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境界は交わらない  作者: しゃる
序章
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6/9

第四話 当たり前だった日々


 


 痕跡は現在進行形で増え続けている。


 策はない。行き当たりばったりの追跡。


 問題は一般人になにかしらの細工が施されていることだ。特脳の痕跡が付いた一般人なんていつ爆発するか分からない地雷と同じだ。地雷と違って起動条件も解除方法もはっきりしない。


 仮にその人たちが一斉に暴走すれば市内は間違いなく壊滅する。それが九州全土となれば――。


 ……考えたくもない。


 時刻は一九時を越えている。日が暮れた街はとっくに夜を迎えていた。


 街を出歩く人はもう居ない。


 ……されど海と山に囲まれた街を見下ろすように一人。


「……見つけた」


 黒幕かは分からない。


 けどまあ、話を聞けるなら誰でもいい。


 決めたからには絶対に逃がさない。







 携帯が圏外になった。


 特脳の痕跡から見るにおそらくこの地域の元凶がいる。


 夜の山道は暗く、月明かりでは足元すら見えない。


 携帯のライトで辛うじて道が見える。こんな悪条件で戦闘なんて、しかもよりによって僕が、どうして。


 結菜が最後に言った言葉が頭にこびりついて離れない。


『異人の仲間がいたと思ったのに……』


 もう仲間だって言ってもらえないかもしれない。


 僕だって仲間だと思ってた。今も友達でいたいと思ってる。


 だっていうのに僕は身勝手で傲慢な態度で結菜を拒絶したんだ。


 山頂が近いことを示す看板。


 枝が頭の位置まで垂れ下がり、枝の間には獲物だらけになった蜘蛛の巣が張り巡らされていた。


 特脳の気配が次第に強まっている。


「……あ」


 携帯の充電が切れた。ライトが消える。


 これで本格的に真っ暗闇だ。星空だって地面は照らせない。


 展望台駐車場には一台も止まっていない。


 展望台に隣接した茶屋は既に閉じている。高く掲げられた国旗と山頂を示す石碑の奥に満点の星空が広がっている。


 そこに一人。何者かの影が映る。


 僕と敵の距離はおおよそ二○○メートルもない。


 ――どうして何もしてこない。


 ここまで距離が近づけば誰かがいることには気付いているはずだ。


 それなのに敵は一切動く様子を見せない。


 誘い込まれている、のだろうか。


 視認できてもおかしくない距離。一気に詰め寄って制圧するには心許ない。


 次々に去来する疑問を頭を振って無視する。


 元凶が目の前にあるなら砕く、覚悟はそれだけで十分なはずだ。


 石碑に身をひそめながら、僕はそう言い聞かせる。


「なにをしているんだい?」


「っっ!」


 考えるよりも先に距離を取る。


 至近距離に接近されていたのにまったく気が付かなかった。


 言葉よりも先に攻撃が来ていたら僕は間違いなく死んでいただろう。


 詰め寄ってくる様子も気配もなかった。敵は一瞬にしてこの二○○メートルを移動した。


「聞いてた話と違うな」


 それはこっちの台詞だ。


 優しげな青年らしき容姿。けれど間違いなく街の異変はこの異人に端を発している。


「夜の散歩に来たのかな」


 ……間違いない。


 微かだが特脳が滲んでいる。


「そっちこそ、なんでこんなところに」


 万一に彼が連盟の異人なら、あるいは。


「……驚いた。こんな子どもが」


 心臓があり得ないくらい跳ねている。


 戦いたくない。どうか僕の思い違いであってほしい。いやだ、殺したくない、思い出したくない。


 吐き気がする。


「結菜ちゃんのクラスメイトかな」


 


  けど、今は。


  殺らないと。


  殺してやる。


 


 コイツは今、結菜の名前を口にしやがった――!


