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柳田さんに取り憑かれた日のこと  作者: せなね


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90/93

番外編『宮本さんと風間さん㊽』

2026/09/13

旧㊼を修正した話の後編となります。未読の方は、お手数ですが㊼から再読をお願いいたします。



 読経が始まる時間になった。

 私たちは、葬儀会社の人に受付を変わってもらい、中へと戻る。

 私とりっちゃん、そしてびすけちゃんは、喪主である源爺さんと共に、親族側の席に通された。

 「いいの?」

 私が訊ねると、源爺さんは薄く笑い、そっと肩を叩いてきた。

 「お前たち二人は、アレにとって孫も同然の存在じゃったからな。親族として出席してやった方が、きっと喜ぶ」

 私は目元に滲んだ涙を拭いつつ、泣き笑いのような笑みを返した。



 焼香の際、びすけちゃんはぴくりとも動かなかった。

 作法を忘れたのだろうかと思ったが、すぐにそうではないと気付く。

 当時のびすけちゃんは、まだ左眼にしか眼帯をつけていなかった。右の銀眼が、親の仇のように遺影を睨みつけている。

 私は、びすけちゃんの身体を揺すって焼香を済ませるよう促したのだが、

 「勝手になさい」

 りっちゃんが厳しい表情をして立ち上がったのを見て、諦めた。

 「・・・」

 びすけちゃんは、りっちゃんの言葉に反応すらしなかった。



 読経と弔問客の焼香が続く中、私はずっと俯いていた。

 ちらりと横を見やると、りっちゃんとびすけちゃんは、親子揃って厳しい表情を浮かべていた。

 (こんな時、あか婆がいてくれたらな・・)

 そう、考えずにはいられなかった。

 あか婆は、私とりっちゃんの仲が拗れそうになる度にいつも仲裁してくれたし、びすけちゃんの子育てにも尽力してくれた。私とりっちゃんだけではどうにもならない問題は、いつだってあか婆が何とかしてくれた。

 あか婆は、私とりっちゃんのことを本当の孫のように可愛がってくれたけれど、私とりっちゃんも、あか婆のことを本当の祖母のように慕っていたのだ。

 そのことを、改めて思い知らされる。

 悲しみが、溢れそうになる。



 その時、不意にびすけちゃんの肩がぴくりと動いた。



 同時に、前髪が軽く焼けたような、ちりっとした痛みを覚える。

 何だろうと内心で首を捻っていると、横にいるびすけちゃんが急に立ち上がった。

 「・・・びすけちゃん?」

 声をかけると、

 「お花を摘みに行ってくるです」

 それだけ言い残し、さっさと広間を出て行く。私は後を追おうと腰を浮かせたのだが、

 「放っておいて」

 りっちゃんに止められ、結局立ち上がることはなかった。

 それから、ほんの数分後。

 ガシャン、と、何か大きなものがぶつかるような音と共に、



 「ああああああああああああああああっっ!!!!」



 びすけちゃんの、怒りに満ちた叫び声が聞こえた。



 ※※※

 ※※

 ※



 「くそがっ!! 舐めやがって!!!」

 びすけちゃんの怒声と共に、ガラス窓が割れる音がした。

 声は、台所の方から聞こえてくる。

 唖然とする私の横で、りっちゃんが飛ぶような速さで広間を出て行った。我に帰った私も、慌ててその後に続く。

 台所に飛び込むと、中でびすけちゃんが荒れに荒れていた。

 「情けをかけたつもりですか!!! ふざけやがって、この野郎っ!!! 久喜原の実力はこんなものじゃねぇのですっ!!! 本気見せてやっから、もう一回かかってこいなのですっ!!! あか婆のお葬式で舐め腐った真似しやがって!!! 地獄に追い返してやっからかかってこいなのです、このクソアマがっっ!!!」

