第11回 / 秒殺、そして英雄の帰還
「……消えた? いや、瞬きをしただけか。……貴様ら、何をした」
魔王の困惑した声が、暗雲に覆われた王都の上空に低く響いた。
魔王が絶望の指先を振り下ろそうとしたその瞬間、カイトたちの姿は確かに消失し、そして次の刹那には、そこにあった。
外の世界では、時間にしてコンマ数秒。
だが、戻ってきた四人の纏う雰囲気は、先ほどまでのそれとは根本的に異なっていた。
先陣を切ったのは、勇者アリスだった。
彼女は一歩、虚空を踏みしめた。それだけで、魔王が展開していた重力障壁がガラス細工のように粉々に砕け散る。
「カイトが言ったんだ。……私たちの強さは、ハリボテだったって」
アリスが静かに、しかし世界を震わせるような声で紡ぐ。
彼女の髪は黄金の輝きを放ち、手にした鉄の剣は、もはや光そのものと化していた。
「だから、本物を手に入れてきた。……一秒で終わらせるぞ、魔王。カイトとの大切な『新婚時間』を、これ以上邪魔させない」
「新婚……!? 何を、何を言っている、この娘は――」
魔王の反論は最後まで続かなかった。
アリスが動いたのではない。アリスが剣を振るうという「結果」が、この世界の「原因」を飛び越えて確定した。
一閃。
魔王の右半身が、暗黒の魔力ごと消失した。
切断ではない。アリスの愛と絆によって純化された一撃が、魔王という概念そのものを、この宇宙から「なかったこと」に書き換えたのだ。
「ぐ、があああああっ!? 私の肉体が、存在が……消えていく!? 馬鹿な、神の加護すら超えるというのか!」
「いいえ、神様ではありません。……カイト様の、愛ですわ」
慈愛に満ちた、しかし絶対的な拒絶を孕んだ声。
聖女セシルが空中に展開したのは、もはや魔法陣ですらなかった。彼女の背後には、カイトとの「絆」を具現化したような、巨大な光の十字架が浮かび上がる。
「カイト様に頂いたこの温もりを、汚れに満ちた貴方に触れさせるわけにはいきません。……消えなさい、世界のノイズめ」
セシルが手をかざすと、空を覆っていた暗雲が、一瞬にして純白の花びらへと変わった。
漆黒の雷光は、柔らかな春の陽光となり、死の瘴気に怯えていた民衆の傷を瞬時に癒やしていく。
「……あ、ありえない。魔力の性質が、完全に反転している……!? 憎悪こそが力の源であるこの私が、慈愛によって融解しているというのか……っ!」
「演算終了。……あなたの存在は、今の私たちにとって、解く価値もないほど単純な数式よ」
最後の一撃は、テッサだった。
彼女は眼鏡を指先でクイと押し上げると、無数の魔法文字が刻まれた空間を、指先でピアノを弾くように叩いた。
「物理法則、上書き完了。……魔王という特異点を、ただの『空気』に置換するわ。……バイバイ、不法侵入者。私たちの邪魔をしないで」
テッサの宣言と同時に、魔王の残りの体が、シュウ……と静かな音を立てて透明に透けていった。
絶叫すら残らない。
人類を数千年にわたって苦しめてきた「魔王」という名の究極の災厄は、覚醒した三人のヒロインによって、文字通り「秒殺」されたのだ。
*
「……あ、終わった?」
カイトは、三人の背後で呆然と立ち尽くしていた。
自分が『愛の密室』で彼女たちと結ばれ、魂の契約を交わしたことで、彼女たちのステータスが「カンスト」を超えて「バグ」レベルまで跳ね上がったのは知っていた。
だが、まさか魔王がこれほどまでに、ハエか何かのように処理されてしまうとは。
戦場に、静寂が訪れる。
王都を守る騎士たちも、崩れ落ちた壁の下で震えていた市民たちも、そして王城のバルコニーから戦いを見届けていた国王も。
全員が、何が起きたのか理解できず、口をあんぐりと開けて固まっていた。
ただ一瞬。
一瞬の閃光とともに、絶望が希望に塗り替えられたのだ。
「カイト!」
アリスが、光り輝く髪をなびかせて駆け寄ってくる。
彼女は周囲の視線など一ミリも気にせず、カイトの胸に勢いよく飛び込んだ。
「やったぞ! 魔王を倒した! これで、これでもう誰にも邪魔されず、貴様とあの部屋で、もっと、その……『続き』ができるな!」
「ちょっ、アリス様!? 声がでかい! みんな聞いてるから!」
「いいじゃない、カイト。あなたは私たちの、そしてこの世界の救世主なのよ。……それくらいのご褒美、当然だわ」
テッサも加わり、カイトの腕にしがみつく。
彼女の割れた眼鏡の奥にある瞳は、これまでの「効率厨」の冷たさは消え失せ、蕩けるような甘い独占欲に満ちていた。
「わたくしも、もう我慢しません。……皆様! 聞いてください! このカイト様こそが、わたくしたちに奇跡を与え、魔王を屠る力を授けてくださった、真の聖王なのです!」
セシルが、拡声の魔法を使って、王都全土に響き渡る声で宣言した。
「聖王……!? あの少年が!?」
「そうだ、勇者様たちが一瞬消えたと思ったら、あのオーラを纏って戻ってきたんだ!」
「彼こそが、勇者たちを導いた至高の賢者だったのか!」
地響きのような大歓声が、王都を包み込む。
「聖王カイト!」「人類の救世主!」「奇跡の伴侶!」と、ありとあらゆる英雄的な二つ名が、カイトに向けて投げかけられる。
「ち、違うんです! 俺はただ、皆さんとその、致しただけで……! そんな立派なもんじゃ――」
カイトの必死の否定は、国王が涙ながらに駆け寄ってきたことで、完全に封殺された。
「おおお、カイト殿! いや、カイト聖王陛下! なんという慈悲深さ、なんと謙虚な御方か! 功績を誇らず、ただ一介の少年の如く振る舞うその気高さ……! この国は、いやこの世界は、今日より貴殿を総帥として仰ぐことを誓いましょう!」
「いやあああ! 成り上がりたくない! 俺はただ、まったりしたかっただけなんだぁぁぁ!」
カイトの絶叫は、歓喜に沸く人々の万歳三唱にかき消されていった。
魔王は滅んだ。
世界には平和が訪れた。
そしてカイトは、不本意にも「世界を救った最強の王」として、歴史にその名を刻まれることになってしまったのである。
だが、彼を囲む三人の英雄たちの笑顔だけは、歴史書の記述よりもずっと熱く、そして深く、彼に刻み込まれていた。
――戦いは終わった。
しかし、カイトと彼女たちの「清算」の毎日は、ここからが本番なのである。




