番外編『宮本さんと風間さん㊸』
━━━お前の求める『領域』には、決して辿り着けぬ。
主さんのその言葉が、頭の中で何度も木霊した。
霞がかった頭の中で、その声が遠くなったり近くなったりする。それは対岸の向こう側から聞こえてきたかと思えば、次の瞬間には耳元から聞こえてくる。私はその声に、耳を塞ぐことも振り払うことも出来ず、ただぼうっと座り続けることしか出来なかった。
━━━自分には、出来ないことなんて何一つないと思っていた。
分かっていないのは世間の方で、無知なのは世間の方で、世界で私だけが『出来る』ことと『出来ない』ことが正確に分かっていて━━そんな私が『出来る』と思ったら、例えそれがどれだけ無謀なことだろうと、絶対に『出来る』と信じていたのに━━
私は今、私とは比較にならないほど何でも出来て、何でも分かっている相手から、私の一番の夢を「無理だ」と宣告されたのだ。
それは、生まれて初めて覚える類のショックだった。
自分が生涯をかけて叶えたい夢が叶わない。
そんなことはない、そんなことがあるものか、やってやる、絶対に成し遂げてやる━━今の私に必要な虚勢と啖呵が、どうしても心の中から湧き上がってこない。その気骨がなければ立ち上がることが出来なくなるのが分かっているのに、私の心はまるで石のようになってしまっていて、ほんの僅かな反発心すらも浮かび上がっては来なかった。
つまりそれは、主さんの言葉が真実であると、私自身が完全に認めてしまっているという証左に他ならなくて━━
気付けば、私の目からは涙が溢れていた。
そんな私を見て、主さんはオロオロと目を彷徨わせる。
「な、泣くなよぅ・・泣くのは反則だぞ・・」
「で、でもだって、主さんが、私の夢は叶わないって言うから・・」
「そ、それは、『今のままでは』という意味だぞ? お前の夢は叶う。必ず叶う。朕が叶えさせてやる。だから、泣くのはやめろよぅ・・」
主さんにそう言われ、私は顔を上げる。
「ほ、本当ですか・・?」
「! あ、ああ!! 本当だとも!! 何せ、朕は朕であるからなー。『天』であり『冥』であり『生』であり『死』、即ち森羅万象における『すべて』であるからなー。その朕が言うのだから間違いないー。宮本静佳よー。朕は朕の『存在』にかけて、必ずやお前の夢を叶えてみせようぞー」
干上がった古井戸のようになってしまった心に、一筋の温かい光が灯ったような気がした。
けれど、ようやく灯ったその光は、すぐに不安の雲に包まれる。
「で、でも、主さん・・。私の『夢』は、誰かに叶えてもらうことで成せるようなものではありません・・。私の『夢』は、私が私自身の『力』だけで成し遂げたいことなのです!!」
私の望みは『究極の一撃』を極めること。
それは、自分自身の『力』で辿り着かなければ意味のないことであり、漫画やラノベに出てくるような借りものの力で『それっぽいもの』を使えるようになったところで、何の価値もないものだった。私の抱く『夢』とは、そういう『夢』だ。
「然りであるー」
主さんが頷く。
「朕はお前の夢を叶えてやると言ったが、それはあくまでもお前の手助けをしてやるという意味であるー。朕がその気になれば、今すぐにでもお前を『9』にしてやれようー。『10』以上の『力』を宿す別の『領域』にも連れて行ってやれようー。だがな━━」
「それでは、ダメなのだ」
「『10』には届かぬ。絶対に届かぬ。あと一歩が踏めぬのだ。朕はな、長い長い時間をかけて、ようやくそのことを理解したのだ。朕は何でも出来る朕であるが、それだけは決して出来ぬのだということを。・・・宮本静佳よ。ニンゲンの『可能性』とはな、お前たちニンゲンが思っている以上に無限大なのである。その『可能性』は唯一、朕の掌の上をいく」
「お前はお前の『可能性』を信じよ。お前たちが成すべきことは、ただそれだけでよい」
「・・・」
沈黙が場を支配する。主さんは目を瞑り、何事かを悔いているようだった。
その時、主さんがいったい何に思いを馳せていたのか? それは、私ごときには到底計り知れないことだった。
ややあって、主さんが目を開く。
その時にはもう、先程までの主さんに戻っていた。
