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ヘンリー-ジョージの鏡(4)

 1995年5月28日 オーストラリア連邦 メルボルン特別市 大統領官邸

 オーストラリア連邦は第二次世界大戦をアメリカ合衆国の同盟国として生き残った国であり、その後の極東の消滅後にはアメリカに次ぐ存在として太平洋地域での敵国、とくに日清両国に睨みをきかせていた。


 そんなオーストラリアの支配者として君臨していたのが第二次世界大戦直前のオーストラリア騒乱で頭角を現し、アメリカと大協商の講和を機に首相を務めていたジョン-カーティンをはじめとする労働党内の親ドイツの国際派を粛清して事実上の一党独裁体制の労働党の実験を握ると戦後はアメリカに倣った大統領制に移行し、時に表舞台に立ち、時に傀儡を立てて陰からオーストラリアを操ってきたハリー-ブリッジスだった。


 ブリッジスは社会主義体制を目指していたが、評議会による民主社会主義を掲げながらも実際にはフランス革命期の国民公会と同様の恐怖政治を行い、最後にはルーデンドルフの独裁に陥ったドイツのものとは区別するべく、アメリカのユートピア的な社会主義者であったエドワード-ベラミーを称揚した。そして、労働党政権下ではアメリカの援助あってこそとはいえ十分な発展を遂げていた。ホールデン市(旧アデレード)を中心とした工業地帯はアメリカの製品のライセンスあるいはその改良品に過ぎないとしても多くの工業製品を生産していたし、内陸部の灌漑で生まれた農業地帯は食料の自給以上の輸出を可能とし、より南に位置する南極大陸に有用な資源地帯としての注目が集まるにつれてさらにオーストラリアの重要度は高まっていった。


 そんなブリッジスはもちろんアメリカの混乱に伴って失脚したのだが、意外なことに失脚に際して抵抗らしい抵抗をしようともしなかった。それはブリッジスが日清両国はもちろんのこと、西のオーラリアやそれを援助する南アジア連邦などの全ての敵に対して隙を見せることなく自らが作り出し、発展させた繁栄を守り抜くことを考えていたからだった。そのため、皮肉にもブリッジスの体制を支え続けたアメリカが内戦寸前にまで至った混乱によって10年たった現在でさえも完全には立ち直れていないのに対し、これといった混乱もなくオーストラリアは新体制への移行を果たし、ブリッジスはそれを見届けたのちに93年にこの世を去っていた。


 そんな、オーストラリアの首都メルボルン特別市(一応首都として一時はキャンベラが造られたものの、移転作業が遅々として進んでいなかったうえにのちのオーストラリア内戦の火種となる西オーストラリア独立運動の先鋭化などで余裕がなくなったこともあり、最終的には大戦勃発に伴い無期限延期となり、戦後はビクトリア州から独立する形で首都となったという経緯があった)の会議室では緊急の会議が行われていた。議題は大日本帝国神奈川県下田において『両国の友好の確認』のために訪れていたアメリカ大統領ロバート-カールソン-ケレハー-シニアが寄りにもよって日本側の警備要員に撃たれたという事件だった。


 儀礼的なものとはいえアメリカの国家元首であることには変わりない大統領が撃たれるという事件により、日米両国が歴史的な和解の最中の凶行によって両国で過激派が勢いづいたことによるテロや暴動に悩まされ、頭を抱えていたのはもちろんだったが、オーストラリアにも大きな衝撃を与えていた。


「それで、容体は?」

「順調に回復しているとのことです」


 大統領であり、ブリッジスの後継者でもあるジェームズ-フォード-ケアンズの質問に対して補佐官がそう答えると安堵したようにも、残念そうにも聞こえるため息を誰かが漏らした。


