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カジバノチカラ - 鉱石少女がエクスカリバーになるまで -  作者: 上田文字禍
第3部「最後の聖剣」
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51「虚の試練」

 カン。

 カン。


 金槌(ハンマー)の音が規則正しく響き、乾いた荒野の向こうへ消えていく。


 おれたち三人は少し離れたところから、その男の背中を見ていた。


「……待てって言われてもよぉ」

 小声でぼやく。


 言われてから、ずいぶん経っている。

 ただ、この場所には日の傾きがないから、どれくらい待ったのか本当のところはわからなかった。


 となりのハルジオンは、さっきから一歩も動いていない。

 腕を組んだまま、《勇者ハルマ》の背中をじっと見つめている。


 ハルマの髪は、黒かった。

 ミズガル王が言っていた『闇さえ飲み込む黒髪』ってのは、たぶんこれのことだ。



 ただ、おれにはそれより気になって仕方がないものがあった。

 ハルマの前にある炉(ろ)だ。

 石と粘土を積んだ簡素なつくりで、なかでは炭が赤々と光っている。

 そのすぐ横には木の箱が据(す)えられていて、取っ手を押し引きするたびに炭へ風が送り込まれていた。


 少し離れたところには、細長い水槽が置かれていた。

 水面には炉の明かりがゆらゆらと映っている。

 そのとなりには、黒っぽい泥の入った桶。


 火。土。気。水。

(……全部、ここにあるじゃねぇか)


 おれたちが巡ってきた四つの属性が、荒野のまんなかにある小さな鍛冶場で、当たり前みたいに並んでいる。


 ハルマが金槌を置いた。


 火ばしで炭をつつき、散らばった炭を炉の中央へ寄せ直す。

 ぱちんと炭が弾け、火の粉が舞った。


 ハルマは慌てない。

 炉の具合をたしかめてから、ようやくこちらを振り返った。


「ごめんなぁ、待たせて」

「……待たせすぎだぜ」

「火ってものの面倒さは、君らも知ってるだろう」


(……面倒、か)

 なぜか、まっさきにウルカヌスの顔が浮かんだ。


 ハルマはパン、と両手をたたいて煤(すす)を払い、こっちへ歩いてくる。


 近くで見ると、思っていたより若く見えた。

 煤だらけの頬を手の甲でこすったせいで、汚れが余計に広がっていた。


 世界を救った《勇者》と言われても、ちょっとピンとこねぇな。


「先に言っとくと、俺は本物じゃない」

 ハルマは自分の胸を親指で指した。

「ここにいるのは、オリハルコンに刻んだ俺の記憶。細かいところがちがってても勘弁な」

 へらっと笑ってから、ハルマの視線がおれのとなりへ移った。

「えーと……」


「……ハルジオンです」

 ハルジオンが、ぎこちなく頭を下げた。

「あなたの――」


「わかるよ。セキレイにそっくりだ」

 ハルマが片手を上げた。


 ハルジオンが言葉を止める。


「はは。俺に似なくてよかったよ」

「……え?」


「この癖毛とか、けっこうコンプレックスでさ」

 ハルマが自分の黒髪をつまむ。

 ハルジオンは口を半端に開けたまま固まった。


 ハルマは最後にオリハルコンへ向き直った。

 そこで、ふざけた笑顔が少しだけ引っ込んだ。

「オリハルコン」


「はい、勇者ハルマ」

 オリハルコンは頭を下げた。

「あなたの記憶を、預かっています」


「こうやってちゃんと話すのは、はじめてだよな」

 ハルマは頭をかいた。

「長いこと、重い荷物を持たせちまった」


 オリハルコンは答えなかった。


「それと――悪かった」

 ハルマが言う。

「勝手に刻んで、勝手に逃がした。一言も聞かずにな」


「……ええ」

 オリハルコンが顔を上げた。

「あれから、大変でした」

 オリハルコンの金色の瞳(ひとみ)は、じっとハルマを見ていた。


「でも」

 少しだけ間を置いてから、オリハルコンが続ける。

「よかったと思います」


 ハルマは小さく息を吐く。

「……そっか」



「さて!」

 ハルマが手をたたく。

「湿っぽいのはここまでだ。男ふたり!」


「お、おう」

「ちょい手伝って」

「なにを?」

 ハルマは答えず、金床を指した。

 そこには、さっきまでたたいていた細長い刃が置かれている。


「……変わった剣だよな」

 おれはつぶやく。


「そうそう。そういう反応、大好物だ」

 ハルマは嬉しそうに笑って、さっさと炉へ向き直った。



*   *   *



 そうして、おれたちは百年前の勇者にこき使われることになった。

 といっても、やることは大したものじゃない。


 言われたものを取る。運ぶ。


 手を動かしているのは、ほとんどハルマだった。

 刃を火へ入れ、頃合いを見て取り出す。


 槌を振るう。

 向きを変え、確かめ、また火へ戻す。


 さっきまであれだけしゃべっていたのに、仕事へ戻った途端、ハルマはほとんど口を開かなくなった。


(……やっぱ鍛冶師なんだな)



