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境界は交わらない  作者: しゃる
序章
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9/9

第六話 残ったのはたったふたりの罪人

 偏見ではあるけれど、病室は全てが真っ白で出来ているような気がしてしまう。

 実際はもっと色があるし、そもそもベッドすらそこまで白くない。

「はーい、お昼の時間だよー」

 看護師さんがトレイに乗った食事を運んでくる。

 工場脱出後、僕はそのまま唐津の病院に担ぎ込まれた。公には僕も結菜も現地の暴漢に絡まれた、という事になっている。

 大した怪我も無く学校に通う結菜とは反対に、僕は特脳の反動やら耳の怪我やら色々あって入院する事になってしまった。というのが今日に至るまでの経緯だ。

「……いただきます」

 あの後、連盟の制圧部隊によって工場は完全に沈黙したらしい。

 それにしても。

「とおる!」

「声が大きいってば」

 時々、横の病室から声が聞こえてきたりする。普通に聞こえているから気を付けてほしいのだけれど。

「はい、これ高野先生から」

 簡易テーブルの上にプリントがどっさりと積みあがる。

「はぁ……ありがとう」

 どうして学校の先生と言うのは宿題を出したがるのだろう。

「怪我人に宿題なんか出すなよ……」

「どーんまい」

 そんな楽しそうに宿題を押し付けるのをやめてほしい。

 あの事件後、結菜だけは毎週のように見舞いに来てくれる。はじめは他の同級生も来てくれていたけれど、当然続くはずもない。

『また絶対来るからな』

 蓮がそう言い遺してから二週間が経っている。未だ見舞いに来る気配はない。

「内容おしえてあげる」

 あの惨状に結菜は触れていない。けれど間違いなく血と腐臭に満ちた環境を目の当たりにしている。

「じゃあ、おねがい」

 結菜は工場での出来事をなにも知らない。円蔵さんから聞いた事だ。

 僕が人殺しだと知ったらこの関係も終わってしまうのだろうか。

「……ねえ? 聞いてた?」

 手元のプリントにはいつの間に数式が出来ている。

「えっと……」

「これ、分かるよね?」

 プリントの問題を結菜が指差す。

「ごめん、聞いてなかった……」

「さいてー!」

「ごめんってば……」

「とおるがわたしに嘘ついた」

「ついてないよ!」

「だって聞いてるっぽい返事してた!」

「それは! ……ごめん」

「もう!」

 結菜がそっぽ向いてしまう。

 こんな風に僕を扱ってくれるのは結菜だけ。

「……あのさ」

「なに?」

「そろそろ、退院できそうなんだ」

 結菜の目が少し丸くなる。

「いつ?! もしかして明日?!」

 だとしたらもっと早く伝えてるに決まってる。

「さすがに急すぎるよ、それ」

「ならいつなの?」

 結菜から聞いてくれる。僕の事を無視しないでいてくれる。

「次の土曜日」

「明後日?!」

 そんな驚くことでもないと思う。

「だから、一緒に遊びたい……」

 ……熱くなった顔を必死に誤魔化そうとして正面から伝えることもできない。情けない。

「いいよ! 土曜日もまた来る!」

 それでも結菜は明るい。僕と違って。

 この笑顔が嬉しかったんだ。

「……うん。ありがとう」

 こんなに天真爛漫な人だって思ってなかったのに。

「またね」

 荷物を置くことなく病室を出ていこうとする。

「はやいね」

「そう?」

「いつもより短い気がしたから」

 気のせい、だろうか?

 ほんの一瞬だったけれど目を逸らされたように見えた。

 そさくさと荷物を背負うと足早に病室を出ようとする。

「……がんばって」

「とおるこそ安静にね」

 そう言って立ち去る姿に陰りは見えない。

 もう振り向いてはくれないと思っているのに手を下げられない。

 髪が消える瞬間にも振り向いてくれるんじゃないかって期待して。

 ――自惚れるな。

 胸が、苦しい。

 僕は静かに目を閉じる。

 血に塗れた光景が瞼に焼き付いて消えない。崩れ落ちる足場と共に響いた悲鳴。身体に飛び散った鮮血。

『とおる!』

 けれど結菜が上書きしてくれたから。

 それだけでいい。

 瞼を閉じる。

 ……土曜日、楽しみだな。

 

 *

 

「さっきから呼んでるんだけど!」

 左側から結菜が顔を出す。

「だから、左耳は聞こえに……」

 後ろから流れてくる人にもまれてまともに進めやしない。

 メガホンを持ったスタッフが必至になにか喋っているけれど、あいにく聞き取れない。浴衣姿ばかりの人混みで、僕は。

 ――自分をよく見つめてみて。

   ほら、君の手は何色?

