51「虚の試練」
カン。
カン。
金槌の音が規則正しく響き、乾いた荒野の向こうへ消えていく。
おれたち三人は少し離れたところから、その男の背中を見ていた。
「……待てって言われてもよぉ」
小声でぼやく。
言われてから、ずいぶん経っている。
ただ、この場所には日の傾きがないから、どれくらい待ったのか本当のところはわからなかった。
となりのハルジオンは、さっきから一歩も動いていない。
腕を組んだまま、《勇者ハルマ》の背中をじっと見つめている。
ハルマの髪は、黒かった。
ミズガル王が言っていた『闇さえ飲み込む黒髪』ってのは、たぶんこれのことだ。
ただ、おれにはそれより気になって仕方がないものがあった。
ハルマの前にある炉だ。
石と粘土を積んだ簡素なつくりで、なかでは炭が赤々と光っている。
そのすぐ横には木の箱が据えられていて、取っ手を押し引きするたびに炭へ風が送り込まれていた。
少し離れたところには、細長い水槽が置かれていた。
水面には炉の明かりがゆらゆらと映っている。
そのとなりには、黒っぽい泥の入った桶。
火。土。気。水。
(……全部、ここにあるじゃねぇか)
おれたちが巡ってきた四つの属性が、荒野のまんなかにある小さな鍛冶場で、当たり前みたいに並んでいる。
ハルマが金槌を置いた。
火ばしで炭をつつき、散らばった炭を炉の中央へ寄せ直す。
ぱちんと炭が弾け、火の粉が舞った。
ハルマは慌てない。
炉の具合をたしかめてから、ようやくこちらを振り返った。
「ごめんなぁ、待たせて」
「……待たせすぎだぜ」
「火ってものの面倒さは、君らも知ってるだろう」
(……面倒、か)
なぜか、まっさきにウルカヌスの顔が浮かんだ。
ハルマはパン、と両手をたたいて煤を払い、こっちへ歩いてくる。
近くで見ると、思っていたより若く見えた。
煤だらけの頬を手の甲でこすったせいで、汚れが余計に広がっていた。
世界を救った《勇者》と言われても、ちょっとピンとこねぇな。
「先に言っとくと、俺は本物じゃない」
ハルマは自分の胸を親指で指した。
「ここにいるのは、オリハルコンに刻んだ俺の記憶。細かいところがちがってても勘弁な」
へらっと笑ってから、ハルマの視線がおれのとなりへ移った。
「えーと……」
「……ハルジオンです」
ハルジオンが、ぎこちなく頭を下げた。
「あなたの――」
「わかるよ。セキレイにそっくりだ」
ハルマが片手を上げた。
ハルジオンが言葉を止める。
「はは。俺に似なくてよかったよ」
「……え?」
「この癖毛とか、けっこうコンプレックスでさ」
ハルマが自分の黒髪をつまむ。
ハルジオンは口を半端に開けたまま固まった。
ハルマは最後にオリハルコンへ向き直った。
そこで、ふざけた笑顔が少しだけ引っ込んだ。
「オリハルコン」
「はい、勇者ハルマ」
オリハルコンは頭を下げた。
「あなたの記憶を、預かっています」
「こうやってちゃんと話すのは、はじめてだよな」
ハルマは頭をかいた。
「長いこと、重い荷物を持たせちまった」
オリハルコンは答えなかった。
「それと――悪かった」
ハルマが言う。
「勝手に刻んで、勝手に逃がした。一言も聞かずにな」
「……ええ」
オリハルコンが顔を上げた。
「あれから、大変でした」
オリハルコンの金色の瞳は、じっとハルマを見ていた。
「でも」
少しだけ間を置いてから、オリハルコンが続ける。
「よかったと思います」
ハルマは小さく息を吐く。
「……そっか」
「さて!」
ハルマが手をたたく。
「湿っぽいのはここまでだ。男ふたり!」
「お、おう」
「ちょい手伝って」
「なにを?」
ハルマは答えず、金床を指した。
