
そう言ってどこからともなく取り出されたのは――ミニスカ巫女装束だった。お祖父ちゃんが作ったものの、お祖母ちゃんに叱られ、誰にも着てもらうことのなかったアレだ。
「なーに考えとるんじゃ、このスケベジジイ! ルーシーちゃんにこんなもの……」
「構わんぞ」
「「「……え?」」」
ルーシーさんの言葉に、私たち三人の反応が揃った。
「おおっ! 着てくれるのかルーシーちゃん!」
「ほ、本当にいいのかい? 嫌だったら嫌と言っても……」
「だから構わんと言っている」
……こうしてルーシーさんの部屋着がミニスカ巫女装束に決定してしまった。
あくまでこれは一時しのぎ。外出自粛が解かれたらきちんとした服を一緒に買いに行こう。たとえお小遣いやお年玉を使ってでも。
そう胸に誓った――
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