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第九話「星読みの秘め事」②

 御伽館を出た四人は、陽香が来た道を逆に辿ることにした。

 陽香の話では、落とした紙束に気づいたのは御伽館へ着く少し前だったという。ならば、まずはそこから陰陽寮へ向かって戻っていくのが一番早い。

「薄い鼠色の紙で、紫の紐、でしたよね」

「ええ。見つけたら、できればそのまま私に渡してね」

「分かりました」

 紅緒が頷く。その隣で、深影は妙に楽しそうに左右の道端を見回していた。

「落とし物探しって、ちょっと宝探しみたいだね」

「中を見ちゃいけない宝だけどな」

「見るなって言われると、ちょっと見たくならない?」

「深影ちゃん?」

 陽香がにこりと微笑む。

 優しい笑顔だった。なのに深影は、ぴたりと口を閉じた。

「……見ないよ」

 景真は思わず陽香を見る。

 本人は変わらず柔らかく笑っている。

(今のは、俺でも分かったぞ)

 こうして四人は、まず御伽館にほど近い通りから捜し始めた。

 往来の端、店先の軒下、荷車の陰。風に飛ばされている可能性も考えて、道の脇まで一つずつ確かめていく。

 だが、探し始めてしばらくしても、それらしいものは見つからなかった。

「落とした時、風は強かったですか?」

「それほどでもなかったと思うわ。でも、紙だからねえ。少しくらいは飛ばされたかもしれないわね」

「紐で綴じてあったんですよね?」

「ええ。ただ、持ち歩いているうちに少し緩んでいたかも知れないわ。落とした拍子に外れていたら……」

 陽香がそこまで言ったところで、少し先を歩いていた深影が足を止めた。

「あ」

「見つけた?」

 陽香の声が一段明るくなる。

 深影が屈み込み、道端の木箱と壁の隙間から一枚の紙を引っ張り出した。

 薄い鼠色。端には紐を通した跡がある。

「これじゃない?」

「そう、それ!」

 陽香が珍しいほど素早く近寄ってくる。

 しかし、深影が差し出そうと持ち上げた拍子に、紙面がくるりとこちらを向いた。

 景真の目に、描かれた絵が飛び込んでくる。

「……あれ?」

 いくつもの四角い枠に区切られ、その中に人物と吹き出しが描かれていた。景真には、その形式に見覚えがある。現世で何度も目にした――漫画だ。

(……漫画? この世界にもあるのか?)

 呼び方も作り方も同じとは限らないが、絵と台詞を順に追って物語を読むものだということは、一目で分かった。

 そして、その中心にいる女に景真は見覚えがあった。

 後ろでまとめた黒髪。眠たげな細い目。左の袖だけが空いている。膝には猫まで乗っていた。

 その隣には、長い髪を編み込んで後ろへ束ねた、柔らかな笑みの女。二人で縁側に並び、湯呑みを手にしている。

「……」

 景真は陽香を見た。

 陽香も景真を見た。

 笑顔だった。

「見た?」

「いや、その……見えました」

「景真?」

 今度は紅緒までこちらを見る。

「何が描いてあったの?」

「いや……片腕の陰陽師っぽい人が、猫を膝に乗せてて」

 紅緒の眉がわずかに動いた。

 深影は紙をもう一度見かけて、慌てて裏返す。

「小夜に似てたね」

「そうかしら?」

 陽香は穏やかに首を傾げた。

「髪も似てたし、左腕もないし、猫もいたよ」

「創作の人物なんて、どこかで誰かに似るものよ」

「その隣の人、陽香にも似てた」

「気のせいじゃない?」

 返事が早かった。

「髪型も同じだったぞ」

「景真くんまで。世の中には似た髪型の人なんていくらでもいるでしょう?」

「まあ、それはそうですけど……」

 陽香は深影から紙を受け取ると、絵が見えないよう胸元へ抱えた。

「とにかく、一枚見つかってよかったわ。ほかにも散っているかもしれないから、先へ行きましょう」

 話題を切り上げる速度だけは、いつもの陽香より少し早かった。

 そこから先は、四人とも自然と紙面を伏せて拾うことになった。中を見ないための配慮なのだが、その光景だけ見れば、何か見てはいけないものを回収しているようでもある。

 途中、紅緒が側溝の縁に引っかかった白い紙を見つけたが、近づいてみれば商家の勘定書きだった。深影は丸められた包み紙を見つけるたびに「これ?」と訊き、そのたびに陽香が「違うわねえ」と答えた。