「そのために邪魔なものは、朕がすべて取り除いてくれようぞー。まずは手始めに、お前の『魂』に癒着した『アレ』の『仕込み』を外すところからだなー」
主さんがそう言うと、祠の中から数本の黒い触手のようなものがニュルニュルと這い出てきた。
「え・・な、何をするつもりなんですか?」
弟がこっそり隠し持っているえっちな漫画みたいなことをされるのかと思い、私は思わず身構えてしまう。
そんな私を見て、主さんはハッハッハッと笑う。
「なに、心配するなー。お前の『魂』をちょっとだけゴニョゴニョして、『アレ』の仕込みをちょいちょいっと外すだけだー。痛くはないし、すぐに終わるぞー」
「す、すぐって、どれくらいですか?」
主さんは「んー」と目線を上げ、
「ニンゲンの時間感覚で、ざっと7、8年といったところだなー」
と言った。
「その後に『10』に至るまでの鍛錬が始まるわけだから・・えーっと、お前が『10』に辿り着けるのは、それから大体16、7年後として━━」
「今より24、5年後に、お前は『10』に━━お前が辿り着かなければならない『剣であって剣でない領域』に至れるというわけだ」
「な? すぐであろー?」
そう言って朗らかに笑う主さんを見て、私は何とも言えない曖昧な笑みを返す。
「24、5年・・」
私にとっては膨大な時間であるが、「永遠に辿り着けない」と言われた『夢』が、その程度の時間で辿り着けるのだとしたら安いものである。頭を下げてでも、やってくださいとお願いしたい。けれど━━
「・・・主さん」
目を上げると、主さんは私の目と鼻の先にまで迫っていた触手をぴたりと止めた。
「んー? どうしたー?」
「それを始める前に、一つだけやっておきたいことがあるのですが・・」
「なんだー? 申してみよー」
私は、膝に置いた手に若干力を込めて答える。
「手紙を、届けたい相手がいるんです」
手紙ー?と、主さんは目を傾ける。
「ああ、ニンゲンがよくやる、紙に文字を書いて相手に送りつけるやつのことかー。アレは不便だよなー。全てのニンゲンが生まれつきテレパシーを使えるか、種族全体が一つの『個』であるならば、そんな面倒なことはしなくてすむのになー。でも仕方ないなー。ニンゲンはニンゲンだものなー。いいぞー、許すー。で? その手紙とやらを誰に送りたいのだー?」
「りっちゃん。私の━━」
友達、と言いかけて、私はその言葉を慌てて飲み込む。
━━━ 静佳ちゃんなんて大嫌い!! もう絶交だよ、絶交!!!
りっちゃんと私は、もう友達ではなくなっていたのだ。
「・・・知り合いに。知り合いのりっちゃんに、手紙を届けたいです」
知り合い?と、主さんは怪訝そうに目を細める。
「朕はニンゲンの世界のことはよく分からんが、普通そういうのを送るのは、親兄弟や友達とかではないのかー?」
「・・・普通はそうです。でも、私は普通じゃないから、それでいいんです」
私の家には、私の居場所はない。
別に虐待されているとか冷遇されているとか、そういうことをされているのではない。
ただ、両親は良くも悪くも放任主義で、私に対して、特にこれといった関心を示そうとはしない。唯一の姉弟である弟は、臆病者で私のことを怖がっている癖に、やたらと私のことを馬鹿にしてくるクソムカつくガキだった。度々〆てやっているのに、いつまでたっても私に突っかかってくるのをやめようとしない。何を考えているのか分からない奴だ。
私は、家族に対して肉親の情がまったくないわけではないのだが、24、5年家を留守にすることに対して、あの三人にわざわざ一筆残そうとは思わなかった。それくらい、情が湧かない。たぶん、向こうもそう思っている。
どうせ、何日だろうが何十年だろうが、家の中に私という存在がいないのは変わらない。
それなら、わざわざ断りを入れる意味もない。残そうが残すまいが同じなのだから。
家族は、私抜きでも好きにやっていくだろうし、これからも何も変わらないと思う。だから、何も言わない。残さない。私は、そう決めた。
けれど、りっちゃんにだけは、何か一言残しておかなければならない。
残しておきたい。
何故だか、そう思った。
「ふーん、そういうものなのかー。相変わらずニンゲンとは、よく分からん『存在』だなー。まあいいや。で? 宮本静佳よー。お前、紙と鉛筆は持っているのかー? 手紙を書くというなら、その二つがいるのであろうー? 朕は何でも知っておるからなー」
