第12話 偽善の正体
味方。その言葉をここのところよく聞いた気がする。
真柴さん、千景さんそして……
「急にどうしたんですか、相川さん」
困り眉で話す白石さんを鋭く見据え、口を開く。
「手伝ってほしいんですよ。小説書くの」
「え? まぁ……」「ただ!」
被せて吐いた声が、教室の空気を切り裂いた。少しのけぞった白石さんに一歩近づき言う言葉の続き。
「小説の技術とか、そんなものを教えてほしいわけじゃない。語ってほしいんです」
「語る……?」
「はい。白石さんの小説にできるくらい面白い話を、語ってほしいんです」
「そんな、急に言われても……出てきませんよ」
「俺もそうです。出てこなくて、書けなくて……それでも、って足掻いたら……失って」
俺はまた一歩、踏み込んだ。白石さんの肩がピクリと動く。俺を訝しむ目が少し、変わった気がした。
「だから、あなたなんです。今、あなたにしか……頼れない」
時計の規則通りの音が鳴り響く中、俺は頭を下げた。
「お願いします」
「……分かりました」
顔を上げると白石さんは、苦虫を噛み潰したような、苦しそうな顔をしていた。
「そこまで面白い話ではないですけど……ひとつだけ」
そして、一呼吸おいて語り始めた。
あれは、僕が子供の時。僕には、ある不満がありました。
妹ばかりをかわいがる両親です。
自分よりも遅く生まれたというただそれだけで、おざなりにされなければならないという現実に、不満を募らせていたのです。
……この時僕は7、8歳。まぁ、よくあることでしょう?
けれど、僕は不満を抑えることができなかった。そして不満の向かう先。
僕は、飼い犬のドリスに……暴力を加えてしまった。
「ちょ、ちょっと待った!」
「……どうしました?」
妙にリアルで……いや、まるで白石さんの過去を語るような口調。
つい、止めてしまった。
「え、その……作り話、ですよね?」
「…………いえ、事実です」
言葉が出てこない。開いた口が塞がらない。
「ドリスは鳴きませんでした。子供の暴力ですし、痛くなかったのかもしれません。けれど、殴った。暴力をふるってしまった」
信じられない。ペットに暴力をふるうなんて。そいつは続ける。
「その行動を、何度悔いた事か……何度、自分を殴ったことか。けれど、何より苦しかったのは――」
少しの間の後、強く、けれど弱々しく声が響いた。
「罰が、来なかったことです」
「地獄があれば、どれほどよかったか。罰を与えられれば、どれほどよかったか!」
「……」
「ドリスは、殴られた次の日も、前と変わらず接してくれた。……敵意をあらわにして、噛みついてくれたら……どれほど、よかったことでしょう」
何故か、唐突に理解できた。白石さんという人間を。
「だから……偽善?」
白石さんは自嘲ぎみに笑う。
「そうです。相川さんの言う通り、僕の行動はただの、罪滅ぼし」
ふと、手が痛いくらいに強く握られていることに気づく。
俺はどうにもその態度が……すべてを諦めたような、その態度が――
白石さんの胸ぐらをつかむ。そして叫んだ。
「結局、逃げてるだけじゃねぇか! 現実から……罪から! 黙って聞いてりゃ悲劇のヒロインぶりやがって……!」
「……そうですね。結局、この話をしたのも……罪滅ぼしなのかもしれない」
いけしゃあしゃあと告げるその顔を無性に殴りたい。そんな欲求を抑えながら、喉が痛くなりながら。それでも叫ぶ。
「向き合ってないんだよ、お前は!」
「じゃあ!」
はじめて白石さんが声を張り上げた。
「ドリスも、両親も死んだ今! ……どうしたらいいんだよ」
教室の空気が止まった。時計の音すら、遠くなった気がした。
胸ぐらを掴んだままの俺の手が、じわりと汗ばむ。言葉が出ない。今までとは、少し違う理由で。
「どうしたら……よかったんだよ……」
その言葉は俺に対してではなかった。
俺は、掴んでいた手をゆっくりと離した。白石さんは、ゆっくりと目を閉じた。そして、かすれた声で、呟いた。
「謝れれば、よかったのに……」
怒りも、軽蔑も……全部、どこかに消えていた。
重ねてしまったんだ。自分と白石さん、その二人を。
……いや、もしかしたら……自分と重ねてしまったから、力の限り怒鳴りつけたのかもしれない。
俺も……真柴さんも。
俺は白石さんに背を向け、歩き出した。
「書いてみます」
その一言だけを残して。




