番外編『宮本さんと風間さん㊳』
りっちゃんは生まれつき病弱なため、当然のように運動も出来ない。
どれくらい出来ないかというと、たかが42.195kmを無酸素運動で走っただけで白目を剥いて倒れてしまうほどである。
「このままではいかん!! 勉強も運動もダメダメでは、りっちゃんはこの先、ビッグGみたいな奴に学校でイジメられてしまうど!!!」
危機感を覚えた私は、熟考の末、りっちゃんを山に拉致することにした。
人間の心身を鍛えるには、山籠りが一番である。山に入れば、軟弱なりっちゃんも一皮剥けた薩摩の女になるに違いない。そう考えてのことだった。
決行の日の朝。
私は、「いってきまーす」と言って家を出たりっちゃんを甲冑組手術で一気に絞め落とすと、麻袋の中に手際よく詰め込んで山へと向かった。
当初、私はりっちゃんを『御山』に連れて行く予定だったのだが、流石に山籠り初心者に『御山』は難度が高すぎるだろうと思い直し、近場の山に変更することにした。その山は昔、山伏が命懸けの修行をする際に籠る山だったらしいが、実際はそんな大した山ではなかった。ボルダリングで東京タワーをよじ登れる程度の握力があれば、誰でも難なく攻略出来るだろう。
しかし、その程度の山でも、軟弱者にとっては厳しかったらしく、りっちゃんは泣きながら、
「もうお家に帰して!! この山絶対へんだってっ!! 落武者とツチノコとリトルグレイが特売日のスーパーみたいにうじゃうじゃいるなんて、絶対おかしいよっ!!!」
と、メンヘラらしい低レベルな嘘をつき、駄々をこねてきた。
山にいるのは、ムール貝みたいな目をした銀色の猿だけで、落武者とツチノコとリトルグレイなんてどこにもいなかった。リトルグレイが何なのかは知らないけれど。
私は、りっちゃんは本当にどうしようもないなぁと辟易しつつ、
「そんなもんどこにおるっちゅうんじゃ? ツチノコがおるっちゅーなら、ワシは今すぐ捕まえに行くど? アレ確か、生け取りにすれば1億円くらいもらえるんじゃろ?」
「賞金の額は知らないけど、いるじゃん!! 静佳ちゃんの足元にいっぱいいるじゃん!!」
りっちゃんはそう言って、私の足元を指差してきた。地面の落ち葉がウネウネとうねってはいたが、ツチノコなんて影も形もなかった。私はやれやれとため息を吐く。と━━
「静佳ちゃん!!!」
急に、りっちゃんが切迫した叫び声を上げた。「あん?」と言って顔を上げると、
コツンッ、と、私の頭に何かが落ちてきた。
「・・・? 木の実でも落ちてきたんか?」
それにしては、少しだけ硬かった気がするが・・。頭をさすりながらりっちゃんに視線を戻すと、
「・・・」
りっちゃんはあんぐりと口を開け、信じられないものを見るような眼差しで私を見ていた。
いったいどうしたんじゃろうかと首を捻っていると、ふいに背後から、カサリッという、何かが落ち葉を踏みしめる音が聞こえてきた。
目を向けると、鬱蒼と生い茂る木々の合間から、ペカペカと黄金に輝く『鹿』の姿が見えた。
それを見た私は「お?」と破顔し、
「今日の晩御飯ゲットじゃぞっ!!」
と言って、『鹿』を捕まえるべく走り出そうとする。
が、その手をりっちゃんに掴まれる。
「待って待って待って」
りっちゃんは両手で私の手を掴み、青ざめた顔でぶるんぶるん首を横に振っていた。
「何しようとしてるの? ねぇ、何しようとしてるの?」
「何で二回も言ったんじゃ? 何するも何も、山の中で鹿を見つけたら、やることは一つじゃろうがい。捕まえて食うんじゃ」
