48「勇者ヒルデブラント」
目の前に落ちたミスリルの欠片を見ても、しばらくなにが起きたのかわからなかった。
「……リル?」
呼んでも返事はない。
地面に膝をつき、ひび割れた鉱石へ手を伸ばす。
触れれば、いつものようになにか返ってくる気がした。
でも指先に伝わったのは、ただの冷たさだけだった。
「ふざけんなよ」
大きく割れた欠片をひとつ拾い、そのとなりに落ちていた欠片も拾う。
どんなかたちだったのかは、なんとなくわかる。
何度も錬成してきた。
刃になったときも、
ひとの姿のときも、そのなかを流れる魔力を感じてきた。
だから、合わせれば戻せると思った。
「……こうだろ」
ふたつの断面を重ねる。
かたちは合っている。ぴたりと収まった。
それなのに、手を離した途端、片方の欠片がころりと地面へ落ちた。
「……なんでだよ」
もう一度拾い、今度は強く押しつける。
「ほら、合ってんだろ。……ここでいいはずだろ」
指に力を入れたまま待つ。
なにも起きない。
手を離せば、また欠片が落ちた。
カラン、と小さな音がする。
「なんでだよ……」
べつの欠片も拾った。
断面をたしかめ、もとの位置へ戻す。
それでも、どれだけ正しく並べても、リルだったものはひとつには戻らなかった。
「……カジバ」
うしろからエグレの声がした。
「ちょっと待って……もうちょっとだから」
自分でも、なにがちょっとなのかわからなかった。
でも手を止めたくなかった。
止めたら、目の前に散らばっているものが、本当にリルじゃなくなってしまう気がした。
そこで、ようやく気づいた。
「……そうだ。《錬成魔術》だ」
最初からそうすればよかった。
魔鉱石は、たたいても火に入れてもかたちを変えない。
《錬成魔術》で、はじめて干渉できる。
修復だって、できるはずだ。
「大丈夫だ。こんなの……」
両手で大きな欠片を包み、目を閉じる。
「《錬成魔術》……!」
「ぐぁぁぁああああああ!!!!!!」
指の骨をまとめて逆向きに折られたみたいな激痛が走った。
力を流し込むどころじゃない。
両腕が勝手に跳ね、おれは欠片を落として地面へうずくまった。
「くそっ……!」
痙攣が止まらない。
「い、いま必要なんだ……。動けよ!」
もう一度試そうとしたところで、視界が暗くなった。
両手を地面につく。
吐きそうだった。
(わかっている)
ここが、おれの底だ。
そんなことは、自分の身体が一番よくわかっている。
「……うあぁっ!」
額を地面へぶつけた。
「……なさけねぇ」
最強の武器をつくる。
もうなにも奪わせない。
ずっとそう言ってきた。
なのにいま、目の前で壊れているリルに手を伸ばすことすらできない。
そのとき、肩に手が触れた。
顔を上げると、アダマンタイトが立っていた。
「……助けてくれ」
「助けるわ」
「……どうやって」
アダマンタイトはおれの横へしゃがみ込み、散らばったミスリルの欠片へ手をかざした。
「……魔力は残ってる」
「え?」
「でも弱ってる。これじゃ自己修復はできない」
「……」
おれは目を閉じ、うなだれた。
その背中を、いきなり強く叩かれた。
「目を覚ませ、カジバ。ここは戦場だ!」
ハルジオンだった。
「まわりを見ろ。ダイアモンドから逃げ出したゴブリンや石像が戻ってきてる」
言われて、おれは視線を動かす。
森の木々のあいだから、いくつもの影が近づいていた。
「わずかだが、リルの《魅了》は生きてる。ねらってくるぞ」
「あいつら……」
「リルがおれたちを生かしたんだ。一秒も無駄にするな」
ハルジオンはしゃがみ、おれの肩を掴んだ。
「お前はここで、リルを守れ。……おれはオリハルコンを取り戻す」
「お前だって……限界だろ」
「痩せ我慢は得意なんでな」
ハルジオンは自分の膝を一度たたくと、一気に立ち上がった。
