プロローグ⑤
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
翌朝。
アリシアは応接間に呼ばれていた。
朝食を終えた直後である。
なぜ呼ばれたのか分からない。
そして。
「おはようございます」
「……お、おはようございます」
さらに分からなくなった。
レオンがいた。
普通にいた。
当たり前のような顔で。
まるで毎朝来ているかのような自然さで。
(なぜですの?)
意味が分からない。
昨日あれだけのことがあったのだ。
本来なら少し距離を置くべきではないだろうか。
少なくとも。
翌朝一番で迎えに来るのは違う気がする。
「アリシア」
父が頷く。
「行ってこい」
「どちらへ?」
「行けば分かる」
「お父様?」
嫌な予感しかしない。
母はにこにこしている。
家令まで微笑ましい顔をしている。
誰か説明してほしい。
本当に。
切実に。
説明してほしい。
「では参りましょう」
レオンが手を差し出す。
アリシアは反射的にその手を見る。
長い指。
綺麗な手。
昨日はその手に抱き上げられた。
「っ」
思い出してしまった。
「アリシア様?」
「な、何でもありませんわ!」
慌てて手を取る。
そのまま屋敷の外へ。
停まっていた馬車へ案内される。
そして乗り込む直前。
父がレオンを見る。
「任せたぞ」
短い言葉。
だが重い。
レオンは真っ直ぐ頷いた。
「この命に代えましても」
アリシアの動きが止まった。
(なぜですの?)
ますます意味が分からない。
本当になぜこの人は。
そこまで言ってくれるのでしょうか。
例え、私を……。
思い浮かべるだけで顔が熱くなる。
「では」
レオンが手を差し出す。
アリシアは半ば流されるまま馬車へ乗り込んだ。
扉が閉まる。
がたん。
馬車が動き出した。
しばらく沈黙。
アリシアは正面に座るレオンを見る。
レオンは落ち着いている。
普段通りだ。
普段通りすぎる。
昨日、大広間で求婚した人間には見えない。
そしてそのことを思い出したアリシアは、
再び頬が熱くなる。
「……あの」
「はい」
「レオン様」
「はい」
「どちらへ向かっておりますの?」
ようやく聞けた。
先ほどからずっと疑問だった。
レオンはあっさり答える。
「このまま隣国にある私の屋敷へ」
沈黙。
アリシアは瞬きをした。
もう一度瞬きをした。
聞き間違えたかもしれない。
「……はい?」
「私の屋敷です」
「え?」
「隣国にあります」
「え?」
「今日からそちらで暮らします」
アリシアの思考が停止した。
今日から。
暮らします。
どこで。
誰が。
「はい!?!?」
公爵令嬢らしからぬ大声が馬車の中に響いた。
「どういうことですの!?」
「落ち着いてください、アリシア様」
「落ち着けませんわ!」
即答だった。
「今日から暮らすとはどういう意味ですの!?」
「そのままの意味ですが」
「意味が分からないから聞いておりますの!」
レオンは少し考えた。
一拍。
「失礼します」
「え?」
次の瞬間。
「んぐっ!?」
アリシアの口の中へ何かが押し込まれた。
甘い。
柔らかい。
そして。
大好きな味だった。
「……」
もぐもぐ。
「……あら」
もぐもぐ。
「美味しいですわ」
マカロンだった。
イチゴ味。
落ち着いた。
反射的に。
「…………」
「…………」
アリシアはゆっくりレオンを見る。
「レオン様」
「はい」
「今、お菓子で黙らせました?」
「落ち着かれましたので成功かと」
「否定できませんわ……」
悔しい。
だが美味しかった。
非常に。
アリシアは咳払いした。
「こほん」
ほんのり顔が赤い。
「それでは」
「はい」
「どういうことか説明してくださいませ」
「もちろんです」
レオンは頷いた。
「まず」
「私達は国外へ出ます」
「それは分かります」
「そのための屋敷を用意しています」
「そこまでは分かりました」
「事が落ち着いたらご家族も来られます」
「はい?」
「ローゼン公爵家の皆様も」
「お父様達が?」
「はい」
「お母様も?」
「はい」
「使用人達も?」
「希望者は全員」
アリシア停止。
「待ってくださいませ」
額を押さえる。
「なぜ話がそこまで進んでおりますの?」
「準備していましたので」
「いつからですの?」
「十年前から」
沈黙。
馬車も静か。
アリシアも静か。
「……はい?」
「私がアリシア様を好きになった時からです」
さらり。
本当にさらりと。
アリシアの思考が停止した。
「…………」
「…………」
「今はそういう話をしているのではありませんの!」
顔が一気に赤くなる。
レオンは少し目を細めた。
(可愛いですね)
本気で思った。
「失礼しました」
しかし全く反省していない。
「本当にもう……」
アリシアはため息を吐く。