「ダメダメダメダメ。アレ、主じゃん? 主というか、神様じゃん? あんな仏様みたいに金色にペカペカ光ってる動物に手を出したら、絶対にバチが当たるってっ!!」
「神様? 何を言うとるんじゃ、りっちゃん。アレはただの鹿じゃぞ? ワシ、『御山』にいく途中に、ちょいちょいアレ捕まえて食っとるけど、バチなんて当たったことは一回もないど?」
「それ、バチが当たってるのに気付いてないだけなんじゃないかな? 何というか、その・・静佳ちゃんって、ちょっとアレだから・・」
りっちゃんは、口をもごもごさせる。こういうところがよくない。こういうところが、りっちゃんは本当によくない。
腹が立った私は、「あんなもん狩ってもバチなんか当たらんことを見せてやるわい!」と言って、りっちゃんの手を振り解く。
「キェェェェェェェェェェッッ!!!」
猿叫をあげながら凸してくる私の姿に気付いた『鹿』は、一瞬「またこのガキかよ」という顔をした後、一目散に逃げ出した。『鹿』の足は速い。たぶんリニアより速い。けれど、平地ならともかく、不安定な山の斜面では、その程度の足では私からは逃げ切れない。
五分後。
私は、寿命寸前の蛍光灯のように弱々しく点滅する『鹿』をずるずると引きずりながら、
「りっちゃん!! サバイバルのお勉強の時間じゃぞ!! 今日の授業は、鹿の解体(素手)じゃっ!! よーく見て憶えるんじゃぞ!!!」
「・・・」
りっちゃんは何も言わずに私から背を向けると、そのまま一目散に逃げ出した。
三十秒で捕まえた。
りっちゃんが逃げないよう木の幹に縛りつけ、私は解体(素手)の授業を始めた。その間、りっちゃんは三回吐いた。
解体(素手)が終わり、切り取った『鹿』のお肉を包丁(指)で短冊切りにすると、その辺で見つけてきた皿(石)に並べて醤油と薬味(雑草)をかけた。焼くなんて野暮な真似はしない。ジビエは、生でいただくのが一番なのだ(※絶対に真似しないでください)。
私は出来上がった『鹿』の刺身をりっちゃんに差し出して、
「りっちゃん、今日の晩飯の鹿の刺身じゃ!! 食ってみい!!」
と勧める。が、
「・・・」
りっちゃんは頬のこけた顔で、弱々しく首を横に振った。
それを見て、私は眉根を寄せる。
「なんじゃ、食わんのか? これ、めちゃくちゃ美味いんじゃぞ?」
「・・・」
りっちゃんは無言である。雨に濡れた犬みたいな顔をして、ぐったりと俯いている。
「もしかしてジビエの生食が怖いんか? 大丈夫じゃ、りっちゃん(※大丈夫ではないです)!! 確かに、ジビエの生食は感染症のリスクがあるが、あの『鹿』なら問題ないぞ!! 何せ、パチ屋のように常時ペカペカ発光しとる『鹿』じゃからのう。あの光と熱で、上手い具合に体内の菌と寄生虫は殺菌浄化されとるはずじゃ!!」
「・・・」
りっちゃんは何も答えない。相変わらず、雨に濡れた犬のような顔をして俯いているだけである。たぶん、ふてくされているのだろう。
「むぅ・・。もう、勝手にせい!!」
私は、りっちゃんからぷいと顔を背けると、『鹿』の刺身を手掴みし、口に頬張った。途端、
「びゃあああああっ!! ゔみゃぁぁぁぁいいっっ!!!」
と、叫んでしまう。りっちゃんは異常者を見る目で私を見ていた。
何度も食べているが、やはり新鮮な『鹿』の刺身は美味い。獣特有の余計な臭みが一切ないし、肉と脂の旨みがダイレクトに舌に伝わってくる。その辺で適当にむしった薬味(雑草)も良いアクセントになっている(※絶対に真似しないでください)。私は手が止まらなくなってしまい、あっという間に一皿平らげてしまった。おかわりに手を伸ばそうとすると、
後ろから、ぐぅぅぅぅぅという、大きな腹の虫が聞こえてきた。