その横で、アダマンタイトが一番大きなミスリルの欠片へ手を伸ばす。
おれは、反射的にその手を掴んだ。
「な、なにするんだ?」
「いまはとにかく、全部集めて」
アダマンタイトが言う。
「すべて残っていれば、きっとなおせる」
「ほ……本当だなっ!?」
思わず身を乗り出した。
アダマンタイトはおれの手を振りほどくと、周囲を指差した。
「……だから、まず全部集める。大きいものだけじゃない。小さな破片も全部。一欠片も残さずに」
「……全部」
「ええ。なおす方法は、それからよ」
地面を見る。
月明かりのなかに、銀色の小さな欠片もいくつも散らばっていた。
あれも全部、リルだった。
「ひとかけらも、取られちゃダメよ」
その言葉で、もう一度森を見る。
ゴブリンと石像は、姿がはっきり見える距離までやってきていた。
「……でも、数が多い」
「大丈夫だ。任せろ」
おれの前へ、ふたりの背中があらわれる。
「……ヴェイグ、ヘイミル!」
傷は癒えていない。
応急処置をしただけだ。
それでも、ふたりは立ち上がっている。
「リルを守れ。君は、おれたちが守る」
ヘイミルが大剣を引き抜く。ヴェイグも戦鎚を持ち上げ、近づいてくる影を睨んだ。
「……ここは頼みました」
ハルジオンはふたりに告げると、痛む脚を引きずるようにして城壁へ向かった。
「……私たちも行く」
クラリスと、彼女に支えられたカリオストロもあとを追う。
「姉さんを連れて戻ってくるわ」
アダマンタイトはミスリルの欠片にそう告げると、ハルジオンたちへ合流した。
「……ぼさっとすんな!」
となりから飛んできた声で、おれは我に返った。
エグレだ。
彼女はしゃがみ込み、銀色の欠片をひとつずつ拾いはじめている。
その向こうでは、ヴェイグの戦鎚が石像を砕き、ヘイミルの大剣が飛びかかってきたゴブリンを薙ぎ払った。
みんな、立ち止まっていない。
(自分がいま、なにをできるか……)
「ったく、無茶して……。さっさと集めて、たたき起こす」
エグレが欠片を拾いながら言った。
おれは、深く息を吸った。
みんなが時間をつくってくれた。
(落ち着け)
(やるべきことをやれ、カジバ!)
「ああ……世話が焼けるぜ」
おれは両手を握る。
痛みはあるが、まだ動く。
おれは地面に膝をついたまま、散らばった銀色の欠片へ手を伸ばした。
ひとつずつ、見落とさないように拾っていく。
いまのおれにできることは、これだ。
(鉱石を集めるのは、大得意だ!)
* * *
ハルジオンたちは城壁の下へたどり着いた。
折れた剣。砕けた槍。潰れた戦斧。
城壁の周囲には、使い果たされた魔鉱武器が何本も転がっている。
その上では、ヒルデブラントがトパーズと打ち合っていた。
ヒルデブラントが振りまわしているのは、黄色い棍棒のようなものだった。
「……あれは?」
ハルジオンが目を細める。天眼はもう光っていない。
「……腕? トパーズの?」
アダマンタイトが目を丸くする。
「相変わらず、なんでも武器にしてしまうのね」
トパーズがオリハルコンの魔剣を振り上げた瞬間、周囲に稲妻が乱れ落ちた。
ハルジオンたちは壁際へ寄り、身をかがめる。
「あれが、オリハルコンなの……?」
クラリスが見上げた。
「……姉さんは最強の魔鉱石。ヒルデブラントも防戦一方ね」
アダマンタイトの言葉を聞きながら、ハルジオンは周囲へ視線を走らせた。
「……ダイアモンドはどこだ」
アダマンタイトも上空を見まわす。
「……トパーズとは合流していないわね」
「なにを考えてやがる」
「……とにかく。いい? 私を武器にしてヒルデブラントに渡すの」
アダマンタイトはハルジオンへ向き直った。
「いけるのか?」
ハルジオンが聞く。
「私も最高位の魔鉱石の端くれだわ。……姉さんの刃だって、受け止めて見せる」
