ヘンリー-ジョージの鏡(3)
1995年2月12日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C メリディアン-ヒル
ワシントンの北に位置するメリディアン-ヒルは19世紀アメリカで南北戦争後に鉄道を中心に成金が跋扈した、いわゆる金ぴか時代に地中海風の高級住宅街として開発された場所であり、その後は第二次内戦時には略奪の被害にあったものの、1985年のテロ事件ではいわゆるナショナル-モールが甚大な被害を受けたことから、この場所が仮に大統領官邸として使用された。
その後は速やかなナショナル-モールの復旧を求める意見もあったが、内戦寸前にまで至った歴史を忘れるべきではない、という意見もあり、建築家レベウス-ウッズの手による破壊の後を残した記念碑的建築群として再建が決まったために結局そのままであり、簡素な外観ながらも威容を誇ったホワイトハウスよりは小さいながらも豪奢な建物はアメリカ合衆国が変わってしまったことをこれ以上なく示していた。そして、ここでアメリカという国家のかじ取りを担っているのが、大統領…ではなかった。大統領の権力は85年の混乱を経て大きく制限されていたからだ。代わって大きな権限を持ったのは国務長官だった。
これは、85年の第二次憲法制定会議自体がとにかく大統領の権限の削減を求める現実主義者と建国当初への回帰を求める復古主義者の集まりであったことから、その後も現実主義者と復古主義者のせめぎあいの結果として、かつての体制下であっても存続していた選挙人団制度が廃止される一方で修正第12条が撤廃され大統領と副大統領はそれぞれ大統領選挙での最高得票者とその次点の人物とされたことにより、大統領そのものが機能していないような状態なのもあって国務長官の権限はいつの間にやら巨大なものとなっており、アメリカの管理者との異名で呼ばれるほどだった。
そして、現在その長である国務長官を務めていたのがフレッド-ロイ-ハリスだった。オクラホマ州上院議員を務め1972年、76年の大統領選挙に国民党の大統領予備選挙に出馬して敗れた後は、大学教授となっていたが、前年の《《94年》》の選挙で国務長官にえらばれていた。
「アルバス、アジア人が積極的に動いているみたいじゃないか」
「ええ、長官。イロイロへの空爆に始まってほかの諸都市に関しても攻撃しているそうですね」
アルバスと呼ばれた男、国務長官首席補佐官であるジェームズ-サクラ-アルバスは思い出したかのように言ったハリスに対して真面目な顔で返した。前日の日本でいう紀元節に合わせて実行された1月15日に行われたテロへの報復攻撃ははげしいものであり、自動推論計算機と接続した無人兵器による攻撃などは技術の革新による戦争の進化を強く印象付けた一方で特に欧州などからは批判が強かった。
「君のご執心だった無人兵器が使われているというのに素っ気ないな」
「お言葉ですが長官、私が推し進めたいのは社会全体の効率化であって、無人兵器だけが発展したところであまり意味はありません」
「効率化か…あまり大ぴらには言うなよ。旧体制の残党などと揚げ足を取られても困る」
「ええ、勿論」
「まぁ、国民も改革が必要だということは薄々はわかってはいるのだろうがな。でなければ我々がここにいられるはずはない」
そう言うとハリスは《《94年の統一選挙》》を思い出して懐かしそうな顔をした。
86年の新憲法が発布されてすぐに行われた大統領選は、当然アメリカの新体制の形を決めるための物だった。なぜ大統領の権力が制限されてなおそうした扱いになっているかといえば、その年から大統領候補が立候補時に閣僚をあらかじめ指名をする慣例が始まり、誰に投票すればどのような顔ぶれになるのが予めわかる仕組みになったためだったが、統一選挙となったのはその年にもともと中間選挙が予定されていたからだった。
主だった上下両院議員が前述のテロ事件で亡くなっていたため、地方議員の中には上下両院への出馬をもくろむ者たちがいたのだが、それよりもさらに厄介なのは、まともな政治経験の無い、所謂活動家たちもまた上下両院に、あるいは各地の州議会への挑戦をはじめていたことだった。そしてそうした者達のいくらかは当選し、そしてそれがふるいにかけられたのが次の90年の選挙であり、そうした一度はふるいにかけられた、逆にあるいは何とか議席を死守した者たちが、戦ったのが94年の選挙だった。