そこには、さっきまでたたいていた細長い刃が置かれている。
「……変わった剣だよな」
おれはつぶやく。
「そうそう。そういう反応、大好物だ」
ハルマは嬉しそうに笑って、さっさと炉へ向き直った。
* * *
そうして、おれたちは百年前の勇者にこき使われることになった。
といっても、やることは大したものじゃない。
言われたものを取る。運ぶ。
手を動かしているのは、ほとんどハルマだった。
刃を火へ入れ、頃合いを見て取り出す。
槌を振るう。
向きを変え、確かめ、また火へ戻す。
さっきまであれだけしゃべっていたのに、仕事へ戻った途端、ハルマはほとんど口を開かなくなった。
(……やっぱ鍛冶師なんだな)
槌が落ちるたび、刃の姿が少しずつ整っていく。
熱する。たたく。また熱する。
同じことを繰り返しているように見えて、一回ごとに鉄の状態がちがう。
カン。
最後にもう一度、槌が落ちた。
ハルマは刃を持ち上げ、目の高さまで持っていく。
しばらく眺めてから、ようやく槌を置いた。
「……よし」
「終わったんですか?」
ハルジオンが聞いた。
「まだまださ」
ハルマは黒っぽい泥の入った桶へ手を伸ばした。
指先ですくい、刀身へ塗っていく。
「……泥? なぜです?」
「必要だから」
「説明する気がないですね」
「はは。ひとに教えるのは、生涯苦手だったんだよなぁ」
泥をまとった刀身が、もう一度火へ入った。
ハルマは黙って、火のなかで変わっていく刃だけを見ている。
刀身を火から抜く。
そのまま水槽へ沈めた。
ジュウッ、と激しい音が鳴り、白い湯気が一気に立ち上がった。
熱気が頬をなでる。
湯気の向こうに、黒い泥をまとった刀身が見えた。
ハルマは刀身を水から引き上げ、目を細めて確かめた。
「……うん」
その口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
* * *
ハルマは刀身を確かめながら、そのあともいくつもの作業を続けた。
おれにもわかるものがあった。
見たことのないものもあった。
途中からは、どれだけ時間が経ったのかもわからなくなった。
「――ふぅ」
ハルマの声に顔を上げた。
その手には、黒い鞘に収められた一振りがあった。
左手で鞘を持ち、右手を柄へ添える。
すっと刃を引き抜いた。
「……それ、なんなんだ?」
おれは聞く。
「《刀》だ」
ハルマは刀身を眺めたまま答えた。
「俺の故郷の剣だよ」
「……きれい」
オリハルコンが、小さくつぶやいた。
ハルマは刀身へ視線を落とす。
「生きてるうちには、完成させられなかったけどな」
ハルマは、刀を軽く持ち上げて、刃文を光にかざした。
「おれが、おれのために打った」
その言い方が、なんだかいいなと思った。
「……さて」
ハルマが刀を軽く振る。
空気が、すうっと割れた。
「そろそろ、はじめるか」
ハルマが納刀する。
「試練ですか?」
ハルジオンが姿勢を正した。
「試練というか、"おまじない"かな。君たちはもう、あと一歩だ」
ハルマは腰を落とす。
「世界ってのは、思い通りにならない」
その声は穏やかだった。
「それでも――君たちは、この世界を受け入れられるか?」
急な問いかけに、おれは驚く。
「……ずいぶん、ビッグな話だな」
「《四つの属性の間、虚》」
ハルマは続ける。
「でも、《間》ってのはなんだと思う?」
「……どういう意味だ?」
「ここから先は、自分で見たほうが早い」
ハルマの手が、刀の柄へかかった。
「……ん?」
つぎの瞬間には、刀が振り抜かれていた。
(……は?)
いつ抜いた? いつ振った?
