第十三話「宮中の闇」④
陰陽寮へ戻った頃には、空がすっかり茜色に染まっていた。
景真と紅緒、それに尚陽は、捕らえた鎌鼬と一連の報告書を携えて、宗心のもとを訪れた。
部屋には宗心だけでなく、小夜の姿もあった。
机の前に座った宗心は、三人から一通りの報告を聞き終えるまで、一度も口を挟まなかった。
「つまり、宮中で起きていた怪異には鎌鼬が関わっていた。しかし、その鎌鼬は何者かに札で操られていた可能性が高い、と」
「はい」
紅緒が頷き、紙に包んでいた御札を机の上へ置いた。
「札を剥がした途端、鎌鼬の攻撃性はほとんど消えました。術式も、妖怪の意思を縛る類いのものだと思われます」
宗心は御札へ視線を落とした。
「籠池左少弁が狙われた理由は」
「まだ分かっておりません」
紅緒は一度言葉を切る。
「ただ、鎌鼬は籠池さまを優先して襲っていました。また、それ以前の被害も、左少弁の周辺へ近づくように起きています」
「東春はどう見た」
不意に話を振られ、景真は少しだけ姿勢を正した。
「俺は……籠池さまを殺すだけが目的じゃなかったんじゃないかと思ってます」
「続けろ」
「最初から籠池さまだけを狙えばいいのに、その前に柱とか御簾とかを切らせてるんです。先に『宮中で妖怪が暴れてる』って思わせておいて、最後に偉い人を殺す。そうすれば、全部妖怪の仕業に見える」
宗心の目がわずかに細くなる。
「それに、もし籠池さまが亡くなっていたら、妖怪を追い出せって声も強くなっていたかもしれません」
「推測だな」
「はい」
景真は素直に頷いた。
宗心もそれ以上は咎めなかった。
「推測と事実を混ぜるな。だが、考えることまで禁じるつもりはない」
それから宗心は尚陽へ視線を移した。
「蓮宮。宮中側ではどうする」
「籠池殿の予定を知り得た者と、怪異が起きた場所へ出入りできた者を洗います。ただ、候補は相当な数になります」
「構わん。狭められるところから狭めろ」
「承知しました」
尚陽が頭を下げる。
宗心は再び札へ目を落とした。
「小神」
「はい」
「術式を見ろ」
小夜が一歩前へ出た。
*
小夜は御札を手に取り、しばらく黙って眺めていた。
指先で紙の端をなぞり、墨で描かれた術式を一つずつ追っていく。
「……かなり癖のある組み方ですね」
「分かるんですか?」
景真が尋ねると、小夜は札から目を離さずに答えた。
「全てではありません。ただ、一般的な陰陽寮の術式とは少し違います」
「誰が作ったかまでは?」
「そこまでは分かりません」
小夜の返事はいつも通り落ち着いている。
けれど、景真は何となく札から目を離せなかった。
小夜の指先に挟まれた紙。そこに描かれた墨の線。
見ているうちに、胸の奥で何かが引っかかった。
「……あれ?」
「どうしたの?」
紅緒が振り向く。
「いや。これ……どこかで見たような……」
景真は眉を寄せた。
似た形。似た墨の流れ。
どこだったか。
しばらく考えてから、景真は「あ」と声を漏らした。
「そうだ」
自分の上着の内ポケットへ手を突っ込む。
指先に紙の感触が触れた。
「その札、まさか蛇妖のときの?」
紅緒が呆れたような顔をする。
「忘れてたんだよ」
景真が取り出したのは、以前の事件で手に入れ、そのままポケットへ入れていた御札だった。
端が少し折れ、きれいな状態とは言い難い。
宗心の眉間の皺が、一段深くなった。
「東春」
「はい」
「証拠になり得る物を、なぜポケットに入れたままにしている」
「……すみません」
反論の余地はなかった。
景真は気まずそうに札を机へ置く。
「でも、これです。まったく同じじゃないけど……なんか似てませんか?」
二枚の札が、机の上に並んだ。
一方は鎌鼬を操っていた札。もう一方は、以前の事件で手に入れた札。
書かれている術式そのものは違う。
だが、墨の線が曲がる位置や、記号を重ねる癖、紙の端に置かれた小さな印。
並べて見ると、確かにどこか似ていた。
「……本当ね」
紅緒が二枚を覗き込む。
「術式の目的は違う。でも、組み方に同じ癖があるわ」
「偶然か?」
宗心の問いに、紅緒はすぐには答えなかった。
「断定はできません。ただ……偶然で片づけるには、少し似すぎています」
その時だった。
景真は、小夜の表情が変わったのを見た。
ほんの一瞬。
驚いたようにも、何かを確かめたようにも見えた。
けれど次の瞬間には、いつもの穏やかな顔へ戻っている。
*
小夜は机の上の二枚の札へ手を伸ばした。
「その二枚は、私が預かります」
声は静かだった。
「術式をもう少し詳しく調べてみます。それまでは、あなたたちだけで札について調べるのは控えてください」
紅緒が目を瞬く。
「小夜さま?」
「宮中の内部に関わる可能性があります。情報が広まれば、相手にこちらの動きを知られるおそれもあります」
「理由はそれだけか」
宗心が低く問う。
「術式の解析にも時間が必要です。今の段階で確かなことは申し上げられません」
小夜はそう答えた。
「……分かった。札の解析は小神に任せる」
「ありがとうございます」
「こちらで調べて、分かったことがあればお伝えします」
紅緒は一瞬ためらったあと、静かに頷いた。
「……承知しました」
宗心は二枚の札を見つめたまま、尚陽へ視線を移した。
「蓮宮。宮中での調査は続けろ。だが、札の件は不用意に広めるな」
「はい」
「大月と東春は、今日のところは下がれ」
「承知しました」
「はい」
景真たちは頭を下げ、部屋を出た。
廊下へ出てしばらくは、二人とも何も話さなかった。
日が落ちかけた陰陽寮には、昼間とは違う静けさが漂っている。
景真は歩きながら、先ほどの小夜の顔を思い返していた。
「なあ、紅緒」
「何?」
「小夜さん、あの札を初めて見た顔じゃなかったよな」
紅緒の足が、ほんの少しだけ遅くなる。
「……どうしてそう思うの?」
「一瞬だけ、顔が変わった」
「景真の見間違いかもしれないわ」
「かもしれない」
景真も否定はしなかった。
ただ、もう一つだけ引っかかっている。
「でも、調べるって言った時も……なんか、知ってる人の言い方に聞こえたんだよな」
紅緒は答えなかった。
小夜は紅緒にとって、恩人であり、師でもある。
その人を疑うような言葉を、軽々しく口にしたくないのだろう。
しばらくして、紅緒は前を向いたまま小さく言った。
「……小夜さまには、何かお考えがあるはずよ」
「うん」
景真も、それ以上は言わなかった。
宮中の怪異は終わった。
鎌鼬は操り札から解放され、籠池も命を取り留めた。
けれど、誰が鎌鼬を操ったのかは分からない。
なぜ、以前の事件と似た札が使われていたのかも。
そして――小夜が何を知っているのかも。
解けたはずの怪異の向こうに、別の何かが姿を見せ始めていた。




