表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/49

第十一話「恋に恋する雪女」④

 秘湯まほろばから里へ戻ったころには、空はすっかり暗くなっていた。

 雪女の里には小さな灯りが点々と浮かび、積もった雪を橙色に染めている。昼間までの騒がしさが嘘のように、辺りは静かだった。

 客間で夕餉を済ませたあと、景真は少しだけ外へ出た。

 温泉で身体は温まったはずなのに、冷たい夜風が頬に心地よかった。

 里の外れまで歩くと、石柱の向こうに玄嶺の山々が見えた。昨日まで荒れ狂っていた玄氷脈も落ち着き、今は遠くで風が鳴るだけだ。

「……ようやく静かになったな」

 今日一日のことを思い返す。

 相合傘。菓子。薪。そして最後には男湯。

 静かだったかと言われれば、まったくそんなことはなかった。

「景真さん」

 振り返ると、少し離れたところに恋白が立っていた。

「恋白」

 昼間までなら、こちらを見つけた途端に嬉しそうに近づいてきただろう。

 けれど今の恋白は、その場で一度立ち止まった。

「隣、よろしいですか?」

 景真は少し意外に思った。

「ああ」

 返事を聞いてから、恋白が隣まで歩いてくる。

 それだけの違いだった。だが、朝から彼女に振り回されていた景真には、その一言が妙に印象に残った。

 二人でしばらく雪山を眺める。

 恋白の胸元には、いつもの絵草子がしまわれている。けれど、手を伸ばす様子はなかった。

「景真さん」

「ん?」

「私、間違っていたんでしょうか」

 景真はすぐには答えなかった。

「何が?」

「恋の仕方です」

 恋白は自分の手元を見た。

「宵待星乃先生の絵草子を読んで、ずっと恋をしてみたいと思っていました。誰かと出会って、一緒に過ごして、運命みたいに好きになって」

「うん」

「だから景真さんに会った時、これがそうなんだと思ったんです」

 雪山で迷った自分を、外から来た男が捜しに来る。

 物語として見れば、確かに恋白の好きそうな始まり方なのかもしれない。

「でも姉さまに言われて、少し分からなくなりました」

「俺のことが?」

「恋が、です」

 恋白は困ったように眉を寄せた。

「私は景真さんが好きだから、絵草子と同じことをしたかったのでしょうか。それとも、絵草子みたいな恋をしたかったから、景真さんを好きになろうとしていたのでしょうか」

 景真は頭を掻いた。

「難しいこと聞くなあ」

「景真さんなら分かるかと思って」

「俺だって恋愛の先生じゃないぞ」

 ましてや、宵待星乃ほどの知識もない。あれを知識と呼んでいいのかは別として。

 少し考えてから、景真は言った。

「でも、朝の恋白は俺じゃなくて、恋ってものを見てた気はする」

 恋白が顔を上げる。

「相合傘も、隣に座るのも、同じ薪を持つのもさ。俺がどう思うかより、絵草子と同じことをする方が大事だっただろ?」

 恋白は黙って考え込んだ。

「……そうかもしれません」

「だからって、全部間違いだったってことでもないんじゃないか」

「そうなんですか?」

「少なくとも、今日一日ずっと嫌だったわけじゃないだろ?」

 恋白は瞬きをした。

 そして、ゆっくり今日の出来事を思い返すように目を伏せる。

「楽しかったです」

 答えは早かった。

「傘の下を歩いたのも、景真さんの隣でお菓子を食べたのも、薪を一緒に運んだのも」

 そこで少し間が空く。

「温泉は?」

「あれは、もうしません」

「そうしてくれ」

 景真が笑うと、恋白も小さく笑った。

「でも、景真さんと一緒にいたこと自体は、楽しかったです」

 今度の言葉には、宵待星乃の名前が出なかった。

 絵草子のどの場面にも照らし合わせず、恋白自身がそう言った。

「じゃあ、今はそれでいいんじゃないか?」

「それで、いいんでしょうか」

「無理に今日中に答え出す必要もないだろ。俺のことも、恋ってものも、これから知ればいい」

 恋白は景真を見た。

 朝のような、物語の主人公を見る目ではなかった。

 ただ目の前にいる一人の人間を確かめるような、静かな視線だった。

