49「帰還」
いつのまにか、すぐそばで聞こえていた戦鎚の音が遠くなっていた。
顔を上げる。
ヴェイグとヘイミルはまだ戦っている。
でも、さっきまでみたいにつぎからつぎへと敵が押し寄せてくることはなくなっていた。
ヴェイグの戦鎚が最後の石像を砕く。
残ったゴブリンたちは奇声をあげ、森の奥へ逃げていった。
「終わったか……?」
ヴェイグが肩で息をしながら言った。
「そうみたいだ」
ヘイミルがあたりを見まわす。
もう、こっちへ向かってくるものはいなかった。
おれは小さなミスリルの欠片を拾った。
これが、最後のはずだ。
そう思って立ち上がろうとしたとき、その少し先に青いものが落ちているのが見えた。
「……ああ」
拾い上げる。
リボンだった。
エルフの森で、リルがサンタクロースにもらったやつだ。
伸びたり縮んだりして、リルがどんな姿になってもついてくる。
あいつが剣になろうが、べつのなにかになろうが、リボンを見ればすぐに見つけられた。
おれはリボンを両手で包み込む。
「……これじゃあ、どこに結んでやればいいか、わかんねぇよ」
「……これで全部」
エグレが息を吐いた。
地面に広げた布の上には、白銀の欠片がぎっしり並んでいた。
大きなものから小さなものまである。
エグレとおれで、見つけられるものは全部集めた。
遠くで、大きな音が一度だけ響いた。
「……いまの」
顔を上げる。
ノルンの瞳の方角だ。
わずかに遅れて地面が震え、それから静かになった。
さっきまで何度も聞こえていた雷鳴も止んでいる。
「……終わったのか?」
おれがつぶやくと、ヴェイグとヘイミルが顔を見合わせた。
「行ってみるしかないな」
ヴェイグが戦鎚を担ぎ直した。
おれとエグレで布の端を持ち上げる。
なかの欠片がぶつからないように包んでから、ノルンの瞳へ向かった。
歩くたびに膝が震えたが、関係ねぇ。
森を抜けると、地面のあちこちに折れた武器が転がっていた。
剣も、槍も、斧もある。
どれも、まともなかたちを残していない。
そのさきに、ハルジオンがいた。
地面へ膝をつき、金色の魔剣を抱えている。
近くにはクラリスとカリオストロもいた。
「ハルジオン!」
叫んだ直後だった。
ハルジオンの頭上へ、大きな影が落ちる。
白い大鷲だ。
「おい、上だ!」
鉤爪がハルジオンへ迫った。
その寸前、城壁の上からふたつの影が飛び降りてきた。
ひとりは戦鎚。
もうひとりは戦棍。
ふたりの武器が左右から大鷲へたたき込まれ、その巨体をハルジオンの上から弾き飛ばす。
「させませんよ!」
男の戦士が声を出した。
白い大鷲は翼を広げて体勢を立て直すと、背中へ取りつこうとしたふたりを振り払い、ふたたび空へ舞い上がった。
ふたりの戦士が地面へ着地する。
男が振り返りハルジオンに言う。
「それ、絶対に離さないでください!」
「ウィゼルユルドさん……」
ハルジオンが金色の魔剣を抱えたまま、名前を呼ぶ。
ウィゼルユルドは眉を動かした。
「あなたがたは……」
そこで言葉を切る。
白い大鷲は、もう上空で旋回をはじめていた。
「いや。話はあとにしましょう」
《ウィゼルユルド》は戦鎚を握り直す。
「……エイリーク。やれますよね」
「もちろん」
となりに立った女戦士――《エイリーク》が、戦棍を構えた。
それから一度だけ城壁の上を見る。
「はやく終わらせましょう。勇者殿を放っておけない」
つられて、おれもそっちを見る。
城壁の上では、ヒルデブラントが黒い魔剣を握ったまま立っていた。
微動だにしない。
(あれ……気絶してんのか?)
白い大鷲がこっちへ向かってくる。
「……来やがった!」
《ダイアモンド》。
右胸には、リルがつけた亀裂が残っている。
なのに、それだけだった。
飛べる。
動ける。
まだ戦える。
エイリークとウィゼルユルドが、おれたちの前へ出た。
白い大鷲が大きく翼を広げる。
(あれは……! まずい!)