振る前と、振ったあと。
おれの目に残ったのは、そのふたつだけだった。
遅れて、風を裂く音が耳へ届く。
「――っ!?」
腹に、線が走った。
「がっ……あああっ!?」
激痛が身体の奥を突き抜けた。
思わず腹を押さえる。
でも、血は出ていない。
胴体も繋がっている。
かわりに――
「なん、だ……これ……!」
おれの腹と背中から、無数の糸が噴き出していた。
太いもの。細いもの。
赤。青。金。黒。
数え切れないほどの糸が胴から伸び、四方八方へ散っていく。
となりを見る。
ハルジオンの身体からも同じように、無数の糸が伸びていた。
一本一本が別々の方向へ続いている。
どこまで続いているのか、まるでわからない。
おれは腹を押さえたまま、ハルマを睨んだ。
ハルマは刀をゆっくり鞘へ戻した。
「またつまらぬものを斬ってしまった……」
「なに言ってっ……」
「痛いよな」
ハルマは、目を細めた。
「斬るってのは、そういうもんだ。……痛みなしで、都合の悪いとこだけ斬れる武器があるなら、おれが欲しいくらいだよ」
「意味、わかんねぇ……」
視界いっぱいに、無数の糸が張り巡らされた。
頭上のずっと高いところまで。
足もとの見えない底まで。
「……おれの身体って」
声が、かすれた。
「こんなに、糸でできてたのかぁ?」
「これは、《縁》だよ」
ハルマが笑う
「痛みは、じきに引く」
「……縁だぁ?」
「ひとと、ひと。ひとと、もの。場所。過去。選択。その間にあるつながりを、いまの君たちにわかるかたちで見せてる」
「これが……《虚》?」
「《虚》のごく一部の側面さ」
ハルマが首を振る。
「虚は無じゃない。なにもないように見える《間》にも、無限の"なにか"がある。そして――」
おれは一歩動こうとした。
「うおっ!?」
胴から伸びた糸が一斉に張った。
前へ進めない。
右へ動こうとしても、べつの糸に引かれる。
うしろへ下がれば、今度は何本もの糸が震える。
「――"がんじがらめ"だ」
ハルマが言った。
「ひとはひとりで立ってるわけじゃない」
ハルマは、おれから伸びる一本の糸を、指先で弾く。
その瞬間、景色が頭のなかへ流れ込んだ。
石づくりの工房。
何人ものドワーフ。
金槌を握る、おれ。
(これは……)
ドワーフの里との縁。
「出会ったもの。選んだもの。受け取ったもの。そういうつながりの先に、いまの君たちがいる」
ハルマが言う。
里の景色が消える。
おれが息を整えるより先に、ハルマがべつの糸へ目を向けた。
今度は触れない。
なのに、糸が切れた。
ぷつん。
「――っ」
また景色が流れ込んでくる。
工房のなか。
大きくなったおれの姿がある。
目の前には、父ちゃんと母ちゃん。
豪華な料理が並んだ机。
『カジバ、誕生日おめでとう』
父ちゃんが笑っていた。
母ちゃんも笑っている。
おれも笑っていた。
知らない景色なのに、胸が痛いほど、それが欲しかったものだとわかる。
手を伸ばす。
その寸前で、景色が消えた。
かわりに見えたのは、薄暗い洞窟の工房だった。
小さなおれがひとりで金槌を振っている。
ほかにだれもいない。
鉄をたたく音だけが、響いていた。
「……っ」
意識が引き戻される。
気づくと頬が濡れていた。
手で拭う。
涙だった。
「だけど、全部を自分で選べるわけじゃない」
ハルマの声がした。
「糸は、無情にも向こうから切れる」
痛いほど思い知ってる。
父ちゃん。母ちゃん。ニコラス。ノーラ。
この世界は、思い通りにいかないことのほうが多い。
「……でも」
ハルマが続ける。
「だからって、なにも選べないわけじゃない」
おれは顔を上げた。
「自分で決められることもある。決めなきゃならないこともある」
ハルマがゆっくりと歩く。
「なにを残すか。なにを手放すか。なにに引っ張られたまま進むのか」
「……おれが、決める」
そうつぶやいていた。
「ああ。そこはだれも決めてくれない」
ハルマが、おれの腰を指した。
「自分の剣でたしかめるんだ」
「……剣?」
腰を見る。
そこに見覚えのある鞘があった。
「ミームング……?」
ミズガル王から返してもらった、父ちゃんの剣だ。
いつの間にか、おれの腰へ下がっている。
「……これは」
となりでハルジオンも、自分の腰へ手を置いていた。
鞘の細工も、柄の巻きも、おれの知っているものだ。
ずっとハルジオンが使ってきた、ミスリル製の短剣。
「リルの修復に使っているはずだ」
「手放しても、つながってるものは持てる。ここは、そういう場所だ」
ハルマが軽く答える。
ハルジオンは、しばらく短剣の柄を見つめていた。
それから、ほんの少しだけ指へ力を込める。
「……そうか」
「いや、一体どういう?」
おれは一歩踏みだす。
その瞬間、周囲の糸が一斉に震えた。
おれのなかに、あらゆる記憶が流れ込んでくる。
「選ばなかった道には戻れない。切れた糸も、元通りになるとは限らない」
ハルマがおれの前に立つ。
「それでも――ここから先、君はなにを選ぶ?」
* * *
ハルジオンは自分の胴から出る無数の糸を、無言で一本ずつ指先で揺らしはじめていた。
(これが……試練なのか?)