「こうして探すと、道って紙が結構落ちてるんだね」

「感心するところじゃないでしょう」

「でも全部陽香のだったら大変だったね」

「それは本当に大変ね……」

 陽香の返事だけ妙に切実だった。

 次に向かったのは、陽香が買い物をしたという通りだった。

 乾物、布、細工物。大小の店が並ぶ通りを、陽香は店主たちに声をかけながら進んでいく。顔が広いのか、行く先々で「あら先生」「今日はどうしたんです」と声をかけられていた。

 そのたび陽香は、いつもの調子で「ちょっと落とし物をしてしまって」と笑う。

(さっきまであんなに焦ってたのに、外では全然分からないな)

 景真が感心していると、前を歩いていた紅緒が一軒の小物屋の前で止まった。

「陽香さま。こちらにも寄られましたか?」

「ええ。少しだけ」

 店先にいた老女へ事情を説明すると、彼女は「ああ」と声を上げて奥へ引っ込んだ。

「これじゃないかい? さっき店の前に落ちてたよ」

 戻ってきた手には、鼠色の紙が二枚あった。

「ありがとうございます」

 陽香がほっとしたように受け取ろうとする。

「絵が上手だねえ。仲のいい娘さんたちで」

 陽香の手が止まった。

「……ご覧になったんですか?」

「風でひっくり返ってたから、そりゃ少しは目に入るさ」

 悪びれもせず笑う老女の手元で、一枚が傾いた。

 今度は紅緒にも見えたらしい。

「……」

 紙面には、さっきと同じ二人の女が描かれていた。

 小夜によく似た女が店先で団子を頬張り、その口元についた餡を、陽香によく似た女が指先で拭っている。別の枠では、二人で一つの傘に入り、肩を寄せて歩いていた。

 仲睦まじい。

 少なくとも、その一言で片づけられる程度には。

「陽香さま」

「なあに、紅緒ちゃん」

「こちらの人物も……偶然なのでしょうか」

「ええ。たまたまよ」

「二人ともですか?」

「創作って、不思議ねえ」

 にこにこと答える陽香に、紅緒はそれ以上何も言えなくなった。

 深影だけが、何やら楽しそうに首を傾げている。

「でも、仲いいね。この二人」

「そうね。仲のいい友人同士なのよ」

「友人なんだ」

「ええ」

 陽香はきっぱり言った。

 景真はなぜか、その断言だけは覚えておこうと思った。

 老女に礼を告げ、四人は再び通りへ出た。

 歩きながら、陽香は回収した紙の順番を確かめている。紙の端を揃える手つきは、先ほどまでより明らかに慎重だった。

「この世界にも、漫画みたいなものがあるんですね」

 景真が訊く。

「漫画? こちらでは絵草子と言うのよ。絵と台詞で物語を追えるようにしているの」

「ずいぶん描き込んでありますね」

「好きで描いているだけよ」

「小夜さんを?」

「物語を」

 訂正が早い。

 深影が隣から口を挟む。

「陽香、自分のことも描いてるよね」

「似ているだけよ」

「じゃあ、あの二人は誰?」

「小宵と春香」

「小夜と陽香じゃん」

「違うわ。字が違うもの」

「一文字ずつ変えただけじゃない?」

「名前というのは一文字変われば別人でしょう?」

 理屈として間違ってはいない。たぶん。

 紅緒は少し考え込んでから、恐る恐る訊いた。

「陽香さま。その……小宵という方と春香という方は、どういうお話なのでしょうか」

「幼い頃から一緒にいる二人が、いろいろな出来事を乗り越えていくお話よ」

「なるほど」

「ずっと一緒なんだ?」

「そうね」

 深影の問いに、陽香は少しだけ目を細めた。

「長く一緒にいれば、その人のことをたくさん知れるでしょう? 好きなものも、苦手なものも、笑う時の癖も」

 声は穏やかだった。

「そういうのを、絵に残しておきたくなることもあるのよ」

 一瞬だけ、その言葉から冗談めいた響きが消える。

 景真は隣を歩く陽香を見る。