りっちゃんが顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに顔を背けていた。
それを見て、私はニカッと笑い、無言で皿(石)をりっちゃんの鼻先に突きつける。
「・・・」
りっちゃんは葛藤するような表情をみせたが、やがて何かを決意するようにぐっと目を瞑ると、
「・・・食べるから、その前に縄ほどいて」
と、言った。
木の幹に縛りつけたままなのを忘れていた。
「・・・」
『鹿』の刺身を前にしたりっちゃんは、警戒心の強い野良猫のように何度もくんくんと鼻を引くつかせ、中々食べようとしなかった。業を煮やした私は、「早よ食べぇ」と言って、刺身を無理矢理口の中に押し込んだ。りっちゃんはバタバタと暴れたが、一度大きくビクンと身体を震わせると、目をまん丸にして私を見てきた。そして、
「・・・美味しい」
山の中に入ってから、りっちゃんが初めて笑顔を見せた。
最初の忌避感はどこへやら。りっちゃんはバクバクと『鹿』のお肉を食べ始めた。私の十倍くらい食べた。これはちょっと生では厳しいかなと避けていた部位も勝手に食べた。後々ちぃとばっかしヤバいことになるかもしれんのうと思ったが、ジビエの生食は完全自己責任なので黙っておいた。
『鹿』を完食すると、ゾンビのように顔の下半分を真っ赤にしたりっちゃんは、「ごちそうさまでした」と言って手を合わせた。私は「お、おう・・」と、若干引き気味に頷いた。
りっちゃんは、一週間分の食料にする予定だった『鹿』を、全部平らげてしまったのだ。
(明日からどうすっかのう・・)
口の周りについた血糊を舌でベロンベロンしているりっちゃんから目を逸らし、腕を組んで考えていると━━
コポコポと、排水溝が逆流するような音が聞こえてきた。
「え、何・・?」
りっちゃんが不思議そうな顔でキョロキョロしているので、私は指でちょいちょいと背後を指してやる。りっちゃんがその先を見やると、
「うわぁああああああ!!」
と、叫び声を上げて飛び上がった。
岩に置いておいた『鹿』の生首。その切断面から、ヘビ花火みたいな黒いウネウネが湧き出していたのである。
りっちゃんは、私を盾にするように背中に隠れると、
「私は悪くないです!! 悪いのは全部静佳ちゃんなんです!! だから、祟るなら静佳ちゃんだけにしてください!!」
と、言った。りっちゃんは、そういうところがあった。
「・・・アレは祟りやなかど、りっちゃん。あの『鹿』は、ちいとばっかし変わった『鹿』でな。夜になると、あんな風にドロドロの黒いスライムに変身するんじゃ」
息を呑むりっちゃんの目の前で、『鹿』の生首がゆっくりとバターのように溶けて行く。黒いバターは単細胞生物のようにウネウネと蠢き、私とりっちゃんを取り囲むように展開していく。
「・・・ねぇ、これってもしかして、私たちを食べようとしてない?」
私の服にしがみつきながら、りっちゃんが青ざめた顔をして言う。
「囲んでくるだけじゃ。襲ってきやせんから大丈夫じゃぞ。・・・あっ。でも、うっかり黒いのに触れると生命を持っていかれっから、りっちゃんは触らん方がええど」
「それ、全っっっ然っ大丈夫じゃないよねっっ!!!」
りっちゃんはぎゃあぎゃあとヒスってきたが、私は何か面倒くさくなってしまったので、無視して寝ることにした。
「朝んなれば、あの黒いのは『鹿』に戻るけ大丈夫じゃ。・・・んじゃ、おやすみ」
「だから何も大丈夫じゃないってばっ!! 寝るなっ!! 起きろっ!! おいっっ!!!」
こうして、私たちの山籠り初日は幕を閉じたのだった。