咄嗟に思う。
見覚えがある動きだった。
白い羽が一斉に放たれた。
何十本もの鋭い刃になって、こっちへ降り注いでくる。
ウィゼルユルドとエイリークが同時に動いた。
戦鎚と戦棍が振られる。
速い。
ふたりは武器を振り、正確に羽をたたき落としていく。
お互いの武器が届く距離で戦っているのに、一度もぶつからない。
金属音が続けざまに鳴った。
最後の一枚がエイリークの戦棍にたたき落とされる。
「……すげぇ」
あれだけの羽を、一枚もこっちへ通していない。
ダイアモンドは上空で翼を止めた。
白い大鷲の輪郭が揺れはじめる。
「擬態する……!」
そのとき、背後で金属が擦れる音がした。
振り返るとハルジオンが立っていた。
膝は震えている。
顔だって血まみれだ。
それでも、両手で金色の魔剣を握っている。
「おまえ……それ……」
「ああ」
ハルジオンは金色の刃へ目を落とした。
「こんなかたちで使われたいわけじゃないだろうが……」
ハルジオンは柄を丁寧に両手で握り込む。
「……少しだけ力を貸してくれ」
だれに言っているのかなんて、聞くまでもなかった。
金色の魔剣が、その言葉に応えるように震えた。
ハルジオンが前へ出る。
「みなさん、少し耐えてください」
「なにを――」
ウィゼルユルドが驚く。
そして、ハルジオンの顔と金色の魔剣を見比べてつぶやいた。
「君は……まさか」
ハルジオンはダイアモンドへ顔を向ける。
「ここから……出ていけ」
ダイアモンドは、ぐらぐらと揺れ動きながら不気味に姿を変えている。
ハルジオンは金色の魔剣を顔の前へ立てた。
淡い桃色の髪の奥で、両目が青緑色に光っていた。
魔力が刃から解き放たれた。
それは、強力な衝撃波となり、地面を削りながら一直線にダイアモンドへ迫る。
ダイアモンドが擬態をやめ、翼を閉じた。
白い身体と金色の魔力がぶつかる。
轟音が響いた。
ダイアモンドの巨体が後方へ押し飛ばされ、右胸の亀裂から白い破片が散る。
「うあっ……!」
余波だけで身体を持っていかれそうになり、おれはその場へ踏ん張った。
ウィゼルユルドとエイリークも武器を地面へ突き立てて耐えている。
ダイアモンドは白い翼を広げ、こちらを見下ろす。
ハルジオンも魔剣を下ろさなかった。
両者がしばらく動かない。
先に動いたのはダイアモンドだった。
けど、こっちへは来ない。
白い大鷲は向きを変えると、城壁へ向かう。
(……なんだ?)
ダイアモンドは城塞の上に降りると、なにかを掴み、ふたたび飛び上がる。
鉤爪が抱えているのは、もう一体のサイレンスだった。
そのままダイアモンドは羽ばたく。
追撃もない。
威嚇もない。
おれたちへ振り返ることさえせず、闇の王国の方角へ飛び去っていった。
金色の魔剣を持つハルジオンを見つめ、エイリークがつぶやいた。
「……勇者」
* * *
二体のサイレンスが去ってから、周辺に残っていたゴブリンや石像も完全に姿を消した。
おれたちは城塞の上までやってきた。
立ったまま気絶していたヒルデブラントは、ウィゼルユルドとエイリークに起こされ、意識を取り戻した。
その手に握られていた黒い魔剣も、カリオストロが《錬成魔術》を解き、ひとの姿のアダマンタイトへ戻っている。
「……無事だったか、おまえら」
ヒルデブラントが言う。
目を覚まして最初に出たのが、それだった。
全身血まみれの男に言われて、ウィゼルユルドが困ったように眉を寄せる。
「先輩こそ……ですよ」
ヒルデブラントの視線が、ウィゼルユルドの向こうへ向く。
ハルジオンだ。
「……その眼」
ヒルデブラントはしばらく黙っている。
それから、なにかが繋がったように鼻で笑った。
「……はは。こりゃ、とんでもない隠し事だぞ。エレオノーラ」
ヒルデブラントは少しだけ口元を緩めた。
「……ありがとう」
ハルジオンはそれを聞き、目を伏せた。
「こちらこそ、オリハルコンを取り戻せました。あなたのおかげです。感謝します」
そのあとハルジオンは、金色の魔剣を両手で支え、おれのほうを向いた。
「……自由にしてやりたい」
おれはうなずいてから、カリオストロを見る。
カリオストロは一瞬だけ戸惑った。
それでも前へ出ると、ハルジオンから金色の魔剣を受け取った。
そして、目を閉じる。
金色の魔剣が光りはじめた。
最初は目を開けていられないほど強かった光が、少しずつやわらかくなっていく。
魔剣の輪郭がほどけた。
押し込められていたかたちが解かれていく。
そこに、ひとの姿をしたオリハルコンがいた。
バルドールの王宮で見た懐かしい姿だ。
オリハルコンの身体が傾く。
「お、おい!」
ハルジオンが慌てて抱き止めた。
「聞こえるか?」
オリハルコンのまぶたが、かすかに震えた。
「……はい」
オリハルコンがゆっくり目を開く。
「……ハルジオンくん、助かりました」
「おれだけじゃないですよ」
オリハルコンは、まだ力の入らない身体で、周囲へ目を向けた。
そこで、カリオストロと目が合う。
カリオストロが前へ出た。
「君には……」
言い終える前に、オリハルコンが人差し指を立てた。
「許しません」
「だから」
オリハルコンが、ほんの少しだけ笑った。
「クラリスと一緒に、バルドールへ戻ること」
カリオストロは顔を歪めた。
言葉はなかった。
ただ、ゆっくりとうなずいた。
オリハルコンはそれを見届けてから、もう一度あたりを見まわした。
そして最後に、おれを見る。
「カジバくん」
オリハルコンの視線が、おれのうしろを探した。
「……リルちゃんは?」
「……っ」
答えようとして、声が出なかった。
おれは目を伏せた。
それから振り返る。
エグレのとなりの、大きな布包みを見た。
「それは……」
オリハルコンの声が震える。
おれはうなずいた。
「リルが……おれたちを守ったんだ」
オリハルコンが両手で口元を抑える。
「おれが……もっと強ければ」
そこで、急に視界の端が暗くなった。
なんだか、身体が軽くなった気がした。
「カジバくん!!!」
目の前のオリハルコンの声が遠い。
(まだダメだ)
リルを安全なところへ運ばねぇと。
なおす方法だって探さなきゃならない。
「……リル」
身体が前へたおれた。
だれかに受け止められた気がする。
でも、もう見えなかった。
最後に目に入ったのは、おれの手のなかの青いリボンだけだった。




