第045話 水面に映る“嫉妬”
とあるマンションの一室。その浴室で湯船に浸かる一人の少女・志藤艶美。ウェーブのかかったライトブルーの髪をタオルで纏め、腕は頭の後ろで組んで枕のようにし、浴槽の中に寝そべる。非常にリラックスし、バスタイムを堪能していた。
「ハァー……。やっぱりお風呂と言ったら水風呂に限るわよねー」
季節はまだ梅雨入り前。段々と暑くはなってきていたが、水風呂に浸かるにはまだ肌寒い。――普通の人間の感覚ならば。
だが少女は普通の人間ではなかった。いや、「なくなっていた」と言うべきか。何故なら。
「人間は熱いお風呂を好むみたいだけどぉ、ぶっちゃけあり得なぁ〜い!」
艶美の意識は完全に抑え込まれ、彼女の身体は完全に“嫉妬”の漆罪魔の手に堕ちていた。レヴィアのモノとなってしまっていた。
人間なら痛みすら感じ、反射的に飛び出してしまうほどの冷水風呂を心地良く感じてしまう。この事実が、艶美の身体が“嫉妬”の魔の手に堕ちたことを証明する。
「それにしてもぉ……」
艶美の指が水面をなぞる。本来ならば波打つはずなのに、一切の波が消え、水面が静まり返る。揺れのない水面は鏡のように艶美の顔を映す。
「思わず嫉妬しちゃうくらい綺麗な顔よねー。ま、それが今はアタシのモノなんだけどぉ」
艶美はトップアイドルユニットのメンバーだけあって美しい顔立ちをしている。自分の元の顔に自信がないわけではないが、それでも若く、美しく、可愛らしい顔を手に入れ、レヴィアはご満悦だった。
「胸は……ちょっと残念寄りかなー?」
ここばかりは元の方が優れている。その自負が彼女にはあった。
「けどまぁ、この小ぶりな胸もあのコへの嫉妬心を強めてるワケだからー、あんまり悪く言えないのよねー」
艶美の愛奈への嫉妬心。その多くは愛奈の才能、そして才能に甘えて努力を怠っているのにファンや業界の人たちにちやほやされていることに起因する。だが、それ以外にも一つ、艶美の嫉妬心を煽る大きな要素が愛奈にはあった。
――バストの豊満さ。もちろん限度はあるものの、小さいよりは大きい方が需要がある。特に艶美のいる芸能界では。
艶美は常日頃から、大きくてもダンスの邪魔になるだけだと言い張っていた。だが本当は彼女のコンプレックスであり、その事実をレヴィアは見抜いていた。
「水着での撮影とか結構憂鬱だったみたいだしぃ、中々強い嫉妬心なのよねー艶美ちゃん♪ キャハハ♪」
当然、艶美本人にこの声は届かない。それでもレヴィアは愉快そうに言う。
――コンコンコン。
冷水風呂を楽しみ、ご満悦のレヴィア。だが優雅なバスタイムを遮るかのように扉をノックする音が。
「レヴィア様、少々よろしいですか?」
扉の向こうから声が聞こえる。声の主はレヴィアの部下のもの。初老の紳士のような、落ち着いた声色だ。
「何よー“ポルヴォ”? 女のコのお風呂を覗きに来るとかー、万死に値するんですけどー?」
「冗談は実年齢にそぐわないその口調だけにして下さい」
「ハァーッ!? アタシにケンカ売ってんのぉ!?」
ポルヴォと呼ばれた紳士風の男性。彼もレヴィア同様、本来の身体ではない。レヴィアのように人間にソウルダイブし、人間界へ紛れていた。
「そのつもりはありませんが……。小言を言う権利はあるかと」
「何よー? アタシに文句あるワケー?」
不機嫌を露わにしながら訊き返すレヴィア。するとポルヴォは溜め込んでいた鬱憤を晴らすように語り出す。もっとも、落ち着いた口調は崩さずに。
「まず、何故依代候補の身体に入ったまま彼の地へ赴いたのです?」
「だってー、あのじゃりン子が隠れてる場所の下見はしておきたいでしょー?」
「じゃりン子……ルシフェリアの潜伏先ですか。ですがそんなものは偵察係に任せれば良いのです。貴女自ら出向く必要はないはず」
レヴィアの頬が膨らむ。相変わらず口煩い男だ、と彼女は思う。信頼のできる男だが、正論ばかり。頭に来ないはずがなかった。
「うっさいうっさい!! 手下の分際でアタシに口答えとかー、生意気なのよアンタは!」
「一歩間違えば依代のいない状態でルシフェリアとの戦闘になっていたかもしれない。それがどれだけ危険なことなのか、きちんと理解しておられますか?」
