↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/56

第十二話「夕暮れの影踏み」④

 小さな影は、影蛇の頭の下でじっとしていた。

 夕日はもう屋根の向こうへ沈みかけている。広場に伸びていた影は少しずつ輪郭を失い、さっきまで子どもたちを引っ張っていた異様な気配も薄れていた。

 紅緒は構えていた札を下ろしたが、まだ警戒を解いてはいない。

「本当に、もう大丈夫なの?」

「たぶん」

「また、たぶんなのね」

 深影は気にした様子もなく、小さな影を見下ろした。

「少なくとも、裸足の跡は消えた。もうあの子たちの影を引っ張ってない」

 景真が振り返る。

 三人の子どもたちは、広場の端で自分の足元を何度も確かめていた。さっきまで勝手に先へ進んでいた影は、今では本人の動きにきちんと従っている。

「足、勝手に動かない?」

 景真が訊くと、最初に相談へ来た少年が恐る恐る一歩踏み出した。

 影も同じように一歩進む。

「……大丈夫です」

 その声に、ようやく三人の肩から力が抜けた。

 紅緒も小さく息を吐く。

「なら、先にこの子たちを御伽館へ戻しましょう。家族が待ってるわ」

「そうだな」

 景真が頷く。

 だが深影だけは、その場を動かなかった。

「深影?」

 呼ばれても、小さな影を見つめたままだ。

「この子も連れていく」

「え?」

 今度は景真と紅緒が同時に声を上げた。

「御伽館に?」

「うん」

「いや、待て。連れていくって、どうやって」

 深影はしゃがみ込み、自分の影へ指先を触れた。

 影蛇が一匹、小さな影の横へするりと伸びる。押さえつけるのではなく、まるでこちらへ来いと誘うように頭を揺らした。

 小さな影はしばらく動かなかった。

 やがて、ぴょこんと一度跳ねる。

 そして影蛇のあとを追うように、深影の足元まで滑ってきた。

 深影の影の端へ重なり、そこで丸く縮こまる。

「……入った?」

「くっついてるだけ」

「違いが分からない」

 深影は立ち上がった。

「じゃあ帰ろう」

 まるで迷子の猫でも拾ったような調子だった。


   *


 御伽館へ戻ると、待っていた家族たちが一斉に子どもへ駆け寄った。

 母親に抱きしめられた少年は、照れたようにしながらも抵抗しなかった。別の子どもは何度も自分の影を踏んでみせ、もう引っ張られないことを確かめている。

 事情を説明すると、家族たちは深影たちへ何度も頭を下げた。

「もう、あの影は来ないんでしょうか」

 少年の母親が不安そうに訊く。

 深影は少し考えた。

「来るかもしれない」

「深影」

 紅緒が横からたしなめる。

「でも、同じことはさせない」

 深影は続けた。

「遊びたかっただけみたいだから。ちゃんと遊び方を教える」

 母親は戸惑った顔をした。

 怖い目に遭ったばかりなのだから当然だ。

 深影は受付台の横、夕暮れの光が長く伸びている床へ目を向けた。

 自分の影の端から、小さな影がほんの少しだけ顔を出すように輪郭を伸ばしている。

「出ておいで」

 深影が言う。

 小さな影は動かない。

「今は誰の影も踏まない」

 一拍置いて、影がそろそろと外へ出た。

 家族たちが息を呑む。

 小さな影もそれを察したのか、ぺたりと床へ縮こまった。

 深影は自分の影蛇を一匹出し、その前へ置く。

「遊ぶなら、相手も遊びたい時だけ」

 影蛇が小さな影の前を走る。

 小さな影が追う。

 けれど、影蛇がぴたりと止まると、深影も片手を上げた。

「ここで終わり」

 影蛇が自分の影へ戻る。

 小さな影は追いかけようとして――止まった。

 その場で二度ほど揺れ、やがて深影の足元へ戻ってくる。

「そう。終わったら終わり」

 景真はその様子を見て、少し笑った。

「本当に教えてるな」

「覚えないと、また同じことするから」

 深影は小さな影へ視線を落とす。

「嫌がってる人を引っ張るのも駄目」

 影が小さく縮んだ。

「分かった?」

 返事はない。

 代わりに、小さな影が一度だけ上下に揺れた。

「……分かったらしい」