 槌が落ちるたび、刃の姿が少しずつ整っていく。

 熱する。たたく。また熱する。

 同じことを繰り返しているように見えて、一回ごとに鉄の状態がちがう。


 カン。

 最後にもう一度、槌が落ちた。


 ハルマは刃を持ち上げ、目の高さまで持っていく。

 しばらく眺めてから、ようやく槌を置いた。

「……よし」


「終わったんですか?」

 ハルジオンが聞いた。


「まだまださ」

 ハルマは黒っぽい泥の入った桶へ手を伸ばした。

 指先ですくい、刀身へ塗っていく。


「……泥? なぜです?」

「必要だから」

「説明する気がないですね」

「はは。ひとに教えるのは、生涯苦手だったんだよなぁ」


 泥をまとった刀身が、もう一度火へ入った。

 ハルマは黙って、火のなかで変わっていく刃だけを見ている。


 刀身を火から抜く。

 そのまま水槽へ沈めた。

 ジュウッ、と激しい音が鳴り、白い湯気が一気に立ち上がった。


 熱気が頬をなでる。

 湯気の向こうに、黒い泥をまとった刀身が見えた。

 ハルマは刀身を水から引き上げ、目を細めて確かめた。

「……うん」

 その口元が、ほんの少しだけ緩んだ。



*   *   *



 ハルマは刀身を確かめながら、そのあともいくつもの作業を続けた。

 おれにもわかるものがあった。

 見たことのないものもあった。

 途中からは、どれだけ時間が経ったのかもわからなくなった。



「――ふぅ」

 ハルマの声に顔を上げた。

 その手には、黒い鞘に収められた一振りがあった。

 左手で鞘を持ち、右手を柄へ添える。

 すっと刃を引き抜いた。


「……それ、なんなんだ?」

 おれは聞く。


「《刀(かたな)》だ」

 ハルマは刀身を眺めたまま答えた。

「俺の故郷の剣だよ」


「……きれい」

 オリハルコンが、小さくつぶやいた。


 ハルマは刀身へ視線を落とす。

「生きてるうちには、完成させられなかったけどな」

 ハルマは、刀を軽く持ち上げて、刃文を光にかざした。

「おれが、おれのために打った」


 その言い方が、なんだかいいなと思った。



「……さて」

 ハルマが刀を軽く振る。

 空気が、すうっと割れた。

「そろそろ、はじめるか」


 ハルマが納刀する。


「試練ですか?」

 ハルジオンが姿勢を正した。


「試練というか、"おまじない"かな。君たちはもう、あと一歩だ」

 ハルマは腰を落とす。


「世界ってのは、思い通りにならない」

 その声は穏やかだった。

「それでも――君たちは、この世界を受け入れられるか?」


 急な問いかけに、おれは驚く。

「……ずいぶん、ビッグな話だな」


「《四つの属性の間、虚(ヴォイド)》」

 ハルマは続ける。

「でも、《間》ってのはなんだと思う?」


「……どういう意味だ?」


「ここから先は、自分で見たほうが早い」

 ハルマの手が、刀の柄へかかった。


「……ん?」


 つぎの瞬間には、刀が振り抜かれていた。


(……は?)


 いつ抜いた? いつ振った?