おれは息を吐く。
それから、目の前にある無数の糸へ手を伸ばした。
そのなかで――一本だけ、妙に目につくものがあった。
赤黒い糸。
燃えている炭みたいに、じりじりと光っている。
おれは、その糸へ指を伸ばした。
触れた瞬間、熱が手のひらを刺した。
「っ……」
それでも離さず、糸を揺らす。
霧の向こうに、赤紫色の仮面が浮かんだ。
「……職人殺し」
こいつは、父ちゃんと母ちゃんを殺した。
ずっと、ずっと追いかけてきた。
握った糸が、さらに熱を増した。
(なにを残すか、なにを手放すか……)
「……これを斬れってことか」
おれはミームングを持ち上げた。
職人殺しへの憎しみや、復讐心。
全部まとめて、ここで――
そのとき、おれの腕がべつの糸へ触れた。
『落ち着け』
「……!」
頭のなかに声が響いた。
『こういうときは、視野を広くしろ』
アルヴィースの声だ。
つぎの瞬間、首根っこを掴まれた感覚まで蘇ってきた。
ドワーフの里。
細かい作業へ夢中になって、目の前しか見えなくなったおれを、アルヴィースは何度も作業台から引き剥がした。
(視野を……広く)
おれはミームングを止めた。
赤黒い糸だけを見るのをやめる。
すると、そのすぐうしろに、絡みつくように伸びるべつの糸が見えた。
「……なんだ、これ」
白い糸だった。
赤黒い糸よりずっと細い。
なのに、べったりと張りついているせいで、さっきまでは一本の糸にしか見えなかった。
おれが一歩下がると、橙色の糸が揺れた。
『悔しいの? 鍛錬に感情が出てる』
また、頭のなかに声が響いた。
今度はクラリスの声だった。
『わるいかよ』
『あんた次第かな。悔しさは力になる。憎しみも……。殺意で金槌を振る。それ自体はあたしは悪くないと思う』
記憶のなかのクラリスが笑う。
『……でも、殺意に振りまわされて雑な作業してるなら、ガキだね』
『……なんだよ』
『自覚的でいなさい』
クラリスがおれを見る。
『感情に使われるんじゃない、あんたが使うの』
景色が消えた。
おれは二本の糸を見比べる。
職人殺しが憎い。
あいつを砕いたいまでも、それは変わらない。
でも……。
(あのとき、こうしてれば)
(もっと強かったら)
その感情は、もう戻れないところへおれを引っ張っているだけだ。
「……こっちだ」
おれは赤黒い糸ではなく、白い糸へミームングの刃を当てた。
「――後悔に引っ張られて、同じところをぐるぐるまわるのは終わりだ」
ミームングを振った。
白い糸が切れる。
「ぐっ……!」
胸の奥を抉られたような痛みが走った。
それでも、赤黒い糸は残っている。
職人殺しへの憎しみも消えていない。
おれは小さく息を吐き、もう一度まわりを見る。
すると、少し離れたところに一本の糸が見えた。
白銀に光る糸。
「……あ」
見た瞬間、胸が鳴った。
ほかの糸より細く、霧の向こうへ伸びている。
その色を、おれが見まちがえるはずがない。
「……リル」
指先で触れた。
景色が流れ込んでくる。
森の洞窟。銀色の髪。はじめて見た、鉱石の女の子。
『カジバ』
おれの名前を呼んだ声。
一緒に旅をした。
喧嘩もした。
何度も、おれの手のなかでかたちを変えた。
そして――
白銀が砕けた。
「……っ!」
ダイアモンドの一撃。
ばらばらになって落ちていくリル。
その光景に、反射的に手を伸ばす。
『カジバ……』
霧のなかで、砕けたリルがおれを見ていた。
『助けて』
「リル!」
一歩踏み出す。
『助けて、カジバ』
「いま行く!」
手を伸ばす。
『カジバがいないと、私――』
「――っ」
おれは手を止める。
(……なにか変だ)
『助けて』
リルが、もう一度言う。
(……ちがう)
リルはいま、自分で戻ろうとしている。
