表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界は交わらない  作者: しゃる
序章
PR
5/9

第三話 それはよくあること

第三話 それはよくあること


「暇だね」


「うん」


 放課後、図書室、中間テスト後。


 人が居るわけない。


「みんなテストで疲れちゃったのかな……」


 普段から人は少ない。結菜と僕だけが図書室に縛り付けられている。


「あと四五分もある」


「途中で帰っちゃダメだからね」


「帰りたいけどね」


 これは先生ではなく生徒がやるべきだろう。時間が無駄に過ぎていくようで苦しい。


 帰ったところで何かする訳でもないけど。


「じゃあ、ひとつ聞いてもいい?」


「いいけど」


「とおると姉さんって元々知り合いなの?」


「......僕が小さい頃に」


 まだここに来る前の事だけど。


「偶然、知り合う機会があって、ほぼ話したことなかったし、この間まで忘れてたよ」


「そうなんだ......」


 ぜんぶ無かったことにしていたいんだ。僕はただの中学生で、結菜は同じ学校のおなじ委員会の同級生なんだ。


 それ以上は何もいらない。


 それ以下の関係にもなりたくない。


「もっと早く気付いてればよかった」


「なんでよ」


「だって、異人がわたしだけじゃなくてすっごく嬉しいんだもん」


 急に距離が近づいた気がして顔を逸らす。冷静に考えて二人が使う椅子が動いているわけでもないし、その距離が数センチ変わっていたところできっと僕には気づけない。


「僕はちゃんとした異人じゃないよ。特脳だって使えないし」


「嘘だぁ」


「ほんとだよ」


「うそ! それ、ぜったいうそでしょ」


「だから、ほんとだって」


 袖が引っ張られる。


「でも襲われてた時に使ってたじゃん! なんかめっちゃすごそうなやつ」


「偶然だよ」


「でもほんとは?」


「......ちょっとだけなら、使える、けど」


「ほら! やっぱり!」


「ちょっと、声大きい......」


 少しくらいなら、この人なら、心を許してもいいんじゃないか。


「初めて異人仲間ができた!」


「学校にはいないの?」


「いないよ! だからわたしここにいるの。他の異人と関わっちゃいけないからって」


 心臓が跳ねた。


 この子はなにも知らない。


「......それは、いやだね」


「とおるもそう思うよね! わたしね、もっと色んなものを見てみたいの。例えば東京の原宿とか、新宿のお洒落なレストランとか、もっと渋谷のスクランブル交差点とか。なのに町から出ちゃいけないの」