 にこやかな男の手には拳銃。


 月明かりが雲に隠れる。


「……結菜は、どこですか」


「あれ、ほんとにそうだったんだ」


 銃口がこちらに向く。


 咄嗟に特脳を覚醒させる。肌に触れる寸前、間一髪で銃弾を地面へ叩き落とす。


 男の顔が歪んだ。


 再び引き金を絞るまでの致命的な数秒間。


 決定的だ。


 僕を囲う空間が揺れる。宙に浮かび上がった鈍い光沢は一瞬の旋風と共に刃へと変貌する。


 引き金が鳴る前にソレは拳銃を弾き飛ばす。


「っあぁッ!」


 声にならない悲鳴が上がる。


 あとは果実が地に堕ちる道理のまま。


 この凶器を男に向けて撃ち出す――――


 ――――


 


『痛い……、とおる、や、やめて』


 今にも息絶えてしまいそうに。


 この流血ではもう助からない。


 ソレが顔を上げる……。


「……な、んで」


 もう助からない。


 どうして結菜がここに。


 宙に浮かぶ凶器は間違いなく現実のもの。


 なら敵は?


 僕が殺そうとしたのは?


 流血した理由は?


 違う。


「う、……そ、ちが、ぼく、は」


 あり得ない。


 僕は。


「あ、ぁぁ、ぁあ”あ”あ”あ”あ”ッッ!」


 逃げろ。何処へ?


 ここじゃない場所へ。


『とおるが私を避けるから。わたしを悪者に仕立て上げようとしたから』


 違う。


『自分が悪いくせに言い訳して逃げ出した腰抜けだから』


 違う!


『わたしを殺すためにここに呼びつけたくせに


『最っ低


『とおるさえ居なかったら


『ママを殺した


『じゃま


『どうしてここにいるの?


『死んじゃえ


 かちゃり。


 ――そうだ!


   結菜の事を裏切った。


 今の音。冷たい金属音。


   いつでも結菜は僕の仲間だったのに。


 僕はこの音を良く知っている。


   ほんとうに僕は意味も価値も力もない…………


 


「――騙されるかよッッ!」


 目の前の光景が霧散する。


 男は銃口を僕に向けていた。


 その目が絶望と恐怖に染まる。


 ――まずい……!


 弾丸が射出されるのと凶器が腕を斬り落としたのはほぼ同時。わずかに軌道の逸れた弾丸は左耳を掠めて消える。


「っ、ぁああぁぁっ」


 熱い。


 平衡感覚が分からない。その場で膝を付いてやっと視界が収まる。


 左耳からはどろりと血が流れ続けている。まるで燃えているような激しい痛みが頭を真っ白にさせる。


 辛うじて目を開くと、男も血塗れで倒れていた。


「こ、の……ガキ、が」


 よく見るとはじかれた拳銃は握られている。


 切断された手に。


「ぅぅっ、ぅあぁあぁぁ……」


 苦しそうに呻いている。


 けれどまだ何も終わっていない。


「ゆいなは、どこにいる」


 またほんのり体温の残った指を開いて血に汚れたグリップを握る。


「こたえろ」


 銃口を額に突き付ける。男は止まりかけの時計みたいにガタガタ震えている。


「ゆいなはどこだ! どこにいる!」


 先日、僕が遭遇した暴走もおそらくコイツの仕業に違いない。


 人の精神を狂わせて暴走させる事くらい、きっと朝飯前だったはずだ。


 僕だって腕の斬り落とされた音がなければ違和感すら覚えていなかっただろう。


 きっと、結菜への罪悪感に囚われて死んでいた。


「桐原は、いない……」


「いない?」


「さ、攫ったのは俺だ、それは認める! けど、あとは知らねぇ! あのガキの身体を置いてここに居ろって」


「……なら、お前は結菜の居場所を知らないんだな」


「知らない! ほんとうだ……、死にたくない」


 目に涙がたまっている。


 コイツは間違いなく人を殺している。僕には分かる。


 特脳の使い方が、人に幻覚を見せる方法があまりにも悪質。


 生かしておくには危険すぎる。


 銃口がカタカタと音を立てる。それは男の震えなのか、それとも僕の腕なのか。


 ――殺しちゃえ。


 血の臭いと苦悶の呻きはこれまでの聞いてきた。


 むしろそれこそが僕の日常だった。


 それが正しい?


 それで良いの?


 そうすれば結菜に謝れるの?