 小夜とは古い付き合いだという話は聞いている。今の言葉にも、単なるからかいではない何かが混じっているように思えた。

 だが。

「ちなみに、小宵が寝起きで髪を結い直してもらう場面もあるわ」

「……それも必要なんですか?」

「必要よ」

 しんみりしかけた空気が一瞬で消えた。

 深影が声を上げて笑い、紅緒は困ったように眉を寄せる。

「陽香さま、それは本当に物語に必要なのでしょうか……」

「人物を丁寧に描くには、日常が大事なのよ」

「日常……」

(小夜さん、これ知ってるのか……?)

 知らないからこそ、陽香は小夜に見つかる前に回収したがっているのだろう。

 そう考えると、今さらながらこの捜索の切迫感が違う意味を帯びてきた。

 次に訪れた茶屋では、店の者が軒下に引っかかっていた一枚を取っておいてくれていた。

「これでございますかね」

「ええ、そうです。ありがとうございます」

 今度こそ誰にも見えないよう、陽香が素早く受け取ろうとした、その時だった。

 店の奥から吹き抜けた風が、紙をひらりと返した。

「あ」

 四人の視線が、同時に紙面へ落ちる。

 最初の一枠は、夜の縁側だった。

 小宵が座り、その隣に春香がいる。ここまでは、これまでと同じだった。

 次の枠では、春香が小宵の頬へ手を添えていた。

 その次では、二人の顔が近い。

 近いというより――あと少しで額が触れそうなほどだった。

 最後の大きな枠では、春香が小宵の腰へ腕を回し、帯の上からぐっと自分の方へ引き寄せていた。小宵も春香の胸元の衣を掴み、二人の顔は、少し身じろぎすれば触れてしまいそうなほど近い。小宵の頬には薄く朱が差し、春香はこれまでの頁では見せていなかった柔らかな目で彼女を見つめていた。

「…………」

 誰も何も言わなかった。

 先ほど陽香は、この二人を「仲のいい友人同士」と言った。

 景真はその言葉を思い出した。

(……友人って、どこまでだ?)

 横を見る。

 紅緒はさっと視線を逸らしていた。頬どころか耳まで赤くなっている。

 深影は真っ黒な瞳をぱちぱちさせ、それから陽香を見る。

「陽香」

「なあに?」

「友人なんだよね?」

「……そうよ?」

 ほんの少しだけ、返事が遅かった。

 陽香は紙を受け取ると、今度こそ裏返し、ほかの原稿と重ねた。

「さあ、まだ全部じゃないから、続きを探しましょうか」

 笑顔はいつも通りだった。

 ただし、誰も目を合わせなかった。

 茶屋を出たあと、しばらく四人の間には妙な沈黙が続いた。

 それを最初に破ったのは深影だった。

「あのあと、どうなるの?」

「深影」

「紅緒、気にならない?」

「気にならないわ」

「今すごく早かったね」

「気にならないったら」

「もう、二人とも。勝手に続きを想像しないの」

 陽香は困ったように笑っている。

 景真は何も言わなかった。

 言えば紅緒に睨まれる気がしたし、何より自分も少し気になってしまったことを認めたくなかった。

 残るのは書店と、陰陽寮までの道だった。

 そこから少し歩き、陽香が立ち寄ったという書店へ着く。

 店主は事情を聞くと、顎を撫でながら記憶を探った。

「鼠色の紙ですか。そういや、一枚だけ店先に飛んできたのを見たような……」

「本当ですか?」

 陽香が身を乗り出す。

「ええ。ただ、私が拾うより先に、通りがかった方が拾いましてね」

 陽香の笑顔が、わずかに固まる。

「どんな方でした?」

「黒い髪を後ろでまとめた、陰陽寮の方だったと思います。女性で……左の袖が、こう、風に揺れていて」

 沈黙が落ちた。

 景真は紅緒を見る。

 紅緒も景真を見る。

 深影だけが、ぽんと手を打った。

「小夜だ」

 陽香の笑顔が、今度こそ完全に止まった。

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