番外編『宮本さんと風間さん㊲』
ある時期から、私は夜中にこっそり家を抜け出し、一晩中『御山』で『熊』たちと相撲をとり続けるという生活を送り始めた。
最初は、『熊』たちに舐められないようにするためという薩摩的な動機から始めた相撲だったが、時が経つにつれ、それが段々と楽しみになってしまった。
一晩中、投げた投げられたを繰り返し、朝になると家に帰って立木打ち。学校はもっぱら、寝るための時間になった。教師からは幾度となく注意されたが、私は無視を決め込んで眠り続けた。正直、睡眠を取る必要などまったくなかったのだが、小学校の授業があまりにも退屈すぎて、私は目を開けていられなかったのである。
学校というのは私にとって『檻』であり、どこまでも退屈な場所でしかなかった。
学校で教わる程度の知識なんて、幼稚園に入る前に全部憶えてしまった。
入園式を目前に控えたある日、私は市内の図書館を一人で訪れた。これから先、自分は学校とやらで勉強をしなければいけなくなるわけだが、面倒くさいので、それを今のうちにすませてしまおうと思ったのである。
私は図書館の本棚に並べられた『それっぽい』本を片端から取り出し、パラパラ漫画のように高速でめくって本棚に戻すということを一時間弱くらい繰り返した。
それを見ていた高校生くらいの女の子のグループが、私を指差してくすくすと笑っていた。たぶん、子どもがバカな遊びをしているとでも思ったのだろう。
しかし、当の私は大真面目だった。
大真面目に、一生ぶんの『勉強』をやっていたのである。
すべては『剣』に集中するためだった。
しかし結果として、これが恐ろしい退屈を招くことになる。
やりすぎたのである。
一時間弱くらい『それっぽい本』を適当にパラパラして憶えれば、小中高と勉強せずに済むだろうと考えたのだが、私の想像していたよりも、義務教育というのは程度が低かったらしく、私の学力は小中高を飛び越えて、大学のレベルにまで達してしまっていた。
大学といっても、どの程度のランクの大学で通用するレベルなのか、それはよく分からない。後年、ヤマさんの誘いで公務員試験を受ける際、自分の学力はどの程度なのかがふと気になって、私は近場の学習塾で催されていた学力テスト的な何かに参加してみたことがあるのだが━━
判定の結果は、インドの何とか工科大に受かるレベルだった。
学習塾の人はその結果を見てひどく興奮し、「貴方ならばどんな大学にも受かりますよ!!」と言われた。インドの何とか工科大がどれくらいのレベルなのかは知らないが、たぶん世辞を言ったのだろう。私が、
「では、公務員試験はどうですか?」
と訊いてみたら、その人は「公務員試験なんて余裕です、余裕!!」と言って、何度もうんうんと頷いた。それを聞いて、私は「あ、そうなんですか。なら、何の問題もないです」と言って、その学習塾を後にしようとした。しかし、学習塾の人は何故かとてもしつこくて、「貴方の学力なら推薦枠も余裕ですから!!」と言って、何としてでも私を大学に入れようとしてきた。私はやんわりとその誘いを断り、
「警察官になるって、もう決めてしまったので」
と言って、今度こそ学習塾を後にした。
学習塾の人は、何故かとても悔しそうな顔をしていた。
そんな具合に、小学校に入学した時点で、すでにインドの何とか工科大に受かるレベルの学力に達していた私にとって、学校の授業というものがどれだけ退屈だったかは想像に難くないだろう。
得るモノなど何もなかった。
テストは何もしなくても常に満点が取れていたし、体育の授業は学科よりも更に退屈でやる気が出ず、家庭科は料理や裁縫がそこそこ面白かったので多少はやる気が出たが、美術や音楽に至ってはコレの何が面白いのかまったく理解出来なかった上、歴代の教師が揃いも揃って人間の芯がひん曲がってる奴らばかりだったので、私は大嫌いだった。学校にはしんどい思い出しかない。
その中で一番しんどかったのは━━こんなことを言うのは誠に誠に申し訳ないのだけれども━━りっちゃんに関することだった。
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りっちゃんは綺麗な女の子だ。
私の人生の中で、彼女ほど美しい女の子は見たことがない。
キラキラ輝く銀色の髪と銀眼。訳あって、いつも野暮ったい瓶底眼鏡をかけているけれど、一度それを取ってしまえば、そこらのアイドルなど勝負にならない美貌が露わになる。
りっちゃんは、美人なのは間違いないが、可愛いというよりも、どちらかといえば凛々しいという表現の方がぴったりくる女の子である。
頭脳明晰で運動神経抜群。出来ないことは何もなくて、みんなからの羨望の眼差しを欲しいままにしている━━りっちゃんのことを何も知らない人が見たら、全員が全員、そう思うことだろう。
しかし、りっちゃんはびっくりするくらいなんっっっっっっにも出来なかった。
本当に、なんっっっっっっにも、である。
りっちゃんは勉強も運動も出来ないし、美術音楽家庭科も大惨敗。通知表の数字は全部1か2で、たまに3が混じっていれば、お祝いにちょっとお高めのお肉を食べさせてもらえるほどだった。