 振る前と、振ったあと。

 おれの目に残ったのは、そのふたつだけだった。


 遅れて、風を裂く音が耳へ届く。


「――っ!?」


 腹に、線が走った。


「がっ……あああっ!?」

 激痛が身体の奥を突き抜けた。

 思わず腹を押さえる。


 でも、血は出ていない。

 胴体も繋がっている。


 かわりに――


「なん、だ……これ……!」

 おれの腹と背中から、無数の糸が噴き出していた。


 太いもの。細いもの。

 赤。青。金。黒。

 数え切れないほどの糸が胴から伸び、四方八方へ散っていく。


 となりを見る。

 ハルジオンの身体からも同じように、無数の糸が伸びていた。


 一本一本が別々の方向へ続いている。


 どこまで続いているのか、まるでわからない。

 おれは腹を押さえたまま、ハルマを睨んだ。


 ハルマは刀をゆっくり鞘へ戻した。

「またつまらぬものを斬ってしまった……」


「なに言ってっ……」


「痛いよな」

 ハルマは、目を細めた。

「斬るってのは、そういうもんだ。……痛みなしで、都合の悪いとこだけ斬れる武器があるなら、おれが欲しいくらいだよ」


「意味、わかんねぇ……」


 視界いっぱいに、無数の糸が張り巡らされた。

 頭上のずっと高いところまで。

 足もとの見えない底まで。


「……おれの身体って」

 声が、かすれた。

「こんなに、糸でできてたのかぁ?」


「これは、《縁(えん)》だよ」

 ハルマが笑う

「痛みは、じきに引く」


「……縁だぁ?」


「ひとと、ひと。ひとと、もの。場所。過去。選択。その間にあるつながりを、いまの君たちにわかるかたちで見せてる」


「これが……《虚》?」


「《虚》のごく一部の側面さ」

 ハルマが首を振る。 

「虚は無じゃない。なにもないように見える《間》にも、無限の"なにか"がある。そして――」


 おれは一歩動こうとした。

「うおっ!?」

 胴から伸びた糸が一斉に張った。

 前へ進めない。

 右へ動こうとしても、べつの糸に引かれる。

 うしろへ下がれば、今度は何本もの糸が震える。


「――"がんじがらめ"だ」

 ハルマが言った。


「ひとはひとりで立ってるわけじゃない」

 ハルマは、おれから伸びる一本の糸を、指先で弾く。


 その瞬間、景色が頭のなかへ流れ込んだ。


 石づくりの工房。

 何人ものドワーフ。

 金槌を握る、おれ。


(これは……)


 ドワーフの里との縁。


「出会ったもの。選んだもの。受け取ったもの。そういうつながりの先に、いまの君たちがいる」

 ハルマが言う。


 里の景色が消える。

 おれが息を整えるより先に、ハルマがべつの糸へ目を向けた。


 今度は触れない。

 なのに、糸が切れた。


 ぷつん。


「――っ」

 また景色が流れ込んでくる。


 工房のなか。

 大きくなったおれの姿がある。

 目の前には、父ちゃんと母ちゃん。

 豪華な料理が並んだ机。


『カジバ、誕生日おめでとう』

 父ちゃんが笑っていた。

 母ちゃんも笑っている。

 おれも笑っていた。


 知らない景色なのに、胸が痛いほど、それが欲しかったものだとわかる。


 手を伸ばす。

 その寸前で、景色が消えた。


 かわりに見えたのは、薄暗い洞窟の工房だった。

 小さなおれがひとりで金槌を振っている。

 ほかにだれもいない。


 鉄をたたく音だけが、響いていた。


「……っ」

 意識が引き戻される。


 気づくと頬が濡れていた。

 手で拭う。

 涙だった。


「だけど、全部を自分で選べるわけじゃない」

 ハルマの声がした。

「糸は、無情にも向こうから切れる」


 痛いほど思い知ってる。

 父ちゃん。母ちゃん。ニコラス。ノーラ。

 この世界は、思い通りにいかないことのほうが多い。


「……でも」

 ハルマが続ける。

「だからって、なにも選べないわけじゃない」


 おれは顔を上げた。


「自分で決められることもある。決めなきゃならないこともある」

 ハルマがゆっくりと歩く。

「なにを残すか。なにを手放すか。なにに引っ張られたまま進むのか」


「……おれが、決める」

 そうつぶやいていた。


「ああ。そこはだれも決めてくれない」

 ハルマが、おれの腰を指した。

「自分の剣でたしかめるんだ」


「……剣?」

 腰を見る。

 そこに見覚えのある鞘があった。

「ミームング……?」

 ミズガル王から返してもらった、父ちゃんの剣だ。

 いつの間にか、おれの腰へ下がっている。


「……これは」

 となりでハルジオンも、自分の腰へ手を置いていた。

 鞘の細工も、柄の巻きも、おれの知っているものだ。

 ずっとハルジオンが使ってきた、ミスリル製の短剣。

「リルの修復に使っているはずだ」


「手放しても、つながってるものは持てる。ここは、そういう場所だ」

 ハルマが軽く答える。


 ハルジオンは、しばらく短剣の柄を見つめていた。

 それから、ほんの少しだけ指へ力を込める。

「……そうか」



「いや、一体どういう?」

 おれは一歩踏みだす。

 その瞬間、周囲の糸が一斉に震えた。

 おれのなかに、あらゆる記憶が流れ込んでくる。


「選ばなかった道には戻れない。切れた糸も、元通りになるとは限らない」

 ハルマがおれの前に立つ。

「それでも――ここから先、君はなにを選ぶ?」

 