アダマンタイトの魔力を借りて。ハルジオンのミスリルを受け取って。
砕けた自分を、自分でつなごうとしている。
おれはそれを信じた。だから、おれはここへ来た。
あいつにはあいつの戦いがある。
おれには、おれの戦いがある。
『カジバ』
またリルが手を伸ばしてくる。
(……ああ)
「これ、リルとの糸じゃねぇ」
そう思った。
「これは、おれが……リルを縛ってる糸だ」
おれは手を伸ばしたい気持ちをこらえ、手を引く。
白銀に光っていた糸から目を離さず、ほんの少し立つ位置を変えた。
すると、その糸は青黒く濁って見えた。
おれは刃を当て、ミームングでその糸を断ち斬った。
「ぐっ……!」
さっきより強い痛みが胸を貫く。
霧のなかのリルが歪んだ。
その姿が、少しずつ消えていく。
「……っ、はぁ……!」
おれはミームングを地面へ突き、身体を支えた。
汗が額から落ちる。
怖かった。
(でも、本当に斬ってよかったのか)
「……リル」
その名前を呼ぶ。
喧嘩したこと。
一緒に旅したこと。
全部、覚えている。
「……なんだよ」
胸の奥が少し熱くなった。
「いるじゃねぇか」
糸は切れた。
それでも、リルとの思い出はなにひとつ消えていない。
じゃあ、いま斬ったものはやっぱり――
「……おれの束縛だったんだな」
あいつにはおれが必要だと思っていた。
おれが守らなきゃ。おれが直さなきゃ。
勝手な思いを、つながりだと思い込んでいた。
* * *
となりから金属の擦れる音がした。
ハルジオンが短剣を抜いていた。
あいつの無数の糸。
そのなかで一本だけ、ひときわ目立つ糸があった。
金色。
ハルジオンの胸から伸びて、その先は――勇者ハルマへつながっている。
「おれとの縁みたいだね」
ハルマが、金色の糸を指先でつまむ。
「斬ってもいいよ。荷物は軽いほうがいい」
ハルジオンは答えなかった。
ただ、金色の糸を見ている。
勇者ハルマ。
百年前に岩石王をたおした英雄。
ハルジオンが、ずっと追い続けてきた背中。
やがてハルジオンが顔を上げた。
「……さっき、言いましたよね」
短剣を握り直す。
「この糸は、俺たちにわかるかたちで見せているだけだと」
「言ったね」
「なら」
ハルジオンが腰を落とした。
「これは、《縁》そのものじゃないんだ」
ハルマの口元が少し上がった。
つぎの瞬間、ハルジオンが踏み込んだ。
ねらったのは金色の糸――じゃない。
「おい!?」
思わず声が出る。
短剣が、ハルマの胴を横薙ぎに走った。
勇者ハルマの身体が、真っ二つになる。
「はははっ!」
真っ二つになったハルマが笑っている。
金色の糸は切っていない。
「血筋も、あなたへの憧れも、斬り捨てる必要はない」
ハルジオンが短剣を下ろす。
「ただ――俺は、あなたにはならない」
「へえ」
「なにを受け継いで、どう使うかは俺が決めます」
ハルマの身体が地面へ落ちる。
その寸前で輪郭が崩れ、白い霧へ溶けていった。
少し離れた場所から、何事もなかったみたいに新しいハルマが歩いてくる。
「いやぁ、子孫に斬られるのって変な気分だなぁ」
ハルジオンは短剣を鞘へ戻した。
「……いま見えてるもんが、全部じゃねぇのか」
おれはつぶやく。
そうだ。
たしかに、最初からそう言ってた。
「虚は目に見えない。見るべきは本質……」
ハルジオンが、胸から伸びる金色の糸を見る。
「少なくとも、これを斬るのは俺の答えじゃなかった」
(本質……)
おれは、自分から伸びる糸を見た。
父ちゃんと母ちゃん。
アルヴィース。
クラリス。
リル。
みんな、おれを変えた。
いまのおれのなかには、あいつらから受け取ったものが残っている。
――いや。
それだけじゃない。
おれだって、あいつらになにかを残してきたはずだ。