 びすけちゃんは大声で何事かを喚き散らしながら、側にあった食器やら何やらを手当たり次第に窓に向かって投げつけている。



 その横で、一人の男の子が必死になってびすけちゃんにしがみついていた。



 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・」

 男の子は苦しげに顔を歪めながら、何故か詫びの言葉を口にし続けていた。

 その整った顔は見間違えようがない。先程受付で見た、変わった苗字の男の息子さんだった。

 びすけちゃんはどうしたのか? 男の子は何故こんなところにいるのか? 何が起こっているのか全く分からなかったが、びすけちゃんは男の子のことをまるで意に介さず、何かに向けて怒り狂っていた。

 「ああああああああああああっっ!!!」

 びすけちゃんは癇癪を起こしたように地団駄を踏むと、『左眼』の眼帯に手を伸ばし始める。

 途端、びすけちゃんの『左眼』を中心に、蒼い放電のようなものが走り始めた。



 ━━━『あの力』を使う気だ。



 それに気付いた瞬間、私とりっちゃんの顔が真っ青になる。

 『あの力』は、人(・)前(・)で(・)使(・)っ(・)て(・)は(・)絶(・)対(・)い(・)け(・)な(・)い(・)『(・)力(・)』(・)な(・)の(・)だ(・)。

 「びすけちゃん、ダメ!!」

 私は大慌てでびすけちゃんに駆け寄り、眼帯を外そうとしていた腕を掴む。

 「離してくださいなのです!! 久喜原は、分からせてやらないといけないのです!!!」

 ギリッ、と、びすけちゃんの歯が軋む音がした。



 「久喜原は強いんです!! 久喜原は最強なんです!! 久喜原はどんな相手にだって負けないのです!! 久喜原がいれば・・久喜原さえいればっ!! ど(・)ん(・)な(・)バ(・)ケ(・)モ(・)ノ(・)が(・)相(・)手(・)だ(・)っ(・)て(・)勝(・)て(・)て(・)い(・)た(・)は(・)ず(・)な(・)ん(・)で(・)す(・)!!!」



 びすけちゃんの血を吐くような叫びに、場が一瞬、しんと静まりかえる。

 「びすけ・・」

 りっちゃんの悲痛な顔が目に入る。それで一瞬、力が緩んでしまった。

 びすけちゃんは私の手を無理矢理振りほどくと、再度『左眼』の眼帯に手をかけた。いけない、と思った瞬間━━



 唐突に、男の子がびすけちゃんの身体をぎゅっと抱きしめてきた。



 「・・・!」

 びすけちゃんは目をまん丸にし、ビクリと大きく身体を震わせた。

 「・・・」

 唖然とする私たちの前で、男の子は無言でびすけちゃんを抱きしめ続けた。

 眼帯を掴んでいた腕が、力を失ったようにだらんと垂れ下がる。びすけちゃんは口をぽかんと開け、呆然とした表情を浮かべている。

 男の子はおもむろにびすけちゃんの耳元へ顔を寄せると、

 「本当にごめんなさい。どうか、どうか・・」

 


 「姉さんを、許してあげて」



 「・・・!!」

 びすけちゃんの身体が、耳舐めASMRのすごいやつを聴いた人のように大きく跳ねる。

 その顔が見る見る赤くなっていたかと思うと、突然男の子の身体を突き飛ばし━━

 「久喜原に触るんじゃねぇですっ!!!」

 男の子の頭を、ぐーで思い切り殴りつけたのだった。



 ※※※

 ※※

 ※



 「何やっとんじゃぁぁぁ、びすけぇぇぇ!!!」

 そこから先は、先ほどとは違う意味で大騒ぎだった。

 男の子は、いつぞやのりっちゃんのように身体がピーーンとなった状態でビクンビクンしており、びすけちゃんはブチギレているりっちゃんに向かって、

 「久喜原は悪くねぇのです!! アイツが久喜原に性加害してきたのが悪いのです!! これは正当防衛なのです!!!」

 と、他責していた。

 小さな台所に、騒ぎを聞きつけた人が溢れんばかりに集まってくる。場はしっちゃかめっちゃかとなり、葬儀は中断を余儀なくされた。



 その後。

 警察をどう誤魔化すか源爺さんと相談していたところ、男の子がひょっこり起き上がってきた。私と源爺さんは万感の思い込めて「よかったぁ」と胸を撫で下ろした。

 もう三十発くらい殴らせろですと息巻くびすけちゃんを、りっちゃんがアルゼンチンバックブリーカーで担いで強制退場させると、男の子は両親と共に、私と源爺さんに深々と頭を下げてきた。

