第十四話「闇の向こう側」①
宮中の怪異が収まった翌朝。
景真と紅緒は、再び陰陽寮へ呼び出されていた。
案内された部屋に入ると、正面には大道宗心。その脇には小神小夜が座っている。
机の上には、見覚えのある二枚の御札が並べられていた。
一枚は、宮中で捕らえた鎌鼬の体に貼られていたもの。もう一枚は、以前の蛇妖の事件で景真が拾ったものだ。
「来ましたね」
小夜が二人へ目を向ける。
「お呼びと聞きました。札について、何か分かったんですか?」
紅緒が尋ねると、小夜は小さく頷いた。
「はい。ただし、分かったのは一部だけです」
小夜は鎌鼬から剥がした札を指先で示した。
「こちらの札は、妖怪の意思を縛るためのものです。ですが、この一枚だけで細かな行動まで決めていたわけではないようです」
「細かな行動?」
景真が首を傾げる。
「あの鎌鼬、籠池さまだけを狙ってたんです。そういう命令まで、この札に書いてあったわけじゃないってことですか?」
「そう考えています」
小夜は札を裏返した。
「これは、言うなれば受け手側の札です。妖怪の意思を押さえ、別の札から送られる指示に従わせる」
紅緒の目がわずかに見開かれる。
「別の札……」
「ええ。この札と対になるものが、どこかにあるはずです」
小夜は少し考え、言葉を選ぶように続けた。
「便宜上、鎌鼬に貼られていた方を子札、指示を送る方を親札と呼びましょう」
「親札を持ってた奴が、鎌鼬を動かしてたってことか」
「可能性は高いわね」
紅緒が答えたあと、ふと眉を寄せた。
「でも、小夜さま。親札を扱えるなら、犯人は陰陽師なのでしょうか?」
「いいえ。そこまでは言えません」
小夜はすぐに否定した。
「完成した札であれば、使い方さえ教わっていれば、術者本人でなくとも動かせるよう組まれています。命令の幅は限られるでしょうが、特定の場所へ向かわせたり、決めた相手を狙わせたりする程度なら可能です」
「じゃあ、犯人が陰陽師とは限らないんですね」
「はい」
小夜は一度そこで言葉を切った。
「ですが――この札を作った者は別です」
部屋の空気が少しだけ変わった。
「親札と子札を連動させ、妖怪の意思を縛る。簡単な術ではありません。少なくとも、陰陽術を相当に修めた者が関わっています」
景真は机の上の札へ目を落とした。
鎌鼬を宮中へ送り込んだ者。
そして、そのための札を作った者。
同じ人物かもしれない。だが、別人である可能性もある。
宮中の怪異そのものは収まったばかりなのに、関わった人間の数だけが増えているような気がした。
「蛇妖の時の札とは、どうなんですか?」
景真がもう一枚へ視線を移す。
小夜の指先が、ほんのわずかに止まった。
「術式の目的は異なります。ただ、前にもお話しした通り、組み方には似た癖があります」
「同じ人が作った?」
「そこまでは分かりません」
静かな返答だった。
景真は小夜の顔を見たが、それ以上のものは読み取れなかった。
宗心が机を指先で一度叩いた。
「今あるのは、似ているという事実だけだ。誰が作ったか、何人関わっているかは分からん」
「はい」
「分からんものを、分かったつもりで扱うな」
相変わらずだった。
だが、景真にもその方がいいと思えた。
*
その時、廊下から足音が近づいた。
戸の外で声がする。
「陰陽頭。蓮宮尚陽です」
「入れ」
宗心の返事を受け、尚陽が部屋へ入ってきた。
いつもの気さくな顔ではあるが、今日は少しばかり目つきが固い。
「失礼します」
宗心へ礼をしたあと、尚陽は景真と紅緒へ軽く顎を引いた。
「二人ともいたか。ちょうどよかった」
「何か見つかったんですか?」
景真が尋ねる。
「見つかった、ってほどじゃない。だが、変な記録が出てきた」
尚陽は抱えていた書付を机へ置いた。
「前の件のあと、籠池殿の予定を知れた者と、怪異が起きた場所へ出入りできた者を洗ってたんだがな。その途中で、一つ妙な場所が引っかかった」
「場所?」
「宮中の端にある古い倉だ。普段はほとんど使ってない」
尚陽は書付の一箇所を指す。
「怪異が始まる少し前から、この倉の周りだけ警備の配置が変わってる」
「警備を減らしたということですか?」
「ああ。完全に無人じゃないが、わざわざ人を遠ざけたように見える」
紅緒が小夜を見る。
「鎌鼬を隠していた可能性がある……?」
「まだ推測です」
小夜はそう答えながらも、表情を引き締めていた。
「ただ、確認する価値はありますね」
宗心が尚陽の持ってきた書付に目を通す。
「配置を変えた命令系統は」
「大舎人寮です。ただ、誰の判断で動いたのかは、まだ追っているところです」
「記録は残っているな」
「はい」
「消される前に押さえろ」
「承知しました」
尚陽が頭を下げる。
景真は机の上の親札の話を思い返した。
もし、あの倉に鎌鼬がいたのなら。
そこを使えた者を辿れば、親札を持っていた人間につながるかもしれない。
「小夜さま」
紅緒が口を開いた。
「私たちも確認に向かった方がいいでしょうか?」
紅緒は、札について二人だけで調べるのは控えるよう、小夜から念を押されていた。
その言葉を気にしているのだろう。
小夜が答えるより先に、宗心が口を開いた。
「行け」
景真が宗心を見る。
「いいんですか?」
「状況が変わった」
宗心は淡々と言った。
「勝手に札を追うのと、陰陽寮の命で現場を調べるのは違う。今回は正式な調査だ」
小夜は宗心を見て、それから紅緒と景真へ視線を戻した。
「分かりました。ただし、無理はしないでください。親札を持つ者が、まだ宮中にいる可能性もあります」
「はい」
紅緒が頷く。
「東春」
「はい」
「今回は宮中の人間を調べることになるかもしれん。余計な先入観を持つな」
「分かりました」
宗心は短く頷いた。
「蓮宮。二人を連れて行け」
「承知しました」
尚陽は宗心へ一礼すると、景真たちへ向き直った。
「じゃあ、行くか」
「お願いします」
景真は立ち上がりながら、もう一度机の上の二枚の札を見た。
一枚の札を使った者。
その札を作った者。
そして、鎌鼬を隠していたかもしれない場所。
ばらばらだったものが、少しずつ一本の線につながろうとしていた。
その線の先に誰がいるのかは、まだ誰にも分からなかった。