「……はい」

 それから恋白は、少しだけ嬉しそうに笑った。


   *


 少し離れた建物の陰では、その様子を二人が見ていた。

「なるほど……」

 五十鈴が小さく呟く。

 隣にいた紅緒が、すぐに振り返った。

「何が?」

「いえ。恋白さん、今日はもう突撃しねえんだなって」

「紗白さんにあれだけ言われたもの。当然でしょう」

 紅緒の返事は平静だった。

 けれど視線は、また景真と恋白の方へ戻っている。

 二人はただ並んで話しているだけだ。朝のように距離が近いわけでもない。恋白が何か仕掛けているわけでもない。

 それなのに。

 紅緒の胸の奥には、まだ小さな棘が残っていた。

「紅緒さん」

「何?」

 五十鈴が何か言いかける。

「もしかして――」

 真紅の瞳が五十鈴に向いた。にこりともしていない。

 五十鈴は瞬時に判断した。

「……明日の帰り道、雪大丈夫ですかね?」

「何で急に天気の話になるのよ」

「死にたくねえからです! 色んな意味で!」

 五十鈴はそれ以上何も言わなかった。

 何となく分かってしまったことは、今は胸の内へしまっておくことにした。


   *


 翌朝。

 玄嶺の空はよく晴れていた。

 景真たちは雪女の里の入口で、帰り支度を整えていた。

 玄氷脈は夜の間も安定していたらしく、南へ流れる異常な冷気もほとんど感じない。これなら幽京へ戻っても、ひとまず小夜へ良い報告ができそうだった。

 見送りには紗白と恋白が来ていた。

「改めて礼を言う。景真殿、紅緒殿、五十鈴殿。玄氷脈の件はこちらでもしばらく警戒しておく」

「お願いします。こちらからも陰陽寮へ報告しておきます」

 紅緒が答える。

「五十鈴殿も、道中頼んだぞ」

「任せてください! 帰り道なら目ぇつぶってても――」

「目は開けて歩け」

「たとえです!」

 紗白がわずかに口元を緩めた。

 その横で、恋白は昨日までと違い、おとなしく立っていた。

「じゃあな、恋白」

 景真が声をかける。

「はい。また会いに来てください」

「機会があればな」

 普通の別れだった。

 少なくとも、景真はそう思った。

「その時までに、私、もっと景真さんのことを知っておきます」

 景真の足が止まる。

「俺のこと?」

「はい。好きな食べ物とか、好きな場所とか、何をしている時が楽しいのかとか」

「何で?」

 恋白は少し考えた。

 そして、昨日までのように絵草子へ答えを求めることなく言った。

「今度は、ちゃんと景真さんを好きになるためです」

「…………」

 景真は言葉を失った。

 隣で五十鈴が小さく「おお」と声を漏らす。

 紅緒は何も言わなかった。

 ただ、ほんの少しだけ目が細くなった。

「恋白」

 紗白が妹を呼ぶ。

「はい?」

「ほどほどにな」

「はい」

 恋白は素直に頷いた。

 景真には、その「はい」がどこまで分かっているのか少し不安だった。

 三人は里をあとにした。

 雪の道を南へ下る。振り返れば、恋白はまだ里の入口に立ち、こちらへ手を振っている。

 景真も軽く手を上げて返し、前を向いた。

 しばらく歩いたところで、隣の紅緒が妙に静かなことに気づく。

「紅緒」

「何?」

「やっぱり何か怒ってる?」

「別に」

「昨日からずっとそんな感じじゃないか?」

「知らない」

「何が?」

「知らないったら」

 紅緒は歩調を少し速めた。

「お、おい。待てよ」

 景真がその背中を追う。

 少し後ろを歩く五十鈴は、二人を見比べてから口元を緩めた。

「……こっちも、まだまだだべなあ」

 誰にも聞こえない声で呟き、五十鈴も二人のあとを追った。

 玄嶺の山には、昨日までのような異常な冷気はもう流れていない。

 それでも紅緒の胸の奥には、どうにも収まりの悪いものが残ったままだった。

 雪女が景真へ向けた笑顔を思い出すたび、なぜだか少しだけ面白くない。

 その理由を、紅緒はまだうまく言葉にできずにいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