そんな有り様なら、授業なんてまともに聞いていないし、予習復習も全然やっていないと思われるだろうが、それは大きな間違いである。
りっちゃんの授業態度は私と真逆で、物凄く真剣に学業に取り組んでいたのだ。
ほぼ全問不正解だけど、宿題を忘れたことは一度もなかったし、予習復習だって前日にちゃんとやってきていた。休み時間もほとんど教科書と睨めっこしている。
なのに、結果が出ない。
それだけ努力しているのに、りっちゃんのテストの点数は、から揚げ弁当に入ってるから揚げの数程度しかなかったのである。
私はそれが不思議で不思議で、りっちゃんに、
「なんでりっちゃんはそんなに頑張っとるのに、テストの点数がいつもダメダメなんじゃ? ワシは授業中はいつも寝ちょるし、宿題なんかやったこともないんじゃが、テストはいつも満点じゃというのに」
と、訊ねてみたことがある。
それを聞いたりっちゃんは、から揚げ弁当のから揚げの数みたいな点数が書かれた答案用紙から、スローモーションのようにゆっくりと顔を上げた。
「・・・うん。おかしいよね」
目からハイライトが消えていた。りっちゃんは包丁を装備したヤンデレのような顔で、私にぐいっと近付いてくると、
「私、こんなに頑張ってるのに、全然頑張ってない静佳ちゃんがいつも100点なの、絶対おかしいよね・・」
と言った。声のトーンが、殺意の波動に目覚めたヤンデレが「ねぇ、お兄ちゃん。あの女、誰?」と訊ねる時とまったく一緒だった。
私はすごく怖くなって、りっちゃんに勉強を教えてあげると約束した。
たぶん、りっちゃんは何かしら勉強のやり方を間違えていて、そこを訂正しさえすれば、満点が取れるようになるに違いない━━私は、そう楽観していた。
が、現実はそんなに甘くはなかったのである。
りっちゃんは、私が想像していたよりもずっとずっと、アカン子だったのだ。
いくら教えても、出来ない、憶えない、理解しない。
世の中にこんなに勉強が出来ない人間がいるのかと、私は恐怖を覚えたほどだった。
しかし、それでも私は根気よく━━本当に本当に根気よく、それこそ底の抜けた柄杓でタンカー船を沈めるかの如くの忍耐と苦行を経て、「これなら赤点くらいは取れるじゃろう」というレベルまで、りっちゃんの学力を引き上げることに成功した。
しかし、迎えた決戦の日。
結果は、から揚げ弁当のから揚げが一個増えた程度だった。
「・・・」
帰り道、りっちゃんは遠足のバスの車内で上も下も我慢してる人みたいな顔をして、ゆっくりと歩いていた。
私は何と声をかけてよいか分からず、無言でその後をついていった。
途中、村で唯一のコンビニであるローポンの前を通りかかった。
ローポンの入り口のすぐ上のところにノボリが貼られていて、そこには『きゃらあげクン、セール中!! 今なら+1個増量!!』と書かれていた。私は、元気づけるつもりでりっちゃんの肩をポンポンと叩き、「ほら、見てみぃ、りっちゃん!! ローポンも、りっちゃんのテストの点数が一点上がったことを祝福してくれちょるぞ!!」と言ったら、夜泣きの赤ちゃんのようにワンワン泣かれた。
それを見た私は何故だかひどく悲しくなって、それ以降、テストで100点を取るのをやめてしまった。
そんなことをしても何の意味もないし、りっちゃんの成績が上がることはないと分かっているのに、私はテストの度にわざと間違えるようになった。流石に進級に差し支えるレベルの成績はマズイので、そこら辺は適当に調整したが。
そんなことをした理由と動機は、自分でもよく分からない。
ただ何となく、イヤだった。すごくすごく、イヤだったのだ。
その後。
りっちゃんは果たして小学校を卒業出来るのかと私はハラハラしていたのだが、何故だかりっちゃんは、大きなテストを受ける度、点数が『+1』上がるようになり、小学校をギリギリのギリだが、卒業することが出来た。
迎えた中学校は、小学校以上にギリギリのギリギリのギリだったが、そちらも何とか卒業出来た。本当に、ギリギリのギリギリのギリだったけれど。
そして、高校。
受験は、自分の名前を書ければ受かるタイプの学校だったから何とかなったけれど、高校は小中と違い、進級も卒業も容易ではない。りっちゃんは永遠に高校一年生をループし続けるのではと、私はとても心配になったのだが、小学生のある時期から、テストのたびに『+1』上がるようになったりっちゃんの学力は、この時すでに全教科30点を超えるまでに成長していた。
しかし、りっちゃんの残念な脳みそは、私が頭がよかった事実をすっかり消去してしまったらしく、『31点』だの『33点』だの書かれた答案用紙を恥ずかしげもなく私の目の前でヒラヒラさせて、「アンタも頑張んなさいよ? 赤点なんて取ったら恥ずかしいからね?」と言って、ドヤってくる始末だった。私は、テストの点数をわざと平均点ジャストで調整している事実を隠し、「う、うん・・。そうだね・・」と言って、生温かい笑みを浮かべた。
正直、ちょっと調子に乗ってるなと思ったが、これなら進級も卒業も問題ないだろう━━私は、長年の胸のつかえをようやくおろすことが出来たのだが━━
学力とはまったく関係のない理由で、りっちゃんが高校を卒業することはなかったのである。




