第五話 赤ずきんの少年少女
――今のうちに逃げ出しちゃえ。
ふと、そんな衝動を覚えた。
否。これまでずっと心の底に横たわっていた。
逃げ出していいって言って欲しかった。
意味の無い妄想。
不安げに点滅する街灯と貪るように飛び回る羽虫。
学年のマドンナに寄り付く男子生徒も傍から見ればあんな感じなのかもしれない。
気持ち悪い。
『なーに言ってんだよ、そんな悪いやつがいたら殴ってやればいい。人の弱点つけば俺でもできるぞ』
笑ってしまう。
……僕も、そう信じたかった。
目を覚ますと僕は車に一人だった。たぶん円蔵さんは組織の会議か何かだろう。
ここでも特脳痕跡が点在している。手の付けられた一般人はそうともしらず寝静まっているに違いない。
けどおかしい。
場所が集中している。
「……もういいよ。つかれた」
首が捩じ切れる直前の顔が瞼に張り付いている。
あれは人を見る目じゃなかった。
「ぼくは人だ……。黒部とおる、中学生……」
人殺しは初めてじゃない。これまでだって沢山殺してきた。
殺した奴の顔なんて半分も覚えてない。
今回だって邪魔者を始末しただけだ。
気に病むことじゃない。
「ははっ……」
普通の中学生が人を殺すわけないだろ。
ドアの鍵が開く。
「起きたか」
「……はい」
外の空気は冷たい。
車のエンジンがかかる。
「拠点には俺と徳夜が二人で突入することになっている。お前はそこに続いて殴りこむ」
「徳夜も来てるんですか」
「お前を潜入させるための口実だろうな」
しかし僕たちだけで人質まで救出できるとは思えない。
「現地には特脳痕跡が」
「お前が心配することじゃない。桐原だけを探して助け出せ」
「結菜がほんとうにいるんですか」
「確かな情報だ。余計なことを考えるな」
考えなくていい。僕はただ、敵を殺して結菜を助ける。
「わかりました」
車は静かに動きだす。
事態は水面下で進行している。僕と結菜はそれを知らないままなんだ。
*
工業地帯、とある工場の裏口にて。
「……ほんとにここなんですか」
「疑うなら車で待ってるか?」
ここまできて立ち止まるわけにはいかない。それは円蔵さんだって分かってるはずだ。
数年前に稼働を停止したはずの工場。その跡地。
ベタで味気ない。
「俺は後から入る。お前は正面から行け」
子どもを正面に向かわせるなんて、とても正気とは思えない。
「はい」
おかしいのは僕だったな。
「……敵はシュッツだ」
円蔵さんの足音が遠のく。
「分かってましたよ。たぶん」
家族が殺されたあの雪の日から。
正面に構えられた柵を握るように潰す。
これで僕の存在は敵に見つかった。戻れば犠牲は大きい。
進めば幾つかの命が消える、だけ……。
建物ごと潰しちゃえば楽なのに。
「結菜、どこ」
会いたい。
謝りたい。
一緒に遊びたい。
もうとっくに人を殺しているのだから何人殺しても変わらないんだ。
施設内に足を踏み入れる。
僕の足音が響いた途端、施設に明かりがつく。
さようなら、って言えばいいのかな。
誰も僕に追い付けない。
僕の周囲が揺れる。その瞬間、すぐ後ろのガラス窓が一斉に割れる。
「――あははっ」
ガラスの破片が踊り出す。たぶん僕は零れ落ちた破片でガラスよりも鋭利なんだ。
きっとこの場所は壊れてしまう。
一斉に放たれた銃弾は僕を四方から取り囲む。
それは僕の為に。
子どもに向ける悪意と敵意とは思えない、機械的な歓迎。
――銃弾を包む空気が揺れる
時間さえ止まったその刹那
思わず祈ってしまう
ぜんぶ、夢だったら良かったのに――
「……っく」
死の花弁が咲き乱れる。
目を瞑ったって血の匂いは消えてくれない。
耳にこびりつく悲鳴はいつまでも頭の中に響いている。