 ぎゃあああああああああああというびすけちゃんの悲鳴が遠くから聞こえる中、男の子は泣きそうな顔をして、

 「僕が、台所にあったお菓子を全部食べてしまったのがいけないんです・・」

 と、頭を下げてきた。

 男の子が言うには、お腹が空いていたので、つい台所にあったお菓子を食べてしまったところ、それをびすけちゃんに見つかってしまい、喧嘩になったのだと言う。

 「・・・」

 私も源爺さんも、はいそうですかとはとても頷けなかった。

 この子の表情を見れば、そんなことはしていないのは明白だったし、何よりびすけちゃんは、男の子ではない『別の何か』に向けて怒りを発していたのだ。

 この子は、嘘をついている。そして━━



 誰(・)か(・)を(・)庇(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)のだと、私は察した。



 「・・・本当に、申し訳ございません」

 男の子のご両親が、神妙な面持ちで目を伏せ、

 「この子は、普段は大人しい子なんですけど・・。時折、つまみ食いや変なイタズラをする悪い癖があるんです。どうか、許してあげてください・・」

 そう言って、親子三人深々と頭を下げてくる。私と源爺さんはかなり戸惑ったが、結局、それ以上突っ込んだことは何も訊ねなかった。何故なら、男の子の目━━その目が、



 ━━━どうか、そういうことにしておいてください。



 と、必死に訴えかけていたからだ。



 ※※※

 ※※

 ※



 やがて、葬儀が再開される。

 読経が粛々と響き渡る中、びすけちゃんは髪をわしゃわしゃとかきむしり続けていた。

 びすけちゃんは、時折「あー」とか「んー」とか小さく唸りつつ、チラチラと何かを見ていた。

 その視線の先にいるのは、あの男の子である。

 「何、アンタ? あの子に惚れちゃったの?」

 りっちゃんが、意地の悪い顔をして言う。指でほっぺたをツンツン突っつくと、びすけちゃんは目尻をキッと吊り上げ、ぐるぐるパンチで無言の抗議をしてきた。

 「おぅおぅ、幼稚園児のくせに色気付きやがってよぉ。どうする? 葬式終わった後にねるとんやっか?」

 「りっちゃん、世代が違いすぎるよ? 今の子に言っても分かんないよ?」

 りっちゃんと顔を見合わせ、くすくすと笑っていると、読経をあげているお寺さんに、大き目の咳払いをされた。

 私たちは叱られた小学生のように身を縮こまらせ、大慌てで居住いを正した。

 二十歳を超えたいい大人が何をやっているのだろうと、私とりっちゃんも顔を真っ赤にして反省していたが、口元がどうしても緩んでしまう。

 いつものびすけちゃんが戻ってきた。

 そのことが、たまらなく嬉しかったからである。

 ふと視線を上げると、あか婆の遺影と目があった。

 私の勝手な願望に過ぎないけれど、あか婆もきっと喜んでくれている━━そんな風に思った。



 ※※※

 ※※

 ※



 あか婆が火葬場に送られる段になって、それまで大人しかったびすけちゃんが、急に棺桶にしがみついてきた。

 「・・・」

 私とりっちゃんはあらゆる言葉を尽くしてびすけちゃんを引き剥がそうとしたのだが、まるで応じる様子がない。無言のまま、ぴくりとも動かずに、あか婆が眠っている棺桶にしがみついていた。出来ることなら気の済むまでそうさせてあげたかったが、諸般の都合上、それは出来ない。やむなく、私が力ずくでびすけちゃんを引き剥がすこととなった。激しく抵抗するだろうと思われたが、予想に反し、びすけちゃんは驚くほどすんなり離れてくれた。しかし━━