主さんにそう訊かれ、私は首を横に振る。
「紙と鉛筆をお借りすることは出来ませんか?」
「んー、『神』なら、そこいらから引っ捕まえて持ってくることは出来るが、『紙』かー。ちょっと待っておれー。『創って』みるー」
主さんがそう言うと、祠の中で何かが蠢くガサゴソという音がし始めた。
いったい何をしているんだろうと、私が首を傾げながらその光景を見守っていると、
「よし、出来たぞー。受け取れー」
祠の中から、緑色をしたバカでかい六角棍にしか見えない巨大な鉛筆のようなものと、切手ほどのサイズしかない小さな紙の束のようなものが飛び出してきた。
「おっ、上手く出来たなー。流石は朕である!!」
どこが?というツッコミを、私は寸でのところで飲み込んだ。主さんはとても上機嫌で、その機嫌を損ねるのはマズいと思ったからだ。
私は曖昧な笑みを浮かべつつ、こんなのでどうやって手紙を書けばいいんだと内心で頭を抱えていた。と━━
突如、鉛筆のようなものと紙の束のようなものが一人でに震え出し、その姿を何とも形容しがたい未知のバケモノへと変じていった。
私がギョッとして後退りすると、鉛筆のようなモノ━━皮を剥いた蛇に無数の目玉と口を引っ付けたようなバケモノは、ウネウネと蠢きながら私に向かって牙を剥き、
「内臓内臓内臓内臓内臓内臓っっ!!!」
と、物騒な言葉を連呼しながら襲いかかってきた。私は咄嗟に身構えたのだが━━
━━━跪け。
全身の細胞が凍りつくような一言を耳にし、慌てて平伏の姿勢を取る。
その言葉は私に向けられたものではないと分かっているのに、私の脳が、心が、細胞が、魂が━━私という『存在』を構成するすべてが、「跪け」という主さんの命に従ったのだ。
主さんのその声に、特に感情のようなものは感じなかった。
━━━だがそれが、果てしなく恐ろしい。
僅かに顔を上げ、周囲の様子を探る。
私と違って、直に「跪け」と主さんから命じられた『鉛筆のようなモノ』と『紙の束のようなモノ』は、生命活動を停止したかのようにぴたりと地面にへばりついていた。あの二体に心があるのかどうかは分からないが、もしあるのだとしたら━━その心境を、私は想像したくはなかった。
主さんの不興を買うとは、それほどに恐ろしいことだった。
「はぁぁ・・」と、主さんの疲れ切ったため息が聞こえた。
「匙加減を間違えたか。朕が創っておきながら、このようなことを言うのは誠に申し訳なく思うが、お前たちを『存在』させておいては他の『存在』に迷惑をかけるし、何よりお前たち自身が永遠に救われぬ。故に━━」
━━━自害せよ。
主さんからその一言が発せられた瞬間、鉛筆のようなモノと紙の束のようなモノは、火薬のような炸裂音と共に爆ぜた。二匹がいた場所には黒い煙と燃え滓のような跡が残っていたが、しばらくするとそれも消えた。後には何も残らない。
「・・・」
私は平伏した格好で、ただただ身を固くしていた。
重苦しい沈黙が続く。
「・・・お前まで跪かんでもいいぞー。面を上げー」
ややあって、主さんがそう言った。私は「はい」と頷き、ゆっくりと顔を上げる。
「紙と鉛筆程度ならイケると思ったが、酷いことをしてしまったな。反省である」
「あ、あの・・」
私は、恐る恐る手を挙げる。
「今のは、いったい何だったのですか?」
主さんの眼が、私の顔を捉える。
「アレらは、朕が創った紙と鉛筆である。だが、朕は朕であるが故に『存在』が強すぎてな。何でもないモノを創ろうとしても、あんな風に『魂』が強すぎるモノに変じてしまうのだ。強すぎるといっても、お前たちニンゲンの基準だ。朕や朕に近しい『存在』にとっては何でもない羽虫であるが、アレはいずれ、千年と経たぬ内に宇宙を食い尽くす毒虫と成り果てる。それでは朕が困るし、何よりも、生まれながらにして罪を重ね続けることしか知らぬアレらが哀れだ。故に、自害を命じた。これは朕の過ちであり業であり罪である。即ち━━」
━━━いつものことだ。
主さんは目を瞑る。
その声色は、自分が生み出し、今まさに葬った者たちへの、懺悔と悔恨に満ち溢れていた。