 

 ふと見下ろした手は赤い。

「…………ッッ、っ!」

 慌てて顔を上げる。

 周りには楽しそうに笑う人々と先へ進んでいく結菜の後ろ姿。

 誰も死んでいない。

 退院手続きを終えてすぐ、僕は結菜に引っ張られるようにしてここに来た。年に一度の花火大会は当然のように人で溢れかえっている。

 そんな場所でどうして人を殺すんだ。

 今だって人を避けるので精一杯なのに。

「とおる、はやく!」

 結菜はそれでも手を伸ばしてくれる。

 僕はこんなにも汚れているのに。

「……左耳は聞こえにくいんだ」

「あ、そっか」

 そう答える結菜の手にはたこ焼きが握られている。

「いっこ食べる?」

「買うのはやくない?」

「とおるにはあげないから」

「ごめんってば」

 結菜はたこ焼きを僕の方に押し付けると人の波をかき分け始める。

「ちょっと、待ってよ!」

 浴衣姿の人々をかき分けてなんとか結菜に追い付く。会場から少し離れた川辺に腰を下ろす。まるで肩が触れてしまいそうに近い。敷かれたレジャーシートもたぶん、僕らが並ぶには少し小さい気がした。

 遠くからは観覧席のアナウンスが響く。あの人混みにはもう戻りたくない。

「ずいぶん買ったね」

 袋に入っているのはとりかわ、焼きそば、僕が手に持っているたこ焼きと綿あめ。

 ……花火大会はただ花火を見るだけじゃないんだ。

「たこ焼き一個食べてもいい?」

「いいよ」

 結菜と距離が近い。

「結菜はさ、前にも来たことあるの?」

「お母さんと、昔に。今はもういないけど」

 その声はこれまで聞いた中で最も暗い。

 遠くに見える屋台はほんわかと灯っている。

「……ごめん、そういうつもりじゃ」

「とおるならいい」

 まるで気にしていないようにたこ焼きを頬張っている。

 表情を見ていたって何を思っているのか見当もつかない。

「……」

 虫の鳴き声と喧騒に包まれている。

 世界に僕らだけが取り残された感じがした。

 だからだろう。こんな事を口走ってしまったのは。

「工場のこと、聞かないの」

「聞かなきゃだめなの」

「いや……そうじゃない」

 はじめて、結菜の表情に陰りを見た。

「……わたしはなにもできなかった」

「そんなこと……」

「そうだよ。だってただ捕まって迷惑かけた」

 後頭部を殴られたような衝撃。

 どうして?