「…………いいや」


 出血がひどいからなのか、頭にのぼった血が引いてきた気がする。


 銃口をゆっくり下ろす。


 コイツは死んでしかるべきだけど僕にはまだ平穏な日常が残っている。


 だから殺さない。


 それよりも僕は結菜を。


「あ”あ”ぁぁぁ”あぁぁァッッ」


 雄叫びと共に男が飛び掛かってくる。


「このッ」


 腕を振りながら男の頭を殴るがまったく怯まない。


「しぶといッッ……!」


 男はまるで蛇のようにうねり、銃を奪い取ろうとする。


 踏みつけようと足を振り上げた瞬間、男は顎に向けて強烈な頭突きを繰り出す。


 星空と土が反転した。


「この、ッ……ガキ!」


 銃声が響く。


 顔の横の地面が抉れる。


 目の前には押さえつけようとしてくる男。


 すぐさま正面の空間を圧縮してぶつける。男が宙を舞うのと同時に自分の身体も柵まで飛ばされる。


 背後には煌々とした街灯り。


 男がこちらを向く。その目はもう人を見ていない。命を脅かす化け物に向けられていた。


 口元が小さく動く。


『やめろ、くるな、っ……っ、』


 残った片腕で銃を構えている。


 はやく身柄を拘束しないと。


 視界が揺れる。


 古びた地下室。古本の匂い。


 扉が。


 ――――


 


 違う。


 正気に戻れ。敵はまだ正面にいる。


 二度も騙されるな。


「そこから近づいてみろ! 桐原結菜を殺すッ!」


 一般人に付着した特脳痕跡。


 結菜の居場所はまだ分からない。


 引き金を絞ろうとする指先。


 ――ほら、はやく殺しちゃえ。


 敵は僕を殺すまで止まらない。


 だから、これも仕方がない――――。


 ちり紙を丸めるように。


 男の首元を空間ごと捻じる。


 ハサミの入ったストローみたいにぽとりと。


 ――こんなこと、したく、ない……の、に


 狂った蛇口みたいに血が噴き上がる。


「……はは」


 結菜を殺そうとしたから死んだんだ。そうじゃ無ければ命は残っていただろうに。


 僕の大切な人を奪おうとしたから。


 だから。


 街は明るい。僕の手には血が付いている。


「僕は悪くない……」


 すごく寒い。


 身体の震えも気付けば止まっている。


 探さなきゃ。結菜を。


 まだ終わっていないのだから。


 流血している耳ももう痛くない。むしろ温かくて安心する。


 僕にだって温かい部分があるんだ。


 結菜が声をかけてくれたように。認めてくれたように。


「さようなら」


 せめて、別れの挨拶だけは残して。


 ……戻りたい。あの美術室に。


 


 *


 


 高速で通り過ぎる光景を窓から眺めていた。


 たまにすれ違う対向車線が眩しい。


「どうして俺が行くまで待たなかった」


 大して明るくもなかった街灯すら見えない。窓から覗く風景に民家はもう見えない。


「……どこに向かってるんですか?」


「福岡だ」


「……また、戦うんですか」


「敵の拠点らしき箇所を見つけた。結菜もいるんじゃねぇのか」


 化け物を見るような目がすごく懐かしかった。


 もう慣れきったはずだったのに。


「なんで、僕が」


胸が苦しい。


「自分で決めたんだろ。……あの男を殺したのもお前だ」


 山頂での戦闘が決着してやっと円蔵さんが現場に到着した。まるで都合のいい創作物みたいだ。僕は見事に一線を越えてしまったし情報源も無くしてしまった。


 黒部透も人殺しになってしまった。


 手当てされた耳からほんのり消毒の匂いがする。今はその痛みだってありがたい。


「ああ、被害者様って呼んでほしかったか」


 夜の波は不気味なほどに静かだ。


 ……結菜ならなんて言うだろう。


「お前は特脳犯罪を防いだ。誇れ」


 円蔵さんの声に感情はない。


「……できるわけ」


「だろうな」


「大義名分じゃない……、死にたくなかっただけ……」


 結菜に会いたい。またあの時みたいに笑って欲しい。


「ああ、そうだ。お前は人殺しだ。とうの昔からな」


 そんなことは知ってる。


 僕は人殺しだ……。


「自分勝手で、都合がいいばっかりだ……」


「大人ってのはそういうもんだ。お前も見習え」


 結菜に会えたらなんて言おう。


 また一緒に下校して、今度は喧嘩しないで遊ぶ。テレビゲームとかトランプとか、電車に乗って遠くまで出掛けるのも楽しそう。


 想像するだけで、すごく楽しみ…………


 …………


 ……


 


 *


 


 福岡まであと四〇キロ。


 到着までは何も見ずに眠っていればいい。


「……哀れなガキだな」


 どうせ幸せになれねぇよ、お前。

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