ヘンリー-ジョージの鏡 終章
2017年10月10日 火星軌道 イギリス領フォボス勅許植民地
アメリカ人が月に降り立ってから20年後にフォボスに降り立ったイギリス人が立てた旗はまだそこにあったが、そこから見える火星への国際共同入植計画はいまだ完了していなかった。
空想科学小説などで見られた。いきなりの大規模な居住可能環境化ではなく、ドーム状の小規模な居住可能施設を作り、それをつなぎ合わせていくという方針は当初こそ科学者たちからは異論も出たものの、現在ではおおむね受け入れられていた。
むしろ、問題は各国の方だった。例えばアジアでは2004年のスマトラ島沖で発生した地震による甚大な被害は地震後も同地域で戦闘を続行していた日清両国に対する批難を強めることに繋がり、最終的に1995年からの対テロ戦争は終わりを告げたものの、その後しばらくして、地震後の復興をめぐりセイロン自治領で始まった緊張に際してドラヴィダ-ナードゥが介入すると日清両国もインド洋の要衝である同地への介入を図るなどの対立があり、こうした対立による相互不信により計画は度々遅延を強いられていた。
さらに問題なのが、計画参加国家の中でも特に宇宙開発の実績があったイギリスだった。といってもイギリスの提供した機材に何か問題があったわけではなかった。問題はその"組織"のほうだった。イギリスでは1960年代の人類の形質獲得による進化仮説が否定されて以降は宇宙開発に否定的な世論が一時期生まれていたが、それでも宇宙開発を進めたがっていたイギリスは国王による勅許会社という前世紀的な組織の復活によって乗り切ろうとした。
イギリス国王の勅許によって指定された範囲の独占権を与えるというこの試みはあくまでも宇宙開発を下火にさせないための苦肉の策であり、恒久的な政策というよりは、あくまでも一時的な政策に過ぎなかったのだが、その苦肉の策は大当たりし、ついには国際共同入植計画以前の1979年にフォボスに着陸した際には当時のイギリス王ウィリアム5世の名のもとによる勅許植民地を宣言し、併せて将来における火星における権利も言及していた。
当時は世界中でこの宣言は笑われ、イギリス人でさえも皮肉交じりに自嘲したほどだったが、本当に火星への入植がはじまってしまうと笑ってなどいられなくなった。各国はイギリス政府に対して権利無効を宣言するように迫ったが、フォボス勅許会社側はこれに対し裁判を起こし、なんと勝訴してしまった。結局、その後の交渉によって入植の権利は認めるが、その地位は各国の居住可能施設と同様に共同入植計画委員会の下に置かれると規定されたことで一応の決着を見た…と思われた。
問題はそのあとだった。国際共同入植計画は当初より一時的ではない恒久的なものを意識して計画されており、当然そこにおいては火星での自立を目的として、公共のサービスを維持するための費用の徴収、つまり租税の徴収が意図されていたのだが、大日本帝国はジョージズムに則って土地の地代及び経済的レントに対してのみ税金をかけるべきと主張し、友好関係にある清国や関係を修復させつつあったアメリカ合衆国、そしてそのアメリカに対してそれなりの敵意を持ちながらもこちらもやはり少しずつではあるが関係を改善させていた南米諸国が賛同に回った。
一方で、これに反対したのがイギリスで勅許会社による権利を理由に租税の決定権は各居住地に拠るべきであると否定し、こちらには日清両国と長く対立関係にある南アジア連邦やイギリスからの分離が第二次世界大戦の遠因となったことを考えれば皮肉ではあるものの、そのオーストラリア連邦もイギリス側に立ったというのはややこしい国際情勢の中での戦略があってのことだったが、それ以上にややこしく、そして最も強硬に反対したのが"主権を有する市民によるベンサレム自由州"だった。この"主権を有する市民によるベンサレム自由州"はその名の通りかつてのベンサレム-コミュニティ-トラストが合衆国内の半独立地域として認められたものであった。
当然のことながら国家承認などはされていないし、またあくまでも"アメリカ"であることに拘る彼らは求めてもいなかったが、彼らは現在のアメリカ政府を窃盗者として非難し、独立戦争時の英雄ジョン-ポール-ジョーンズがボノムリシャールに代わって乗艦としたセラピスに掲げられた左上部に13の星を描き、赤、白、青の縞模様が交互に並んだ旗であるセラピス旗をその象徴にして、現在のアメリカ政府に敵対的な態度をとっていたが、困ったことにアメリカ国内に対しても現在の政治に不満を持つ勢力を抱え込んで政党を作り、宣伝活動を行っていたためアメリカ国内にも大きな影響力を持ちそれだけにアメリカ政府としていまだ討伐することはできず、放置されていた。
そうした事からベンサレム自由州は厄介な存在であったが、イギリスはベンサレム自由州がコミュニティ-トラスト時代から掲げていた土地所有者が利用者に土地を貸与し、利用者は所有者がその価値を維持し続ける限り地代収入を得ることができるという理論をもとに火星の土地所有者(この場合は勅許会社)の利益を正当化した。
こうして、2017年現在においても、各国による火星における居住可能施設の建設は続いているものの相互接続の目途はいまだたっていないのが現状だった。
とはいえ、この状況をヘンリー-ジョージが見れば困惑するだろう。アメリカに生まれ太平洋を挟んで鏡合わせに独自の進化を遂げた自らの思想が分断あるいは対立の温床となることなどあり得ないというかもしれない。ヘンリー-ジョージが土地所有者を排除することで人類の進歩を成し遂げようとしたことを考えれば、その思想が火星への入植という一つの進歩を停滞させている現状など認めたくはないだろうからだ。
だが、それでも、対立は止まることはない。ヘンリー-ジョージの理想を置き去りにして変質した思想同士のそれはついには地球外を舞台にするまでに至ったのだった。
これで、長々と続いた蛇足も終わりです。
正直途中で止めとけばよかったと今になっては思わなくもないですが…ジョージズムとその変容を軸にして進めようとした結果、止めどころが分からなかったのが良くないと思ってます。
火星入植には本文中にもある通り、SFで一般的なテラフォーミングではなく、人間が住める小規模な環境からはじめて覆っていくタイプのいわゆるパラテラフォーミングのほうを採用しました。こちらのほうが夢はないが現実的かな、と個人的には思ってたりします。