「このままだと認めてもらえない。だから頑張らないといけないの」

 半ば脅迫的な責任感には心当たりがある。

 きっとそれは僕のモノと同じだ。

「とおるみたいな普通の異人じゃなくて、わたしが敵を倒さなきゃいけなかったの!」

 けれど決定的に違う。

「僕だって普通じゃない」

「わたしは桐原家なの」

 心臓がきゅっと締め付けられる。

「とおるには分からない」

 その声は冷たく突き放すような感情。

「分かるよ」

「下手なこと言わないで」

 結菜になら、僕は。

「わたしね、工場で人を殺したの」

 ……驚きはしない。そうでもしないと逃げられはしなかった。

「とおるも殺したんでしょ。じゃなきゃあんな場所に来てない」

「……うん」

 遠くの屋台から聞こえる喧騒は笑い声ばかり。

「姉さんにいつも言われるの。『あんたは桐原の恥だ』って……」

「ちがう……」

「ちがくない。とおるには分からないけど」

 僕は、結菜が居なかったら。

「……僕のほうがもっと殺してるから」

「そうじゃないの」

 爆音と共に花火が打ちあがる。

 それは空高く、咲くたびに感嘆の声が聞こえる。

「……もういい」

 急に立ち上がって会場とは逆方向へと足早に歩きだす。

 ――追いかけないと。

 僕なんかが結菜に手を伸ばしていいのか。

『異人の仲間がいたと思ったのに』

 僕らの孤独は決して普通の生活なんかで埋められないと思ってたのに。

「ゆいな、待って!」

 それを変えたのは結菜だから。

 まだ姿は見える。

 明るく光る会場に背を向けて結菜を追いかける。

「まだ、話したいことが……っ」

 山道の方へと走って姿を消してしまう。

 暗くて道もろくに見えない。背後で咲き誇る花火を頼りにひたすら走る。

「ねえ!」

 僕と違って、連盟の責任に晒されてる彼女だから。

 今日、花火大会に来ていることも。

 結菜がここまで話してくれたことも。

 もしかして逃げたかったのかもしれない。

「ゆいなっ!」

 手を掴む。

「わたしの事なんて何も分かってないくせに」

 冷たく突き放すような声。

「……っ、それでも」

 結菜が小さく震えている。

「それでも、なに?」

「僕は結菜を見てる」

「それが? そんなの、誰だって目くらいついてるじゃん」

「ただ一緒にいるだけで楽しかった」

 花火の音が止む。

 辺りが暗くなる。

「桐原家とか、異人とか、そういうのじゃなくて、図書室でたわいのない話をしたり、ふざけたり」

「……でも」

「でも結菜の痛みとか苦しみとか、正直分からないけど。……でも、それだって知りたい」

「でも! わたしなんか……っ」

 声が震えている。

「わたしだって!」

 胸倉を掴んで結菜が叫ぶ。

「こわいの! 異人に生まれたくなんかなかった! でも! わたしが、どうにかしないと!」

 僕だって異人に生まれたくなかった。

「もう帰りたくない! わたしだって……、わたしも! みんなみたいに……」

 その痛みは苦しすぎるほどにわかる。

「ぼくも、普通になりたかった」

 再び打ち上げられた花火が僕らを照らす。

「なんっ……で、とおるも、泣いてる……の!」

「……わからない」

 泣いている?

 僕は今、そんなに哀しんでいるのだろうか?

 なにを?

「僕は、……」

 人を殺した。

 今、苦しくない。

 幸せ。

 人を殺したのに?

「あ、ぁ……っっ」

 結菜の号哭は花火すらかき消して。

 僕が欲しかったのはなんだったか、もう思い出せない気がした。



 

「……以上が顛末になります」

 私は震えて固唾をのむ。福岡での失敗は、正直に言って想定外。

 破山家が出張ってくるなんて悪い冗談だと思うでしょ。

「不測の事態とはいえ、桐原家の抹消に失敗したのは手痛い……、シュッツの襲撃予定はどうなっている」

「既に手筈は整っております」

「問題はそこではなかろう。桐原家の断絶は今やさしたる問題ではあるまい」

 口うるさい老害どもめ。

 円卓を囲う老人たちは意味もない陰謀に頭を悩ませる。

「……失礼、ひとつよろしいかな」

 その中から青年が一人。

「新参者か」

 委員会の新顔はにこやかに受け流す。

「たった今、破山孝介の所在が特定されたとのことです。今後の計画における最重要事項と思われますが、いかがされましょう」

 老人が一斉に黙り込む。

 まさか特務室があの子どもを使うなんて誰が想像できたか。

「岡野、と言ったか。破山邸の生き残りだったな」

 ええ、と青年は肯定する。子どもみたいな無邪気さしか感じない。

 蕾もそんなことを言っていたっけ。

「確かな情報なのかね」

「ええ、桐原委員とも裏は取れています」

 視線が一斉に向けられる。これ以降の情報は私から提供させてもらおう。

「現在、破山の末裔は公安特務室の管理下にあります」

 佐川が露骨にため息を吐く。この有望そうな新人が邪魔で仕方ないのだろう。自分の既得権益を守りたくて仕方がない様子。

「それでは意味がない。むしろ計画遂行は厳しい……」

 わざとらしい落胆に岡野が手を伸ばして制止する。

「むしろ今こそ、我々は桐原の”保護”と破山の抹消を行うべきと思います」

「破山を制圧できるとは思えないが」

「その通りです。破山は制圧できない」

「それでは意味がないだろう!」

 激しく怒鳴る佐川に冷ややかな目を向けながら岡野は言葉を続ける。

「ですから、制圧するのではありません。我々で身柄を拘束しましょう」

「……それができるなら苦労ないな」

 皮肉たっぷりの言い草だが、これは流石に同意してしまう。

 だが彼のにこやかな態度は崩れない。

「はい。我々はシュッツと交戦します。その際には特務室の協力を要請しましょう」

「それでは連盟の威厳がなくなる!」

 利益に目がくらんだ豚が喚く。それに比べて岡野は生き生きとした少年みたい。

「破山孝介を戦場に出して処分します」

「制圧は難しいと君が言ったことだろう。岡野委員、え?」

 咎めるような言葉すら意に介した様子がない。

「ええ、ですから特務室の手駒に牙をむかせましょう。連盟は破山孝介、およびシュッツと戦闘行為を行うべきと提案します」

 円卓が沈黙する。

「彼を国家機関たる異人連盟へのテロ行為で処刑します」

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