第040話 羨望は嫉妬へと変わる
とあるライブスタジオの控え室。室内には高校生の少女が一人。その手には可愛らしいマスコットキャラクターのグッズが握られていた。
「嫌だな、この気持ち……」
誰もいない控え室で、少女はマスコットキャラクターに話しかける。当然返事はない。
「ハァ…………」
これは悪いこと。頭では完全に理解している。だが、心の中に浮かんでくるこの感情はそう簡単には抑えることができない。
Gracie☆Stellaのメンバー・志藤艶美は悩んでいた。彼女の心の中に勝手に湧き上がってくる、強く、そして黒い感情に。
共にステージに立つ仲間・千房愛奈。「天性のアイドル」と持て囃される彼女に、艶美は強い嫉妬心を抱いていた。
艶美から見ても、愛奈は天才だった。優れたルックス。人々を虜にする笑顔。魅了する歌声。洗練されたダンス。思わず応援したくなるキャラクター。
初めて会った時から彼女には敵わない、艶美はそう悟った。だが彼女を知れば知るほど、彼女は才能でアイドルをやっていて、大した努力もしていない。それもわかってしまった。
――悔しい。そんな気持ちが日に日に募っていた。
そして悔しさは強い嫉妬心となり、愛奈に対する刃へと姿を変えようとしていた。
とは言え艶美は基本的に悪人ではない。むしろ善人寄り。だからこそ、心の内に勝手に湧いてくる黒い感情と一人孤独に戦っているのだが。
「私が……私がもっと努力すればいいだけ。愛奈は何も……悪くなんか…………」
何度も反芻し、自分に言い聞かせる。そうすることで湧き上がる黒い感情を抑え込む。
しかし、一体何度繰り返せばいいのだろうか。終わりのない感情との戦いに、艶美の心は日々疲弊していっていた。
――コンコン。
控え室の戸をノックする音が彼女を現実へと引き戻す。返事をすると、嫌でも意識してしまうあの娘が部屋の中に。
「いたいた。……あっ、つーちゃんったらまたその“ポルポッドちゃん”……だっけ? に話しかけてたの?」
「……そんなんじゃないわよ」
高校生にもなってマスコットキャラクターに話しかけているなんて恥ずかしい。艶美自身のブランディングにも反するし、何より愛奈にだけはそう思われたくない。だから艶美は静かに否定する。
「……それよりも、何か用があったんじゃないの?」
「あっ、そうだ。ねぇつーちゃん、この後りっちゃんと一緒にごはん食べに行くんだけど、つーちゃんも行こーよ!」
愛奈は明るく、屈託のない笑顔で誘う。艶美の胸中など知りもせずに。
「……私はいいわ。二人で行きなさい。あとつーちゃん言うな」
「ちぇー。相変わらずつれないなー、艶美ちゃんは」
頬を膨らませる愛奈。彼女のことだ。きっとこの仕草も自然にやっているのだろう。この自然体が多くの人の心を掴んでいる。
だが、今の艶美にとっては神経を逆撫でする行為に他ならない。もっとも、その感情を表には出さないのだが。
「それじゃあ艶美ちゃん、またね♪」
「……ちゃんと変装はしていきなさいよ」
「わかってるよー」
手を振り、去っていく愛奈に形式的に手を挙げて返す艶美。
「……私も帰ろう」
誰が聞いているわけでもないのに、そっと呟く。誰からも返事なんてない。あるはずがない。いつも通り艶美の呟きは空気に溶けていくだけ。
――そのはずだった。
「あれれー? もう帰っちゃうのー?」
艶美の耳に届いたのは女性の声。若そうだが、実年齢よりさらに若く聞こえるように作っている、そんな声が。
「だ、誰!? ここは関係者しか入って来られないはず……」
「そんな細かいこと、今はどうだっていいんじゃなーい?」
軽い口調で話す女性。その姿を見た艶美は驚愕する。ダークブルーのロングヘアーに深海のように深い青色の瞳。ここまでは普通だ。
だが、そこから下は徐々に様子が変わってくる。帆立の貝殻のようなビキニトップ。これもまだセンスは理解できないが、もしかしたらグラビアアイドルなら着ることがあるかもしれない。そんな風に思うことはできる。
しかし、それよりさらに下。下半身は彼女でなくとも驚くことだろう。無数の鱗に覆われ、先端は魚の尾ヒレのようになっていた。まるで物語に登場する人魚のような姿。
「に、人魚……?」
「ああ、人間目線だとそんな風に見えるのねぇ」