アダマンタイトの視線は、クラリスに支えられているカリオストロに向いた。
「あの魔剣、あなたが鍛えたんでしょ」
「あ、ああ……」
カリオストロは目を伏せた。
「……あれを受けられる武器、つくれるわよね」
カリオストロが顔を上げる。
「……いいのか、俺で」
「いいも悪いも、あなたしかいない。やるの? やらないの?」
アダマンタイトが首を傾げる。
「……ああ。やるさ」
カリオストロが右手を伸ばす。
その指先がアダマンタイトへ触れる寸前で止まった。
「……触るぞ」
「いまさら律儀ね」
「……かたちは?」
「いつもの」
アダマンタイトはそう言って、目を閉じる。
「いくわよ」
カリオストロの手が、アダマンタイトの肩へ触れた。
「《錬成魔術》」
光がふたりを包んだ。
アダマンタイトの身体がほどけ、光のなかで組み替わっていく。
腕も脚も胴もひとつへ集まり、細く、長く、一本の刃を形づくった。
やがて光が収まる。
カリオストロの手には、一振りの黒い長剣が握られていた。
城壁の上。
トパーズの一撃が、ヒルデブラントの持っていた黄色い左腕を砕いた。
破片が飛び散る。
ヒルデブラントの手から、最後の武器がなくなった。
「ヒルデブラント!」
城壁の下で、ハルジオンが叫ぶ。
それを合図に、カリオストロが黒い魔剣を投げた。
黒い刃が城壁の上へ飛ぶ。
内包する強大な魔力が、炎に似た揺らぎとして尾を引いた。
ヒルデブラントはトパーズが振るう金色の魔剣の軌道を、ぎりぎりで外した。
頬が裂ける。
それでも一歩踏み込み、飛んできた黒い魔剣へ右手を伸ばした。
がっしりと柄を掴む。
剣身から溢れた魔力が腕を伝い、全身へまとわりつく。
ヒルデブラントは一度だけ刃を見る。
その一瞬で、重さ、重心、魔力の流れを把握する。
トパーズが振り返り、金色の魔剣へふたたび雷を集める。
ヒルデブラントは黒い魔剣を構えた。
「ここからだ――」
傷だらけの身体で、深く腰を落とす。
トパーズとヒルデブラント、ふたりが同時に踏み込んだ。
先に届いたのは金色の刃だった。
横薙ぎの斬撃とともに雷が広がり、城壁の上を焼く。
ヒルデブラントは退かない。
黒い魔剣を斜めに立てた。
刃と刃がぶつかる。
雷が弾け、黒い魔力がそれを押し返す。
これまでの魔鉱武器なら、オリハルコンとまともに打ち合えば数合ともたなかった。
だが、黒い刃にはひびひとつ入らない。
ヒルデブラントは止まらない。
目にも留まらぬ斬撃。
黒い刃がトパーズの脇腹を掠め、黄色い宝石へ細い傷を残す。
トパーズが右腕を引いた。
金色の魔剣へ雷が集まる。今度は剣だけではない。右腕から肩、胸へ青白い光が走った。
振り下ろされた金色の刃が、城壁ごと裂く。
ヒルデブラントは受けず、一歩だけ横へ出た。
刃が肩口を掠める。
そのまま懐へ潜り込み、黒い魔剣の柄頭をトパーズの胸へたたき込んだ。
黄色い巨体が半歩下がった。
「なんだ、鈍ってきたか?」
ヒルデブラントが笑った。
その背後で、白く濁った影が立ち上がった。
オパール。
揺らいだ身体がふたつにわかれ、左右からヒルデブラントへ迫る。
ヒルデブラントはトパーズと剣を押し合ったまま、目を閉じた。
白い拳が脇腹へ届く寸前、その左手が正確に手首を掴む。
「お前も……遊び足りないか?」
ヒルデブラントの手から、対魔力が流れ込む。
オパールの白い光が乱れ、分裂した白い影のひとつが掻き消える。
ヒルデブラントはその腕を掴んだまま身体をひねる。
オパールは弾き飛ばされ、城壁の上を何度も転がって止まった。
ヒルデブラントは追わない。
目の前のトパーズへ向き直る。
呼吸が荒い。
身体のいたるところから血が流れている。
それでも、その目は冷静だった。
トパーズが踏み込む。
金色の魔剣が、まっすぐ首をねらった。
速い。
