ヘンリー-ジョージの鏡(5)
1997年8月12日 アメリカ合衆国 グアム島沖 USSカラマズー
カラマズーはアメリカ海軍が久しぶりに就役させた"モニター艦"だったがその姿は未成に終わった先代の航洋砲艦とは似ても似つかないものだった。100年以上の時間の経過によって技術が飛躍的に進歩したというのもあるが、そもそものコンセプト自体が"モニター艦"とは全く別のものだったからだ。
もともとこの艦のコンセプトは"ストリートファイター"と言い、排水量は1000トン少々と小型、軽量、それでいて重武装で敵の攻撃を受ければすぐに艦を放棄するというある意味で極端なものだったからだ。もちろん支援艦艇(艦艇だけではなく航空機も含む)の存在は作戦遂行のためには必須とされたが、このような艦艇の建造が承認された背景には太平洋における変化があった。
第二次世界大戦後から始まったアメリカとその敵対諸国が化学兵器を向けてにらみ合っていた所謂まやかし戦争期のアメリカ海軍の戦略というのはある意味で単純だった。基本的な計画自体は1940年代末から全く変わっていなかったといってもいい。
つまり、太平洋あるいは大西洋を挟んだ(あるいはその両方を舞台にした)形で化学戦争が勃発し、本土を攻撃せんとする互いの艦艇が洋上で秩序だって、もっと酷ければお互い混乱の中で指揮系統も機能しなくなりながらも戦闘を続行するという狂気に近いものだったが、そうした計画が修正されなかったのは、とくにかつての奇襲攻撃後に(結果として逆襲されフィリピンを失う羽目になったが)大日本帝国が早期の降伏あるいは講和に応じようとせず(アメリカからすれば)狂信的にアメリカを敵視し続けているのは国土を焦土としても戦い続けるという"ウチダドクトリン"に基づいたものであり、日本人がその根幹となる『ヤマトダマシイ』なるものを信奉している以上は講和に応じることなく、戦いを続けるはずであり、であれば同様の備えをしなければならないという単純なものだった。
そうした戦略が変わったのはやはりアメリカの前体制の崩壊後だった。
日本人に対する疑念が完全に消えたわけではなかったが、そもそも、海軍の維持に必要な国家の基盤が揺らいでいた。かつての第二次内戦期に海軍が中立を保って”正統政府”にも”反乱軍”にもつくことなく動かなかったことから、その後、効率化を理由に太平洋と大西洋の両艦隊に分けられた合衆国艦隊も復活を果たしていたが、それは単なる規模の縮小によるものであり、総体としてアメリカ海軍自体はまやかし戦争期のものよりか小さくなっていた。
それでも当初は問題ないと考えられていた。何しろ、まやかし戦争などもう過去のものであり、新たな戦争などは起こりえないだろうと考えられていたからだった。
だが、そんな想定はすぐに崩れ去った。理由はつい一年ほど前のことだった。
かつての友好国家であったオーストラリア連邦による太平洋諸島の米国内"準"独立地域ともいえるベンサレム-コミュニティ-トラストへの旧オーストラリア駐留軍の装備品の返還を名目にした事実上の兵器供与だった。とはいえそれだけならば海軍には大きな影響は与えなかっただろう、何しろその装備品の大半はアメリカ陸軍のものであり脅威となる艦艇などただの一隻も存在していなかったからだが、それからしばらくしてベンサレム-コミュニティ-トラストが新型の"警備艇"を発表した。
これは平時は超小型の無人哨戒艇として任務にあたるが、"緊急時"には戦闘はもちろん爆薬を満載して自爆することもできるという厄介なものであり、各国の海軍関係者はそうした安価な装備による艦艇の喪失を恐れるようになり、それまでのアルミの多用に始まり、近年ではステルス性重視のために複合材を使用していた軽量化方針を改めて重装甲化へと舵を切るきっかけになり、誘導弾に頼らない安価な攻撃手段として砲弾に注目が集まった結果、国によっては戦艦の復帰すら視野に入れる程だったが、その恐怖に最も怯えていたのは他ならぬアメリカ海軍だった。何しろ太平洋の島しょ部という関係上何かあれば一番先に事に当たるのはアメリカ海軍だからだ。
