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『ゲロ味の錠剤』  作者: kar777


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2/6

第2話 手にした夢。夢だけ。

「あなた、昨日うちにいました?」

「い、いや、その…」

声が裏返る。自分でも驚くほど情けない声。

「あ、あれですよ。ほら、昨日……道を歩いてるときに、音が…聞こえて…」

言い訳にすらなっていない誤魔化し。

彼女が、目を細める。

あ、終わった。

「…そっか。カーテン、開いてたしね…音が漏れてたのかも」

彼女はニコリとほほ笑んだ。

ばれて…ない?あんなバレバレの噓なのに?

「あ~えっと…小説家なんですよね。あの…すごいですね」

「……誰でもなれますよ。小説家なんて」

彼女は少し間を開けて言葉を継ぐ。とても、悲しそうな顔で。

「少なくとも、ピアニストよりは」

「その言いぶりからして…夢を、持っていたんですね」

「…もう、破れましたよ」

その言葉が、冷えた空気みたいに薄くて、痛かった。

何も言えずに立ち尽くしていると、独り言みたいに、ぼそりと彼女が続けて呟いた。

「あなただってなれますよ。小説家なんて…」


瞬間、風が止まり、街の音が遠のく。

その一言が、胸の奥で爆発した。心配も、消え去るほどに。

「本当に、俺でもなれるんですか」

「え?ええ」

彼女は気づいていない。

その言葉が、俺の中でどれだけ大きな意味を持ったかなんて。


夢は最悪だ。叶わないし、破れるし、持つだけで苦しい。

ずっとそう思っていたはずなのに…

俺は今、初めて夢を持った。与えられた。たった一言、

「あなただってなれる」

それだけで。

いや、そんなものかもしれない。

偶然見た光景、音が、作品が、感情を生み出し、夢を生み出す。

みんな、小さな事で夢ができるのかもしれない。

そう。みんなが経験している小さな一歩。

…でも、そんな皆と同じに、俺はなれた。

そう思った瞬間に、

「ありがとう」

そんな、単純な言葉がこぼれた。

「え?」

「俺…書きます。小説、書いてみます。それで、小説家になります。そんな、夢ができました」

「…」

彼女はしばらく黙っていた。

そして、一言。

「そう。いいと思いますよ」

「それで、あの…名前を聞いてもいいですか」

彼女は少し間を置いてから、

「…千景」

それだけ答えた。


錠剤を飲み込む。

作用は集中力の向上。副作用は吐き気。

特に副作用は強烈で、俺の体質にはどうにも合わないらしい。飲んだ瞬間、すぐに吐き気が襲ってくる。

俺は、この薬が嫌いだ。けれど、飲み込む。

なぜなら…

「俺は今日から…夢を追う」

夜の闇の中、俺には似合わないはずの言葉を吐き出した。



防犯カメラの映像を再生する。画面の中で、玄関のドアがゆっくりと開く。

そこに映っていたのは昨日、私の家に入り込んだあの男。

「全部知ってんだよ。変な言い訳しやがって」

そんな私の言葉が、部屋の闇に消え入る。

…それは私も同じか。

画面の中で私が帰ってくる。男は、ピアノの影に潜り込むようにして息を殺している。

よく、これで逃げれたものだ。

その瞬間、昼間のあの言葉が頭の中で蘇った。

「俺…書きます。小説、書いてみます。それで、小説家になります。そんな、夢ができました」

思い出しただけで、気が重くなる。

夢、か。

「…夢なんて、簡単に叶うもんじゃないのに」

呟きは、自分自身に向けた言葉でもあった。

ピアニストになりたい。そんな夢を持っていた。

けれど、私には才能がなかった。努力では超えられない壁があった。けれども私にはあった。…その代わりとなる、文章の才能が。

それは救いだったけれど、同時に、残酷な現実。

――必ずしも、夢の方向に才能があるとは限らない。夢は、夢だけじゃ叶わない。

小説家だって甘くない。書きたいだけでなれるほど、優しい世界じゃない。

あの男は、私の一言だけで勝手に夢を持った。

何も、知らないくせに。夢の重さも、痛みも、現実も。

…馬鹿だな。

心の中で響くその言葉はきっと、誰にも向けて言ってはいない。

最初はただ、小説のネタにしようと思っていただけだった。

でも…

私は立ち上がり、防音カーテンをきっちりと閉め切った。

ピアノの椅子に腰を下ろす。鍵盤に触れると、軽やかな音が部屋に広がった。

軽やかなのに、私の心は重く沈んでいく。

ピアノの黒い表面に映る自分の顔は、楽しそうでも、誇らしげでもない。

「…あいつの夢なんて、ぐちゃぐちゃに潰してやる」

押し殺した、か細い声でそう呟く。

夢だけが詰まっているピアノは、今日も軽やかに音を奏でていた。

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