第二話 擬態した日常
傾きはじめた日は人気の無い校舎を紅く染め上げる。
見下ろすように眺めた校庭にははしゃぎながらも帰路に着く生徒の後ろ姿。
もちろん、その場所に僕はいない。だって僕は見つめる側なのだから。
がらくたを段ボールに片付けながら、ふとそんな事を思った。我ながら痛々しい想像だと思う。
「こっち終わったよ」
「ありがとう、わたしも終わった」
片付けてみると初めて見た時は散らかっているように思えた美術室が物足りなく見えた。
……美術部は絵だけを描くものだと思ってた事が恥ずかしい。
「じゃあ帰ろう」
先に帰っていても良かったのに。
「終礼はしなくていいの?」
「どーせわたしたち二人だけだし」
初心者と部長の二人。
委員長と副委員長。
一応、少年と少女とも言える。
「ぼーっとしてないで教室でて」
「あ、ごめん」
慌ててカバンを背負って教室を出る。直後、結菜が突き刺すように鍵を回す。
その勢いにドアが揺れている。
「こうでもしないと鍵が閉まらないの。立て付けが悪いだけだから」
結菜はバツが悪そうに顔を逸らす。
「別になんにも言ってないよ」
「言ってないだけじゃん」
その言葉に僕はなにも返せない。
「とおるもやってみてよ」
ほら、と鍵を渡される。どうやらまだ鍵は閉まらないらしい。
とりあえず丁寧に鍵を差し込む。
「向き逆」
反時計回りに回す。
……鍵は閉まらない。
鍵を戻して強く押し込む。ドアが揺れる。
「ね?」
僕が苦戦している様子が楽しいみたいだ。
そうこうしている内にガチャりと音がした。
振り向くと結菜が面白くないですと言いたげな顔をしていた。
「面白くない」
直接言われてしまった。
その一言で、結菜はまた普段みたいに冷たい空気を纏ってしまったように感じた。
つい数分前まで、あんなに楽しそうにしていたのに。
「ねえ、つぎの部活っていつだったっけ」
「月曜日。とおるも来るの?」
感情の分からない眼。
強ばりそうになる自分を必死に押し留める。どうしてか、絶対に怖がっちゃいけないとそれだけが頭を駆け巡っていた。
「うん。今日も楽しかったし」
「良かった」
胸が痛い。
ほんとうに楽しかったのに、言葉にうまく感情が込められない。心躍る時間だったのにどうして笑えない。
「ねえ」
ずっとここに居たいと願ってしまうくらい、ほんとうに楽しかったのに。
「どうしたの?」
「…………」
「とおる?」
「……鍵って、どこに返せばいいんだっけ」
けっきょく、僕は素直にならない。
「職員室で先生に渡すの。最後教室を閉めてから帰りに寄ればいいのよ」
なぜか急に静まってしまった廊下でさっきまで夢中だった教室を思い出して。
息が苦しい。
日が暮れた放課後は人いない寂しい場所。職員室も昼間みたいな活気はない。
見回りの先生たちはまだ残っている生徒を急かすように手を叩く。ふと時計を見やれば針は既に下校時刻を指していた。
「急がないと、閉じ込められちゃう」
結菜もちょっと急かしてきた。
「もう下校時刻過ぎてるよ?」
「だから早く行かなきゃ!」
まるではしゃいでいるように、飛び跳ねるように廊下を走り出す。
「外にエリとヒメカが待ってるの。急がないと先帰っちゃうかも……」
だったら先に行けばいいのに。
「それじゃあ、また月曜日にね。おつかれ」
結菜はそさくさと靴を履き替えて小走りに去っていった。
「……おつかれ」
僕がそう口にした時には背中さえ見えなかった。
靴に履き替えて帰路に着く。
単なる通学路も日が落ちれば立派な星空。
ただの校庭だって星々に照らされるステージ。
......きっと誰も立てない寂しい舞台だ。
頬をさらう風と帰路を照らす星々は、けれど僕を見守っているように思えなかった。いつまでも僕らは見下ろされるままで、どう足掻いてもそこに届きはしない。
まさか土曜日も学校に通うなんて想像もできなかった。
小さな住宅街は淡く灯る。まるで頭上に広がる星空みたいに。
温度を失くした川岸を渡れば誰もいない寝床がそこにある。……やっぱり星に届きやしない。
「おーい、きみ!」
今日の夕食は久々のカップ麺かもしれない。どんな人柄だろうと今や円蔵さんしか家族に近い人はいないんだ。
「おい、返事しろよ!」
みるみる大きくなる嫌な予感を胸に声の主を振り向く。
「そうそう! きみだよ」
笑顔で手招きするジジイ。
「この水筒! 落としてるぞー!」
声までにこやかに手を招く男性。
確かにそれは僕の水筒だ。
「すみません! ありがとうございます......」
差し出された水筒を受け取ろうとして。
そういえば……水筒、リュックに入れていた気が。
「あの……ありがとうございます」
手に取った水筒はぴくりとも動かない。
ジジイもにこやかに僕を見下ろしたまま微動だにしない。
水筒に目を落とす。フタにある欠損はたしかリュックにしまったはずの水筒と同じだ。。
「いま、タのしイィ?」
不敵な笑みが不気味に歪みはじめる。
……それは人ならざる化モノ。
「ほォラ、手をとッテ?」
即座に後ろに飛び下がる。喉元に伸ばされた腕が前髪を掠める。
「アれ……?」
まさに間一髪。彼は訳が分からないという風に両手を見つめている。
「あれれ、どうして手を取ってくれないんだろうおかしいな……おかしいよこーんなに楽しいのにゆめのせかいなのになぁぁ……」
視点の定まらない目でぶつぶつ呟いている。
常軌を逸した変質者。
水筒なんか放って逃げるべきだと全感覚が告げている。
「ア、そっカぁ。きミ、もシかしテ聞こえないね?」
――彼ハ、見ェてルに違イなイ。
空気はこれ以上なく緊張していて。
ならば目の前のコレは。
「いや、その、……どういう」
「ミ”ぇテル、ナ”ァァァ!」
――聞こえないのか見えてるのかはっきりしろ......!