ヒルデブラントは黒い魔剣を低く構えたまま、一歩前へ出る。
金色の刃が首へ届く直前、身体をずらす。
刃が左肩へ食い込んだ。
「ぐっ……!」
雷が弾け、肩を覆っていた鎧が砕ける。
それでもヒルデブラントは退かなかった。
そのまま距離を潰し、金色の魔剣を振り切ったトパーズの右腕が、目の前へときた。
「……やっと、捕まえた」
一閃。
黒い刃が走った。
その一瞬で、トパーズの右腕が肘の上から斬り飛ばされる。
オリハルコンの魔剣を握ったまま、黄色い腕が夜空へ舞った。
「頼む!」
ヒルデブラントが城壁の下を見る。
ハルジオンは、もう走っていた。
「取る!」
落ちてくる金色の魔剣へ身体ごと飛び込む。
指先が柄へ届いた。
「取った!」
勢いのまま地面を転がる。
ハルジオンの腕のなかには、トパーズの右腕ごとオリハルコンの魔剣があった。
黄金の刃から雷が走り、腕へ食い込む。
「ぐあっ……!」
それでも離さない。
「起きろオリハルコン!」
歯を食いしばり、暴れる魔剣を抱え込む。
「……魔剣でおさまる器じゃないだろ!」
城壁の上では、トパーズが右肩を見ていた。
左腕はすでにない。
右腕も失った。
オリハルコンの魔剣も手もとにない。
それでも黄色い巨体はたおれない。
トパーズはゆっくりとヒルデブラントへ向き直る。
まだ戦うつもりだ。
ヒルデブラントは片目を閉じた。
額を流れた血が、まぶたを伝って落ちる。
それから、黒い魔剣を構え直した。
「……ノルンの瞳へようこそ」
トパーズが地面を蹴る。
両腕を失った巨体が、真正面から突っ込んでくる。
ヒルデブラントは、黒い魔剣をゆっくりと下げる。
黒い魔剣の周囲を覆っていた魔力だけが、少しずつ剣身へ吸い込まれていった。
外へ広がる力を、すべて刃のなかへ押し込めていく。
トパーズとの距離が縮まる。
十歩。五歩。三歩。
ヒルデブラントが腰を落とした。
「魔鉱武器奥義――」
刃の表面を、黒い揺らぎが一瞬舐めた。
「《冥滅》」
一歩踏み込む。
黒い魔剣が振り抜かれた。
黒い刃の軌跡が、夜の空気を一瞬だけ歪ませた。
まるで、世界そのものを両断するかのような一閃。
つぎの瞬間。
トパーズの頭から腰にかけて、一本の黒い線が浮かんだ。
線はまっすぐだった。
頭頂から、額、喉、胸、腹、腰まで――迷いもなく、一直線に。
一瞬の静寂のあと、トパーズが左右へ割れた。
断面に傷口の凹凸はほとんどない。
まるで、最初からそういうかたちのふたつの塊だったみたいに、綺麗に離れていく。
黄色い巨体が静かに崩れる。
黒い焔がその断面を一度だけ走り、揺らめきながら消えた。
城壁が、静かになった。
ヒルデブラントは黒い魔剣を下げた。
荒い息を吐きながら、しばらくトパーズの残骸を見下ろす。
城壁の下で、ハルジオンは腕のなかの金色の魔剣を見た。
さっきまで暴れていた雷は、少しずつ弱くなっている。
「……取り戻したぞ、オリハルコン」
少し離れた場所には、オパールが横たわっている。
ヒルデブラントはそちらへ向かおうとした。
一歩。
身体が揺れた。
「ヒルデブラント!」
ハルジオンが呼ぶ。
返事はない。
黒い魔剣を握ったまま、ヒルデブラントの足がずれる。
それでもたおれない。
「おい!」
もう一度呼んでも反応しなかった。
「まさか、気を失ってる……?」
ヒルデブラントは血まみれだった。
左肩は深く裂け、腕も脚もとっくに限界を越えている。
それでもトパーズをたおすまで。
オリハルコンを取り戻すまで。
意識を失ったあとさえ、立っていた。
「あれが、現代の勇者……」
ハルジオンは金色の魔剣を抱えたまま、城壁を見上げた。
そのときだった。
バサリ、と大きな羽音が夜空から降ってきた。
ハルジオンが顔を上げる。
月明かりを遮りながら、白い大鷲が城壁へ向かって降りてきた。