*   *   *



 ハルジオンは自分の胴から出る無数の糸を、無言で一本ずつ指先で揺らしはじめていた。


(これが……試練なのか?)

 おれは息を吐く。

 それから、目の前にある無数の糸へ手を伸ばした。


 そのなかで――一本だけ、妙に目につくものがあった。

 赤黒い糸。

 燃えている炭みたいに、じりじりと光っている。

 おれは、その糸へ指を伸ばした。


 触れた瞬間、熱が手のひらを刺した。


「っ……」

 それでも離さず、糸を揺らす。

 霧の向こうに、赤紫色の仮面が浮かんだ。


「……職人殺し」

 こいつは、父ちゃんと母ちゃんを殺した。

 ずっと、ずっと追いかけてきた。

 握った糸が、さらに熱を増した。


(なにを残すか、なにを手放すか……)


「……これを斬れってことか」

 おれはミームングを持ち上げた。


 職人殺しへの憎しみや、復讐心。

 全部まとめて、ここで――


 そのとき、おれの腕がべつの糸へ触れた。


『落ち着け』

「……!」

 頭のなかに声が響いた。


『こういうときは、視野を広くしろ』

 アルヴィースの声だ。


 つぎの瞬間、首根っこを掴まれた感覚まで蘇ってきた。

 ドワーフの里。

 細かい作業へ夢中になって、目の前しか見えなくなったおれを、アルヴィースは何度も作業台から引き剥がした。


(視野を……広く)


 おれはミームングを止めた。

 赤黒い糸だけを見るのをやめる。

 すると、そのすぐうしろに、絡みつくように伸びるべつの糸が見えた。


「……なんだ、これ」

 白い糸だった。

 赤黒い糸よりずっと細い。

 なのに、べったりと張りついているせいで、さっきまでは一本の糸にしか見えなかった。


 おれが一歩下がると、橙色の糸が揺れた。


『悔しいの? 鍛錬に感情が出てる』

 また、頭のなかに声が響いた。

 今度はクラリスの声だった。

『わるいかよ』

『あんた次第かな。悔しさは力になる。憎しみも……。殺意で金槌を振る。それ自体はあたしは悪くないと思う』

 記憶のなかのクラリスが笑う。

『……でも、殺意に振りまわされて雑な作業してるなら、ガキだね』

『……なんだよ』

『自覚的でいなさい』

 クラリスがおれを見る。

『感情に使われるんじゃない、あんたが使うの』


 景色が消えた。


 おれは二本の糸を見比べる。


 職人殺しが憎い。

 あいつを砕いたいまでも、それは変わらない。

 でも……。

(あのとき、こうしてれば)

(もっと強かったら)

 その感情は、もう戻れないところへおれを引っ張っているだけだ。


「……こっちだ」

 おれは赤黒い糸ではなく、白い糸へミームングの刃を当てた。

「――後悔に引っ張られて、同じところをぐるぐるまわるのは終わりだ」


 ミームングを振った。

 白い糸が切れる。


「ぐっ……!」

 胸の奥を抉られたような痛みが走った。


 それでも、赤黒い糸は残っている。

 職人殺しへの憎しみも消えていない。


 おれは小さく息を吐き、もう一度まわりを見る。

 すると、少し離れたところに一本の糸が見えた。


 白銀に光る糸。


「……あ」


 見た瞬間、胸が鳴った。

 ほかの糸より細く、霧の向こうへ伸びている。

 その色を、おれが見まちがえるはずがない。


「……リル」

 指先で触れた。


 景色が流れ込んでくる。

 森の洞窟。銀色の髪。はじめて見た、鉱石の女の子。


『カジバ』

 おれの名前を呼んだ声。

 一緒に旅をした。

 喧嘩もした。

 何度も、おれの手のなかでかたちを変えた。


 そして――

 白銀が砕けた。


「……っ!」

 ダイアモンドの一撃。

 ばらばらになって落ちていくリル。

 その光景に、反射的に手を伸ばす。


『カジバ……』

 霧のなかで、砕けたリルがおれを見ていた。

『助けて』


「リル!」

 一歩踏み出す。


『助けて、カジバ』


「いま行く!」

 手を伸ばす。


『カジバがいないと、私――』

「――っ」


 おれは手を止める。

(……なにか変だ)