「…………」
本当に口煩い男だ。そろそろ一度、力の差を思い知らせておいた方がいいかもしれない。そう思いながら手をかざし、魔力を込めようとする。しかし。
「レヴィア様。頭に来ているかもしれませんが、ここで派手に魔力を解き放つと潜伏している意味が失われるので堪えて下さい」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
彼は伊達に長年彼女の側近を務めていない。レヴィアの行動パターンは大方読めるようだ。もっとも、読めてはいても、全ての行動を止められるわけではないのだが。
「……はぁ。うっざぁ〜……」
ぶつぶつ言いながら水面に頬まで沈むレヴィア。ブクブクと泡を立てながら、やけに子供っぽい不満顔を浮かべた。
「……それでー? まさか本当に小言を言いに来ただけじゃないでしょうねぇ?」
「私もそこまで暇ではありませんよ」
それにしては割と乗り気に感じたのはレヴィアの気のせいか。ひょっとしたら彼はかなりの鬱憤が溜まっているのかもしれない。日頃から自由奔放に振る舞っているこの主に対して。
「偵察用に放っていたポルポッドですが、ある一帯へ向かわせた個体群との交信が途絶えました」
「ポルポッドぉ〜? ああ、あのタコ軍団ね。ひょっとしてルシフェリアに返り討ちに遭っちゃったとかー?」
適当な口調だが、十中八九そうだろうと思っていたレヴィア。だが彼女の部下は首を振った。彼女の考えを否定するために。
「ルシフェリアだとしたら、魔力が全く感じられなかったのが気になります」
「それはあのじゃりン子が瘴気や人間の悪の心じゃなく、霊力を持った人間から力を得てるからじゃな〜い?」
前例はない。そもそも魔族、それも漆罪魔が霊力を持った人間から力を得ることなど、魔界の常識ではあり得ないとされている。
だが、実際に彼女は霊力を持った人間を依代としてデビライズまで成し遂げている。霊力を取り込み続けることで魔族としての性質そのものに変化が現れたのかもしれない。レヴィアはそう考えていた。
「相変わらず頭かったいわねー、ポルヴォは。もうカッチカチ」
「……そうでなくては貴女の側近は務まりませんから」
不満を呑み込むように一瞬だけ溜め、すぐに語り出すポルヴォ。その声色は普段の冷静な彼のものと変わらない。
主の言葉が不服だと感じながらも、彼女を傍で支えられるのは自分しかいない。そんな自負が彼にはあるのだろう。
「ではやはりレヴィア様はルシフェリアの仕業だと?」
「だって普通の人間ってザコい生き物なんでしょー? じゃあ人間じゃなくてルシフェリアにやられたって考える方が自然じゃーん」
相変わらずレヴィアの口調は軽い。一見適当に見える彼女の態度。だが彼女は自分の考えに確信を持って言っている。
「ま、本当にルシフェリアかどうか、サメちゃんにでも確かめさせりゃいいんじゃなーい?」
「なるほど、“スカリオ”ですか」
「そそ、あのサメちゃん。小難しいことは苦手だけどー、パワーだけなら漆罪魔相手でも引けを取らないくらいだしぃ」
レヴィアの部下・スカリオ。粗暴な性格で、考えて行動するのは苦手なタイプの魔族。その代わり戦闘能力は非常に高く、レヴィアもその点を評価し幹部にしているほどだ。
「もしルシフェリアじゃなかったとしてもー、サメちゃんが大暴れすれば見過ごせなくて出てくるでしょ」
「わかりました。ではすぐにスカリオを向かわせましょう」
浴室の外から気配が消えたのを確認した後、レヴィアは独り呟く。
「それじゃあアタシは特別ステージの準備に取り掛かっちゃおうかなー」
浴槽から上がるレヴィア。全身から水が滴る。彼女が瞳を閉じ、念じると艶美の身体についた水滴が一瞬のうちに凍り、粉々に砕け散った。
「まずは小手調べ。アタシのステージを観に来る資格があるのか、サメちゃんで試させてもらうわよ、憎っくきルシフェリアちゃん♪ キャハハ♪」
とあるマンションの浴室。“嫉妬”の漆罪魔の笑い声が高く響く――
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