人間目線。その言葉が意味するのは、今艶美の目の前にいる女性が人間ではないということ。
「ひ、人……人を呼ばなくちゃ……! だ、誰か……! ま、マネージャー!」
「キャハハ、ムダよん♪ この部屋の扉はカチンコチンに固めちゃったからっ♪」
愉しそうな笑みを浮かべる人ならざる女性。
「そ、そうだわ。スマホで助けを……」
手提げカバンからスマホを取り出して助けを呼ぼうとする艶美。だが、異形の女性は許さない。艶美のスマホが一瞬のうちに氷に包まれ、使い物にならなくなってしまった。
「い、嫌…………。だ、誰か……!!」
艶美の目には涙が滲み、既に頬を伝っていた。何とかして助けを呼ぼうとするが、彼女の声は誰にも届かない。……目の前の女性を除いて。
「そんなに怖がらないでよー。アタシはアンタを助けに来たんだからさー」
何を言っているのか、艶美には理解できなかった。人間の言葉ではないから、ではない。今、自分に恐怖を与えている存在が、自分のことを助けに来たと言っているからだ。
「『千房愛奈』……アンタの悩みの種」
「ッ……!!」
艶美が抱える愛奈への想い。この黒い気持ちは家族やマネージャーを含め、誰にも相談したことはない。にも関わらず、目の前の異形の女性は艶美の胸中を見透かした。
「驚いたー? けど、アタシにはぜ〜んぶお見通し。あのコに嫉妬してる、アンタの心の中もぜ〜んぶねっ♪」
「ち、違っ……! 私は別に、愛奈に嫉妬なんて……!」
艶美は否定する。だが人魚姿の女性は艶美の心を露わにしていく。誰にも晒したことのない心を。
「ボイトレにダンスレッスン。ユニットでのレッスン以外にも自主トレばかりで完全にオフの時間なんてほとんどない」
「…………」
「それに引き換え、あのコは自由気まま。ユニットでの活動以外は好きなことばかりしてる」
「くっ…………」
艶美の胸中が次々と言い当てられていく。
「アンタが必死に努力を積み重ねてる間も、あのコは好き放題。それなのに彼女はアンタを差し置いて『才能』だけでセンターを務め続けてる。アンタの努力を嘲笑うかのように……ね」
――ゾクッ。
艶美の背筋に走る寒気。相変わらず異形の女性は笑みを浮かべているが、この笑顔が艶美に恐れを抱かせる。
「自分の気持ちに素直になった方がいいよん? 嫉妬しちゃうのは当たり前な・ん・だ・か・ら。キャハッ♪」
「嫉妬は……当たり前……?」
耳を傾けてはいけない。そう思っているはずなのに。理解しているはずなのに。艶美は異形の女性を無視することができなかった。
「そそ♪ そしてその気持ちはぁ……ガマンなんてしなくていいの」
「ッ……!」
女性の言葉が艶美の心を揺さぶっていく。
「さぁ、艶美ちゃん。アタシを受け入れて? アタシが力を貸してあげるからぁ……一緒に愛奈を蹴落としちゃおっ♪」
「…………」
甘い声で艶美の心を誑かす。艶美の心は酷く揺れる。
「…………だ、駄目ッ! わ、私は実力で愛奈を超えて……!!」
「ふーん、強情なコ。しょーがない、今はそれでもいいわぁ」
「え…………?」
予想外の言葉。艶美はもっと強引に迫られる、そんな気がしていた。だが女性は退いた。思わぬ展開に、艶美の思考は停止。女性が諦めた。――それは艶美が望んだ結果のはずなのに。
「あらぁ? ちょっと残念って思っちゃったぁ?」
「そ、そんなことは…………」
「キャハハ! いい顔ねぇ。ウフフフ、安心しなさ〜い。アンタが望むならぁ……アタシはいつでも力を貸して、あ・げ・る・か・ら。キャハッ♪」
言い終えると同時に、人魚のような女性は艶美の目の前から姿を消した。だが艶美のことを諦めたわけではなかった。
「き、消えた……!?」
『違うわぁ。アンタの心の中にお邪魔したの。これでいつでも力を貸せるでしょ?』
「えっ? えっ?」
理解が追いつかず、ただただ動揺することしかできない。
『アタシは“レヴィア”。アンタの“嫉妬”を力に変える者よん♪』
艶美の心の中に入り込んだレヴィア。少しずつ、だが確実に逃げ道が閉ざされていく。そんな感覚が艶美の心を蝕み始めていた――
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続く第41話も投稿しております。よろしければお読みください。