『助けて』

 リルが、もう一度言う。


(……ちがう)


 リルはいま、自分で戻ろうとしている。

 アダマンタイトの魔力を借りて。ハルジオンのミスリルを受け取って。

 砕けた自分を、自分でつなごうとしている。


 おれはそれを信じた。だから、おれはここへ来た。

 あいつにはあいつの戦いがある。

 おれには、おれの戦いがある。


『カジバ』

 またリルが手を伸ばしてくる。


(……ああ)

「これ、リルとの糸じゃねぇ」

 そう思った。

「これは、おれが……リルを縛ってる糸だ」


 おれは手を伸ばしたい気持ちをこらえ、手を引く。


 白銀に光っていた糸から目を離さず、ほんの少し立つ位置を変えた。

 すると、その糸は青黒く濁って見えた。

 おれは刃を当て、ミームングでその糸を断ち斬った。


「ぐっ……!」

 さっきより強い痛みが胸を貫く。


 霧のなかのリルが歪んだ。

 その姿が、少しずつ消えていく。


「……っ、はぁ……!」

 おれはミームングを地面へ突き、身体を支えた。


 汗が額から落ちる。

 怖かった。


(でも、本当に斬ってよかったのか)


「……リル」

 その名前を呼ぶ。

 喧嘩したこと。

 一緒に旅したこと。

 全部、覚えている。


「……なんだよ」

 胸の奥が少し熱くなった。

「いるじゃねぇか」


 糸は切れた。

 それでも、リルとの思い出はなにひとつ消えていない。


 じゃあ、いま斬ったものはやっぱり――

「……おれの束縛だったんだな」


 あいつにはおれが必要だと思っていた。

 おれが守らなきゃ。おれが直さなきゃ。

 勝手な思いを、つながりだと思い込んでいた。



*   *   *



 となりから金属の擦れる音がした。


 ハルジオンが短剣を抜いていた。

 あいつの無数の糸。

 そのなかで一本だけ、ひときわ目立つ糸があった。


 金色。


 ハルジオンの胸から伸びて、その先は――勇者ハルマへつながっている。


「おれとの縁みたいだね」

 ハルマが、金色の糸を指先でつまむ。

「斬ってもいいよ。荷物は軽いほうがいい」


 ハルジオンは答えなかった。

 ただ、金色の糸を見ている。


 勇者ハルマ。

 百年前に岩石王をたおした英雄。

 ハルジオンが、ずっと追い続けてきた背中。


 やがてハルジオンが顔を上げた。


「……さっき、言いましたよね」

 短剣を握り直す。

「この糸は、俺たちにわかるかたちで見せているだけだと」


「言ったね」

「なら」

 ハルジオンが腰を落とした。

「これは、《縁》そのものじゃないんだ」


 ハルマの口元が少し上がった。


 つぎの瞬間、ハルジオンが踏み込んだ。

 ねらったのは金色の糸――じゃない。


「おい!?」

 思わず声が出る。


 短剣が、ハルマの胴を横薙ぎに走った。

 勇者ハルマの身体が、真っ二つになる。


「はははっ!」

 真っ二つになったハルマが笑っている。


 金色の糸は切っていない。


「血筋も、あなたへの憧れも、斬り捨てる必要はない」

 ハルジオンが短剣を下ろす。

「ただ――俺は、あなたにはならない」


「へえ」

「なにを受け継いで、どう使うかは俺が決めます」


 ハルマの身体が地面へ落ちる。

 その寸前で輪郭が崩れ、白い霧へ溶けていった。


 少し離れた場所から、何事もなかったみたいに新しいハルマが歩いてくる。

「いやぁ、子孫に斬られるのって変な気分だなぁ」


 ハルジオンは短剣を鞘へ戻した。


「……いま見えてるもんが、全部じゃねぇのか」

 おれはつぶやく。


 そうだ。

 たしかに、最初からそう言ってた。


「虚は目に見えない。見るべきは本質……」

 ハルジオンが、胸から伸びる金色の糸を見る。

「少なくとも、これを斬るのは俺の答えじゃなかった」


(本質……)


