東インド介入 終章
1977年1月20日、イギリスは突然シャム王国に対する債務戦争を宣言した。
債務戦争とは文字通り債務の回収を目的とした戦争のことで、1905年にアメリカのセオドア-ルーズベルトの提案によって1899年のハーグでの万国平和会議にならって開かれるはずだった第二回万国平和会議で禁止が議論される予定だったが、モロッコでの緊張の高まりや第一次世界大戦により開催自体が流れ、その後も各国に残った相互不信から同様の会議が開かれなかったため一応、名目上は残っていたものの、20世紀に入ってからはそれを宣言した国家はどこにもなく、事実上死文化されたとみなされていた権利だった。
だが、宣言されたシャムとしてはイギリスに対する開戦論こそ盛り上がっていたものの、イギリスはアフリカ以外への介入は縮小傾向であるという、国内の"知識人"の意見を支持する傾向が強かったため、まさかイギリスの側から攻撃されることは予想外だった。一説によればイギリスは当初、日清両国への攻撃を考えていたもののシャム国内での先制攻撃の動きを見てそちらに目標を変えたのではないかと言われているが真相は定かではない。
さらに使用された兵器も問題だった。
使用されたのは極超音速で飛翔する短距離弾道弾であり、これに当時のシャム軍は対抗策を持たなかった。第二次世界大戦時の弾道弾にあやかってブラックロックと名付けられたこれは他国のそれとはまったく異なるアプローチの兵器だった。
1960年にロシア-極東戦争が起き、その両国が崩壊したこと受けて各国はそこで使用された兵器に着目した。一つはロシア帝国空軍が使用した空中発射型弾道弾であり、もう一つは極東が報復攻撃に使用したアメリカから供与されていたSLAM、超音速低高度誘導弾と呼ばれる原子力動力で低空を超音速で飛行することで敵の警戒をすり抜けることを目的にした兵器だった。
前者は既存の爆撃機を利用することができ、後者はアメリカ以外では新規開発となり、またアメリカでも容易に量産できないほどのコストはかかるものの原子力動力による長大な航続距離と探知されにくい低空での飛行という利点を兼ね備えていており、両者ともに来るべき化学戦争において例え祖国が壊滅しても敵国に対して攻撃を続行するという軍事思想に合致していたため、各国は双方の開発に躍起になった。この結果、長時間の空中哨戒という観点から飛行船という旧時代の遺物ともいえるコンセプトに再び注目が集まることになるのだがそれはまた別の話だった。
ともかく、そんな中で開発された二代目ブラックロックは地上または海上から発射するマッハ10に達する極超音速弾頭によってより早く目標に到達させることを目的とした兵器であり、報復能力の整備とともに、推し進められていた爆撃機迎撃用の高高度防空あるいはSLAMあるいはその類似兵器の迎撃のために進められていた低高度防空網もいずれも突破できる兵器だった。
そしてこの攻撃によって衝撃を受けたのはシャムだけではなく日清両国も同様だった。
何しろイギリスは攻撃してこないだろうというのは日清両国の諜報活動の結果として判断されたものであり、日清両国とほぼ同様の防空網を整備していたシャムへの攻撃は東京であっても南京であってもそれらの防空網を突破して攻撃できるということの証明に他ならなかったからだ。これを受けて日清両国国内では先制化学攻撃による全面戦争論まで噴出したが、こうした世論を見つつも並行してイギリスとの外交交渉を重ねる方針をとることになる。
一方で、敵対する南アジアでもほぼ同時にイギリスによる全面介入による支援を当てにして、皮肉にも日清両国と同様の先制化学攻撃による全面戦争論が一部によって主張され始めたものの、それとほぼ同時に国内で差別されていたシク教徒や仏教徒による連続テロ事件が起きるなど政治的に混とんとして行き、さらにイギリスはあくまでシャムとの戦争は独自の債務戦争であって、東インドへ介入するつもりはないという姿勢を崩さなかったため、こちらについても外交交渉での決着を模索することを強いられた。
この時のテロ事件については使用された兵器の一部に日清両国のものが混じっていたことから、特務機関による工作とされたが、実態はよく分かっておらず、一部ではイギリスによる謀略であったとの陰謀論も根強く存在している。
こうして、外交交渉を模索する日清両国と南アジアに対して、東インドの宗主国であったオランダが中立国として講和会議の開催を模索したものの、これは日清両国によって拒否され、最終的にポルトガルのリスボンにおいて2月3日から会議が行われることになる。このリスボンでの会議開催は1980年にオリンピック開催を控えていたからだとも、単に中堅国家として自国をアピールしたかったからだともいわれている
だが、この会議の結果、休戦協定こそ結ばれたものの講和に至ることはなく、結局、ボルネオ島の旧東インド植民地側を領土とする南洋共和国とスラウェシ島を領土宣言していたスラウェシ国は日清両国以外から国家承認を受けないまま存続することになった。こうして、東インド介入と呼ばれる紛争は将来に禍根を残す形とはなったがひとまず終結したのだった。
この紛争の結果として日仏分裂という同盟関係の変化や軍事的大国としての南アジア連邦の出現、シャム王国の全方位外交の放棄と日清両国への接近、そしてその結果としての新勢力としての東亜協同体の成立など大きな変化を与えることになったのだった。
債務戦争についてはそういえば第二回万国平和会議なんてあの緊張下(仏独が絶賛にらみ合い、墺露の動向も不透明)でやれるのか?と考えた結果です。まぁ完全な後付設定に過ぎないんですが、その結果として"おかしな世界"の演出としてはよくできたかな、と個人的には満足だったりします。