おれもだれかを、なにかを変える。
そして、そのなにかが、またべつのなにかを変えていく。
そのとき、頭のなかに、さっきの鍛冶場が浮かんだ。
「火、土、気、水」
おれは指を一本ずつ折る。
そしておれは、無数の糸を見る。
「火と水の間にも。ひとと、ひとの間にも。いまと昔の間にも、なにかがある」
「そして、俺たちも、そのなかにいる」
ハルジオンがこっちを見る。
「……ああ。おれたちも世界の一部なんだ」
その言葉が、胸の奥へ落ちた。
無数の糸。
これは自分で選んだものばかりじゃない。
勝手に切れたものもある。
手放したものも、まだ残っているものもある。
その全部がつながって、いまのおれがここにいる。
「……そうか」
やっとわかった。
だれかがおれを変える。
おれもだれかを変える。
その間で、またなにかが変わっていく。
その流れの一部におれもいる。
「……これが《虚》なのか」
おれは無数の糸を見上げた。
どこまで続いているのか、わからない。
たぶん、おれに見えているものなんて、この世界のほんの一部だ。
そう思うと、自分がずいぶん小さく感じた。
なのに、不思議と嫌じゃなかった。
「……変えていける」
おれは拳を握る。
無数の糸が揺れる。
おれから遠くへ。
遠くから、またおれへ。
やがて、おれとハルジオンから伸びていた糸が、ふっと消えた。
「縁を知って、思い通りにならない世界を受け入れた」
ハルマが言う。
「そのうえで、自分たちもまた、世界を変え、つくっていく一部だと知った」
ハルマは、鍛冶場に並ぶ火と土と気と水を見渡した。
「《虚》を知って、五つの属性がつくる世界のバランスを掴んだ。いまの君たちなら――その意思の持ちようひとつで、世界を変えていけるかもな」
ハルマが手をたたく。
「準備は整った。虚の試練――合格だ」
* * *
「……さて」
ハルマはオリハルコンへ向き直った。
「もうひとつ重要なことがある」
さっきまでより、少しだけ声が低い。
「……私ですか?」
ハルマの言葉に、オリハルコンが目を丸くする。
「そう、君だ」
ハルマが刀へ手をかけた。
「お利口さんのオリハルコンとも、腹を割って話したいところでね」
「待っ――」
「失礼するよ」
刀が走った。
オリハルコンの胴を刃が通り抜ける。
もちろん、身体は切れていない。
けれど。
「……これは」
オリハルコンの身体から、一本の糸が伸びた。
灰色。
おれやハルジオンから出ていた糸とはちがう。
たった一本。
ただ、どこまでも遠くへ続いている。
霧の向こう。
地平線の先。
糸の先に、人影が立っていた。
「……あれだれだ?」
おれは目を細める。
背の高い男だ。
こちらへ背中を向けている。
オリハルコンが驚きながら一歩前へ出た。
「ここにいるのは、私が招いたあなたたちのほかには……私の記憶に刻まれたものだけ」
「刻まれているのは、俺だけじゃないだろ?」
ハルマが言う。
オリハルコンはうなずく
「たしかにそうですね……。私自身も目を向けてこなかった、私の奥底に刻まれた……」
「どういうことだ?」
おれの問いにオリハルコンが振り返る。
「あのひとは、私のなかの秘密」
糸の先の人影が、振り返った。
「私は岩石王の一部だった。岩石王の記憶が刻まれていてもおかしくない。あの姿は、岩石王が岩石王になる前の……」
オリハルコンは目を細めた。
「かつて、青年は『ラグナロック』と呼ばれていました」
☆本作に登場する武器と種族のかんたん解説!☆
☆番外編!☆
■ラグナロク
北欧神話に登場する「神々の黄昏」と呼ばれる終末の出来事。
神々と巨人たちが最後の戦いを繰り広げ、世界はいちど滅びを迎える。
その後、世界は再びよみがえるとされているよ。