 そう語る結菜は輝いた目をしている。


 夢に焦がれる少女。


「ねえ、とおるに聞いてみたかったことが沢山あるの」


「東京のこと?」


「そう! とおるって東京から来たんだよね?! あっちのこと教えてよ!」


 知っている事。


 ここにはない、あちら側の世界。


「......原宿は行ったことないけど、渋谷は数えきれないほどの人がいつでもいるんだ」


「じゃあ、あの交差点も?」


「そうだよ。ハチ公の銅像前とかもう、銅像なんか人で隠れてまったく見えないくらい」


「......すごい、すごい!」


 どうしてそんなに目を輝かせているのだろう。


「他は?!」


「他は......、どこを見ても高いビルばっかで、すぐに道に迷うんだ。けど、周りを見渡しても実は誰もいない感じがして......」


「でも、人はたくさんいるって言ってた」


「うん......。けど、なんか、ここの方が騒がしいんだ」


「よくわかんない」


 分からない方が幸せに違いない。


「うまく言えないかも......、ごめん」


「いいよ、じゃあ......」


 図書室の扉が開く。


 思わず驚いてすぐに振り向く。


「すごく楽しそうだけど、仕事はしてるのかなー?」


「高野先生、これは......」


 結菜が席から立ち上がる。


「本の整理と貸し出し期限は確認しました。誰も来ないから東京の話をしてたんです」


「お、じゃあそれ見るね......、どれどれ」


 ただ狼狽えていた僕と違って結菜は委員長に切り替わっていた。


 正直、僕は結菜と話すのに相応しくないと思う。これだけ明るくて性格のいい女子には誰かしら彼氏とか、結菜を好きな生徒がいるのがオチだろう。


「すごいじゃん! ぜんぶ綺麗にまとまってる!」


 ほら、と先生がこちらに見せつけてくる。ぜんぶ十数分前の僕たちが終わらせたものだ。


「まだあと三〇分近くあるんですよ」


「それだけど、今日はもう図書室閉めるから終わりでいいよ」


「え……」


「トオル君はまだ仕事してたいの? いいよ、じゃあ宿題だしちゃおっかな?」


 結菜が少し笑った。


「あ、いや、そんなことは……」


「先生、とおる勝手に帰ろうとしたんですよ!」


「何やってるの!」


「違います! そんな事してないです! 結菜も適当言わないでよ!」


 結菜はますます笑っている。


 普段なら不快な会話も今だけは嫌じゃない。


「だって、帰りたいよーって言ってたじゃん!」


「いや、あれは……」


「あ、言ったって認めたー」


「だかっ……、違うよ!」


 そもそもあれは結菜が切り出した話題だったはずだ。だから始めにその話題を出した結菜の方がツッコまれるべきなのに。


「いいから帰り支度しなさい。早くしないと図書室閉じ込めちゃうよ」


「はやく!」


 結菜が足早に図書室から出ていく。


 ......そのまま扉が閉まる気がした。


「............やっぱり」


 扉越しに結菜が笑っている。どうせそんなところだろうと思ってた。こういう行動の何が楽しいのかずっと分からない。


 なのにどうしてかな。


 僕はいま、きっと笑っている。


 結菜と目が合う。


「......っく、」


 二人して腹を抱えて笑い出す。


「ほら、帰りの支度をしておいで」


 また、目が。


 すると結菜は急に踵を返す。


「え、ちょ、待ってよ!」


 僕から逃げるように駆けだす。慌てて扉を開いて追いかけても手が届くようには見えない。


「危ないから走んないで!」


 先生の静止を振り切って走り出す。


 廊下に響く二人の足音。


「ゆいな、待ってってば!」


 けど彼女は止まってくれない。


「おそーい!」


 そう言いながら教室に駆け込む彼女は、それでも僕に笑いかけてくれた。


 がらがらと教室の扉が閉まる。


 きっと教室内でまた何か企んでる気がした。


 急に走ったせいで息は切れるし結菜には追いつけないし。


 扉に手を伸ばしてみる。


 


 この時間がしばらく続けばいいのに――――?


 


 でも、いいの?


 僕は不幸でなきゃいけないのに。


 僕が幸せになって良いはずがないのに。


 おかしいな?


 どうして笑ってるの?


 笑っちゃだめだよ。だって君は――、――――。


 死ね。はやく死んじゃえ。


「......ぼく、は」


 死んだほうがいい。


 はやく死んじゃえ。


 どうして笑ったの?


 変だよ。笑っちゃいけない。僕が奪った分の不幸がまだ終わってないのに。幸せになるのはそのあとでなんだから。


 ――お前がいなければ。


 僕がいなければ結菜はもっと幸せになれる。漣も、他の同級生たちも。


”だいじょうぶ......?”


 ――君が絡むとろくな事にならない。そうでしょう?


 そうだ。僕がいると大抵すべて悪い方向に。


 じゃあ、このまま帰っちゃおう。結菜とはもう話さない方がいい。


 手が触れている扉が急に隔たりに見える。ガラス越しに見えていた顔もいまは汚れで霞んでいた。


 なら、ガラス越しに、振り向いた刹那、ほんとは結菜は笑ってなんかいなくて。


「ちがう、楽しかった、きっと笑ってた」


 ――なら、なおさら許しちゃいけないよね?


