第4話:記憶の欠落と、すれ違う時間
翌日。
ゆらは、いつもより少し早く登校し、そのまま図書室へ向かった。
目的は、過去の卒業アルバムだ。
昨日、佐藤が口にした『雨宮しずくの中学時代の友人』について調べるためだった。
図書室の奥、埃を被った書架から、ゆらたちが中学生だった三年前の、付属中学校の卒業アルバムを引っ張り出す。
重い表紙をめくり、三年生だったしずくのクラスを探す。
——いた。
『三年B組 雨宮しずく』
写真に写るしずくは、今より少し髪が短く、あどけなさが残っている。
しかし、その整った顔立ちは中学生の頃から完成されており、周囲の生徒たちとは明らかに違う、浮世離れした空気を纏っていた。
ゆらは、しずくの隣に写っている生徒たちを一人一人確認していく。
佐藤は『仲の良かった友達』と言っていた。
集合写真や、行事のスナップ写真で、しずくと一緒に写っている人物を探す。
ページをめくる手が、ふと止まった。
修学旅行の班行動の写真。
鹿せんべいを手に、困ったように笑うしずくの隣で、満面の笑みでピースサインを作っている少女がいた。
ショートカットで、日焼けした肌。
少しだけ大きめの制服を着崩した、活発そうな少女。
ゆらは、その少女の顔に見覚えがあった。
「……うそ」
乾いた声が、静かな図書室に落ちる。
名前を確認するまでもない。
その少女は、毎朝鏡で見ている、自分自身の顔だった。
『東雲ゆら』
写真の下に印字された名前を指でなぞる。
間違いなく、自分だ。
しかし、ゆらの記憶には、中学時代にしずくと同じクラスだったことも、修学旅行で同じ班だったことも、何一つ残っていない。
二年前の事故。
ゆらが記憶の大半を失ったあの事故は、中学三年生の夏休みに起きたと両親から聞かされている。
『ゆらは、海が好き?』
しずくの言葉が、再び脳裏をよぎる。
亡くなったのは、『雨宮しずくの友人』。
もし、その友人が自分だったとしたら?
いや、そんな馬鹿な話があるはずがない。現に自分はこうして生きていて、しずくと会話をしている。
しかし、しずくは初対面のはずのゆらの好みを熟知していた。
無糖のブラックコーヒー。
偶然だと言っていたが、もし、かつて親友だった頃の記憶があったからだとしたら。
そして、あの灰色と黄土色だけで描かれた海。
青色が抜け落ちた、終わらない海。
「……どういうことなの」
ゆらは、震える手でスマートフォンを取り出し、画面をタップした。
検索窓に、『2024年 8月14日』と打ち込む。
——何も、何も出てこない。
今年の8月14日に、何か大きな事件や事故があったという記録は、ネット上のどこにも見当たらなかった。
背後に、ふと気配を感じた。
振り返ると、書架の隙間から、じっとこちらを見つめる瞳があった。
「……っ」
声にならない悲鳴を上げそうになる。
しかし、そこに立っていたのは、見知らぬ女子生徒だった。
厚い眼鏡をかけ、図書委員の腕章を付けた上級生。
「あの、何かお探しですか?」
「あ、いえ……すいません、ちょっと調べ物を」
ゆらは慌ててアルバムを閉じ、書架に戻した。
「東雲さん、ですよね」
図書委員の先輩が、ゆらの名札を見て言った。
「写真科の。いつも、古い校舎の写真を撮ってる」
「はい。……どうして、知ってるんですか?」
「図書室の窓から、よく見えるから」
先輩は、窓の外——旧校舎の方を指差した。
「雨宮さんも、よくあの辺りにいるわね」
その言葉に、ゆらの心臓が跳ねた。
「あの……雨宮さんのこと、何か知ってるんですか?」
先輩は、少しだけ言い淀むような素振りを見せた後、声を落として言った。
「雨宮さん、少し前から……休学してるのよ」
「え?」
ゆらは、耳を疑った。
「休学? でも、昨日、旧校舎の美術室で……」
「それは、おかしいわね。彼女、もう一ヶ月以上も学校に来てないはずだけど」
先輩の言葉が、頭の中でうまく処理できない。
一ヶ月以上、学校に来ていない?
では、昨日ゆらが話し、コーヒーを貰い、写真を撮ったあの少女は、一体誰だったというのか。
「あの、休学の理由って……」
「詳しくは知らないけど……」
先輩は、周囲を気にするように視線を泳がせ、ゆらに耳打ちした。
「『色が見えなくなった』って、言ってたらしいわよ」
——『海の中に、全部溶けてなくなっちゃったから。だから私にはもう、この色しか見えないの』
しずくの声が、再びゆらの脳内を駆け巡る。
色が見えなくなった。
だから、青色のない海を描いていた。
しかし、それならなぜ、昨日の彼女は普通にゆらと会話し、絵を描いていたのか。
なぜ、ゆらのカメラの日付は『8月14日』から進まないのか。
ゆらは、図書室を飛び出した。
向かう先は一つしかない。
あの、終わらない海が描かれた、旧校舎の第一美術室へ。
第5話へ続く