今だって、ほら。
飛び散った鮮血は古びた建物を鮮やかに彩り上げていく。
銃弾は撃ちだされた方へと突き刺さり、ガラス片は観客を巻き込んで舞い踊る。
目を閉じたくらいじゃ消えてくれない。
本当に、きみが悪い。
「死んじゃえ」
やっぱり人殺しは悲しいこと。
敵は次々と銃弾を撃ち込んでくる。子どもだっていうのに容赦の欠片もない。
なぜだか笑いがこみあげてくる。
こんな不愉快を前に、どうして。
ふわりと、体が放り出されたような感覚。
ここを彩るのは弾丸と悲鳴と煌めく凶器。
まるで星々に照らされた月のように自ら光る事だけはあり得ない。
悲鳴が施設を飛び交う。
あたまがいたい。
「……死にたい」
死んだのは僕のせいじゃない。殺そうとするから、そっちが生き急いだから。
銃声が止む。
毒々しい朱に塗れた施設。向こうから足音が聞こえた。
換気口の音だけが響く。飛び散った血肉が視界を邪魔する。
僕のせいじゃない。
この人たちだって死にたかったわけじゃない。
悪いのは誰なんだ。
「……僕じゃない。僕は悪くない」
こんな場所で返り血すら付いていない僕は。
痛みが残っているならまだ大丈夫。
ほんとに僕は地面に立っているの?
足元には紅い肉片が散った金属の足場。
特脳痕跡はまだ先にも残っている。
「――――これ」
少女の影。
もっと詳細に空間を辿る。浮かんでいる粒子の一つに至るまで全て、ただ一点に集中する。
狭い用具室のような場所に隔離されている少女。
その容姿を僕は。
『異人の仲間がいたと思ったのに……』
これでもまだ仲間だと思ってくれますか?
『ねえ、今日遊ぼうよ』
何して遊ぼう。
実はトランプで遊んだことがないんだ。一緒に、遊びたい、ねえ……
――――。
「……止まるな。行かなきゃ」
結菜が連れ去られる前に。
いいさ、僕一人でいい。昔からそうだった。
血溜まりを踏みつける。肉の潰れる音が僕の意識を地面に縛り付ける。
絶え間ない銃声と人が血を吹き出して倒れる音も全て懐かしい。
僕はこんな光景を、惨劇を憎んでいるのに。
信じられないくらい安心している。
おかしい?
僕の育った場所なのに?
「増援を、はやく!」
斜め後方に隠れた敵に足場を落とす。
金属がぶつかり合う激しい音と共に足場が崩落する。
助けを求める悲鳴が頭に響く。
……助けて欲しいのは僕の方だ。
誰も彼も小さな羽虫みたいに群がって。
人だろうと虫だろうと命の重みは変わらない。
ガラス片が正面の通路を貫く。
先の見えない下り階段に降り注ぐ凶器。
「……つかれたな」
今すぐに、この場で目を閉じて倒れてしまいたい。
もう、眠いのに。
*
どろどろと凝り固まった血液。
充満した死臭、火薬の匂い。
肉片と化した地上階とは違って人のカタチのまま死んでいた。
円蔵さんも派手に暴れ散らかしているみたいだ。
……それでも僕には及ばない。
結菜の影は変わらず放置されている。けれど周囲に敵はいない。円蔵さんと交戦しているのか、はたまた別の目的があるのか。
「……子ども、だと」
咄嗟に背後を振り向くとそこには驚愕する五名の人影。敵。
――どうして気づかなかった……!
油断していたつもりはないけれど、仮にこの距離で不意打ちを受ければ。
驚愕する男の後ろで陰気な人物が沈黙を破る。
「上を殺したのは、このガキだ」
「待て、子どもがどうやって殺すってんだよ!」
その言い合いが時間の無駄だ。
すぐさま真空の刃を投げつける。マトリョーシカのように首が落ちる。
背後から敵が来たということは円蔵さんがここを通っていないか、それとも。
「……やめよう、考えるな」
僕は何も知らない子どものまま?