    うん。許しちゃいけない。君は笑っちゃいけないんだから。


     だから取り乱すことはないよね?


 


 平穏に生きる。それは僕が決めたことだ。


 


 目が回る。上手く息が吸えない。


 もしもこうして遊んでたことがバレたら。


 ――そうだよ。また苦しむことになる。


 円蔵さんや栞さんが結菜になにか言うかもしれない。


 ――結菜に迷惑をかけるつもり?


 帰らないと。はやく。


「ねえ、だいじょうぶ?」


 肩に結菜の手が触れる。


「……ごめん、目眩が。だいじょうぶだから」


 触れた手のひらからは甘い痺れ。静電気のような刺激がゆっくりと身体を巡る。


「ありがと」


 また立ち上がらなきゃいけないんだ。僕は平穏に、何事もさざ波すら立てることなく生きていなきゃいけないんだ。


「二人ともなにしてるの?」


「とおる君が」


「だいじょうぶです。歩けます」


 立ち上がって教室に入る。さっさと荷物を持ってこの場から離れた方がいい。


「遊んでないではやく帰りなさい」


「すぐ帰ります」


 リュックを手に取って廊下に出る。


「とおる、ほんとに平気?」


「......うん」


 昇降口を出てふと気になった事を口に出す。


「そういえば、今日って運動部いないんだね」


「部活禁止って先生言ってたよ」


 思えば他に生徒はいない。


「それ、いつ?」


「朝礼の時に言ってたもん」


「言ってたんだ」


「とおるのクラスは言ってなかったの?」


「分かんない。覚えてないや」


 警察官が校舎に向かって歩いてくる。


 僕らに笑顔で会釈する。軽く頭を下げてすれ違う。


「物騒だね」


「また何かあったのかな」


「そんな事件ばかり起きても困るよ」


 風が強い。潮の香りがする。


 傾いた日が山に隠れ始めていた。


「ねえ、今日遊ぼうよ」


「…………え?」


 遊び、とは。


 誰と、どこに。


「えっと……どこで」


「わたしの家!」


 行きたくない。


「えっと、その……いい、けど」


 結菜の表情がぱぁと明るくなる。


 ……断ったら二度と相手にしてくれないんだろうね。


「じゃあ、すぐに家きてね!」


 結菜が駆け出す。


「ちょっと、待って!」


「待たなーい」


 結菜は振り向くと腕でバツを作った。けれど僕が呼び止める前にまた駆け出してしまう。


「じゃあ、またね!」


 そう言って角の奥に消えてしまった。


「……待ってよ」


 結菜の家がどこかなんて覚えてないのに。


 


 


