第026話 “食べること”
「うぅ……。どうしてこんなことになっちゃったんだろう……」
大食い系配信者・久池風茉。彼女のSNSへの投稿や動画のコメント欄は荒れに荒れていた。
今までも彼女自身や大食いというコンテンツそのものを批判するリプライは存在していたが、それはごく少数。
多くは「風茉ちゃんが美味しそうに食べている姿を見るだけで元気になる」や「ふーちゃんが紹介していたお店に行ってみたけど、本当に美味しかった」等、肯定的なものがほとんどだった。
あくまで今までは、だが。
しかし今は違う。肯定的な意見より圧倒的に否定的な意見が多い。「大食いは身体に悪い」「子どもが真似をして危険」等、ごもっともなものもある。
そのため彼女は早く、多く食べつつもなるべく噛むように気を付けている。食事マナーにも気を遣っていて、見本にされても恥ずかしくないよう心掛けている。
それ以外にも、子どもが嫌いになりがちな野菜を美味しく食べるための料理や工夫なども動画にしてアップロードしている。
しかし、批判はそれだけに留まらない。「食べたくても食べられない人の気持ちも考えろ」「貧しい国の人たちに謝罪しろ」等の意見も多く寄せられている。
だがこれに対しても彼女なりに考え、真摯に向き合っているつもりだった。
動画や番組出演等で得た収益の一部を使い、炊き出しを行ったり、食糧支援のための寄付もしている。
彼女個人にでき得ることはしているはずだ。それでも批判は止まらない。そしてついに、動画のコメント欄やSNSアカウントが炎上してしまった。先程から通知が止まらない。
中には励ましの言葉もあるかもしれない。だが、もう画面を覗くこと自体が怖くなっていた。
こういう時、事務所に所属していたら助けてもらえたのかもしれない。だが風茉は個人で活動していた。故にこのような事態が起きた時に頼れる相手などいない。
もう限界だった。精神的に追い詰められ、人一倍あるはずの食欲も全く湧かない。
昨日の昼間食べた大次郎のラーメンを最後に、何も食べていない。そのラーメンだって動画を投稿するために無理矢理詰め込んだ。本当は凄く美味しくて、昔から大好きなラーメンのはずなのに。
「もう、辞めたいよ……」
思わず口をついて出てしまった。それほどまでに風茉は追い詰められていた。
『風茉ちゃんは本当に幸せそうに食べるよね。見てるこっちまで笑顔になっちゃう』
彼女が友人に言われた何気ない一言。それがキッカケだった。大好きな「食べること」で誰かを笑顔にできるなら、と始めた大食い動画の投稿。食べる姿が可愛い、所作が美しいと評判になり、瞬く間に人気者に。
自分は美味しいものをたくさん食べ、視聴者はその姿を見て笑顔になる。そして他人に広め、更に見てくれる人が増える。それが堪らなく幸せだった。幸せだったはずなのに。今はもう、彼女の心を蝕む苦痛となっていた。その苦痛が涙という形となり、彼女の頬を伝う。
「キミが辞める必要なんてないよ」
涙を流す風茉の耳に突如、若い男性の、甘く囁くような声が届く。
「だ、誰……!?」
「フフッ。ボクはキミの“食欲”に寄り添う者さ」
風茉は手で涙を拭い、顔を上げる。するとそこには柔らかな笑みを浮かべた青年の姿が。
しかしおかしい。部屋には鍵がかかっていた。気付かれずに侵入するなど不可能なはず。だがそれ以上におかしいのは青年の姿だった。
ライトグリーンの髪に美しい顔立ち。ここだけ見ればただのイケメン。だがその背中には虫のような翅が生えていた。
「む、虫の、化け物……!?」
「化け物とは傷つくね。これでも魔族の中では美しさに定評があるんだけど」
自分が美形であることを改めてアピールするように髪を掻き上げる青年。
「ま、魔族……?」
「まあ知らないのも無理はないか。だけどあまり深く考えなくていい。人間に寄り添い、力を与える存在。そう考えてくれたらいいから」
青年は甘美な声で囁く。風茉は未知の存在に恐怖心を抱いているはずなのに、自然と彼の言葉に耳を傾けていた。
「ち、力を与えるって一体……?」
「キミは食べることが好き。でも、心無い人間たちのせいで今は楽しめなくなっている。そうだね?」
「ど、どうしてそれを……!?」
未知の存在に心を見透かされ、風茉は激しく動揺する。その姿を見たベルゼは一瞬だけ口角を上げた。
「言ったよね? ボクはキミの“食欲”に寄り添う者だって。だからお見通しなのさ」
「…………」
心を見透かされ、さらに恐怖心は高まっているはず。にも関わらず、風茉は徐々に彼の言葉を受け入れつつあった。
「……た、確かに私は、SNSとかで批判されて……ついには炎上までして……。そのせいで大好きなご飯も食べられなくなっちゃって……」
「それはさぞ辛かっただろうね……」
「はい……。それでもう、どうしていいのかわからなくて……」
ぽつり、ぽつりと。風茉は自分の気持ちを話し始めた。話し始めてしまった。目の前の魔族に。
「そっか。それじゃあ……ボクと一緒に取り戻そう。“食べる”という、キミの幸せを」
「え……?」
幸せを取り戻す。彼の放つ耳障りのいい言葉が風茉の心を唆す。
「キミから“食べること”を奪った連中に復讐するんだよ。キミの全てだった“食べること”を奪った罪を償わせるんだ」
「そ、そんな、復讐なんて……」
復讐というワードに、さすがに躊躇う風茉。
「キミは“食べること”を通じていろいろな人を楽しませたり、助けたりしていたはずだ。そんなキミの善行を邪魔する者たちはもはや“悪”なんだ。その悪を成敗すると考えてくれたらいい」
「“悪”を成敗する……?」
「ああ、そうさ」
青年の巧みな言葉選びに、風茉の心は再び揺らぐ。
「で、でも成敗なんて……。私には何の力もないし……」
「フフッ。だからボクが力を貸してあげるのさ」
「あなたが……?」
青年は右手を差し出した。そして彼女に優しく微笑みかける。
「ああ。ボクはキミの行いに凄く惹かれたんだ。だから一緒に取り戻そう。“食べる”ということを」
「…………」
風茉は震えながらも、差し出された手に触れた。すると、青年の姿が空気に溶けるように消え、風となり彼女の身体の中へ吸い込まれていった。次の瞬間、彼女の脳内に彼の声が響く。
『ボクはベルゼ。さぁ行こう、風茉。ボクたちの“食欲”を解放しに』
それが風茉の聞いた最後の言葉だった。以降、彼女は完全にベルゼの手に堕ち、彼女への言葉はもう、届かない。
ここからベルゼの宴が始まる。
中心部等の一部エリアを除き、深夜の美多摩市は比較的静か。コンビニでさえ開いている方が少ないほど。
そんな静寂に包まれた街の夜空に舞う無数の影たち。
影たちは複数一組として街の各地へ散らばっていく。向かうのはスーパーなどの食料品を扱う店や飲食店。または畑や養鶏場など、食料として育てられている動植物のいる場所。
全ては人間たちの“食”を支える場所を襲い、“食”を奪い、独占するため。
――ガシャーンッ!
あちこちの建物でガラスの割られる音が響く。
――ジリリリリ……!!
けたたましく鳴り響く防犯ベルたちが街の異変を報せる。
閑静な田舎町に響く騒音。数日前まで平和だったはずの街に、再び脅威が襲いかかる――
お読みいただきありがとうございました。
続く第27話も投稿しております。よろしければお読みください。