「本当か?」

「たぶん」

「やっぱりたぶんなんだな」

 少年が、母親の袖を握ったまま小さな影を見ていた。

 しばらくして、おそるおそる言う。

「……今度は、ちゃんと遊べる?」

 小さな影が少年の方を向く。

 深影は答えず、少年を見る。

「遊びたい?」

 少年は少し迷ってから頷いた。

「……怖くないなら」

「じゃあ、今度ね」

 深影はそれだけ言った。

 無理に仲良くさせるつもりはないらしい。

 その態度に、母親の表情もほんの少しだけ和らいだ。


   *


 家族たちが帰ったあと、受付台の向こうから八重が深影をじっと見ていた。

 深影はいつもの席へ戻っている。

 その足元には、見慣れない小さな影が一つ増えていた。

「それで」

 八重が低い声を出す。

「そのちっこいのを、連れて帰ってきたのかい」

「ついてきた」

「同じことだよ」

 深影は机へ頬杖をついた。

「追い払った方がよかった?」

 八重はすぐには答えなかった。

「あんたは、どう思ったんだい」

「悪いことはした」

 深影が答える。

「でも、悪いことをしたかったわけじゃなかった」

「だから?」

「終わり方を教えれば、もうしないかもしれない」

 八重はしばらく深影の顔を見ていた。

 それから、小さく鼻を鳴らす。

「なら、その後まで面倒見な」

「え」

「拾ってきて、教えました、はい終わり。そんな仕事じゃないよ」

 八重は受付台の上の帳面を閉じた。

「また誰かに迷惑をかけないか。ちゃんと終わりを覚えたか。あんたが見な」

「……仕事増えた」

「自分で増やしたんだよ」

「はーい」

「返事」

「はい」

 景真は少し離れたところで、そのやり取りを聞いていた。

 深影が御伽館へ来たばかりのころなら、怪異を見つけたあとにどうするかまで考えただろうか。

 少なくとも今は、危険かどうかだけではなく、その怪異が何をしようとしていたのかを見ている。

 八重に叱られながらも、御伽衆の仕事のやり方を少しずつ身につけているのだろう。

 そんな景真の視線に気づいたのか、深影がこちらを見た。

「何?」

「いや。ちゃんと留守番してたんだなと思って」

「言ったでしょ」

 深影は真っ黒な瞳を細めた。

「私はここを守ってるって」

「……そうだったな」

 玄嶺へ出発する朝の言葉を思い出し、景真は笑った。


   *


 翌日の夕暮れ。

 御伽館の前には、長い影が伸びていた。

 昼間に届いた依頼を片づけた景真と紅緒が戻ってくると、深影が戸口の脇に座っている。

 その足元では、小さな影が影蛇のあとを追って、短い距離を行ったり来たりしていた。

「まだいるんだな」

「しばらく見ることになった」

「八重さんに言われたから?」

「半分」

「残り半分は?」

 深影は答えず、小さな影を見る。

 昨日より動きは落ち着いていた。影蛇が止まれば止まり、深影が手を上げれば自分から足元へ戻ってくる。

 どうやら少しは学んでいるらしい。

 景真はその様子を覗き込もうとして、一歩横へずれた。

 その足が、深影の長く伸びた影の端を踏む。

 ぴたり。

 深影が景真を見る。

「…………」

「何?」

「踏んだね」

「え?」

「影踏みする?」

「いや、しない」

「そう」

 深影はあっさり頷き、足元から伸びかけた影蛇を引っ込めた。

 紅緒が隣で呆れたように息を吐く。

「今のは、ちゃんと聞いたのね」

「教えたから」

「自分で教えたんでしょう」

 その時だった。

 少し離れた壁際で、小さな影がぴょこんと跳ねた。

 景真の影へ近づきかける。

 けれど途中で止まり、深影を見る。

 深影が首を横に振った。

 小さな影は少し考えるように揺れたあと、景真の影を踏まずに戻ってきた。

 深影の口元が、ほんの少しだけ上がる。

「覚えた」

 夕暮れの御伽館の前で、影蛇が一匹、小さな影の周りをくるりと回る。

 小さな影も、それを追って跳ねた。

 今度は、誰の影も勝手には踏まなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。