アメリカ海軍の考えた対処法は2つあった。一つは各国と同じような重装甲化への道、そしてもう一つは全く新しい独自の道、つまり"ストリートファイター"だった。結果的にだがアメリカが選んだのは後者だった。
当初はそのあまりの抗堪性のなさから完全無人艦艇も視野に入れていたが、完全無人制御という機械による自律した戦闘行為の容認は倫理的に好ましくないとする新興キリスト教社会主義政党であるキリスト教協同連邦党(第二次大戦以降社会主義という用語が事実上禁句とされたためマルクスの理論を剽窃したが、それを自らのものだと主張していたがために皮肉にもマルクス主義否定の波から逃れることのできたデンマーク人移民の社会主義者ローレンス-グロンルンドの著作である協同連邦からとった協同連邦主義を名乗っていた)CCCPの激しい反対によって頓挫していた。自動計算機技術の発展によって『新世紀までには人類を凌駕する人工知能が出現するかもしれない』という学説が有名なノストラダムスの予言と関連付けられたことから1999年7月にそうした人工知能が出現するといううわさが飛び交っていたことを考えれば反対するのも無理はなかったが、もっともそれは海軍がCCCPの関係者に接触して言わせていたことでもあった。
その背景にはCCCPの言うような倫理的問題もあったが、一番の問題は完全無人艦艇では人間に何一つとしてポストを与えることはできないというある意味で切実な問題があった。こうして艦長職というポストを配分するためという何とも人間らしい理由で無人化の道は断たれ"ストリートファイター"は有人艦艇として完成することになった。
だが、一方でもう一つの問題が持ち上がった。それは"ストリートファイター"の艦種だった。従来の駆逐艦などと称するにはすでに肥大化したそれに対してあまりにも小さすぎたためだ。結局、国威発揚を狙うアメリカ政府の意向もあり、第一次内戦《南北戦争》時に合衆国海軍が運用した革新的な装甲艦であるモニターの系譜に属すると無理に解釈して"モニター艦"とされたのだった。
こうして復活した"モニター艦"はベンサレム-コミュニティ-トラストに対して武力をもって対抗するという意思の表れであると解釈された一方で画期的な新艦艇というよりは色物めいた扱いであり、注目したものはそう多くはなかった。
それでも"モニター艦"は世界に大きな影響を与えることにはなった。なぜならばかつての巨大なアメリカ海軍を知るものからすれば、あまりにも小さすぎる新艦艇はその"凋落"を印象付けるには十分すぎたからだった。こうして特に日清両国では海軍関係者からの警鐘にもかかわらず、"凋落"したアメリカに対して融和政策をとってもよいのではという意見が出始めた。
その背景には両国が共に対テロ戦争に忙殺されていたというのもあったが、こうして図らずも"モニター艦"は本来の意図とは大きく違う形で歴史を動かすことにつながったのだった。
というわけで、蛇足のそのいちであるこの世界のLCS(というよりは原形のストリートファイター)の話でした。
文中に戦艦とありますが、この世界だと空母の誕生自体遅れるし、その実力も未知数(真珠湾もタラントもない)なので結構遅くまで戦艦を作ってた(まぁ、それでも対艦ミサイルとかの進歩も早いので新造は50年代いっぱいまでだろうけど)という設定があるので、割とモスボール艦が各国にいっぱいあります。何なら史実で保有していなかった国が持ってる例もあります…あくまで設定上はですが。
そういえば軍縮条約とかもないので、便宜上軽巡だの、重巡だのと書いてたけど、装甲巡洋艦とかその手の艦種区分が生き残ってる可能性すらある…かもしれない。