この94年の選挙において86年以来3度目の挑戦となるハリスは全面的な改革を訴え、その柱として引き入れたのがアルバスだった。アルバスが提唱する人民のための資本主義が新たな改革モデルにふさわしいと考えていたからだった。アルバスの言う人民のための資本主義とはテクノクラシー体制に反発し、国民党のハリマン大統領のスタッフの一人だった(そして航空機事故によってハリマンと共に死亡した)経済学者ルイス-ケルソーの普遍的資本主義を発展させたようなものであり、その骨子は合衆国銀行が運用する投資会社からの利益の全国民への給付とその強制的な消費活動を義務付けるというものだった。
一見すればかつてのテクノクラシー体制下と変わりないように見えるが、大きく違う点はそれが自動推論計算機の活用による無人化を志向している点と市場システムに支えられているという点であり、かつてのテクノクラシーと違う硬直した技術者による経済ではなく市場のもとの活気ある経済という事だった。そしてアルバスはその利益をアメリカ各地で無人化を推し進めることによってに生じるはずの失業者への救済に充てるとしていた。これによって、かつての悪名高い"カレンダー"によって安息日以外は常に仕事を割り与え、そしてやがてその維持に固執するようになった結果、効率化を遅らせることになったテクノクラシー体制下と異なり、労働を人よりも機械に割り振ることで、ユートピアとまではいかなくとも楽な暮らしができるはずだった。
「まぁ、君があまり乗り気でないのはさておいてだ…我々は難局を乗り切らなければならない。そうでなければ我々は二流国家のままだ」
「しかし、だからと言ってアジア人たちに賭けるのは危険です。欧州人が北の連中をけしかけてくるかもしれません」
アメリカの北、つまりカナダにおいてはアルバータやノバスコシア、コロンビア(旧ブリティッシュコロンビア)といった州として新たに加盟を決断した地域を除けば、ニューファウンドランド=カナダ自由地域として州でもなく、国家でもないという状況にあった。
その象徴であるサトウカエデの多くはクロカエデとともに長年にわたるアメリカ軍の対ゲリラ戦において散布された化学兵器によって全滅していたほか、大戦以前の飛び地であったノースウェストアングルに関して飛び地ではなく直接陸でほかの地域として繋がる状態にあるべきという強硬派の意見もあり北緯49度23分が新たな線となり、加えてかつての首都であるオタワなどはミシガン州アッパー半島とともにスペリオル州としてアメリカに半ば強制的に加盟することを容認させられるなど、半世紀近いアメリカによる軍政は現在もカナダに深い爪痕を残していた。そうした中で、アメリカが他国と対立をするというのは"好ましくない事態"を引き起こす恐れがあるとアルバスは言っていたのだ。
「だが、それでも賭けるべきだ。アルバス」
「なぜです?」
「簡単だよ、欧州は我々と市場を争っているが、アジア人はそうではないからだ。別に兵器を売ろうというんじゃない、民生品を売るだけだ」
「しかし、大戦時の賠償を求められたらどうするのですか…それこそカナダからの補償問題が再燃しかねない」
「うーん、そのあたりは適当に済ますしかないな」
「閣下…私は」
「冗談だよ。だが、現実的に考えて、我々には時間がいる。君の計画にしてもすぐに効果があらわれるものではないし、そうである以上、時間稼ぎにはもってこいだ。なに、見返りに"ノーショー"でももらえればカナダの連中も黙るだろう」
"ノーショー"とは元々日本の農商省を指す言葉だったが、近年ではその試験場で開発された遺伝子組み換え作物の通称として知られるようになっており、ハリスもその意味で言っていたのだが、近年ではある程度の化学汚染にも耐えうる新種の開発が進んでいるとのうわさがあり、それは日本との関係改善に及び腰なアルバスですら魅力的だと思うほどだった。
「ですが、"太平洋"はどうします」
「"太平洋"…?ああ、”RA”なら放っておくよ。仮に連中がオーストラリアかどこかに身売りしても我々としては特に問題はない。むしろそうなればそれを口実により関係改善を進めることができる」
そういって、ハリスは笑った。
暫くして行われた国務長官の定例会見において、ハリスは関西地方での地震に対して大々的な支援を行うこと表明し、日本の新政権を担う大日本地公党と自由貿易の理念のもと更なる日米間での協力を推し進めたいとも語った。事前に予想されていた日清両国の軍事行動への非難などはただの一言もなかった
この発言に日本では反米の保守派などを中心にアメリカとの関係改善に対して激しい反対運動が起き、アメリカ国内でも予想された通り”RA”ことベンサレム-コミュニティ-トラストが反発したが、ハリスは後者の反対を理由にむしろ関係改善をさらに進める意欲を見せていくのだった。