 「・・・かないで」

 びすけちゃんの身体が、激しく震えていた。

 「あか婆を連れて行かないで!! うわあああああああんっ!!!」

 火がついたように泣き始めたびすけちゃんを、りっちゃんが強く抱きしめる。

 私と他の参列者は、まるで時が止まってしまったかのように、微動だにせずその光景を見つめている。

 涙で前が見えない。

 鈍い耳鳴りがする。

 あか婆の記憶が走馬灯のように次から次へと流れてくる━━



 膝から、力が抜けた。



 びすけちゃんの悲痛な泣き声が響き渡る中、私もりっちゃんも、声を大にして泣いていた。



 ※※※

 ※※

 ※



 あか婆の気配が消えてしまった家の縁側で、私は一人、夜の月を眺めていた。

 つい先ほどまで聞こえていたびすけちゃんの泣き声も、今はもう聞こえない。

 そっと様子を確かめてみると、びすけちゃんはりっちゃんに抱きしめられるような形で眠りについていた。私は二人を起こさないよう注意しつつ、ゆっくりと客間の襖を閉めた。

 夜の空は憎らしいほど華やかで、あか婆がいなくなってしまったことなど気にも止めずにキラキラと輝いている。八つ当たりだと分かっているのに、私はそれを少しだけ腹立たしく思った。と━━



 あか婆が安置されている居間に、何者かの気配を感じた。



 弔問客は全員辞しており、あか婆の家に残っているのは私とりっちゃん、びすけちゃんのみである。来客の予定はない。

 私はゆっくりと立ち上がり、居間へと向かった。

 もし泥棒の類だったら、全身の骨を畳んで警察に突き出してやる━━そう意気込んで襖を開けると、



 あか婆の遺影の前に、男が座していた。



 その後ろ姿に、私は見覚えがあった。

 あか婆の一番弟子━━安西晴信である。

 私は、この男が大嫌いだった。

 色々なところが生理的に無理だし、あか婆の葬儀に顔を見せなかったことも気に入らないし、びすけちゃんが生まれた時の『アレ』のこともある。今度見かけたら全身の生皮を剥いでやると宣告した相手だが━━

 私は、何の言葉もかけることが出来なかった。

 口を開くどころか、一歩前へ踏み出すことすら出来ない。

 遺影と祭壇以外、ほぼ何もない空間が、まるで危険な野生動物の縄張りであるかのように感じられる。私は息を呑んだまま、ぴくりとも動かない安西晴信の後ろ姿を見つめていた。

 この男とあか婆がどういう出会いをし、何がきっかけで『一番弟子』となり、いったいどんな道を歩んできたのか?

 そういうことを、私は一切知らない。

 けれど、安西晴信の背中からは、何も知らない第三者の私にすら、その『重み』がひしひしと感じられるほどに、何かしらの壮絶なものが滲んでいた。

 やがて、安西晴信がゆっくりと立ち上がる。

 濃い闇に隠れていて、あの男がどういう表情を浮かべているのかは分からない。黙ったまま、私の横を通り過ぎていく。しかし、すれ違い様、



 「あかり師匠(せんせい)の仇は、僕が討ちます」



 静かに、そう呟いた。

 その言葉は、果たして誰に向けられたものだったのだろうか? 

 それは、私に向けられたもののように思うし、あか婆に向けられたもののように思うし、あの男がいつも持ち歩いている『妙なもの』に向けられたもののように思うし、あの男自身に向けられたもののように思うし、誰にも向けられたものではなかったようにも思う。

 けれど、一つだけ確かに言えることは━━



 全(・)盛(・)期(・)の(・)私(・)を(・)遥(・)か(・)に(・)超(・)え(・)る(・)『(・)力(・)』(・)を(・)持(・)つ(・)怪物が、今、生まれて初めて全身全霊全力を持って何者かを殺しにいくのだと━━



 そう決意したのだということを、私は隠しきれない畏れとともに察していた。


 


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