 ――


 結局、家に居た円蔵さんに場所を聞いた。予想と反して何の文句なく場所を教えてくれた。ついでに幾つかのお菓子まで持たせてくれたけれど、その真意はいまいち分からない。


 誰かの家に遊び行くなんて人生ではじめてだし、それも女子の家だ。


 別に男子なら緊張しなかった、という話でもないけれどやっぱり身構えてしまう。


 かれこれ五分は家の前で立ち尽くしている。


 こういう時、インターホンを押していいのだろうか。結菜が出てくるなら良いけれど仮に栞さんが出てきたらどんな顔すればいいのか分からない。


 こういう時、携帯さえ持っていたなら。


「なにやってるの?」


「っ、あ……えっと、今着いたとこ」


 もはや怪訝通り越して不審者を見る目だ。


「一○分くらい前からいるじゃん」


 バレてる。


 冷や汗が止まらない。


「てか、わたしの家覚えてたんだ」


「あ、うん、このあいだお邪魔しちゃったし……」


「せっかく迎えに行ったのに」


 なんで僕の家を知っているんだ。


「なんで家を知ってるの?」


「姉さんに聞いたの。なんか不機嫌だったけど」


 大切な妹が僕なんかと遊ぶと言い出したら不機嫌にもなるだろう。僕が栞さんの立場なら怒鳴っていてもおかしくない。


 余計なことしやがって。ただ遊ぶだけじゃないか。


「栞さんは家にいるの?」


「いや、さっき出掛けてっちゃった」


「家に子どもだけでだいじょうぶなの......?」


「変なこと気にするんだね」


 大事なことだと思う。


 結菜が扉を開ける。かなり大きな屋敷みたいな家。桐原家ほどの異人ならこれくらい裕福で当然かもしれない。


 そんなことを思っていると目の前で扉が閉まった。


 僕はまだ家に入っていない。どうやら結菜は中に入ったらしい。


「......まじか」


 直後、扉が再度開く。


「ぼーっとしすぎ。ほら早く!」


「あ、うん。ごめん」


 家に入ると見たことのある玄関と洋風レトロなリビングが迎えてくれる。


「とおるさ、なんかおかしいよ。どうしたの?」


「そんな変かな」


 声を震わせるな。


「変だよ。なにかあったの?」


「べつに、なんもないけど」


 腕が震えてしまう。


 感情を出すな。動揺するな。


「でも震えてる」


 結菜が僕の腕を掴む。


「っ、......だからって、べつになんも」


「ならわたしの事がきらい?」


「そんなわけ......!」


「異人って分かってから避けてるくせに」


 違う、その言葉が喉に引っかかっている。


「やっぱり嫌いなんだ」


「違う!」


「じゃあなんで」


 結菜の手も震えている。


 その眼には涙が浮かんでいた。


「それ、は」


 吐き出そうとした感情が零れ落ちていく。


「なんでよ......」


 か細い声。


「異人の仲間がいたと思ったのに......」


「僕を異人って言うな!」


 結菜の手を振り払う。


「......っ、ぅぅ」


 気付いた時にはもう遅い。


 結菜の頬を涙が伝う。


「もういい!」


 けれど僕から出てくるのはこんな冷たい言葉で。


 違う。僕は。


 結菜と、友達でいたくて。


 傷つけたくない。もう遅い。


「......僕がぜんぶ悪いんだ。もう関わんない方がいいよ」


 僕が関わっていなければ、あんなに楽しく話していなければ、こんなことには。


 ――やっぱり死んだ方がいいじゃないか。


 その通りだ。


 僕なんか生きていない方がいい。


 死んじゃえ。僕が死んでいれば良かったのに。お前がいるからこうなるんだ。人を傷つける事しかできない。誰にも認めてもらえない。忌まわしい子ども。生まれてくるべきじゃなかった。


 もう、どうでもいい。


「......ごめん」


 逃げるように家を飛び出す。二度とここには来ない。そして二度と結菜とは関わらない。


 それでいい。それがいい。


「……あとで、とおるの家! 行くから!」


 これからは絶対に一人でいる。それこそがみんなの為だった。


 逃げてしまえ。逃げてぜんぶぜんぶ捨ててしまえ。


 もう、誰も苦しみませんように――――


 ――――


 ――


 


「おい、ガキ!」


 家の玄関が蹴られる音で意識が戻る。


「さっさと開けろ! いるのは知ってんだよグズ野郎」


 ......円蔵さんが、帰ってきたらしい。


 玄関を叩く音がうるさい。


「開けろ!」


 鍵を持っていかなかったのか。中学生に戸締りなんて任せない方がいいに決まってる。


 そう考えていたら乱暴に鍵の開く音がした。


「............なにしてやがる、ガキ」


 大股でこちらに近づく。なぜかは分からないけれど、円蔵さんは激しく怒っているみたいだ。


 僕の髪を鷲掴みにすると無理やり頭を持ち上げる。


「桐原結菜の行方が分からなくなった」


「......は?」


「は? じゃねーだろ! お前、なにをしやがった、どうせお前が余計な事を喋ったんだろ、え?」


 結菜が、行方不明。


 部屋の掛け時計は午後六時を示している。僕が結菜を最後に見てから大体三時間が経過している。


「......知らない。結局すぐに帰って来たから」


「はぁ? 遊びに行くって言ってたろ」


「......うるさい」


「うるさいだぁ? 桐原家が行方不明になってるって分からねぇのかクズ」


「僕はなにもしちゃいけないんでしょ。なら話したって無駄です」


 円蔵が髪の毛を放す。


「ああ、そうか。......まあ、普通に話をしてやる。特脳を使ってもいい、なんとしてでも桐原結菜を見つけて連れ戻せ」


 立ち上がろうとすら思えないのに?