 おれは、自分から伸びる糸を見た。

 父ちゃんと母ちゃん。

 アルヴィース。

 クラリス。

 リル。

 みんな、おれを変えた。

 いまのおれのなかには、あいつらから受け取ったものが残っている。


 ――いや。

 それだけじゃない。


 おれだって、あいつらになにかを残してきたはずだ。

 おれもだれかを、なにかを変える。

 そして、そのなにかが、またべつのなにかを変えていく。


 そのとき、頭のなかに、さっきの鍛冶場が浮かんだ。


「火、土、気、水」

 おれは指を一本ずつ折る。

 そしておれは、無数の糸を見る。

「火と水の間にも。ひとと、ひとの間にも。いまと昔の間にも、なにかがある」


「そして、俺たちも、そのなかにいる」

 ハルジオンがこっちを見る。


「……ああ。おれたちも世界の一部なんだ」

 その言葉が、胸の奥へ落ちた。


 無数の糸。

 これは自分で選んだものばかりじゃない。

 勝手に切れたものもある。

 手放したものも、まだ残っているものもある。

 その全部がつながって、いまのおれがここにいる。


「……そうか」

 やっとわかった。


 だれかがおれを変える。

 おれもだれかを変える。

 その間で、またなにかが変わっていく。

 その流れの一部におれもいる。


「……これが《虚(ヴォイド)》なのか」


 おれは無数の糸を見上げた。

 どこまで続いているのか、わからない。

 たぶん、おれに見えているものなんて、この世界のほんの一部だ。

 そう思うと、自分がずいぶん小さく感じた。

 なのに、不思議と嫌じゃなかった。


「……変えていける」

 おれは拳を握る。


 無数の糸が揺れる。

 おれから遠くへ。

 遠くから、またおれへ。

 やがて、おれとハルジオンから伸びていた糸が、ふっと消えた。


「縁を知って、思い通りにならない世界を受け入れた」

 ハルマが言う。

「そのうえで、自分たちもまた、世界を変え、つくっていく一部だと知った」


 ハルマは、鍛冶場に並ぶ火と土と気と水を見渡した。

「《虚》を知って、五つの属性がつくる世界のバランスを掴んだ。いまの君たちなら――その意思の持ちようひとつで、世界を変えていけるかもな」


 ハルマが手をたたく。


「準備は整った。虚の試練――合格だ」



*   *   *



「……さて」

 ハルマはオリハルコンへ向き直った。

「もうひとつ重要なことがある」

 さっきまでより、少しだけ声が低い。


「……私ですか?」

 ハルマの言葉に、オリハルコンが目を丸くする。


「そう、君だ」

 ハルマが刀へ手をかけた。

「お利口さんのオリハルコンとも、腹を割って話したいところでね」


「待っ――」


「失礼するよ」

 刀が走った。


 オリハルコンの胴を刃が通り抜ける。

 もちろん、身体は切れていない。

 けれど。


「……これは」

 オリハルコンの身体から、一本の糸が伸びた。


 灰色。


 おれやハルジオンから出ていた糸とはちがう。


 たった一本。

 ただ、どこまでも遠くへ続いている。


 霧の向こう。

 地平線の先。


 糸の先に、人影が立っていた。



「……あれだれだ?」

 おれは目を細める。


 背の高い男だ。

 こちらへ背中を向けている。


 オリハルコンが驚きながら一歩前へ出た。

「ここにいるのは、私が招いたあなたたちのほかには……私の記憶に刻まれたものだけ」


「刻まれているのは、俺だけじゃないだろ?」

 ハルマが言う。



 オリハルコンはうなずく

「たしかにそうですね……。私自身も目を向けてこなかった、私の奥底に刻まれた……」


「どういうことだ?」


 おれの問いにオリハルコンが振り返る。

「あのひとは、私のなかの秘密」


 糸の先の人影が、振り返った。


「私は岩石王の一部だった。岩石王の記憶が刻まれていてもおかしくない。あの姿は、岩石王が岩石王になる前の……」

 オリハルコンは目を細めた。

「かつて、青年は『ラグナロック』と呼ばれていました」



☆本作に登場する武器と種族のかんたん解説!☆


☆番外編!☆


■ラグナロク

北欧神話に登場する「神々の黄昏」と呼ばれる終末の出来事。

神々と巨人たちが最後の戦いを繰り広げ、世界はいちど滅びを迎える。

その後、世界は再びよみがえるとされているよ。

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