「そうやってすぐ誤魔化すんですから」
「誤魔化す……」
レオンが呟く。
嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
「レオン様?」
遅かった。
レオンが立ち上がる。
そして。
馬車の中で跪いた。
「レオン様!?」
「誤魔化してなどおりません」
真剣な顔だった。
まずい。
本気だ。
「私がアリシア様をお慕いする気持ちは本物です」
「うっ」
心臓に刺さる。
「涙を流しながらも」
「努力されるお姿を目にした日から」
「待ってください」
「その笑顔も」
「待ってくださいませ」
「優しいところも」
「レオン様」
「努力家なところも」
「レオン様!?」
止まらない。
全く止まらない。
十分後。
「もう分かりましたわ!」
アリシアは叫んだ。
顔が真っ赤。
耳も真っ赤。
首筋も真っ赤。
胸元までほんのり赤い。
「分かりましたから!」
「そうですか」
レオンは満足そうだった。
そして最後に。
跪いたまま。
そっとアリシアの手を取る。
「この命は」
一拍。
「あなたのためのものです」
指先へ口付けが落ちた。
アリシア停止。
「……」
「アリシア様?」
「……」
「アリシア様?」
ぱたり。
前へ倒れた。
「おっと」
レオンが受け止める。
意識は無かった。
完全に限界だった。
「お疲れだったのですね」
違う。
絶対に違う。
レオンは首を傾げる。
そして隣へ移動した。
「失礼します」
アリシアの頭を優しく持ち上げる。
自分の太腿の上へ。
そっと乗せた。
膝枕だった。
アリシアは幸せそうに眠っている。
レオンはその髪をそっと撫でた。
「続きはまた今度にしましょう」
「お休みください」
馬車は静かに隣国へ向かう。
◇
馬車が進む。
アリシアは気持ちよさそうに眠っていた。
レオンの膝の上で。
本人は知らない。
絶対に知らない。
起きたら大騒ぎになる。
その時だった。
馬車が止まる。
ぎしり。
外で何かが鳴った。
御者の息を呑む気配。
護衛が剣を抜く音。
レオンの視線が窓へ向く。
「……」
街道の中央。
十人ほどの男達。
粗末な装備。
顔を隠した盗賊風の格好。
だが。
レオンは鼻で笑った。
「盗賊ですか」
静かな声。
「随分と良い剣をお使いですね」
外から殺気が伝わってくる。
馬車の中。
アリシアはまだ眠っている。
小さく寝息を立てながら。
レオンはそれを一瞬だけ見た。
そして。
クッションを敷き。
そっと膝から頭を降ろす。
毛布を掛ける。
「少々失礼」
起きない。
完全に熟睡している。
レオンは馬車を降りた。
「悪いな兄ちゃん」
先頭の男が笑う。
「金目の物だけ置いていけば見逃してやる」
「なるほど」
レオンは頷いた。
「では確認ですが」
「?」
「王子殿下がお雇いになった方々でよろしいですか?」
空気が凍る。
男達の表情が変わった。
答えだった。
「なるほど」
レオンは納得する。
「ありがとうございます」
「やれッ!!」
男が叫ぶ。
全員が一斉に飛び出した。
次の瞬間。
誰も何が起きたか理解できなかった。
一人。
二人。
三人。
次々に倒れる。
剣が折れる。
腕が痺れる。
地面へ転がる。
悲鳴すら上がらない。
速すぎた。
「がっ……」
最後の一人の首元へ剣が突きつけられる。
男は青ざめた。
目の前の騎士を見上げる。
その顔には怒りすらない。
ただ冷たい。
恐ろしく冷たい。
「一つだけ」
レオンが言う。
「殿下に伝えてください」
男が震える。
「もし次があるなら」
そこで言葉が止まる。
少し考えた後。
首を振った。
「いえ、やめておきましょう」
穏やかな笑顔。
だが男は余計に恐ろしくなる。
「どうせ私が守りますので」
レオンは剣を収める。
「失せなさい」
男達は転がるように逃げていった。
馬車へ戻り、
中へ入る。
アリシアはまだ眠っていた。
毛布を抱きしめながら。
幸せそうに。
レオンは小さく息を吐く。
「起きなくて良かった」
そして向かいの席へ腰を下ろした。
だが。
ふと視線がアリシアへ向く。
クッションにもたれ、
穏やかな寝顔を見せている。
「……」
先ほどまで。
彼女は自分の膝の上で眠っていた。
その姿を思い出す。
「……」
レオンは数秒だけ考えた。
そして静かに立ち上がる。
そっとアリシアを抱き上げた。
起こさないよう慎重に。
再び自分の隣へ座らせる。
いや。
正確には。
自分の膝の上へ。
アリシアは小さく身じろぎしたが、
目を覚ますことはなかった。
むしろ安心したように身を預ける。
レオンの表情が少しだけ緩む。
「こちらの方が安心できますね」
誰にとってかは語られなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