「僕が動いたらどうなるか分かってるのにそう言うんだ」


「ああ、そうだ。桐原家が殺されてもお前の正体が露見しようと結局は同じ事になるからな」


「どうせ嘘ですよ」


「徳夜が許可した。嘘だと思うなら電話して聞いてみろ。どうせアレもお前が信じるとは思っちゃいねぇだろうよ」


 そう吐き捨てると玄関へと戻っていく。


「無理にとは言わねぇが、それでいいのかお前。友達じゃねぇのか」


 円蔵さんは僕と結菜が友達だと言った。


 委員会が偶然おなじだけで、部活でもそんな話すわけでもなければ異人じゃなかったらきっと一緒に帰ることすらなかった。


「どうする。ここで決めろ」


「またみんな死んじゃうかもしれないですよ」


「お前の監視役は思った以上にしぶてぇぞ。まずは自分の心配をしてろガキ」


 一面に広がる血の海が瞼に焼き付いて離れない。


 肉の焼ける音と腐りはじめた死体の臭い。


 そのすべての原因が自分だと知った時、もう二度と異人として生きたくないと思った。


『どーせわたしたち二人だけだし』


 けれど、思い出してしまうのは見慣れてきたはずの美術室だから。


 まだ部活がしたい。


「……喧嘩したけど、僕は結菜の仲間なんだ」


 けど、結菜を傷つけてしまった。


「だから謝らないと」


「ならさっさと外に出ろ。状況を教えてやる」


「わかった」


 ……部屋を出る直前、窓の外には雲に隠れた月がかすかに光っていた。


 


 


 ――


 事の発端は僕が結菜の家から飛び出した直後に遡る。 


 今日の一四時から同時多発的に県内各所で異人の暴走が確認された。当然、僕たちの住む区域でも暴走が起きる。栞さんと円蔵さんがこれに対処するも、戻ってみれば結菜が消えていた、という流れらしい。


 異人連盟はこれを『集団的特脳犯罪』として九州全土に厳戒令を発表。同時に被害に遭っていない異人の保護を指示した。


「なんで結菜を探そうとしないんですか」


「っはぁ……、やっぱガキだなお前。いや、中学生だったな……」


 円蔵さんが面倒くさそうに首を傾ける。


「一ついい事を教えてやる。異人が秘匿存在だが連盟だって政府機関なんだ」


「それがどうしたって言うんですか」


「子ども一人の捜索に政府が全力を尽くしました、なんて公に言えるか?」


「……よく分からないです」


「まあ、お偉いさんの勝手な都合だ。お前は桐原結菜に集中してろ」


「はい」


 既に周辺の特脳痕跡は洗い終えている。けれどダミーが多い。


 各地で起きている特脳暴走のせいか結菜に繋がる痕跡が判別できない。


「なにか分かるか」


 僕は首を横に振ることしか出来ない。


「痕跡が多すぎてこの辺りだけでも追い切れないですよ」


 円蔵さんが沈黙する。


 なにやら嫌な予感がした。


「……どうしたんですか?」


「この辺りの異常はすべて対処したはずだが」


「え? でもまだ反応残ってますけど……」


「おかしい」


 なにやら円蔵さんが考え込んでいる。考えてわかるならはじめから解決している気もするけど。


「……おい、痕跡が広がり続けているか分かるか」


 再度、周囲の痕跡を捕捉する。今のところ痕跡は市内から外に向けて密度は減っている。


「……九州全土で見てみます」


 張り詰めた沈黙。


「……これ、痕跡が移動してません?」


「どういう意味だ」


 どうもこうも、言った通りだ。


「痕跡がまるで意思を持っているみたいに……」


 自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。けれど明らかに車に乗った速さの痕跡がいくつも点在しているのも事実だ。