どうやって殺すかって。
「っあ、とおる!」
こうやって。
女の子の首に向けた閃光。
――殺せ。殺しちゃえ
みんな僕の敵なんだ
誰もおまえの味方をしない
「……うるさいッッ!」
凶器が中に浮かんで、敵に……。
――
「…………結菜?」
皮膚に触れるかという所で凶器が止まる。
――このまま気が付かなかったら、結菜を。
鏡山での幻覚を思い出して呼吸が止まる。
「とおる、血だらけ……」
めがまわる。たっていられない。
ぱしゃん。
「とおる! ちょっと!」
結菜が駆け寄ってくる。
「無事、だったんだ」
「わたしは、……それよりとおるが!」
結菜が僕の脇腹あたりを必死に押す。
「……っくぅ」
「ご、ごめん、痛いの我慢して……」
「くすぐったいからやめて」
それは返り血だし特に大きな怪我をした覚えはない。
「で、でも耳が!」
「あぁ……」
なんで結菜が泣きそうな顔をしてるんだ?
「これは、別に……へいき」
どうして僕なんかの前で泣くんだ。
「なっ、……よかっ”、だ……っ」
僕は結菜を傷付けたのに。
目の奥が熱い。
「……っ、どうして泣いてるの」
「だっ、てぇ、こわかっ、た……、」
胸があったかい。
「なんで笑うのぉ……っ」
だって結菜と逢えたから。
――笑っちゃいけないのに。
「……いいじゃん、そんなこと」
そう、いいんだ。どうでもいい。
「さっきはごめん」
声がかすれる。
「結菜の家でさ、勝手に機嫌悪くして出ていって、結菜を傷付けた」
結菜が僕の腕を掴む。
「違うよ。わたし……、わたしは」
その手は激しく震えていた。
目を閉じて息を吸う。そうでもしないと泣いてしまいそうで。
「ぼくは!」
なにがしたくてここまで来たんだ。
「結菜と、仲直りが、したくて……」
今さら遅いかもしれないけど、僕は結菜と友達でいたい。
「もう、あんなこと、しない、……」
こんな血だらけの奴に謝られたって僕なら許さいだろう。
……なんて身勝手で都合のいい言い訳。
相手の親切に付け込む卑怯者。
今だって、ほら。
結菜が僕を見ていることが心地よくて仕方ない。
「……帰ろう」
この言葉が最も雰囲気に合っているという打算。
いつの間に溢れかけた涙すら分からない。
今は胸が痛い。
来た道とは反対に僕は手を引く。
血だらけの痕跡を結菜にだけは見られたくないから。
――
空のマガジンが散らばっている。
その奥には息を荒くした円蔵さんが立っている。
僕と結菜を一瞥すると拳銃をしまう。
「ガキども、まだ動けるな」
結菜が涙を拭いて顔をあげた。
「帰るんですか」
「ああ、黙って付いてこい」
僕らは手を繋いだまま工場地下を走る。
散らばった死体はすべて円蔵さんが作ったモノだろう。拳銃一本で生み出すにはあまりにも多い死臭に結菜は口を押さえていた。僕と違って結菜は普通だったのに。
こちら側に引き込んだのは僕だ。僕さえ居なければこんな事は起きなかった。
ほんとに?
そんなの分からないよ。
もう走りたくない。死んでしまいたい――
――
手を引かれてやっと景色が見える。
空は黒くて周囲には街灯の一つもない。
星空は見えない。地上が明るすぎたのか、それとも天気が悪いのか。
「とおる」
つないだ手は温かい。
「ありがと」
握る力が少し強くなる。
――僕は笑うべきじゃない。その手を振り払うべきなんだ。
心臓が落ち着かない。
顔があつい。
「こちらこそ」
僕はその手を強く握り返す。
――この感情を僕は捨てるべきだ。
……そんな強迫が、なくなればいいのに。