突風のように迫りくる爪を間一髪でかわしヒトの形をしたソレと相対する。
彼に一滴の雫が垂らされたように。
その波紋を僕はよく知っていた。
本来ありえないはずの第六感とその行使者たる異人。
特脳と呼ばれる第六感は世界に干渉して事象を書き換えることさえ出来る。
……そんな滑稽な力なんてさっさと根絶するべきなのに。
「聞こえナィイなラ、殺すしカな、ねェ」
刹那、僕を包む波紋が逆立つ。
流れる水のように広がる意識はいずれ感覚を拡散させる。五感が失われてやっと、自分が世界の一部でしかないことを自覚できる。
例えば、いまこの瞬間のように。
肌にまとわりつく殺意とともに刃物を持った手が迫る。
彼の世界が僕を閉じ込めようとしているのなら、僕はそれを壊して見せよう。
肌に触れた殺意も、目前に迫る刃物も、僕の世界には必要ない。
そう、凶器には狂気をもって。
――意識が一粒、世界を駆け巡る。
空気が揺らぐ。
世界の構築が歪む。
......カタチない思いは溶けて。
だいじょうぶ、何も残さない。
なにも残ってしまわないように。
ころすだけではなんにもきえないから…………
狂気はその鈍い煌めきを残して下へと落ちる。
「っ......、誰が」
颯爽とした足音。けれど捉えるのは容易い。
念には念を。誰にも近づかれるわけにはいかない。
「じゃマだ! ドっかいッてクレェ........ェ」
直後、刃物が吹き飛ばされる。
……思っていたよりもコイツの反応が早い。
まだ第三者の気配は遠い。
もしもこれが何者かによる襲撃だとしたら。
――挟み撃ち? それとも遠距離で?
「動かないで」
考えた時点でもう遅い。
首元には冷たい金属の感触。
目の前の変質者はその場で静かに崩れ落ちる。
「余計な怪我をしたくなかったら黙ってついてきなさい」
......他に選択肢は無い。
「……結菜?」
「後で説明してあげるから」
待ってくれと口にする間もない。
暗転。
*
「......紅い」
深紅の天蓋。
深紅に染まった部屋には天蓋付きのベッドの他に家具がない。察するに僕をここに眠らせた人物は円蔵さん、もしくは連盟に縁のある異人だったのだろう。
起き上がっても身体は痛くもなんともない。分からないけれど穏便な方法で運ばれてきたみたいだ。
扉まで深紅に染まっている。
「ねえ、......」
扉がこちらに向けて開く。
「い”だっ!」
唐突の痛みに思わず頭を抱える。
「ご、ごめん! だいじょうぶ?!」
何も大丈夫じゃない。
文句の一つでも言ってやろうかと思いながら顔を上げる。
「......結菜?」
「ごめんね、まさか起きてるとは思わなくて」
お嬢様みたいな服を着ている。まるで深窓の令嬢みたいな、そんな姿。近寄り難い大人びた雰囲気を纏っている。
「いや、だいじょうぶ」
痛みをこらえながら立ち上がる。かなり強くぶつけてしまったようだ。
「でも、なんで結菜が?」
「ここ、わたしの家だから」
なぜ、と聞かれるのは僕の方だったかもしれない。
「とおるも、わたしと同じだったんだ」
その言葉が何を指しているのかは聞くまでもない。
「早くいこ。姉さんもとおるのお父さんも待ってる」
「……親はいない。小さい頃に殺された」
「……そっ、か」
結菜の目が伏せられる。
「わたしと、同じだね」
君が桐原の異人なら、たしかに同じだろう。
「お姉さんがいるんだね」
「うん。今は二人で住んでるの」
「......そっか」
その理由も僕は昔から知っている。
たぶん、君のお母さんの事も。
「そいえばとおる」
「どうかした?」
結菜は立ち止まると覗き込むように目を合わせる。
「わたしが居なかったらどうするつもりだったの?」
「......あの時は怖くて、たぶん動けなかったよ」
真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「そーなんだ」
顔が熱い。
「とおるってもっと冷たい感じかと思ってた」
顔が近い。
目を合わせられないのは自身の嘘のせいか、はたまた別の何かか。
「どういうことだよ」
結菜は楽しそうにその場で回る。
「どういうことだろーねー?」
理解できない。そんな楽しそうに話すのも、結菜にどう思われているのかも。
興味ない。
僕らは異人だ。
「ほら、はやく行こ」
……ほんとに、楽しそうだな。
「……栞さん」
相変わらず感じの悪い目をしている。
「なに? いまさら言いたいことでもあるの?」
「……お久しぶりです」
「お姉さん、とおると知り合いなの?」
その問いに答えることなくグラスを仰ぐ。
「どういうこと?」
「黙りな」
栞さんは結菜を睨み付ける。
「帰るぞ」
円蔵さんが僕の腕を掴む。
「またね、とおる」
「……うん」
扉が閉まる直前、結菜が怯えたように見えたのは気の所為だったのだろうか。
「……分かってるよな。余計な事は言うなよ」
「はい、分かってます」
円蔵さんの声がいつになく低い。
結局、僕らは何も知らないままだ。