「……円蔵さん?」


 はじめて見る深刻な表情。


「分布はわかるか」


「市内の大半に点在してます」


 円蔵さんの目が険しくなる。


「……そういうことか」


「なにか分かったんですか」


 その目は遠いどこかを見ているみたいで。


「一般人に細工されたんだろう。最悪の場合は、まあ、想像に難くないな」


 一瞬、円蔵さんの言葉が理解できなかった。


 特脳、痕跡。まるで意思を持ったように動く。


 誰かが意図的に付与した可能性。


 沈黙を破るように部屋の扉が開く。


 見慣れた黒スーツの男。


「……徳夜、お前どこで何してやがった」


「連盟との交渉に手間取りましてね。桐原結菜の所在を捜索する場合は増援を撤退させるとの事でした」


「徳夜さん、あの」


 感情のない目。


「彼を利用するのは気が進みませんが……まあ良いでしょう」


 一瞬だけ僕の方を見た、気がした。


 傷だらけのトロリーバッグを机に下ろして僕の横に座る。


「桐原委員はどちらに?」


「各地の暴走対処に追われてるだろうよ。お前の命令だ、徳夜」


「ええ、手筈通りです」


 空気が重い。


「では、透。君は特脳の痕跡を辿って犯人を追いなさい」


「待てよ。ガキにやらせることじゃぁねーよな」


「副室長は潜んでいるだろうシュッツ構成員の逮捕を命じます。よろしいですね」


 円蔵さんはしばらく徳夜を睨んでいたが、それでも静かに口を開く。


「……よろしいわけねぇだろ。敵と戦うのは俺たちの責任だろうが」


「適材適所です」


「年端も行かねぇガキに戦わせることが、か?」


「そうです」


 円蔵さんが一瞬だけこちらを向く。


「ご不満ですか?」


「ああ、不満だ」


 無言で睨み合う二人。


 この空間からはやく逃げ出したい。


「他に手段がない事は貴方が最も理解していると思いましたが」


「お前なら状況を変えられるだろうが」


「私にも立場がありますから」


「ガキの立場はおかまいなし、って訳か」


 今さら親みたいなことを言っても遅いのに。


「大丈夫です。決めた以上はやります」


「ガキ!」


 身を乗り出した円蔵さんを徳夜が制止する。


「では始めましょう。我々の目的は桐原結菜の安全のみですから」


 椅子にふんぞり返った円蔵さんが鼻で笑う。


「他の人間は死んでもいいって言うのか」


 徳夜は僕らに背を向けている。


「それを決めるのは連盟です。我々ではない」


 聞きたいことは山ほどある。


 喉はからからに乾いて声にならない。


 どうして、貴方は僕を救ってしまったんだ。


 ……玄関の閉まる音がした。


「狂っていやがる」


 苦々しそうに円蔵さんは吐き捨てた。


「特脳痕跡の解明はこっちでやってやる。お前は徳夜の言う通り痕跡の大元を追え、いいな」


「でも、それじゃあ」


「……誰かが追いつくまで時間を稼げ」


 円蔵さんはこちらを見ようとしない。


 それはつまり僕に戦えと言っているわけで。


「……それで、いいんですか」


「命令だ」


 眩暈がする。


 つい数時間前まで結菜と図書室にいたのに。


 ただの中学生だったのに。


「なら行ってくればいいんですよね、それが僕の役割なんですから。……なにかあったら連絡、お願いします」


 どうせその時には連絡なんて通じないだろうけど。


「……いってこい」


 単なる社交辞令。


 ぱたん。


 ――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