 会議室の中の人々はベラミーの著書『顧みれば』に倣ってブリッジスが採用した男女兼用のフェデレーション-スーツと呼ばれる簡素な服の者から、一般的な背広姿に、野戦灰色フェルトグラウの軍服(そもそも元の色であるカーキ色はイギリス軍と同様のため論外であり、かといって旧極東のようにアメリカ軍と全く同じ軍服を採用するほど依存しているわけでもなく、したくもなかったため大戦中にドイツに倣って採用され、現在でもそのまま使われていたものだった)にエミューの羽飾りをつけたスロウチハット姿の軍人まで様々だったが、そうした反応は当然のものだった。銃撃事件はオーストラリアにとっては悪い事件でもあり、良い事件でもあるという複雑な受け止め方だった。


 良い面としてはこれで短期的にせよ日米関係が悪化すれば、単独で日清両国に立ち向かわなくて済むというものであり、悪い面としてはオーストラリアの国際復帰の晴れ舞台として注目が集まっていた国際火星共同入植計画が再び遅延するのではないかというものだった。この計画は宇宙計画で先頭を走るイギリスをはじめとして、そのイギリスと対立していたフランスをはじめとする大陸欧州諸国、オーストラリアやアメリカをはじめとして、南アジアや日清両国までもを巻き込んだ今世紀最後にして最大の宇宙計画だったが、特にオーストラリアにはその広大な大地に多数の施設が建設される予定であり、特にレーザー推進の実証用施設など国威発揚はもとより技術革新や雇用の促進という面でも有用な計画であったため、計画が頓挫した場合オーストラリア経済にどれほどの損害が出るのか考えたくもなかった。


 さらに言えばオーストラリアからすれば腹立たしい事この上ないが日清両国も資金面やテラフォーミングに必須の存在である遺伝子改良植物(1979年に東西合同教会が公式に遺伝子改良を批難して以降、そうした傾向はキリスト教圏各地に広がっており、さらに南アジア連邦などでもイスラーム系を中心に反対運動が行われた結果として日清両国が躍進し、技術を半ば独占していた)などの供給で参加が必要不可欠であったことから、計画実現のためには日清両国が離脱することは避けねばならず、そのためにこれを機に日清両国を疲弊させるという軍事的には理にかなった政策を実行に移すのも問題になるという苦悩するはめになった。


 だが、解決策がないこともなかった。


 それは名目上はアメリカに属しながらもオーストラリアに援助を求めていた奇妙な存在、ベンサレム-コミュニティ-トラストを利用することだった。その方法は単純だった。


 在オーストラリアアメリカ軍が撤兵するまで備蓄していた兵器群に関してはアメリカの混乱後に接収されその後アメリカとの間で返還交渉が行なわれていたのだが、オーストラリアは突如として"適切な"アメリカ領土への移送を発表し、トラストの管理する中では良港であり、バイオ-テクノクラートであったエンジニアにして建築家ジャック-フレスコによる建築物が立ち並び、空港も建設されていたニューブリテン島ヘルベルツ-ヘーエ(ココポ)には武器弾薬を満載した輸送機が次々と降り立ち、さらにはオーストラリアに設立された"警備会社"がトラストと契約を結び、"民間人による武装警備員"が駐屯を開始した。


 この動きに日清両国は抗議を行ったが、逆にオーストラリア側からは兵器類に関しては緊張緩和のための措置であるとされ、"民間人による武装警備員"については逆に両国の進める対テロ戦争と同様のテロに対する備えであると返される始末だった。


 こうして、日本とトラストという共にジョージズムを掲げたはずの両者は歪んだ鏡に映った自らを見ているかの如く互いが互いを強く否定し、対立を続けることになる。


ハリー-ブリッジスは史実ではアメリカにわたりそこで労働組合幹部として活躍した人物ですが、こちらではアメリカの反移民のためにオーストラリアにとどまっています。


ココポが史実より早くラバウルに代わって中心地になっていますが、これは史実の火山噴火で壊滅的な被害を受けた1937年がちょうど作中世界では大戦中にあたり十分な復興の余裕などなかったであろうことからそのまま放棄されたためです。


正直、今となってはここから先の話は蛇足の気もしますがもう数話だけお付き合いください。

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