第10話 夢の終わり。
夜風が髪を揺らす。
「AIって凄いんですよ」
そう言う千景さんの顔は明るい。雲の合間から差した光も、いつの間にかなくなっていて、街灯だけが、俺の影を作っている。
「何でも作れて、自由で。あなたにぴったりだと思うんです。AI……使ってみませんか?」
「使います!」
考えるより先に、口が動いていた。千景さんが、心底嬉しそうにふっと目を細める。
「なんでAIを勧めたか、疑問には思わないんですか?」
街灯の光が、千景さんの横顔を薄く照らしている。
「……別に」
「そうですか」
会話が止まる。けれど、千景さんはずっとこちらを見つめてくる。
そうして息を数えきれないほどに繰り返し、ふいに寒さを感じた時、千景さんはクスリと笑って、
「それじゃあ、もう、行きますね」
そう、白い息を吐いて、背中を向けた。
「あの!」
要件などなかった。けれど引き留める理由はあった。もう少し話したい。そんな理由が。
千景さんがくるりと振り返る。
「……なんです?」
必死に頭を巡らせて思いついたのは――
「ペンネーム……って、なんですか?」
なんだそれ。でも、好きなものを聞くよりかはましだろう。
「言いたくないです」
千景さんの声は冷たかった。
「あ、無理なら、別に。すみません、急に」
あたふたをする俺を見て、千景さんは微笑みながら言った。
「別に怒ってませんよ。少し、恥ずかしかっただけです。AI、ちゃんと使ってくださいね」
夜風が急に強くなるも、それすら貫通して。
「AIは、あなたの味方ですから」
その言い方は優しくて、どこか……残酷だった。
「おい!」
真柴さんの言葉に、ハッとする。街灯の下に一つ残った、俺の影から、顔を上げ。真柴さんへと、視線を這わす。
「大丈夫かよ? なんかあったのか?」
「……なにも、なかった……です」
なぜかついた嘘を、上ずった声を、無視して俺は走る。
空はまもなく雨が降りそうなほど黒かった。
暗闇の部屋がブルーライトに照らされる。
その光の元は、スマホでも、テレビでもなく、PC。
検索窓にAIと打ち込む。
昨日食べた弁当の残骸が床に散らばったこの部屋で、息が早まる。体が熱くなる。
一番上のWEBを、クリック。
「こんにちは、今日は何について掘り下げましょうか?」
「小説を、考えて」
すぐに生まれるタイトル、『白紙の隣人』
膨大な設定。そして書き出し案。
俺は暗い画面に反射した、にやけた面を見ていた。
「……すげぇ」
「続けるなら、・導入を伸ばす・プロットを固める・隣人の正体を決める……どこから進める?」
「じゃあ……本文を、書いて」
汗が背中を流れた。本当に、千景さんには感謝だ。
「これで、あいつは終わりだ」
重々しいピアノの旋律とは裏腹に、私は実に充実した気分だった。
あいつはもう、抜け出せない。
白い画面に、黒い文字が増えていく。自分の言葉じゃないのに、自分の言葉みたいに見える。……その快感を、一度知ったら戻れない。
「あなたは、きっと……私と同じになる」
誰もいない部屋で、小さく呟く。
ピアノの旋律が、ゆっくりと終わりに向かう。その余韻の中で、私は笑った。
「ようこそ」
バンとピアノを強くたたく。不快な音がこだまする。
「——夢の終わりへ」




